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31話 安寧と決意
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慣れ親しんだコアルームの一室。煉瓦造りのその部屋はゴシック調のろうそく立てと鉄製の扉以外ろくな飾りはない。
けれど、その無愛想な部屋には孤独を埋める大切な思い出と、慣れ親しんだ香りに満ちている。
「あー疲れた。やっぱ久々に外出たら大変だな」
俺はこのダンジョンに来て最初に召喚したベッドへと飛び込んだ。
そろそろここベッドにも名前をつけていいかもしれないな、なんて考えながら枕に顔を突っ伏す。
「いやー、やっぱ外に出るとロクなことないっスねー。慣れ親しんだ我が家が一番っス」
すると、いつの間にかコアルームに入ってきていたヘーゼルが、そう言いながらベッドに飛び込んできた。彼女はとても軽いし、ベッドが寝転ぶことが好きな彼女にはよくあることだったから、問題なく受け止めた。
しかし、これまでとは異なることがあった。
それは、彼女の蒼いツインテールが俺の顔に覆い被さったことだった。
俺の胸元に顔をうずめる彼女のツインテールが勢いよく俺の顔にかかり、口の中にまで入ってくる。
「うぷっ。ちょ、ヘーゼル、毛量すごっ」
「うりうりー。ボスお望みのツインテールっスよ」
そう言ってヘーゼルが頭をぐりぐりとする。女の子の良い匂い……と言いたいところだが、ヘアオイルでもつけているのか、何処かシナモンのような甘ったるい匂いがした。興奮を誘うというよりは、息が詰まるような匂い。
「お望みって言われたって、今更10年前に書いたモンスター設定の内容まで憶えてないって」
────ナナヤ女神との邂逅で変わったことは様々あるが、最も大きい変化はうちのモンスター達がナナヤ女神の加護のおかげで美女に変身したことだろう。
彼女達の姿は召喚した時に俺が書いたモンスター設定にある程度準拠しているらしい。といっても、俺もある程度ノリで書いていたのできちんと内容を憶えているわけではない。
それに俺はこんな美女を明確にイメージして設定できたわけがない。彼女達のマスターであるという贔屓目を抜きにしても、地球で見たことのないレベルの美女となった彼女達の姿を、あらかじめ俺がイメージできるわけないのだ。
全員がこれほどの美女に変身した理由は、彼女達が毎日、美しい人間の姿を夢見た結果に他ならないのだろう。
もっとも、彼女達はモンスターの姿でも美しかったが。
「そりゃ、憶えてないっスよね。ウチらはボスの書いた設定いつでも読めるスけど、ボスはこんなどエロい身体の設定書いてないスっから」
そういうと彼女は「うへへ」と気の抜けたように笑ってベッドから上半身のみを起こし、胸を俺の目の前に突き出してきた。ボディラインの出やすいタイプのゴスロリ服を着ており、その迫力に思わずたじろぐ。
しかし、彼女は顔のないゾンビだった頃から巨乳だったため、ある程度俺にだって耐性があったし、反応を誤魔化すことができた……と思う。
「ああ。俺は設定するとき、絶対に「巨乳」とかは書いてないと思う。いや、もし書いてたとしても恥ずかしすぎるから忘れてほしいんだが。……けど、多分その肌の色も縫い目も、全部ヘーゼルの趣味だろ?」
「そっスねー。ウチはやっぱ不健康な感じとか、アンバランスなのが好きっスね。ボスはどう思うスか?」
そう言われて、上目遣いでこちらに微笑みかける彼女の姿を改めてまじまじと観察してみた。
最初目につくのは、その巨大なツインテールだろう。それは鮮やかな水色で、日本にいた俺からするとそんな髪人間に似合うはずないと思える。だが、彼女の白い雪膚がそう思わせるのか、むしろ彼女の先進的な魅力の一つとなっていた。
