5 / 26
消えた夢の軌跡
1
しおりを挟む
***
朝起きてメールを確認して拍子抜けしてしまった。
飲み会が入ったから行けなかった、という元彼からの連絡にいらだちさえ感じなかったのは、私たちが本当にもう終わってる証拠だと思った。そっとメールは削除して、もう二度連絡が来ないようブロックした。
別れてしまうと、彼のどこが好きだったんだろうってふしぎに思ってしまう。
それでも新しい恋をするかもしれない。その恋も、いつかはなんで好きだったんだろうって思うものになるのかもしれない。
恋はもういいや、なんて思いながら、また恋をするんだろうか。今はまだ考えられないけれど。
ベッドから降りて、ノートを一冊つかむと階段を降りた。祖父母はリビングにいて、朝食の並ぶテーブルについていた。
「おはよう、望ちゃん」
私の顔を見るなり立ち上がった祖母がキッチンに入っていくと、新聞から祖父が顔を上げた。
「望ちゃん、昨日は遅かったね」
「うん、ごめんね。ちょっと遠出してたの。それでね、今日は話があって」
「話って?」
祖父は新聞をたたむと、かけ時計を確認した。仕事に遅れないか心配してくれたのだろう。
気遣いのある祖父母に育てられた私は幸せだった。でも私は、あんまり親孝行……祖父母孝行な娘ではないかもしれない。
「実はね、昨日、ろまん亭に行ってたの。それで、滝沢さんという人に会って」
ほんの少し驚いたように身を乗り出す祖父の前へ、ノートを置く。父、野垣永朔が大切に書きためたレシピノートの一冊だった。
「滝沢さんって、滝沢陽仁くん?」
「うん、そう。ろまん亭の留守番してくれてるんだね。彼にお父さんの遺した秘伝のレシピノート、貸してもらったの」
祖父はノートを手に取り、中を開く。父の筆跡を見て、間違いないというようにうなずく。
「ろまん亭を再開したくなったのかい?」
「あ、ううん。そうじゃなくて、ろまん亭を売却する前に、もう少し遊びに行ってみようと思うの」
「それはかまわないよ」
「なんていうか、お父さんのこと、もうちょっと知ってから、ろまん亭をどうするか考えた方がいいと思って。もしかしたら、売却するならこの人にって思える人が見つかるかもしれないし」
思い出を手放すのは簡単だ。
不動産屋に任せてしまえばいい。でも、それをするのはもう少し先でもいいような気がするのだ。
「滝沢くんはちゃんとあの店を守ってくれてるんだね。律儀でまじめな青年のようだったから、留守をお願いしたんだけどね」
「毎日来てるみたい。結構、好きに使っちゃってるから、光熱費は滝沢さんに請求してくれって。あ、あとね、弦さん……お父さんの飼ってた柴犬は隣の、ちょっと変わった人が面倒見てくれてる」
「ああ、あの書道の先生?」
変わった人、なんて言ってしまったけど、すぐにわかってくれたみたい。祖父も変わった人だと思ったんだって気づいたら、ちょっとおかしい。
「うん、そう。弦さんが好きなんだって。竹村つづみさんっていうの。滝沢さんも竹村さんもすごくいい人。はじめて会った気がしないぐらい親切にしてくれたよ」
「永朔くんを慕ってたんだろうね。望ちゃんは他人に思えないのかもしれないよ」
「またあのふたりに会ってもいい?」
「望ちゃんのしたいようにしたらいいよ。ふたりとも信頼できる青年だからね」
「ありがとう、おじいちゃん」
てっきり反対されると思ってた。
思ったより、陽仁さんもつづみさんも祖父の信頼を得ていて、留守を任されてるみたい。
「じゃあ、週末はろまん亭に通うね」
「気をつけて行きなさい」
祖父は穏やかに言って、祖母と目を合わせると、そっと微笑みあった。私がいつか、ろまん亭に行きたいって言い出す日が来ることを知っていたみたいだった。
朝起きてメールを確認して拍子抜けしてしまった。
飲み会が入ったから行けなかった、という元彼からの連絡にいらだちさえ感じなかったのは、私たちが本当にもう終わってる証拠だと思った。そっとメールは削除して、もう二度連絡が来ないようブロックした。
別れてしまうと、彼のどこが好きだったんだろうってふしぎに思ってしまう。
それでも新しい恋をするかもしれない。その恋も、いつかはなんで好きだったんだろうって思うものになるのかもしれない。
恋はもういいや、なんて思いながら、また恋をするんだろうか。今はまだ考えられないけれど。
ベッドから降りて、ノートを一冊つかむと階段を降りた。祖父母はリビングにいて、朝食の並ぶテーブルについていた。
「おはよう、望ちゃん」
私の顔を見るなり立ち上がった祖母がキッチンに入っていくと、新聞から祖父が顔を上げた。
「望ちゃん、昨日は遅かったね」
「うん、ごめんね。ちょっと遠出してたの。それでね、今日は話があって」
「話って?」
祖父は新聞をたたむと、かけ時計を確認した。仕事に遅れないか心配してくれたのだろう。
気遣いのある祖父母に育てられた私は幸せだった。でも私は、あんまり親孝行……祖父母孝行な娘ではないかもしれない。
