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まわり始める運命の時計
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ベッドに横になって小説を読んでいると、ミカドが部屋を出ていこうとする。先程から廊下が騒々しい。真咲さんが荷運びをしているのだろうと想像はついたが、ミカドは気になって仕方ない様子だ。
しかしミカドはくぐり戸を出ていきかけたが、すぐに顔を引っ込めて戻ってきた。
「気は済んだ?」
私の胸元に顔を埋めるようにして丸くなるミカドの背をなでる。
ミカドは何を思ったか、ちょっと顔を上げて私の頬に鼻を寄せる。ひげがくすぐったくて目を細めると、彼はそわそわと足踏みして、そっぽを向いて丸くなる。まるで照れているみたいだ。こんな態度を取るミカドは珍しい。
小説の続きを読もうと本を開く。ミカドの寝息が聞こえる中、小説の内容に引き込まれていった頃、唐突にドアがノックされた。
「悠紀ちゃん、起きてる? ミカドのごはん、遅くなってごめんね」
「ミカド、お腹が空いてたの?」
だから部屋を出ていこうとしたのだと気づき、ベッドから降りる。
「それとね、古谷さんが悠紀ちゃんに見せたいものがあるんですって。良かったら下に来ない?」
古谷さんという言葉に反応して足が止まるが、同時に何を見せたいのだろうという好奇心も生まれて、私はドアを開けた。
くぐり戸からフードボウルを差し入れようと屈みかけたママが少々驚きの表情を浮かべる。私が出てくるなんて思っていなかったのだろう。
「ミカドも下で食べていい?」
「えっ……、ええ、いいわ。もちろんよ、悠紀ちゃん。リビングにサンドイッチ用意してあるの。古谷さんは食事すまされたけど、もう少し時間があるからって」
「ママは仕事してきて」
フードボウルを受け取り、ママを促す。
喫茶店の仕事は、アルバイトを雇っていた時期もあったけど、今はママが一人で切り盛りしている。私やミカドにかまっている時間なんて本当はないということは、頭の中ではわかっている。
一階に戻るママの後をついてリビングに向かう。私の後をミカドもついてくる。
リビングに真咲さんはすでにいた。小さなアルバムのようなファイルを開いて、いくつか写真を取り出しているところだった。
写真の整理なら自分の部屋ですればいいのに、と思っていると、真咲さんは私に気づいて柔和な笑みを浮かべた。
「引越しで荷物の整理をしていたら、懐かしい写真がいくつか出てきたんです。外折さんに昔の写真は一枚もないと聞いたので」
「昔の写真、ですか……?」
足元にフードボウルを置く。ミカドは私が椅子に腰かけるとすぐに食事を始めた。
「ああ、食事をどうぞ。サンドイッチ、とても美味しかったです」
真咲さんは私に食事を勧めながら、サンドイッチの乗るプレートの横に、何枚か写真を並べていく。
「遼の写真は、……そうですね、今のところ、この辺りが一番顔がわかりやすいかな」
「遼って……、お兄ちゃんの写真?」
真咲さんが指差す一番手前に置かれた写真を手に取る。
卒業式の写真だ。卒業証書を手に、仲間と肩を組む男子学生が何人か写っている。
「お兄ちゃんは、……どれ?」
小さく写る顔を一人ずつ目を皿のようにして眺めていく。
「真ん中です。遼はいつも仲間の中心だったから。……ああ、これもあった。これなら顔がよくわかります」
そう言って真咲さんが差し出したのは、ひとめで学生時代の真咲さんとわかる青年と、爽やかな短髪の青年が笑顔で並ぶ写真だ。
「これが、お兄ちゃん……」
短髪の青年を注視する。優しそうな、でもやんちゃそうに元気な笑顔を浮かべる青年を人差し指でなぞる。
私の記憶の中の兄はいつもシルエットだった。どんな顔をしていて、どんな声をしていたのか、全く記憶がない。初めて目にする青年なのに、懐かしさを感じるのは、彼が兄であると聞かされたからだ。
「俺と遼は近所に暮らしていて同級生でした。これは高校の卒業式の写真です。この後、遼とは別の大学に行ったのでほとんど連絡をしなくなり、今ではどこにいるのかわかりません」
「それは……、ううん、いいの。お兄ちゃんは元気に暮らしてるってママが言ってたから。会いたいなんて思ったりしたらいけないって、言われてるから……」
話すうちに声が震えてくる。考えたらいけないと脳内に警告が鳴る。
思い出してはいけないことがあると、何かが私をそうさせる。ずっとそうだった。兄を思う時、母に会いたいと願う時、父の存在に触れようとする時、それは必要ないのだと、してはいけないのだと、何かが私を制するのだ。
「遼は妹の悠紀さんを大切にしてましたよ。きっと普通の兄妹よりも、仲が良かったように思います」
そう言われてもぴんとは来ない。だが記憶の兄はいつも私に優しい。
「……古谷さん、これもらってもいい?」
「ええ、そのつもりでしたから」
真咲さんはふんわりと優しく微笑む。
兄と真咲さんが並ぶ写真を眺めながら、サンドイッチを口元に運ぶ。ほんの少しだけ、美味しい、という感覚がよみがえるのを感じる。