ツインテールの毛束は彼女の顔ほどあり……といっても彼女はとても小顔なのだが、そのあまりの毛量に毛束をベルトで括っていた。腰まで垂らしたツインテールには大きなウェーブがかかっており、毛先に行くにつれグラデーションが銀髪へと色が移ろっていた。
身長は俺と一緒くらいだから170cmだろう。度を越した痩躯で、ウエストは折れそうなほど細い。ヘーゼルの、不健康そうな外見への憧れを反映した結果なのだろう。
けど痩せた人物にありがちな、乾物のような皴は一切なく、むしろ、生娘の蝋細工のような柔肌をその身に備えていた。
反面、豊かな双丘は自己中心的な振る舞いでせり出しており、ほっそりとした腰つき、すらりと伸びた手足を備える身体には不釣り合いさを感じさせるほどである。そのアンバランスな印象は今にも壊れそうな繊細なガラス細工を連想させた。
顔つきはサインを書けばそのまま美術品として展示できそうなほど完成された造りで、目はビスク人形のように丸く大きく、睫毛は羽のように長く、強い存在感を放っていた。その目の大きさゆえ、大人の輪郭であってもその顔はどこか子供らしさを思わせるのだろう。
彼女の趣味で二の腕の辺りに縫合後があるが、それも不快感を招くものではなく、そういうファッションだと言われれば十分納得できるものだ。
全身じっくりと観察してみたが、うん。かなり贔屓目抜きの評価が出来たな!
その公正な評価を総合すると……
「可愛いな」
「可愛いスか?」
「元から可愛かったけど、今も可愛いよ」
「…………へへ。嬉しいっス」
素直に褒めてみると、ヘーゼルはそう言ってはにかんだ。
ヘーゼルは今まで不死族の使う冥界語を話していたが、人間態になった彼女のエティナ語は、弾むような可愛い声だった。
彼女はそんな綺麗な声で、「それにしても……」と続けた。
「ボスも大変でシたね。あの子達の慰め、お疲れ様っス」
彼女はナナヤ女神とのやり取りで落ち込んでしまったヘーゼル除く12人を、俺が慰めたことを言っているのだろう。
ナナヤ女神との邂逅後、俺が皆を元気づけると、一度は笑顔を取り戻した。けれど、その後数時間すると、俺から顔を背けて逃げるようになってしまったのだった。
その後も引きこもった彼女達に扉の向こうからずっと話しかけていたのだが、彼女達は出てくることがなくなってしまった。
今までこんなことなかったから、心配ではある。
……強い子達だから、立ち直ってくれるとは思うが。
「あんなことあった後じゃ、凹むのも仕方ないとは思うけどな。正直何で落ち込んでいるのかも良くわかってないんだ。ヘーゼル以外ろくに喋ってくれないし」
「……ウチ以外の皆には色々あるみたいっス。多分そんな心配いらないっスよ。……それで聞いときたいんスけど、ボスはこれからどうしたいっスか?」
と、ヘーゼルがそんな無責任なことを言いつつ、首を傾げて聞いてきた。
「これからって?」
「ナナヤに色々言われたじゃないっスか。世界の均衡がどーのとか」
あーそのことか。
ナナヤ女神に頼まれたことをどうするかは、元から決まっている。
「んー。やっぱ世界の均衡を守るっていうのはやってみたいな。恩返しもあるし、とにかく世界征服を企む組織を沢山潰せばいいだけだろう?命をかける気はないけど、やるのは悪くない。」
ナナヤ女神の話じゃ、俺が頑張れば混沌に落ちようとする世界を今まで通り保つことができるということだ。
異世界人である俺がこの世界の戦争に介入するようなことはしたくないが、他の世界からやってきた同族狩りとなると、むしろ救える命の方が多いだろう。
