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第二話 婚約者と牛鍋丼
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「清人は人使いが荒い。なんでもかんでも簡単に買ってこれると思ってやがる。どこのどいつだ、死ぬ前に牛鍋丼を食いてぇなんて言うやつは」
悪態をつきながら、小天は皮かばんから次々と牛鍋丼の食材を取り出していく。
牛肉に長ネギ、酒とみそ。ここまでは藤城屋の牛めしと同じ。あとは砂糖。純子さんのつくる牛鍋丼は甘めだと言っていたから、砂糖を入れるみたい。
「大変だったの?」
珍しい食材があるわけでもないのに。そう思って尋ねると、小天は大げさに両手を広げた。
「とんでもなく大きい犬に追いかけられたわっ。俺様をビビらせやがって。肉屋の犬め、覚えてやがれ」
「大変でしたね。たしかに肉屋のわんちゃん、よく吠えるかも」
よっぽど怖い目にあったらしい。つりあがった目が下がる様子はない。
「吠えるなんてもんじゃないぞ。あいつ、俺様を弱っちい犬だと思ってるんだ。俺様は天幻の神様に仕えるそれはそれはエラい白狐さまなんだぞっ」
「まあまあ、小天。怒りはそのぐらいに。牛鍋丼ですがね、はじめに食べたいと言い出したのは葵なんですよ」
くすりと苦笑して、清人さんは言う。小天の小言にはなれてるのだろう。怒りをしずめようとしてか、優しく言うものだ。
「なんと、葵が?」
意外だったのか、小天は驚く。さっきまでの怒りを忘れてしまったよう。
「常吉に食べさせたかったのでしょう。昔から誰かが落ち込むと、母は牛鍋丼をつくってくれましたから」
「死ぬのか? 常吉は」
心配げな小天の様子に、私も胸がざわつく。しきよみ亭で食事をするということは、そういうことだと知っている。
清人さんはゆるりと首を振る。
「人はいつか、必ず死にますよ」
「……今すぐではないのね?」
「ええ、そうですよ。常吉は毎日をせいいっぱい生きているのです」
常吉さんはもともと体が弱く、長くは生きられないのかもしれない。それでも、余命が少ないわけではないのだとわかって、安堵する。
「葵さんはやっぱり、常吉さんの言うように、心配して清人さんに会いにきただけなんですね?」
「葵は人より長く生きますから、常吉とともに死ねないことはわかっているでしょう。しかし、心配でたまらないのでしょうね」
「常吉さんも、長く生きる葵さんを心配されてるかもしれませんね」
「そうですね。たまには牛鍋丼を食べに来るよう、葵に言いました」
「思い出のごはんは、死ぬ間際だけではなくて、いつでも食べられるといいですね」
誰もがおいしいごはんを食べて、活力を得て生きていく。そういう場を、しきよみ亭の亭主は与えられるのだと思う。
「はい。ですから今夜、常吉と葵を呼ぶことにしたんですよ」
「しきよみ亭の亭主が特別に振る舞うお料理ですね」
「これからは4人で食事ができる機会を増やしていきましょう」
兄弟同然で育ってきたのに、どうして会わずに過ごしてきたのか。清人さんは後悔しているのかもしれない。
人はいつか死ぬ。だからこそ、会えるときに会っておかなければいけないのに。
しかし、彼の言い方に引っ掛かりを覚えて尋ねた。
「4人って?」
「香代さんもご一緒に」
あたりまえのように言うのだ。
「牛鍋丼は3人の思い出の……」
「ですから余計にです。香代さんも末長く、常吉と葵とは懇意の関係でいていただきたい。ああ見えて、葵も香代さんには興味津々なのですよ」
「そうは見えませんでしたけど」
表情を変えず、私を見ていた葵さんを思い浮かべる。感情をさとらせない雰囲気に好奇心など見えなかったけれど。
「清人と結婚するなんていう物好きが美しい娘で驚いたと言っておったな」
皮かばんを肩に引っかけながら、なんでもないことのように小天が口を挟む。
「えぇっ? 葵さんがそう言ったの?」
「ふむ。まあ、物好きとは言うが、葵は清人を尊敬しておるのさ。しきよみ亭の亭主になれるのは、ヨミ安の子孫の中でも死期を詠める者のみ。その血統は希少で、力を受け継ぐ清人は天幻の神様にもっとも愛される貴重な存在。ヨミ安の子孫の中には妬むものもおろう。普通の女子は恐れ多くて近付かん」
「そんな大変な人なの……っ?」
大丈夫なのだろうか。急に不安になってしまう。清人さんは、純子さんのご子息である前に、たぐいまれなる霊力を持つ、天幻の神に仕える白狐の子孫なのだ。
人の間では変人でも、半妖の間では神に近い存在と崇められてるのかもしれない。だからこそ、妬まれる存在でもある。
「では、帰るでな。清人と正式に結婚したら俺様を呼ぶがいい。天幻の神様からお祝いがくだされるであろう」
「お、祝い……?」
「死期を詠む力を与えられた子宝だろうな。九十九のときもそうであった」
えぇっ、子宝っ?