食事を終えたミカドもまた、私のひざの上にあがると、兄の写真をジッと見つめていた。
ベッドに横になって小説を読んでいると、ミカドが部屋を出ていこうとする。先程から廊下が騒々しい。真咲さんが荷運びをしているのだろうと想像はついたが、ミカドは気になって仕方ない様子だ。
しかしミカドはくぐり戸を出ていきかけたが、すぐに顔を引っ込めて戻ってきた。
「気は済んだ?」
私の胸元に顔を埋めるようにして丸くなるミカドの背をなでる。
ミカドは何を思ったか、ちょっと顔を上げて私の頬に鼻を寄せる。ひげがくすぐったくて目を細めると、彼はそわそわと足踏みして、そっぽを向いて丸くなる。まるで照れているみたいだ。こんな態度を取るミカドは珍しい。
小説の続きを読もうと本を開く。ミカドの寝息が聞こえる中、小説の内容に引き込まれていった頃、唐突にドアがノックされた。
「悠紀ちゃん、起きてる? ミカドのごはん、遅くなってごめんね」
「ミカド、お腹が空いてたの?」
だから部屋を出ていこうとしたのだと気づき、ベッドから降りる。
「それとね、古谷さんが悠紀ちゃんに見せたいものがあるんですって。良かったら下に来ない?」
古谷さんという言葉に反応して足が止まるが、同時に何を見せたいのだろうという好奇心も生まれて、私はドアを開けた。
くぐり戸からフードボウルを差し入れようと屈みかけたママが少々驚きの表情を浮かべる。私が出てくるなんて思っていなかったのだろう。
「ミカドも下で食べていい?」
「えっ……、ええ、いいわ。もちろんよ、悠紀ちゃん。リビングにサンドイッチ用意してあるの。古谷さんは食事すまされたけど、もう少し時間があるからって」
「ママは仕事してきて」
フードボウルを受け取り、ママを促す。
喫茶店の仕事は、アルバイトを雇っていた時期もあったけど、今はママが一人で切り盛りしている。私やミカドにかまっている時間なんて本当はないということは、頭の中ではわかっている。
一階に戻るママの後をついてリビングに向かう。私の後をミカドもついてくる。
リビングに真咲さんはすでにいた。小さなアルバムのようなファイルを開いて、いくつか写真を取り出しているところだった。
写真の整理なら自分の部屋ですればいいのに、と思っていると、真咲さんは私に気づいて柔和な笑みを浮かべた。
「引越しで荷物の整理をしていたら、懐かしい写真がいくつか出てきたんです。外折さんに昔の写真は一枚もないと聞いたので」
「昔の写真、ですか……?」
足元にフードボウルを置く。ミカドは私が椅子に腰かけるとすぐに食事を始めた。
「ああ、食事をどうぞ。サンドイッチ、とても美味しかったです」
真咲さんは私に食事を勧めながら、サンドイッチの乗るプレートの横に、何枚か写真を並べていく。
「遼の写真は、……そうですね、今のところ、この辺りが一番顔がわかりやすいかな」
「遼って……、お兄ちゃんの写真?」
真咲さんが指差す一番手前に置かれた写真を手に取る。
卒業式の写真だ。卒業証書を手に、仲間と肩を組む男子学生が何人か写っている。
「お兄ちゃんは、……どれ?」
小さく写る顔を一人ずつ目を皿のようにして眺めていく。
「真ん中です。遼はいつも仲間の中心だったから。……ああ、これもあった。これなら顔がよくわかります」
そう言って真咲さんが差し出したのは、ひとめで学生時代の真咲さんとわかる青年と、爽やかな短髪の青年が笑顔で並ぶ写真だ。
「これが、お兄ちゃん……」
短髪の青年を注視する。優しそうな、でもやんちゃそうに元気な笑顔を浮かべる青年を人差し指でなぞる。
私の記憶の中の兄はいつもシルエットだった。どんな顔をしていて、どんな声をしていたのか、全く記憶がない。初めて目にする青年なのに、懐かしさを感じるのは、彼が兄であると聞かされたからだ。
「俺と遼は近所に暮らしていて同級生でした。これは高校の卒業式の写真です。この後、遼とは別の大学に行ったのでほとんど連絡をしなくなり、今ではどこにいるのかわかりません」
「それは……、ううん、いいの。お兄ちゃんは元気に暮らしてるってママが言ってたから。会いたいなんて思ったりしたらいけないって、言われてるから……」
話すうちに声が震えてくる。考えたらいけないと脳内に警告が鳴る。
思い出してはいけないことがあると、何かが私をそうさせる。ずっとそうだった。兄を思う時、母に会いたいと願う時、父の存在に触れようとする時、それは必要ないのだと、してはいけないのだと、何かが私を制するのだ。
「遼は妹の悠紀さんを大切にしてましたよ。きっと普通の兄妹よりも、仲が良かったように思います」
そう言われてもぴんとは来ない。だが記憶の兄はいつも私に優しい。
「……古谷さん、これもらってもいい?」
「ええ、そのつもりでしたから」
真咲さんはふんわりと優しく微笑む。
兄と真咲さんが並ぶ写真を眺めながら、サンドイッチを口元に運ぶ。ほんの少しだけ、美味しい、という感覚がよみがえるのを感じる。
食事を終えたミカドもまた、私のひざの上にあがると、兄の写真をジッと見つめていた。
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