……救える命があるなら、救っとく。それは俺のポリシーの一つである。それがどんな迂遠で、荒唐無稽な方法であってもな。
しかし、そんな俺の方針はヘーゼルにとって気に食わないものだったらしい。
「……ボスは動いちゃダメっスよ。ボスがやりたい事はぜーんぶウチらがやってあげるっスから」
全てを許すような優しい声のようでいて、強く願うような芯のこもった言葉だった。
「全部はやだよ。せっかくチートっぽい加護も貰ったし、一緒に楽しくやっていけばいいだろ」
「敵も同じようなチートかもしれないじゃないっスか」
ヘーゼルが拗ねるような声を出す。そこには咎めるような色も混ざっている。けれど、ここを譲ることはできない。
「それでも、多分加護で一番強くなった俺が戦えば傷も少なくなって済むだろ」
俺もぶっちゃけナナヤ女神の加護のことはよく分かっていないのだが、詠唱の文言は思い浮かべば出てくる。その詠唱の内容で大体の加護の内容は分かる……ナナヤ女神自身の考えていることも、ちょっとな。
いつも怠惰なヘーゼルは、それでもここだけは譲れないらしい。
「せっかくボスより強くなったっスのに。また守られる側になるのはごめんっス。てか、魅了魔法を何回も受けると、本当に恋愛感情全部持っていかれる危険性もあるってジャクリーンちゃんも言ってたじゃないスか……もう、あの加護を使うのはやめてほしいっス」
彼女が俺の背中に手を回して、シャツの布を強く掴んだ。それだけ俺のことを心配してくれているということなのだろう。
彼女の柔らかい髪を撫でて、愛情を伝えてやる。
「元々、もう恋は諦めてたんだよ。俺がどうして前世で恋を本気で探してたか、言ってたっけ」
ま、トラウマと言うにはあまりに子供っぽいものだが、俺は恋ができないせいで凝りずに三度、女性を深く傷つけている。
「忘れられるわけないっスよ。ボスのことっスから」
一度しか話していないはずだが、憶えているらしい。思い出したくないとばかりに、ヘーゼルがめり込むくらい俺の胸に顔をうずめる。
困ったな。ヘーゼルは神殿から帰ってきた後も一番元気だったのに、彼女まで落ち込んでしまった。
「そっかー。ま、元々二度と人を好きになれないと思ってたんだ。俺の恋したいっていう依存体質が役に立つなら万々歳だ」
俺は頭の後ろで腕を組んで、蝋燭の灯りを見た。
確かに恋は前世において人生の重要なファクターだった。けど、それは生涯恋を知れない退屈な人生が我慢ならなかったからだ。でも今は自分の人生なんかより、『ラグネルの迷宮』の未来の方がずっと重い。13人の命もかかってるんだ。当然である。
だけど、今は恋を求めてさすらっていたときよりもずっと楽しい。毎朝彼女達と挨拶するだけで、俺の生きている理由を実感できるのだから。
そう思うと、世界の均衡を守るのもやりがいがありそうでいいじゃないか。
「……とにかく、本当にピンチになったらボスを呼ぶっスから、最初はウチらに任せて欲しいっス。ダンジョンマスターって普通、そういうもんっスから」
いつも余裕なヘーゼルが泣きそうな顔をしたので、流石に折れる。
「わかったよ!その代わり、出来る限り殺さないで欲しい。モンスターも人間もな。確かに、今の俺達は対等だし、やる事は全部ヘーゼル達の自由だが、俺が行かなかったせいで失われた命があるなんて許せない」
「りょーかいっスよ。いつも通りッスもん。『救える命があれば救っといた方がいい』」
十年も一緒にいるせいで、俺の口癖はほとんど彼女達に憶えられてしまっている。でも、そのおかげで大切なことはきちんと伝わったようだ。
「それと、もし大切なものが見つかったり、やりたくないことがあったら役目なんて全部放ってくれていい。契約だって切ってやる……ナナヤ女神と契約したのは、俺なんだしな」
