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第一話 さくらとあんぱん
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清人さんの長い指は、もっちりしたパン生地につぶあんを器用に包んでいった。面白いように動く指先が楽しくて、目をくるくるさせながら眺めているうちに、あっという間にふたつのあんぱんができあがる。
それを鉄板の上に乗せて、彼は裏口を出ていくと、日当たりのいいあたたかな縁側に置いた。少しの時間そうしておいて、ふっくらしたところで焼くのだそう。
清人さんはそのまま縁側に腰を下ろすと、私を手で招く。珍しい。いつも私をいないもののように扱うのに。
「香代さん、今日の着物も良いですね」
「あ、はいっ。とてもきれいな青でしょう?」
母の千花が、しきよみ亭で働くのならと、新調してくれた小袖だった。
「よくお似合いです。それも、林田呉服店で?」
「母が気に入ってるお店だから、いつも林田さんで」
「そうですか」
満足そうにうなずく清人さんの隣に腰かけて、庭へと目を移す。
質素だけれど、きれいに整った庭にある縁側は、十月だというのにとても温かい。私たちの周囲だけ、春が来たみたい。
しきよみ亭は不思議な力に満たされた料亭なのかもしれない。そう思えるほどに、穏やかな風が吹いている。
「こうして、香代さんと過ごせる日が来るとは思っていませんでしたよ。命果てる日まで、一緒に過ごしたいと願っています」
「……大げさ」
思わず、はい、と答えてしまいそうになって、口をつぐんだ後そう言ったけれど、彼は照れ隠しと気づいたみたいにそっと微笑んでいた。
伊佐太さんはお昼過ぎにやってきた。ちょうどあんぱんが焼きあがったところで、彼は「匂いに誘われてきちゃったみたいだな」と笑った。
籐かごに入れたあんぱんを差し出すと、伊佐太さんは晴れやかな笑顔を見せた。彼が食べたかったあんぱんと相違ないものだろうと確信できる笑顔だった。
「お庭で召し上がりますか? お庭にさくらの木があるんです。花は咲いてないけれど、もしかしたらあの日を重ね合わせられるかもしれないです」
座敷へあがろうとする伊佐太さんにそう提案すると、彼は少し目をさまよわせた。
「よろしいのでしょうか。そのような気遣いまで……」
私の提案を受け入れたそうに迷う伊佐太さんへ、清人さんが声をかける。
「いっそ、天幻神社へ行かれたらいいでしょう」
「神社へ?」
「お代は天幻神社の賽銭箱へ入れてください。いつもそのようにいただいておりますから」
小天が言っていたのは本当らしい。
しきよみ亭で食事をした客は、お代を天幻神社の賽銭として支払う。その賽銭を使って食材調達し、ふたたび別の客へ料理を提供していると。
「そうなんですか。賽銭箱に……。じゃあ、天幻神社でいただこうかな」
どちらにしろ天幻神社へ行かないといけないと知り、今度はすんなりと、伊佐太さんはうなずく。
「うた乃さんも誘ってみては?」
そのつもりで清人さんはあんぱんをふたつ用意したのだろう。そう思って言うと、伊佐太さんは思いのほか、きっぱりと首をふった。
「うた乃には内緒で来ましたから。しきよみ亭に行くなどと告げたら、余計な心配をさせてしまう」
「あ……」
しきよみ亭に来る客は皆、死期の近い者ばかり。それを恋人にさとられるのは、彼にとって苦痛だろう。
旅の疲れを癒やし、新たな旅へと出かける客を見送る藤城屋の仕事とは違って、しきよみ亭の仕事はなんてはかないのだろう。
申し訳なくなって黙っていると、清人さんが土間へ降りてきて、入り口の戸をそっと引いた。
「香代さん、伊佐太さんと一緒に天幻神社へ行ってきてください。林田呉服店の着物を召した香代さんとでしたら、良い思い出がよみがえるでしょう」
それを鉄板の上に乗せて、彼は裏口を出ていくと、日当たりのいいあたたかな縁側に置いた。少しの時間そうしておいて、ふっくらしたところで焼くのだそう。
清人さんはそのまま縁側に腰を下ろすと、私を手で招く。珍しい。いつも私をいないもののように扱うのに。
「香代さん、今日の着物も良いですね」
「あ、はいっ。とてもきれいな青でしょう?」
母の千花が、しきよみ亭で働くのならと、新調してくれた小袖だった。
「よくお似合いです。それも、林田呉服店で?」
「母が気に入ってるお店だから、いつも林田さんで」
「そうですか」
満足そうにうなずく清人さんの隣に腰かけて、庭へと目を移す。
質素だけれど、きれいに整った庭にある縁側は、十月だというのにとても温かい。私たちの周囲だけ、春が来たみたい。
しきよみ亭は不思議な力に満たされた料亭なのかもしれない。そう思えるほどに、穏やかな風が吹いている。
「こうして、香代さんと過ごせる日が来るとは思っていませんでしたよ。命果てる日まで、一緒に過ごしたいと願っています」
「……大げさ」
思わず、はい、と答えてしまいそうになって、口をつぐんだ後そう言ったけれど、彼は照れ隠しと気づいたみたいにそっと微笑んでいた。
伊佐太さんはお昼過ぎにやってきた。ちょうどあんぱんが焼きあがったところで、彼は「匂いに誘われてきちゃったみたいだな」と笑った。
籐かごに入れたあんぱんを差し出すと、伊佐太さんは晴れやかな笑顔を見せた。彼が食べたかったあんぱんと相違ないものだろうと確信できる笑顔だった。
「お庭で召し上がりますか? お庭にさくらの木があるんです。花は咲いてないけれど、もしかしたらあの日を重ね合わせられるかもしれないです」
座敷へあがろうとする伊佐太さんにそう提案すると、彼は少し目をさまよわせた。
「よろしいのでしょうか。そのような気遣いまで……」
私の提案を受け入れたそうに迷う伊佐太さんへ、清人さんが声をかける。
「いっそ、天幻神社へ行かれたらいいでしょう」
「神社へ?」
「お代は天幻神社の賽銭箱へ入れてください。いつもそのようにいただいておりますから」
小天が言っていたのは本当らしい。
しきよみ亭で食事をした客は、お代を天幻神社の賽銭として支払う。その賽銭を使って食材調達し、ふたたび別の客へ料理を提供していると。
「そうなんですか。賽銭箱に……。じゃあ、天幻神社でいただこうかな」
どちらにしろ天幻神社へ行かないといけないと知り、今度はすんなりと、伊佐太さんはうなずく。
「うた乃さんも誘ってみては?」
そのつもりで清人さんはあんぱんをふたつ用意したのだろう。そう思って言うと、伊佐太さんは思いのほか、きっぱりと首をふった。
「うた乃には内緒で来ましたから。しきよみ亭に行くなどと告げたら、余計な心配をさせてしまう」
「あ……」
しきよみ亭に来る客は皆、死期の近い者ばかり。それを恋人にさとられるのは、彼にとって苦痛だろう。
旅の疲れを癒やし、新たな旅へと出かける客を見送る藤城屋の仕事とは違って、しきよみ亭の仕事はなんてはかないのだろう。
申し訳なくなって黙っていると、清人さんが土間へ降りてきて、入り口の戸をそっと引いた。
「香代さん、伊佐太さんと一緒に天幻神社へ行ってきてください。林田呉服店の着物を召した香代さんとでしたら、良い思い出がよみがえるでしょう」
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