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第一話 さまよう白雪姫
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久保貴士がふたたび、お話やを訪れたのは、ゴールデンウィークも明け、平常を取り戻した、5月半ばのことだった。
「お久しぶりです。チラシ、置いてくれてるんですね」
入り口を入るなり、久保さんは店の外を指差して、そう言った。
天気のいい日には、店先にチラシを置いている。アキノやkubok、ほかにも、商店街の催し物のチラシなど、通りすがりの客にも、気軽に手にとってもらえるように。
「なかなか久保さんのお店に行けなくてすみません。ゴールデンウィーク中はお忙しいと思って」
「正直、ちょっと嫌われたのかなって思ってました。図々しかったですし」
「チラシは用意してあったんですけど、ちょっとバタバタしてて」
冗談まじりに笑う久保さんへ、チラシの入ったクリアファイルを差し出す。こころよく受け取ってくれた彼は、心配そうに眉をひそめる。
「何かあったんですか? そう言えば、先週の金曜日、臨時休業でしたね」
それを聞いて、久保さんが先週の金曜日もお話やを訪ねてくれたことに気づき、申し訳ない気持ちになる。
「先週は母の三回忌だったんです。きちんとお伝えしておけばよかったですね。本当にすみません」
「いや、俺はなんとなく前を通っただけで。そうですか。三回忌でしたか。近しいご家族を亡くされるのは、おつらいですね」
久保さんはひどく胸を痛めた表情をする。彼も、家族を亡くしたことがあるんだろうか。それも、すごく近い身内を。
「母は病気だったので、多少覚悟はありましたから」
「母は?」
母は、と、あえて言った気持ちを、久保さんは読みとってくれたみたいだった。スルーされてもよかったのに、もしかしたら私は、誰でもいいから話したかったのかもしれないと思う。
「父は事故で亡くなりました。突然だったので、いまだに実感がないような感じで。さみしいより、大変ってことの方が多かったかもしれないです」
「三回忌では、ご両親と、ゆっくりと向き合う時間、作れましたか」
「あ、いえいえ。姉たちはにぎやかしいので、しんみりしないんです。それが返って、いいのかもしれません。残された人が明るく過ごすのを、亡くなった人も望んでるんじゃないでしょうか」
「そうかもしれませんね。でも、亡くなった方の気持ちはどうなるんでしょうね。生前の、思い残した気持ちはどうなるんでしょうか」
そういうものに思いを馳せる時間も必要かもしれない。久保さんはそう言いたいのだろう。明るく過ごす私たちを批判するつもりも、そうでなければならないなんて強制するつもりもない。
ただ、彼は素朴な疑問を口にしたようだった。大切な人を失い、残された側の気持ちを考えることはあっても、亡くなった側の気持ちは、無念だろうに、と心を痛めるばかりで、何かしてあげられることは、あまりないように思う。
その実、母はカフェを経営したかったのに、私は雑貨店を開いてる。母の遺志を継いでいるようで継いでいない。人は感傷に浸り続けながら生きていけるほどの余裕はないのかもしれない。
「もし、何か残した願いがあるなら、叶えてあげられたらいいですよね」
「それも生きてる側の自己満足かもしれませんが」
「人って、わがままで、優しい生き物ですよね。それでいいと思います」
久保さんはハッとしてうなずき、お話やのチラシに視線を落とす。
「どうして、お話やを始めようと思ったんですか」
それは、投げかける相手のいないひとりごとのようで、私もどこかひとりごとのように返事をした。
「試しかったんです、私の価値を。はじめは、それだけだったんです」
「試す? 価値?」
驚いたように、久保さんは私をまじまじと見つめた。
男性にあんまり見られる経験がないから、ちょっとだけ気まずい。店員と客は対等だから平気だけど、友人となると、また違う。まして、男友だちなんていないから、男の人に見つめられる経験なんて皆無。
久保さんはどちらに属するのだろう。今のところ、仕事関係で知り合った人なんだろうけど、そのわりに、私は自分のことをぺらぺらと話しすぎてる。