「……りょーかいっス。みんなには私から伝えとくっスから」
ヘーゼルが立ち上がって出ていこうとしたので、慌てて引き止める。
「ああ。やり方はみんなに任せるけど、報告はしてほしいかな。それと心配だから、モンスターの姿でもいいからまた会いに来てほしいって伝えておいてくれ」
「はーい。分かったっス。…………それと、一個教えときたいことがあるっス」
彼女が振り返って真顔で言った。
「なんだ?」
「ウチらはボスに何されたって、傷ついたりしないっスよ」
彼女の瞳はどこまでも真剣で、吸い込まれそうなほど澄んでいた。
きっと、俺の前世のことを気にしているのだろう。俺が恋できないせいで傷つけてしまった女の子達のことを。ぶっちゃけ、俺もそんなトラウマって感じではないのだが……昔の話だしな。けど、ヘーゼルが受け入れてくれたことは、素直に嬉しかった。
「いや、ありがたいけどさ……嘘はつかなくていいよ。俺が前世の話するだけで泣きそうになってたじゃないか」
「もお!違うっスよ。ウチが言ってるのは、ボスがウチらになにかして、それでボスが喜んでくれるならどんなひどいことでも受け入れるってことっス!!!」
ヘーゼルがムキになって上半身を近づけてきた。顔が少し赤くなっている。
「それは……俺も一緒だ。だから、困った時はお互い助け合おうってことだな」
俺がそう笑ってやると、ヘーゼルがガクッと肩を落とした。
「ハァァァァァァ!ほんっとにボスは難しいっスね。もっとボスがもっと身勝手で優しくない人だったら、ウチらもずっと悩まなくて済むっスのに」
ヘーゼルが力が抜けたようにへたり込んだ。
「じゃあ身勝手に命令しよう!世界の均衡を守るのは俺だからすっこんでてほしい!」
俺が冗談混じりにそんなことを言うと、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、ヘーゼルはすくっと立ち上がって言った。
「……ボス嫌いっス」
「ぐはっ!」
ヘーゼルの口からは絶対に聞きたくなかった一言を聞いて、俺はベッドに倒れ伏した。脳内には彼女の声がひたすらリフレインする。
「困った時はちゃんとボスに言うっスから、ボスはゆっくりしててくだサい。ウチらは外出て世界の均衡を守りに行ってくるっス」
俺は例え冗談であっても嫌いと言われたショック立ち上がることができず、彼女を引き止める言葉が口から出ず、出口に向かって手を伸ばしていた。
扉が閉じてから、「嫌いじゃないっスよ~」なんて気の抜けた声が聞こえてくるまで俺は、月明かりのない夜道に取り残されたような感覚を味わっていたのだった。
けれど、その無愛想な部屋には孤独を埋める大切な思い出と、慣れ親しんだ香りに満ちている。
「あー疲れた。やっぱ久々に外出たら大変だな」
俺はこのダンジョンに来て最初に召喚したベッドへと飛び込んだ。
そろそろここベッドにも名前をつけていいかもしれないな、なんて考えながら枕に顔を突っ伏す。
「いやー、やっぱ外に出るとロクなことないっスねー。慣れ親しんだ我が家が一番っス」
すると、いつの間にかコアルームに入ってきていたヘーゼルが、そう言いながらベッドに飛び込んできた。彼女はとても軽いし、ベッドが寝転ぶことが好きな彼女にはよくあることだったから、問題なく受け止めた。
しかし、これまでとは異なることがあった。
それは、彼女の蒼いツインテールが俺の顔に覆い被さったことだった。
俺の胸元に顔をうずめる彼女のツインテールが勢いよく俺の顔にかかり、口の中にまで入ってくる。
「うぷっ。ちょ、ヘーゼル、毛量すごっ」
「うりうりー。ボスお望みのツインテールっスよ」
