嘘つきフェイク

水城ひさぎ

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あなたのために

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 小坂くんの勤務する不動産屋は、賃貸を扱うチェーン店だった。

 店内に入ると、待ってましたとばかりに小坂くんは笑顔でやってきて、カウンター席へと案内してくれる。

「急にお願いしたりしてごめんなさい。大丈夫だった?」
「全然。朝霧さんに会えたらやる気が出るよ」
「やっぱり大変?」
「まあね。まあでも、頑張るよ。みんないい人ばっかりだし、結構環境はいいんだ」
「そう。それなら良かった。私も小坂くんの元気そうな顔が見れて嬉しいわ」

 そう言うと、小坂くんも嬉しそうに微笑む。

 彼は少し感じる頼りなさを、優しさで補っているような温かさがある。きっと穏やかな人だろう。誰にでも分け隔てなく優しく出来る人で、その分繊細なところがある人かもしれない。

 小坂くんのような人は、私のダメなところもそのまま受け入れてくれるのかもなんて、ふと思ったりした。

「ん? どうかした?」

 少しぼんやりしていたのだろう。小坂くんは心配そうに首をかしげる。

「ああ、ううん。なんでもないの」
「そっか。じゃあ早速、ご希望を聞こうかな」
「ええ。また職場に近いところでかまわないんだけど」

 と、私はテーブルに置かれた地図に指を滑らせる。

 引っ越す必要あるの?と小坂くんは不思議そうだったが、いくつか物件の資料を見せてくれた。

 今のアパートも特に不便を感じているわけではないし、引っ越し期限が差し迫っているわけでもない。

 妥協点がなく、なかなか物件を決められない私を見て、小坂くんは愉快げに口元に笑みを浮かべる。

「朝霧さんって優柔不断なところもあるんだね。今のところが一番いいって思ってる感じはあるけど、どうだろう、良かったら実際物件見に行く?」
「いいの? 無駄足になるかもしれないわ」
「かまわないよ。納得できる物件が見つかるといいね」
「小坂くんは気が長いのね」
「まあそうだね。待てば海路の日和ありだよ」

 小坂くんはそう言って笑うと、いくつかの物件のファイルを抱えて、「車出すから外で待ってて」と立ち上がった。



「今住んでるところ、結構いいところだよね。似たような物件に案内するけど、家賃が特別安くなるわけでもないし、もっとこういうのっていう希望があれば遠慮なく言ってくれていいよ」

 小坂くんはハンドルを握りながら、後部座席に座る私にそう言う。

「そうね。アパート自体に不満はないの。場所を変えられたらって思っただけ」
「場所? 場所も悪くない気はするけどなぁ。もっと近くに欲しい施設とかあるの?」
「そんなんじゃないの」
「違う? んー、よくわからないなぁ。あんまり不便に感じてないなら、引っ越してから後悔しないといいね」

 小坂くんは軽くそう言ったが、私の浮かない表情を見て、そっと諭すように言う。

「話ぐらいなら聞けるよ。聞いて欲しいって顔してる。朝霧さん、すごくわかりやすいからさ」

 そんなにわかりやすいだろうか。恥ずかしく思いながらも、彼の素直な思いやりにほだされて私は吐露する。

「……あの、アパートの近くにね、石神さんの自宅があるみたいなの。……だから」

 それだけしか言えないけど、小坂くんはちょっと首をすくめて言う。

「なんか、納得。でもそれって、石神さんのことがまだ忘れられないって言ってるみたいだね」
「そう思う?」
「思う思う。気まずい気持ちはわかるけどさ、どうでもいい相手になったなら、顔合わせたって知らんぷりしてればいいんだ」
「できるかしら……」
「不安だから離れたいんだね。決心つかないなら、無理に引っ越さなくてもいいんじゃないかな。いつか自然と離れる日が来るかもしれない」
「毎日、もし石神さんにまた会ったらって思いながら帰るの……」
「無視してたらいいよ」
「でも……彼が無視してくれないかもしれない」

 勇気を出してそう言ってみたけど、小坂くんが自意識過剰だなんて笑うかもしれないと思って恥ずかしくなってしまう。

「あ、違うの。挨拶程度にでも話しかけてくるかもって思って……」

 言い訳じみたことを言ってみるが、小坂くんは何も言わない。

「なんでもないわ……」

 逃げ場を失って言葉を撤回するものの、彼は無言のまま目的地の駐車場に車を停めた。

「着いたの?」

 と、聞いて車を降りようとすると、小坂くんは神妙な表情で振り返る。

「石神さんはまだ朝霧さんが好きなの?」
「そういう話じゃなくて」
「そういう話だよ。そうじゃなきゃ、石神さんに話しかけられるかもなんて心配する必要ない。また好意を見せられたら拒む自信がないから会いたくないって言ってるみたいだよ」

 図星だ。だから自意識過剰だと思うのだ。それでもその不安が拭えないのも事実だ。

「お互いに好きなのに、どうして別れたの? 朝霧さん、何か間違ってない?」
「間違って……そんなことない。石神さんは別に結婚する人がいるから別れたの。奥さんがいるのに別れないなんて、その方がおかしい」
「石神さんはそんな人? 朝霧さんの気持ち知ってて、別の人と結婚なんてできる人?」
「彼はそうするって。結婚と恋愛は別な人なの」

 怜司さんはみのりさんを突き放すことなど出来ないだろう。春翔くんのこともある。私が彼との関係を続けるとしたら、みのりさんを裏切りながらの付き合いになるのだ。たとえみのりさんがそれを容認していたとしても、私には耐えられないだろう。

「それが本当なら、俺も引っ越した方がいいって思うよ。はやく石神さんのことは忘れた方がいい」
「……そうね。それはそう思ってるの」

 小坂くんは無言で運転席を降りると、後部座席の方へ回ってきて、ドアから降りようとする私の前にかがみ込んだ。

「小坂くん?」
「朝霧さん……、また違う恋愛しなよ」
「……え」
「俺って、そんなに頼りないかな。石神さんみたいに強くはないけどさ、朝霧さんを悲しませたりしないし、守れるぐらいの強さは持ってるって思ってる。それに、朝霧さんをずっと好きでいる自信は誰よりもあるよ。今までだってずっと好きだったんだから」

 唐突な告白だった。彼の気持ちはわかっていたつもりだけど、改めて告白されるなんて思ってなかった。

「すぐにじゃなくていいけど、そういうつもりで、時々会ってくれないかな」

 小坂くんの言葉は優しい。だけど素直にその言葉を受け入れるほどの余裕が私にはない。

「自信がないの。私、まだ石神さんが……」

 小坂くんには素直に話せる。

 怜司さんが好きだ。彼も私をまだ愛してると言ってくれた。どうして簡単に忘れられるだろう。

「泣かないでよ、朝霧さん。困らせたいわけじゃないんだから」
「小坂くんのせいじゃないの……」

 怜司さんのことを思うだけで知らず涙がこぼれる。好きでたまらない気持ちをどうやって隠したらいいのかわからなくて戸惑っている。

「毎日一人で泣いてる? だったら付き合うよ。俺、思ってる以上に気が長いよ」

 小坂くんはそう言って、涙を拭う私の手をそっと握り、「大丈夫だよ。大丈夫だから……」って何度も優しく言ってくれた。
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