「実はね、昨日、ろまん亭に行ってたの。それで、滝沢さんという人に会って」
ほんの少し驚いたように身を乗り出す祖父の前へ、ノートを置く。父、野垣永朔が大切に書きためたレシピノートの一冊だった。
「滝沢さんって、滝沢陽仁くん?」
「うん、そう。ろまん亭の留守番してくれてるんだね。彼にお父さんの遺した秘伝のレシピノート、貸してもらったの」
祖父はノートを手に取り、中を開く。父の筆跡を見て、間違いないというようにうなずく。
「ろまん亭を再開したくなったのかい?」
「あ、ううん。そうじゃなくて、ろまん亭を売却する前に、もう少し遊びに行ってみようと思うの」
「それはかまわないよ」
「なんていうか、お父さんのこと、もうちょっと知ってから、ろまん亭をどうするか考えた方がいいと思って。もしかしたら、売却するならこの人にって思える人が見つかるかもしれないし」
思い出を手放すのは簡単だ。
不動産屋に任せてしまえばいい。でも、それをするのはもう少し先でもいいような気がするのだ。
「滝沢くんはちゃんとあの店を守ってくれてるんだね。律儀でまじめな青年のようだったから、留守をお願いしたんだけどね」
「毎日来てるみたい。結構、好きに使っちゃってるから、光熱費は滝沢さんに請求してくれって。あ、あとね、弦さん……お父さんの飼ってた柴犬は隣の、ちょっと変わった人が面倒見てくれてる」
「ああ、あの書道の先生?」
変わった人、なんて言ってしまったけど、すぐにわかってくれたみたい。祖父も変わった人だと思ったんだって気づいたら、ちょっとおかしい。
「うん、そう。弦さんが好きなんだって。竹村つづみさんっていうの。滝沢さんも竹村さんもすごくいい人。はじめて会った気がしないぐらい親切にしてくれたよ」
「永朔くんを慕ってたんだろうね。望ちゃんは他人に思えないのかもしれないよ」
「またあのふたりに会ってもいい?」
「望ちゃんのしたいようにしたらいいよ。ふたりとも信頼できる青年だからね」
「ありがとう、おじいちゃん」
てっきり反対されると思ってた。
思ったより、陽仁さんもつづみさんも祖父の信頼を得ていて、留守を任されてるみたい。
「じゃあ、週末はろまん亭に通うね」
「気をつけて行きなさい」
祖父は穏やかに言って、祖母と目を合わせると、そっと微笑みあった。私がいつか、ろまん亭に行きたいって言い出す日が来ることを知っていたみたいだった。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
三月一日にさようなら
水城ひさぎ
ライト文芸
西岐高校3年・宇田川音羽は、三月一日に学校の屋上から飛び降りた。しかし、音羽はふたたび目覚め、十月の教室にいた。時間が戻っている。それに気づいた音羽は、屋上へ向かう。そこで音羽を迎えたのは、上神田壮亮という同級生。彼もまた、時が戻る経験をしていた。「これって、タイムリープってやつだよな?」壮亮と音羽は未来を変えるためにタイムリープの真相を調べ始めるのだが___
君の世界は森で華やぐ
水城ひさぎ
ライト文芸
春宮建設で秘書として働いていたゆかりは、順風満帆な人生に物足りなさを感じていた。思い切って新しい人生を歩もうと考えていたところ、春宮建設専務の明敬との縁談が持ち上がる。
縁談を断りきれず、家出したゆかりが向かったのは、小学生の頃に訪れたことのある白森の地だった。
白森を訪れたゆかりは、絵描きの青年、寛人に出会う。変わり者の寛人に次第に惹かれていくゆかりだが、寛人が明敬の弟だと判明して……。
ルテニアR(スパイ会議)
門松一里
ライト文芸
日本の神戸市で各国のスパイが集まって戦争回避をするのですが、話し合いになるはずもなく、会議は踊り続けるのでした。#blackjoke #小説
平和を祈ります
code./人神
Jupiter
ライト文芸
Foreign matterと呼ばれる未知の生物が突如出現し、人類を攻撃。
人類は超能力者を部品とする兵器を量産し、対抗。
超能力者による復讐をまずは描いていこうと思います。
サハラ砂漠でお茶を
あおみなみ
ライト文芸
「失恋した 恋した 引っ越した」▼つき合っていた同僚の男性の浮気がきっかけで退職と引っ越しを決意した市議会勤めの速記士・美由は、物件探しの最中、休憩のために入った喫茶店「Sahara」で、こわもてでバツイチのマスター・創に一目ぼれする
▼▼▼
古いノートに書き殴ったものの、完成していなかったどころか、最初の数ページしか書いていなかった小説の(サルベージの必要があるかどうか微妙な)サルベージ小説です▼日付は25年ほど前のものでしたので、それ(90年代中期)がそのまま小説の時代背景になっています▼当時大好きだったThe Policeの曲からタイトルを拝借しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる