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柳川・立花山編

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「私、浅煎りのコーヒーが好きなの。酸味が強いコーヒーをブラックで飲んでいると、人の姿で生きる醍醐味だわ~って思っちゃう」

 いつの間にか黒柴犬の女は、長い足をOL服からまろびだす長身の美女へと変わっていた。艶やかな黒髪を打掛のようにソファーに広げ、頭には狐より分厚く、ふかふかの焦げたトーストのような耳が立っている。

「羽犬姫さん。普段犬の姿なのに、人として生きる醍醐味なんて言っちゃうの?」

 尽紫の言葉を受けて、霊犬は大袈裟に肩をすくめる。意志の強い黒々とした眉と、はっきりと大きな眼差し。彫りの深いはっきりとした顔立ちで、羽犬姫は女狐を見て笑う。

「ふふ、犬の姿にでもなっておらねば、妾が弟君の傍にいるのは赦さないだろう? 弟を溺愛する
「そうね。八つ裂きにしていたかも」

 勧められるままに珈琲を飲むと、ふわりと甘い。

「コロンビア産、良い豆ね?」
「一階で特別ブレンドを作ってもらってるのさ」
「へえ……息子さんがバリスタだといいわね。子どもなんて生んで、あの羽犬姫はすっかり落ち目だと思ってたけど」
「弟を玩弄がんろうして悦に浸る狐ほどは終わっちゃいないさ」
「……弟には手を出してないでしょうね?」
「可愛いばかりの狐に手を出すほど、飢えちゃいないさ。弟にまで執着する馬鹿はその辺にいるらしいけどね」

 九尾狐とまつろわぬあやかしの羽犬姫。強靭な力を持つ女あやかし同士の応酬は続く。
 太閤秀吉の他、様々な時代の勢盛んな支配者達に寵愛されてきた羽犬姫は、率直に趣味がいいことは尽紫も認めている。
 羽犬姫は土地に根付く霊力を持つ霊犬で、九尾でも迂闊に手を出せない相手だ。
 彼女には純然たる暴力以外の、強固な繋がりや歴史がある。

 羽犬姫はじっと、尽紫の顔を見た。

「本当に楓ちゃんを、篠崎から引き離す気なのかい?」
「だって、ようやくの好機よ? 弟を忌まわしい因縁から解き放ってあげたいのよ」
「忌まわしい因縁、ねえ……」

 羽犬姫は思わせぶりに足を組み替える。

「愛情に囚われた執着を『忌まわしい因縁』とするのなら、姉弟愛としては行き過ぎたそれも『忌まわしい因縁』にしか見えぬがな?」
「行き過ぎてなんかないわ」

 狐の美少女は唇で弧を描いて胸を張る。

「私たちは古来から一対の雌雄で双子。この世でたった二人ぼっちの姉弟なんだから」
「まー、古来ならそういうものだったのは、わかるがな」
「時代が変わったって、変わらないものはあるわ。ーーコーヒーご馳走様」

 尽紫は立ち上がり、会社を後にした。

「紫野ちゃんの為にも、……楓ちゃんの為にも、これが一番なのよ……」 
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