そう言ってヘーゼルが頭をぐりぐりとする。女の子の良い匂い……と言いたいところだが、ヘアオイルでもつけているのか、何処かシナモンのような甘ったるい匂いがした。興奮を誘うというよりは、息が詰まるような匂い。
「お望みって言われたって、今更10年前に書いたモンスター設定の内容まで憶えてないって」
────ナナヤ女神との邂逅で変わったことは様々あるが、最も大きい変化はうちのモンスター達がナナヤ女神の加護のおかげで美女に変身したことだろう。
彼女達の姿は召喚した時に俺が書いたモンスター設定にある程度準拠しているらしい。といっても、俺もある程度ノリで書いていたのできちんと内容を憶えているわけではない。
それに俺はこんな美女を明確にイメージして設定できたわけがない。彼女達のマスターであるという贔屓目を抜きにしても、地球で見たことのないレベルの美女となった彼女達の姿を、あらかじめ俺がイメージできるわけないのだ。
全員がこれほどの美女に変身した理由は、彼女達が毎日、美しい人間の姿を夢見た結果に他ならないのだろう。
もっとも、彼女達はモンスターの姿でも美しかったが。
「そりゃ、憶えてないっスよね。ウチらはボスの書いた設定いつでも読めるスけど、ボスはこんなどエロい身体の設定書いてないスっから」
そういうと彼女は「うへへ」と気の抜けたように笑ってベッドから上半身のみを起こし、胸を俺の目の前に突き出してきた。ボディラインの出やすいタイプのゴスロリ服を着ており、その迫力に思わずたじろぐ。
しかし、彼女は顔のないゾンビだった頃から巨乳だったため、ある程度俺にだって耐性があったし、反応を誤魔化すことができた……と思う。
「ああ。俺は設定するとき、絶対に「巨乳」とかは書いてないと思う。いや、もし書いてたとしても恥ずかしすぎるから忘れてほしいんだが。……けど、多分その肌の色も縫い目も、全部ヘーゼルの趣味だろ?」
「そっスねー。ウチはやっぱ不健康な感じとか、アンバランスなのが好きっスね。ボスはどう思うスか?」
そう言われて、上目遣いでこちらに微笑みかける彼女の姿を改めてまじまじと観察してみた。
最初目につくのは、その巨大なツインテールだろう。それは鮮やかな水色で、日本にいた俺からするとそんな髪人間に似合うはずないと思える。だが、彼女の白い雪膚がそう思わせるのか、むしろ彼女の先進的な魅力の一つとなっていた。
ツインテールの毛束は彼女の顔ほどあり……といっても彼女はとても小顔なのだが、そのあまりの毛量に毛束をベルトで括っていた。腰まで垂らしたツインテールには大きなウェーブがかかっており、毛先に行くにつれグラデーションが銀髪へと色が移ろっていた。
身長は俺と一緒くらいだから170cmだろう。度を越した痩躯で、ウエストは折れそうなほど細い。ヘーゼルの、不健康そうな外見への憧れを反映した結果なのだろう。
けど痩せた人物にありがちな、乾物のような皴は一切なく、むしろ、生娘の蝋細工のような柔肌をその身に備えていた。
反面、豊かな双丘は自己中心的な振る舞いでせり出しており、ほっそりとした腰つき、すらりと伸びた手足を備える身体には不釣り合いさを感じさせるほどである。そのアンバランスな印象は今にも壊れそうな繊細なガラス細工を連想させた。
顔つきはサインを書けばそのまま美術品として展示できそうなほど完成された造りで、目はビスク人形のように丸く大きく、睫毛は羽のように長く、強い存在感を放っていた。その目の大きさゆえ、大人の輪郭であってもその顔はどこか子供らしさを思わせるのだろう。
彼女の趣味で二の腕の辺りに縫合後があるが、それも不快感を招くものではなく、そういうファッションだと言われれば十分納得できるものだ。
全身じっくりと観察してみたが、うん。かなり贔屓目抜きの評価が出来たな!
