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結婚したけど、別居します!

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 一ノ瀬貴彦さんでなければ、嫌です。

 貴彦さんが拒むなら仕方ないという思いはあったが、父を説得した翌日には彼に直接会って、私との結婚と引き換えに新会社の社長就任を約束する、との条件で結婚の申し入れをした。

 一ノ瀬家の三男とはいえ、婿入り婚という形に難色を示すかと思ったが、意外にも、貴彦さんは久宝家のひとり娘である私の立場を理解し、二つ返事で承諾してくれた。

 二週間後には、一ノ瀬貴彦改め、久宝貴彦が化粧品販売メーカー『イチノセ』の新社長に就任したとのニュースが日本全国を駆け巡った。

 イチノセという新社名はふたりで相談して決めた。貴彦さんは苗字にこだわりを持っていなかったが、彼がこれまで名乗ってきた名前を残したい、という私の思いを汲み取ってくれた彼が最終的に決めた社名だった。

 そして、それから三ヶ月後の夏、私たちは結婚式を滞りなく執り行ったのだが……。

 初夜でも貴彦さんは私に指一本触れず、翌日もその翌日も何もなかった。翌週に控えた新婚旅行を期待したものの、長い闘病生活を送っていた彼の祖父が亡くなり、新婚旅行はキャンセルになった。

 祖父は俺が結婚して安心したんだろう。と、貴彦さんは落ち込む私をおもんぱかったが、夫婦としての営みはあいかわらずの皆無で、葬儀を終えた翌日からは新事業の成功に向けて大忙しの毎日が始まり、私が寝入ってからしか彼が帰宅しない日々は続いていた。

「仕事が忙しいんだから仕方ないって、ずっと我慢してきたけど、そんなに帰ってこれないものかしら。絶対、レスられてるんだと思うわ。そうは思わない? 瑞希」

 週末、いつものように母家へ遊びに来た瑞希へまくし立てると、彼女はうっすらと、あざけるような笑みを浮かべる。

「そう受け取れなくもないね」
「でしょう? 瑞希だって聞いたでしょう? あのうわさ。毎晩、女遊びをするような人が手も出してくれないなんておかしすぎるわ」

 テーブルに勢いよく手をついて、瑞希の方へ顔を突き出す。彼女は愉快げに目を細め、お皿から飛び出しそうになったクッキーをつまみあげる。

「何かしたのでは?」

 瑞希は冷静だ。異性の恋人には興味がなく、誰にも恋愛感情を持たない彼女にとって、私の悩みなんて、たわごとのように聞こえるのだろう。

 だからといって、瑞希に腹は立たない。むしろ、そうだからこそ、私も落ち着きを取り戻せる。

「何かって……特に」
「結婚式の前に、何か条件を出したとか」

 かしげた首を、私はますますひねる。

 手を出さないでほしいなんて条件、出すわけがない。ずっと好きで好きでたまらなかった人と結婚して、むしろ、はしたないぐらい前向きな気持ちで抱いてほしくてたまらなかったのに。

「ほら、思い出して」

 瑞希に促されて、過去の記憶をたどる。

「そうねぇ……、私たちは交際期間のない結婚だったから、人前でキスするのは恥ずかしいとは言ったわね」

 ほら、余計なことを言ってるじゃないか、とばかりに彼女の眉がぴくりと上がるから、私はあわてて言う。

「でもね、キスを拒んだわけじゃないわ。求められて、臆病になったわけでもないの」
「そもそも、求められてもない?」
「嫌な言い方するわね。まあ、そうよ。レスになるぐらいなら、女遊びをするぐらい性欲のある人の方が……って気持ちもあったのに、こんな仕打ちある?」

 ぼやくように言うと、瑞希は唇の端をあげてうっすら笑む。

「妻は抱けないって男もいるみたいだしね」
「そんなのひどい」
「貴彦さんがそうかは知らないけどさ、そういう人もいるって話だよ」
「そんなの言われなくてもわかってるっ」

 むくれて椅子に座り直し、ティーカップを口もとに運ぶ。爽やかな紅茶の香りに癒されたいが、どうにも胸のモヤモヤは晴れてくれそうにない。

「それで、どうするの?」
「どうもこうもないわよ。今日から出張で一週間帰らないの。その間に寝室を別にするわ」
「家庭内別居するの?」

 瑞希は目を丸くする。

「そっちがその気なら、私だって! ってところを見せてやらなきゃ」

 今の状況を打破するには、強行突破しかないような気がしている。

「あいかわらず、気が強い。まあ、そのぐらいの態度を見せれば、何か気づいてくれるかもね」
「やけに楽しそうな顔するじゃないの。私は本気よ? 謝ってくるまで許さないんだから」

 きっぱりとそう言うと、瑞希は苦笑する。その横顔をもどかしく見つめながら、気持ちをまぎらわすようにクッキーにかじりついた。
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