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すれ違う祈り
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***
左耳に髪をかきあげ、ティーポットを傾ける那波の横顔が、いつもより綺麗に見える。
その理由にすぐには気づけずしばらく見つめていたが、彼女がティーカップを持ち上げたから、目をそらした。
「そろそろアイスティーにしたらどうかと芽依が言うの。木梨くんは冷たい飲み物がいいかしら?」
湯気の立つティーカップが目の前に差し出されて、勇気を出して那波を見上げる。
昨日のことは忘れてしまったのだろうか。いつもと変わらない様子で俺の前に腰かけ、本を寄せる彼女に恥じらいはない。
「飛流さんはいつもホット?」
「そうよ、だけど、冷たい飲み物が苦手なわけではないの。不思議とこうなる前と同じように、温かいものは温かい、冷たいものは冷たいと感じるのよ。おかしいでしょう?」
「おかしい……、かな? おかしくはないような気がするけど、よくわからないな」
「木梨くんって正直ね」
そう言って、那波はティーカップを口元に運ぶ。
綺麗な仕草にどきりとしながら、俺の視線は彼女の唇に囚われてしまう。
「あ……」
「何かしら?」
「あ、その、今日の飛流さん、いつもと違うなって思って」
「気づいたのね。これもおかしいでしょう? リップなんて初めてよ。芽依がした方がいいというから、ここへ来る前につけてもらったの」
「おかしくないよ。か、可愛いと思う」
すぐに那波は誤解するようだから、勇気を出して言葉にした。
気恥ずかしくて消えたい。女の子にこんなことを言ったのは初めてだ。
真っ赤になる俺を、冷静な目で那波は見つめてくる。この温度差がますます恥ずかしい。
「木梨くん、言い忘れていたわ。私のために勝負をしてくれてありがとう。輝はもう部室には来ないって言っていたわ。お礼を言うの、遅くなってごめんなさい」
「………それだけ?」
「ええ」
「……」
あっさりすぎる那波に、俺は返す言葉がなくて絶句した。
なかったことにしたんだろうか。
俺の告白はなかった。何も聞かなかった。だから求めないで欲しい。そういうことだろうか。
だからといって俺は身を引けない。
正しいのかはわからないが、はっきりと断られない限り、那波から離れたらいけない、そんな気がして。
「朝、樋野先輩が俺の教室に来たよ。先輩にはいろいろ話すんだね。俺の知らないこと、よく知ってるみたいだった」
「いろいろとは何を指しているのかしら」
「それは俺にもわからないよ。飛流さんが考えてることの助けになってやれって言われた。俺にできることはまだあるのかな」
また素っ気なくされるんだろう。そう思うとため息が出そうになるが、消極的な自分を叱咤しながら真っ直ぐ那波を見つめたら、彼女は首を傾げて意外なことを言う。
「助けになら、もうなっているわ」
那波は俺に向き直る。真剣な話をしようとしているのだと、俺も背筋が伸びる。
「昨日木梨くんに話したこと、輝にも話したのよ。木梨くんに話したのは、私の勝手な気持ちからなのだけど、輝にも関わることだから、彼には最初から話すつもりだったの」
「先輩に関わるっていうのは、目のこと?」
「ええ、そう。十年前のあの日、神社に輝もいたのよ。ただ裏山へ遊びに来ていただけだったと思うの。でもきっと、私が神社へ向かう姿を見かけて追いかけてきたのね。彼とはあの頃よく遊んだから」
驚きながらも敗北感に見舞われる。
「そんな前から知り合いだったんだ……」
輝が俺より飛流姉妹を理解しているのは当たり前だ。その壁は越えられない。
「はっきりと覚えていたわけではないわ。だけど輝の瞳が何よりの証拠だと思うの。ああなってしまった理由を彼は知る権利があるわ」
「それで、先輩はなんて?」
「笑ったわ」
「笑った? 信じてないってこと?」
「それはどうかしら。ただ一つだけあの目を治す方法があると伝えたら、このままでかまわないって言われたわ」
「治る方法があるなら試してみたらいいのに」
「木梨くんならそう言ってくれると思っていたわ。だから助けられてると言ったの。あなたなら、私の考えを理解してくれるって信じてるわ」
那波は何かにつき動かされているように話す。彼女の支えになることが出来ていると実感する俺は、欲深になって尋ねた。
「治す方法っていうのは具体的にどんな方法?」
「それはまだわからないの」
さっきまで自論に前向きだった那波は、急に悲しげに目線を落とす。そして、苦しげに言う。
「ごめんなさい、木梨くん。今はあの日を取り戻すことで頭がいっぱいなの」
「あ……、いいんだ。先輩の目を治すことが出来るなら、何よりも優先するべきだと思う」
「ありがとう。でもね、木梨くん、私が言ったこと本気で考えてもらえたらいいとは思ってるの」
「飛流さんが言ったこと?」
「芽依……、芽依を、好きになってもらえたらって、思ってるわ……」
飛流さんはつらそうに目を閉じて、額に手を当てると俺から顔を背けた。
「どうして? そんなの無理だよ」
今更芽依を好きになれるとでも思うのだろうか。
いくら那波がかつては芽依だったのだと聞かされても、俺は今の那波に惹かれているというのに。
「だってあの子は私なのよ……。私には足りないものがたくさんあるけれど、あの子には私が一番欲しいものがあるもの」
「一番欲しいものって……」
那波は首を横に振り、流れもしない涙が溢れるのを止めるように目元を覆う。
「やめましょう、木梨くん。変な話したりしてごめんなさい」
そう言って、那波は珍しく逃げ出すように部室を出ていった。
左耳に髪をかきあげ、ティーポットを傾ける那波の横顔が、いつもより綺麗に見える。
その理由にすぐには気づけずしばらく見つめていたが、彼女がティーカップを持ち上げたから、目をそらした。
「そろそろアイスティーにしたらどうかと芽依が言うの。木梨くんは冷たい飲み物がいいかしら?」
湯気の立つティーカップが目の前に差し出されて、勇気を出して那波を見上げる。
昨日のことは忘れてしまったのだろうか。いつもと変わらない様子で俺の前に腰かけ、本を寄せる彼女に恥じらいはない。
「飛流さんはいつもホット?」
「そうよ、だけど、冷たい飲み物が苦手なわけではないの。不思議とこうなる前と同じように、温かいものは温かい、冷たいものは冷たいと感じるのよ。おかしいでしょう?」
「おかしい……、かな? おかしくはないような気がするけど、よくわからないな」
「木梨くんって正直ね」
そう言って、那波はティーカップを口元に運ぶ。
綺麗な仕草にどきりとしながら、俺の視線は彼女の唇に囚われてしまう。
「あ……」
「何かしら?」
「あ、その、今日の飛流さん、いつもと違うなって思って」
「気づいたのね。これもおかしいでしょう? リップなんて初めてよ。芽依がした方がいいというから、ここへ来る前につけてもらったの」
「おかしくないよ。か、可愛いと思う」
すぐに那波は誤解するようだから、勇気を出して言葉にした。
気恥ずかしくて消えたい。女の子にこんなことを言ったのは初めてだ。
真っ赤になる俺を、冷静な目で那波は見つめてくる。この温度差がますます恥ずかしい。
「木梨くん、言い忘れていたわ。私のために勝負をしてくれてありがとう。輝はもう部室には来ないって言っていたわ。お礼を言うの、遅くなってごめんなさい」
「………それだけ?」
「ええ」
「……」
あっさりすぎる那波に、俺は返す言葉がなくて絶句した。
なかったことにしたんだろうか。
俺の告白はなかった。何も聞かなかった。だから求めないで欲しい。そういうことだろうか。
だからといって俺は身を引けない。
正しいのかはわからないが、はっきりと断られない限り、那波から離れたらいけない、そんな気がして。
「朝、樋野先輩が俺の教室に来たよ。先輩にはいろいろ話すんだね。俺の知らないこと、よく知ってるみたいだった」
「いろいろとは何を指しているのかしら」
「それは俺にもわからないよ。飛流さんが考えてることの助けになってやれって言われた。俺にできることはまだあるのかな」
また素っ気なくされるんだろう。そう思うとため息が出そうになるが、消極的な自分を叱咤しながら真っ直ぐ那波を見つめたら、彼女は首を傾げて意外なことを言う。
「助けになら、もうなっているわ」
那波は俺に向き直る。真剣な話をしようとしているのだと、俺も背筋が伸びる。
「昨日木梨くんに話したこと、輝にも話したのよ。木梨くんに話したのは、私の勝手な気持ちからなのだけど、輝にも関わることだから、彼には最初から話すつもりだったの」
「先輩に関わるっていうのは、目のこと?」
「ええ、そう。十年前のあの日、神社に輝もいたのよ。ただ裏山へ遊びに来ていただけだったと思うの。でもきっと、私が神社へ向かう姿を見かけて追いかけてきたのね。彼とはあの頃よく遊んだから」
驚きながらも敗北感に見舞われる。
「そんな前から知り合いだったんだ……」
輝が俺より飛流姉妹を理解しているのは当たり前だ。その壁は越えられない。
「はっきりと覚えていたわけではないわ。だけど輝の瞳が何よりの証拠だと思うの。ああなってしまった理由を彼は知る権利があるわ」
「それで、先輩はなんて?」
「笑ったわ」
「笑った? 信じてないってこと?」
「それはどうかしら。ただ一つだけあの目を治す方法があると伝えたら、このままでかまわないって言われたわ」
「治る方法があるなら試してみたらいいのに」
「木梨くんならそう言ってくれると思っていたわ。だから助けられてると言ったの。あなたなら、私の考えを理解してくれるって信じてるわ」
那波は何かにつき動かされているように話す。彼女の支えになることが出来ていると実感する俺は、欲深になって尋ねた。
「治す方法っていうのは具体的にどんな方法?」
「それはまだわからないの」
さっきまで自論に前向きだった那波は、急に悲しげに目線を落とす。そして、苦しげに言う。
「ごめんなさい、木梨くん。今はあの日を取り戻すことで頭がいっぱいなの」
「あ……、いいんだ。先輩の目を治すことが出来るなら、何よりも優先するべきだと思う」
「ありがとう。でもね、木梨くん、私が言ったこと本気で考えてもらえたらいいとは思ってるの」
「飛流さんが言ったこと?」
「芽依……、芽依を、好きになってもらえたらって、思ってるわ……」
飛流さんはつらそうに目を閉じて、額に手を当てると俺から顔を背けた。
「どうして? そんなの無理だよ」
今更芽依を好きになれるとでも思うのだろうか。
いくら那波がかつては芽依だったのだと聞かされても、俺は今の那波に惹かれているというのに。
「だってあの子は私なのよ……。私には足りないものがたくさんあるけれど、あの子には私が一番欲しいものがあるもの」
「一番欲しいものって……」
那波は首を横に振り、流れもしない涙が溢れるのを止めるように目元を覆う。
「やめましょう、木梨くん。変な話したりしてごめんなさい」
そう言って、那波は珍しく逃げ出すように部室を出ていった。
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