嘘よりも真実よりも

水城ひさぎ

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『さあ、朝からおめでたいニュースが飛び込んできました。なんと、俳優の四乃森直己しのもりなおきさん、50歳が、ご結婚を発表されました。気になるお相手は、20歳年下の一般女性。もうほんとに、びっくりですね。四乃森さんと言えば、モデル出身の名俳優。一時はご結婚されないんじゃないか、なんてうわさされた時もありましたが、まさかの電撃発表となりました___』

 テレビをつけた途端、朝の情報番組で、女性キャスターがテンション高く、本日のトップニュースを伝えていた。

 思いがけない幸福なニュースに驚きつつ、テレビ画面をじっと魅入る。

 最近は災害だの、芸能人の訃報だの、気の沈むニュースが多かったけど、久しぶりの明るい話題にスタジオもにぎやかしい。

 男性司会者やコメンテーターも、それぞれにお祝いのコメントを出して、終始にこやかに番組は進行されていく。

 四乃森直己は幅広い年齢層に支持される俳優。代表作も数知れず。バラエティー番組にもひっぱりだこで、後輩の面倒見が良く、先輩からもかわいがられる存在らしく、近年は悪いうわさもなく、芸能界になくてはならない名俳優として、その地位を確固たるものにしている。

 ワイドショーは今日一日、四乃森直己の結婚のニュースで盛り上がるのだろう。

 彼のデビューからの履歴を紹介するボードが画面いっぱいに映し出されて、リモコンのボタンを押した。

 チャンネルをいくつか変えてみたけれど、どこも四乃森直己の結婚のニュースばかりだった。

 仕方なく、最初につけたチャンネルに戻し、キッチンへ入る。フライパンの上のフレンチトーストは、ちょうどいい頃合いの焼き加減になっている。

「へえー、四乃森直己、結婚したんだ」

 新聞を片手にリビングへ姿を見せた青年が、早速、興味を引かれたようにテレビに目を向けた。

 青年は、富山清貴とみやまきよたかさん。大企業のオフィスが入る富山ビルを所有する、大手不動産会社を営む富山家の次男で、私より4歳年上の31歳。

 生まれた時から一緒に暮らしていて、兄のように慕う男性のひとり。自由闊達な性格で、消極的な私をいつもぐいぐいと引っ張ってくれる清貴さんは、幼少の頃からの良き理解者だった。

 富山家に住み込みで働いていた家政婦、相楽万里さがらまりの娘である私が、清貴さんを兄だなんて言うのは、とてもおこがましいのだけど。

「あっ、清貴さん、おはようございます。今、ちょうどフレンチトーストが出来上がったところなんです。食べますか?」
「ああ、いいね、美味しそうだ。食べるよ」

 フレンチトーストを盛り付けたお皿をカウンターの上に乗せると、清貴さんは新聞を脇にはさみ、サッとお皿をテーブルに運ぶ。

 家政婦だった母の万里が小学生の時に亡くなって以降、新しい家政婦は雇われなかった。私はできるかぎりのお手伝いをしながら、富山家のお屋敷に居候させてもらい、学校にも通わせてもらった。

 その私ももう、27歳。久我くがみちるの名前で翻訳家の仕事をしていて、収入もそれなりにある。

 いつでも一人暮らしできる環境にはあるけれど、清貴さんが出ていく必要はないと言ってくれて、今でもお屋敷に住まわせてもらっている。

 だから、時間が合うときは、こうやって清貴さんと朝食を摂るのも珍しくなかった。

「コーヒーはブラックでいいですか?」
「うん、いいよ。ありがとう。……20歳年下と結婚ってすごいよな。よく結婚する気になったよ」

 テレビを見ながら清貴さんはそう言うと、私と同じように、チャンネルをいくつか変えたが、結局、四乃森直己のニュースばかりだからか、しまいにはテレビを消してしまった。

「兄さんはもう仕事行った?」

 ふたり分の朝食が並ぶテーブルに、向かい合って座ると、清貴さんはゆっくりとリビングを見回した。

 彼が兄さんと呼ぶのは、富山家の長男、仁志ひとしさん。仁志さんは、すでに引退した父親の跡を継ぎ、若きエリート社長として活躍している。

 彼らの両親である富山夫妻は、引退後、別荘でのんびりと余生を過ごしているため、この屋敷には私と仁志さん、清貴さんの3人で暮らしている。

「たぶん。私が起きてきた時にはいなかったので」

 清貴さんとは違って、仁志さんがいないのは日常茶飯事で、同じ家に暮らしてるのにほとんど会わない生活をしてる。それは、今に始まったことじゃなくて、小さな頃から。

 10歳も年上の仁志さんは、物心がついた頃にはもう、ずいぶんと大きなお兄さんで、一緒に食事をしたり、たまにはショッピングにも連れていってくれる清貴さんほどの接点はなかった。