その公正な評価を総合すると……
「可愛いな」
「可愛いスか?」
「元から可愛かったけど、今も可愛いよ」
「…………へへ。嬉しいっス」
素直に褒めてみると、ヘーゼルはそう言ってはにかんだ。
ヘーゼルは今まで不死族の使う冥界語を話していたが、人間態になった彼女のエティナ語は、弾むような可愛い声だった。
彼女はそんな綺麗な声で、「それにしても……」と続けた。
「ボスも大変でシたね。あの子達の慰め、お疲れ様っス」
彼女はナナヤ女神とのやり取りで落ち込んでしまったヘーゼル除く12人を、俺が慰めたことを言っているのだろう。
ナナヤ女神との邂逅後、俺が皆を元気づけると、一度は笑顔を取り戻した。けれど、その後数時間すると、俺から顔を背けて逃げるようになってしまったのだった。
その後も引きこもった彼女達に扉の向こうからずっと話しかけていたのだが、彼女達は出てくることがなくなってしまった。
今までこんなことなかったから、心配ではある。
……強い子達だから、立ち直ってくれるとは思うが。
「あんなことあった後じゃ、凹むのも仕方ないとは思うけどな。正直何で落ち込んでいるのかも良くわかってないんだ。ヘーゼル以外ろくに喋ってくれないし」
「……ウチ以外の皆には色々あるみたいっス。多分そんな心配いらないっスよ。……それで聞いときたいんスけど、ボスはこれからどうしたいっスか?」
と、ヘーゼルがそんな無責任なことを言いつつ、首を傾げて聞いてきた。
「これからって?」
「ナナヤに色々言われたじゃないっスか。世界の均衡がどーのとか」
あーそのことか。
ナナヤ女神に頼まれたことをどうするかは、元から決まっている。
「んー。やっぱ世界の均衡を守るっていうのはやってみたいな。恩返しもあるし、とにかく世界征服を企む組織を沢山潰せばいいだけだろう?命をかける気はないけど、やるのは悪くない。」
ナナヤ女神の話じゃ、俺が頑張れば混沌に落ちようとする世界を今まで通り保つことができるということだ。
異世界人である俺がこの世界の戦争に介入するようなことはしたくないが、他の世界からやってきた同族狩りとなると、むしろ救える命の方が多いだろう。
……救える命があるなら、救っとく。それは俺のポリシーの一つである。それがどんな迂遠で、荒唐無稽な方法であってもな。
しかし、そんな俺の方針はヘーゼルにとって気に食わないものだったらしい。
「……ボスは動いちゃダメっスよ。ボスがやりたい事はぜーんぶウチらがやってあげるっスから」
全てを許すような優しい声のようでいて、強く願うような芯のこもった言葉だった。
「全部はやだよ。せっかくチートっぽい加護も貰ったし、一緒に楽しくやっていけばいいだろ」
「敵も同じようなチートかもしれないじゃないっスか」
ヘーゼルが拗ねるような声を出す。そこには咎めるような色も混ざっている。けれど、ここを譲ることはできない。
「それでも、多分加護で一番強くなった俺が戦えば傷も少なくなって済むだろ」
俺もぶっちゃけナナヤ女神の加護のことはよく分かっていないのだが、詠唱の文言は思い浮かべば出てくる。その詠唱の内容で大体の加護の内容は分かる……ナナヤ女神自身の考えていることも、ちょっとな。
いつも怠惰なヘーゼルは、それでもここだけは譲れないらしい。
「せっかくボスより強くなったっスのに。また守られる側になるのはごめんっス。てか、魅了魔法を何回も受けると、本当に恋愛感情全部持っていかれる危険性もあるってジャクリーンちゃんも言ってたじゃないスか……もう、あの加護を使うのはやめてほしいっス」
彼女が俺の背中に手を回して、シャツの布を強く掴んだ。それだけ俺のことを心配してくれているということなのだろう。
彼女の柔らかい髪を撫でて、愛情を伝えてやる。
「元々、もう恋は諦めてたんだよ。俺がどうして前世で恋を本気で探してたか、言ってたっけ」
ま、トラウマと言うにはあまりに子供っぽいものだが、俺は恋ができないせいで凝りずに三度、女性を深く傷つけている。
「忘れられるわけないっスよ。ボスのことっスから」
一度しか話していないはずだが、憶えているらしい。思い出したくないとばかりに、ヘーゼルがめり込むくらい俺の胸に顔をうずめる。
困ったな。ヘーゼルは神殿から帰ってきた後も一番元気だったのに、彼女まで落ち込んでしまった。