久保貴士がふたたび、お話やを訪れたのは、ゴールデンウィークも明け、平常を取り戻した、5月半ばのことだった。
「お久しぶりです。チラシ、置いてくれてるんですね」
入り口を入るなり、久保さんは店の外を指差して、そう言った。
天気のいい日には、店先にチラシを置いている。アキノやkubok、ほかにも、商店街の催し物のチラシなど、通りすがりの客にも、気軽に手にとってもらえるように。
「なかなか久保さんのお店に行けなくてすみません。ゴールデンウィーク中はお忙しいと思って」
「正直、ちょっと嫌われたのかなって思ってました。図々しかったですし」
「チラシは用意してあったんですけど、ちょっとバタバタしてて」
冗談まじりに笑う久保さんへ、チラシの入ったクリアファイルを差し出す。こころよく受け取ってくれた彼は、心配そうに眉をひそめる。
「何かあったんですか? そう言えば、先週の金曜日、臨時休業でしたね」
それを聞いて、久保さんが先週の金曜日もお話やを訪ねてくれたことに気づき、申し訳ない気持ちになる。
「先週は母の三回忌だったんです。きちんとお伝えしておけばよかったですね。本当にすみません」
「いや、俺はなんとなく前を通っただけで。そうですか。三回忌でしたか。近しいご家族を亡くされるのは、おつらいですね」
久保さんはひどく胸を痛めた表情をする。彼も、家族を亡くしたことがあるんだろうか。それも、すごく近い身内を。
「母は病気だったので、多少覚悟はありましたから」
「母は?」
母は、と、あえて言った気持ちを、久保さんは読みとってくれたみたいだった。スルーされてもよかったのに、もしかしたら私は、誰でもいいから話したかったのかもしれないと思う。
「父は事故で亡くなりました。突然だったので、いまだに実感がないような感じで。さみしいより、大変ってことの方が多かったかもしれないです」
「三回忌では、ご両親と、ゆっくりと向き合う時間、作れましたか」
「あ、いえいえ。姉たちはにぎやかしいので、しんみりしないんです。それが返って、いいのかもしれません。残された人が明るく過ごすのを、亡くなった人も望んでるんじゃないでしょうか」
「そうかもしれませんね。でも、亡くなった方の気持ちはどうなるんでしょうね。生前の、思い残した気持ちはどうなるんでしょうか」
そういうものに思いを馳せる時間も必要かもしれない。久保さんはそう言いたいのだろう。明るく過ごす私たちを批判するつもりも、そうでなければならないなんて強制するつもりもない。
ただ、彼は素朴な疑問を口にしたようだった。大切な人を失い、残された側の気持ちを考えることはあっても、亡くなった側の気持ちは、無念だろうに、と心を痛めるばかりで、何かしてあげられることは、あまりないように思う。
その実、母はカフェを経営したかったのに、私は雑貨店を開いてる。母の遺志を継いでいるようで継いでいない。人は感傷に浸り続けながら生きていけるほどの余裕はないのかもしれない。
「もし、何か残した願いがあるなら、叶えてあげられたらいいですよね」
「それも生きてる側の自己満足かもしれませんが」
「人って、わがままで、優しい生き物ですよね。それでいいと思います」
久保さんはハッとしてうなずき、お話やのチラシに視線を落とす。
「どうして、お話やを始めようと思ったんですか」
それは、投げかける相手のいないひとりごとのようで、私もどこかひとりごとのように返事をした。
「試しかったんです、私の価値を。はじめは、それだけだったんです」
「試す? 価値?」
驚いたように、久保さんは私をまじまじと見つめた。
男性にあんまり見られる経験がないから、ちょっとだけ気まずい。店員と客は対等だから平気だけど、友人となると、また違う。まして、男友だちなんていないから、男の人に見つめられる経験なんて皆無。
久保さんはどちらに属するのだろう。今のところ、仕事関係で知り合った人なんだろうけど、そのわりに、私は自分のことをぺらぺらと話しすぎてる。
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