「そういや、大きなプロジェクトがあるとか言ってたな」
「お忙しいですね、仁志さん」
「ああ、彼女作るひまもないみたいだ」

 しばらく結婚する気配もないだろうな、と清貴さんは苦笑すると、マグカップを持ち上げた。

 つられるように、私もマグカップに指をかける。その時、テーブルの上に置いていたスマホが音を立てた。

 ちらり、とけげんそうに清貴さんが私のスマホに目をやる。

「ごめんなさい。お食事中に」
「こんな朝早くから、誰?」
「仁志さんみたいです」
「兄さん?」

 きょとんとする彼から目を離し、腰を上げながら電話に出る。

「おはようございます、みちるです」
「ああ、おはよう。悪いね。今、大丈夫?」

 仁志さんのさわやかな声が耳を打つ。清貴さんは明るくて活発な動の人だけど、仁志さんは知的で紳士な静の人。

 消極的な私は、清貴さんの持つ強さに引っ張られて助けられたりもするけど、一緒にいて落ち着けるのは仁志さんのような穏やかな人だろう。

 兄同然のふたりの違いを感じるたびに、ふたりを合わせて二で割ったような男性が理想だろうと思ってしまう。

 つまらない私に惹かれるそんな男性はいなくて、好きになれる人なんて一生できないんじゃないかとも思っているけれど。

「はい、大丈夫です」

 そう返事しながら、清貴さんの朝食を邪魔しないようにと、キッチンに移動する。すでに、興味を失ったのか、彼はフレンチトーストをおいしそうに食べている。

「まだ家にいるよね?」
「はい。今、清貴さんと一緒に朝食をいただいてます」
「なんだ、清貴、起きてるのか。じゃあ、清貴に頼めばよかったかな」
「頼みって、どんな?」

 首をひねると、清貴さんもふしぎそうに私の方を見る。

「困ったことにね、スケジュール帳を忘れてきてしまったんだよ。たぶん、リビングにあると思うんだけどね」
「スケジュール帳を忘れた? それは、大変ですね」

 だろう? なんて言いながら、仁志さんは小さな息をつく。彼の困り顔が手に取るように浮かぶ。

「兄さん、スケジュール帳忘れたのか? 珍しいな、大事なもん忘れるなんて」

 いつのまにか、清貴さんが私の横に来て、そう言う。

「清貴か。スケジュール帳を見つけたら、すぐに会社まで持ってきてほしいんだが」

 清貴さんの声が仁志さんにも届いたのだろう。清貴さんに頼むように言うが、私はおずおずと申し出る。

「清貴さんはこれからお仕事ですので、私がお届けします」
「オフィスの場所はわかる?」
「はい、たぶん。大丈夫だと思います」

 仁志さんの働くオフィスビルには行ったことがない。

 私たちは同じ家で育ったけど、富山家に縁があるのはただの温情で、一歩外に出たら、富山家にゆかりのあるものとして振る舞うことは許されず、彼の会社に顔を出すなんてもってのほかだった。

 正直、ちょっと不安だったけど、仁志さんの助けになりたいという気持ちが湧き、衝動的に申し出ていたのだと思う。

「富山ビルの47階だよ」
「47階ですね、わかりました」
「スケジュール帳、見つかったら連絡がほしい」
「はい、すぐに」

 ありがとう、という優しい声が耳に届いた後、電話は静かに切れた。

「兄さん、困ってただろ。スケジュール帳、どこにあるって?」
「リビングにあるんじゃないかって」
「リビングねぇー」

 すっきりと整えられたリビングを、私と清貴さんは各々に見渡す。見慣れないものが置かれていたら、すぐに気付くのだけど。

「ないな。部屋かもな。俺、見てくるよ」

 そう言って、清貴さんがリビングを出ていこうとした時、「あっ」と、私はテーブルに駆け寄っていた。

「ありました。これじゃないでしょうか?」

 さっきまで清貴さんが座っていた席の横に並ぶ椅子に、焦げ茶色の革の手帳が乗っている。それを手にとり、清貴さんに差し出す。

 彼はすぐに手帳を開き、ぱらぱらとめくって中を確認する。

「これだな。それにしても、スケジュール、ぎっしりだな」

 苦笑する清貴さんは私に手帳を戻すと、手際よく仁志さんにメールで連絡をいれてくれる。

「私、すぐにお届けしてきます」
「フレンチトースト、食べてから行けよ」
「そういうわけにはいきません」
「みちるは真面目だなぁ。まあ、兄さんも助かるだろうけどな」
「はい。行ってきます」

 私は家政婦ではないけれど、富山家に貢献するのはあたりまえと思って育ってきた。

 母が亡くなり、父のいない私は、施設に預けられてもふしぎではない環境にいたのに、富山夫妻の温情で、この屋敷にとどまることを許された。

 母の万里と過ごした年月以上の月日を、彼らと過ごしてきて、親のように慕ってもいいと言われていたけれど、私の中で彼らが命の恩人という存在以上になることはなかった。

 だから、仁志さんにも、清貴さんにも、できるかぎりの恩は返していきたいと思っているのだ。

 そんな私の気持ちを汲んでくれている清貴さんだけれど、私の生真面目さにはあきれ顔を見せる。

 もっと肩の力を抜いていい。そう思ってるんだろうと気付きながらも、私は彼に一礼すると、すぐにリビングを飛び出した。
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