台から飛び降り、さっさと台所の裏口から出ていこうとする小天の背中に向かって思わず叫ぶ。
「け、結婚はしま……っ」
そんな私の手を、清人さんがぐいっとつかむ。私の顔をのぞき込み、うっすら笑むから震えあがる。
「いまさら、結婚しないなんて言わせませんよ。ほど良きときはもう目の前に来ているのです」
裏口の戸が無慈悲に閉まる音がする。小天は帰ってしまったみたい。知らず、肩に入っていた力を抜く。
「……あまりいじわるを言われないでください。そうでなくても、戸惑っているんです」
結婚となると大変なことが待ち構えてるみたい。清人さんを好きでも、それだけでは乗り越えられないことも。
結婚に興味なかったのは、結婚で決して幸せになれるとは思えなかったから。でも今はもう、清人さんと一緒に生きていきたいと思う気持ちの方が強かった。
不安が顔に出てしまって、彼はその不安を取り除こうとしたのか、穏やかに言う。
「心配いりません。何があろうと、香代さんは俺がお守りしますよ」
彼は真実しか語らない人で、それを疑ったことはなくて。
「それは、信じています」
「そうですか。では今夜、俺の妻におなりなさい」
そう言って、私を抱きしめる腕は優しかった。
「清人は人使いが荒い。なんでもかんでも簡単に買ってこれると思ってやがる。どこのどいつだ、死ぬ前に牛鍋丼を食いてぇなんて言うやつは」
悪態をつきながら、小天は皮かばんから次々と牛鍋丼の食材を取り出していく。
牛肉に長ネギ、酒とみそ。ここまでは藤城屋の牛めしと同じ。あとは砂糖。純子さんのつくる牛鍋丼は甘めだと言っていたから、砂糖を入れるみたい。
「大変だったの?」
珍しい食材があるわけでもないのに。そう思って尋ねると、小天は大げさに両手を広げた。
「とんでもなく大きい犬に追いかけられたわっ。俺様をビビらせやがって。肉屋の犬め、覚えてやがれ」
「大変でしたね。たしかに肉屋のわんちゃん、よく吠えるかも」
よっぽど怖い目にあったらしい。つりあがった目が下がる様子はない。
「吠えるなんてもんじゃないぞ。あいつ、俺様を弱っちい犬だと思ってるんだ。俺様は天幻の神様に仕えるそれはそれはエラい白狐さまなんだぞっ」
「まあまあ、小天。怒りはそのぐらいに。牛鍋丼ですがね、はじめに食べたいと言い出したのは葵なんですよ」
くすりと苦笑して、清人さんは言う。小天の小言にはなれてるのだろう。怒りをしずめようとしてか、優しく言うものだ。
「なんと、葵が?」
意外だったのか、小天は驚く。さっきまでの怒りを忘れてしまったよう。
「常吉に食べさせたかったのでしょう。昔から誰かが落ち込むと、母は牛鍋丼をつくってくれましたから」
「死ぬのか? 常吉は」
心配げな小天の様子に、私も胸がざわつく。しきよみ亭で食事をするということは、そういうことだと知っている。
清人さんはゆるりと首を振る。
「人はいつか、必ず死にますよ」
「……今すぐではないのね?」
「ええ、そうですよ。常吉は毎日をせいいっぱい生きているのです」
常吉さんはもともと体が弱く、長くは生きられないのかもしれない。それでも、余命が少ないわけではないのだとわかって、安堵する。
「葵さんはやっぱり、常吉さんの言うように、心配して清人さんに会いにきただけなんですね?」
「葵は人より長く生きますから、常吉とともに死ねないことはわかっているでしょう。しかし、心配でたまらないのでしょうね」
「常吉さんも、長く生きる葵さんを心配されてるかもしれませんね」
「そうですね。たまには牛鍋丼を食べに来るよう、葵に言いました」