「そっかー。ま、元々二度と人を好きになれないと思ってたんだ。俺の恋したいっていう依存体質が役に立つなら万々歳だ」
俺は頭の後ろで腕を組んで、蝋燭の灯りを見た。
確かに恋は前世において人生の重要なファクターだった。けど、それは生涯恋を知れない退屈な人生が我慢ならなかったからだ。でも今は自分の人生なんかより、『ラグネルの迷宮』の未来の方がずっと重い。13人の命もかかってるんだ。当然である。
だけど、今は恋を求めてさすらっていたときよりもずっと楽しい。毎朝彼女達と挨拶するだけで、俺の生きている理由を実感できるのだから。
そう思うと、世界の均衡を守るのもやりがいがありそうでいいじゃないか。
「……とにかく、本当にピンチになったらボスを呼ぶっスから、最初はウチらに任せて欲しいっス。ダンジョンマスターって普通、そういうもんっスから」
いつも余裕なヘーゼルが泣きそうな顔をしたので、流石に折れる。
「わかったよ!その代わり、出来る限り殺さないで欲しい。モンスターも人間もな。確かに、今の俺達は対等だし、やる事は全部ヘーゼル達の自由だが、俺が行かなかったせいで失われた命があるなんて許せない」
「りょーかいっスよ。いつも通りッスもん。『救える命があれば救っといた方がいい』」
十年も一緒にいるせいで、俺の口癖はほとんど彼女達に憶えられてしまっている。でも、そのおかげで大切なことはきちんと伝わったようだ。
「それと、もし大切なものが見つかったり、やりたくないことがあったら役目なんて全部放ってくれていい。契約だって切ってやる……ナナヤ女神と契約したのは、俺なんだしな」
「……りょーかいっス。みんなには私から伝えとくっスから」
ヘーゼルが立ち上がって出ていこうとしたので、慌てて引き止める。
「ああ。やり方はみんなに任せるけど、報告はしてほしいかな。それと心配だから、モンスターの姿でもいいからまた会いに来てほしいって伝えておいてくれ」
「はーい。分かったっス。…………それと、一個教えときたいことがあるっス」
彼女が振り返って真顔で言った。
「なんだ?」
「ウチらはボスに何されたって、傷ついたりしないっスよ」
彼女の瞳はどこまでも真剣で、吸い込まれそうなほど澄んでいた。
きっと、俺の前世のことを気にしているのだろう。俺が恋できないせいで傷つけてしまった女の子達のことを。ぶっちゃけ、俺もそんなトラウマって感じではないのだが……昔の話だしな。けど、ヘーゼルが受け入れてくれたことは、素直に嬉しかった。
「いや、ありがたいけどさ……嘘はつかなくていいよ。俺が前世の話するだけで泣きそうになってたじゃないか」
「もお!違うっスよ。ウチが言ってるのは、ボスがウチらになにかして、それでボスが喜んでくれるならどんなひどいことでも受け入れるってことっス!!!」
ヘーゼルがムキになって上半身を近づけてきた。顔が少し赤くなっている。
「それは……俺も一緒だ。だから、困った時はお互い助け合おうってことだな」
俺がそう笑ってやると、ヘーゼルがガクッと肩を落とした。
「ハァァァァァァ!ほんっとにボスは難しいっスね。もっとボスがもっと身勝手で優しくない人だったら、ウチらもずっと悩まなくて済むっスのに」
ヘーゼルが力が抜けたようにへたり込んだ。
「じゃあ身勝手に命令しよう!世界の均衡を守るのは俺だからすっこんでてほしい!」
俺が冗談混じりにそんなことを言うと、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、ヘーゼルはすくっと立ち上がって言った。
「……ボス嫌いっス」
「ぐはっ!」
ヘーゼルの口からは絶対に聞きたくなかった一言を聞いて、俺はベッドに倒れ伏した。脳内には彼女の声がひたすらリフレインする。
「困った時はちゃんとボスに言うっスから、ボスはゆっくりしててくだサい。ウチらは外出て世界の均衡を守りに行ってくるっス」
俺は例え冗談であっても嫌いと言われたショック立ち上がることができず、彼女を引き止める言葉が口から出ず、出口に向かって手を伸ばしていた。
扉が閉じてから、「嫌いじゃないっスよ~」なんて気の抜けた声が聞こえてくるまで俺は、月明かりのない夜道に取り残されたような感覚を味わっていたのだった。
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