「思い出のごはんは、死ぬ間際だけではなくて、いつでも食べられるといいですね」
誰もがおいしいごはんを食べて、活力を得て生きていく。そういう場を、しきよみ亭の亭主は与えられるのだと思う。
「はい。ですから今夜、常吉と葵を呼ぶことにしたんですよ」
「しきよみ亭の亭主が特別に振る舞うお料理ですね」
「これからは4人で食事ができる機会を増やしていきましょう」
兄弟同然で育ってきたのに、どうして会わずに過ごしてきたのか。清人さんは後悔しているのかもしれない。
人はいつか死ぬ。だからこそ、会えるときに会っておかなければいけないのに。
しかし、彼の言い方に引っ掛かりを覚えて尋ねた。
「4人って?」
「香代さんもご一緒に」
あたりまえのように言うのだ。
「牛鍋丼は3人の思い出の……」
「ですから余計にです。香代さんも末長く、常吉と葵とは懇意の関係でいていただきたい。ああ見えて、葵も香代さんには興味津々なのですよ」
「そうは見えませんでしたけど」
表情を変えず、私を見ていた葵さんを思い浮かべる。感情をさとらせない雰囲気に好奇心など見えなかったけれど。
「清人と結婚するなんていう物好きが美しい娘で驚いたと言っておったな」
皮かばんを肩に引っかけながら、なんでもないことのように小天が口を挟む。
「えぇっ? 葵さんがそう言ったの?」
「ふむ。まあ、物好きとは言うが、葵は清人を尊敬しておるのさ。しきよみ亭の亭主になれるのは、ヨミ安の子孫の中でも死期を詠める者のみ。その血統は希少で、力を受け継ぐ清人は天幻の神様にもっとも愛される貴重な存在。ヨミ安の子孫の中には妬むものもおろう。普通の女子は恐れ多くて近付かん」
「そんな大変な人なの……っ?」
大丈夫なのだろうか。急に不安になってしまう。清人さんは、純子さんのご子息である前に、たぐいまれなる霊力を持つ、天幻の神に仕える白狐の子孫なのだ。
人の間では変人でも、半妖の間では神に近い存在と崇められてるのかもしれない。だからこそ、妬まれる存在でもある。
「では、帰るでな。清人と正式に結婚したら俺様を呼ぶがいい。天幻の神様からお祝いがくだされるであろう」
「お、祝い……?」
「死期を詠む力を与えられた子宝だろうな。九十九のときもそうであった」
えぇっ、子宝っ?
台から飛び降り、さっさと台所の裏口から出ていこうとする小天の背中に向かって思わず叫ぶ。
「け、結婚はしま……っ」
そんな私の手を、清人さんがぐいっとつかむ。私の顔をのぞき込み、うっすら笑むから震えあがる。
「いまさら、結婚しないなんて言わせませんよ。ほど良きときはもう目の前に来ているのです」
裏口の戸が無慈悲に閉まる音がする。小天は帰ってしまったみたい。知らず、肩に入っていた力を抜く。
「……あまりいじわるを言われないでください。そうでなくても、戸惑っているんです」
結婚となると大変なことが待ち構えてるみたい。清人さんを好きでも、それだけでは乗り越えられないことも。
結婚に興味なかったのは、結婚で決して幸せになれるとは思えなかったから。でも今はもう、清人さんと一緒に生きていきたいと思う気持ちの方が強かった。
不安が顔に出てしまって、彼はその不安を取り除こうとしたのか、穏やかに言う。
「心配いりません。何があろうと、香代さんは俺がお守りしますよ」
彼は真実しか語らない人で、それを疑ったことはなくて。
「それは、信じています」
「そうですか。では今夜、俺の妻におなりなさい」
そう言って、私を抱きしめる腕は優しかった。
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