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柳川・立花山編
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本心を突かれた彼女に篠崎さんは声を張る。
「尽紫。今後未来永劫、楓が人生を全うするまで、陰日向でこれまでのように守り続けろ。楓が「安全」に「普通」に生きられるなら、俺は何ももういらない。……姉さんと『彼方』にいくよ」
私は弾かれるように目の前の背中を見た。
「楓に、最後の挨拶くらいさせてくれるよな?」
「好きにしなさい」
篠崎さんはゆっくりと振り返り、私に目を眇めて笑った。
いつも身なりを綺麗に整えている人なのに、髪は乱れてシャツはぼろぼろだった。
「すまない。結局、巻き込んだだけになっちまったな」
疲れた笑顔で、篠崎さんは私の髪を撫でた。そしておもむろに私の手をとると、篠崎さん自身の胸元に導いた。シャツ越しに紋様に触れると、パチン、と何かが弾けた音がする。
「ーーもしかして今、契約を……解いたんですか?」
穏やかな篠崎さんの表情が全てを物語っていた。
「楓が楓として生まれ変わったことを、こうして示せば契約は消える。もう、別人だから」
「そんな」
私は首を振る。
「篠崎さんの、大切なものだったんじゃないですか!?」
「それは俺の勝手だ。楓にはもう、俺から解放されてほしい」
「解放、って」
篠崎さんは私を腕に捉えて抱きしめた。
脛に尻尾も絡めてくれて、その温かさに私は泣きそうになった。
そういえば、私はキスもされていたのに、抱きしめられたのは初めてだった。
離れなくていいのに。
篠崎さんはどこに行っちゃうの。
勝手に決めないで。
言葉が出ないまま私はただ、篠崎さんの腕の中に囚われた。
心地いいのに、感情がめちゃくちゃになって何も言葉として紡げない。
「キスして、悪かったな」
「篠崎、さん、」
「最初、楓に口付けたのは下心でも、お前が桜だったからでもない。本当に契約の口付けが必要だったからだ」
篠崎さんのくぐもった低い声が、耳朶を掠めるように響いた。
「けれど一緒にいるうちに、まともに口付けるのが気恥ずかしくなっちまった。それくらいには、お前が……」
「意識してるの、私だけかと思ってました」
「……俺は馬鹿なんだよ。一度前世でお前を不幸にしちまったのに、性懲りも無くお前を離したくないと思うなんて」
「篠崎さん、私……」
「霊力をなんとかした後に、別の就職先でも見つけてやらねえとと思ってたのにな……」
篠崎さんの腕の力が強くなる。結んでいた私の髪を解いて、髪を撫でて、頭に口付けられる感触がする。
私は目を閉じる。篠崎さんの息遣いと温度が、もっと強くなる。
視界が暗くなって、1秒。唇に柔らかいものが触れる。何度も角度を変えて、篠崎さんは私に優しく口付けてくれた。
ただ触れているだけなのにぞくぞくする。霊力を吸われる契約のキスでもない、ただの触れ合うだけのキスなのに。
篠崎さんの思いが、触れ合う場所から伝わってくるようだった。
「俺が前世のお前ーー桜を待っていたのは事実だ」
掠れた声で、篠崎さんが語り始めた。
「だが、楓を前世の女の代わりだから愛しいなんて思ったことは一度もない。好きな女をまた、好きになった。……だからこそ心苦しかった。普通に生きられるはずだった楓が前世の因縁に巻き込まれて、普通に暮らせなくなるのが」
私は篠崎さんの胸を押し、腕の中から顔を上げる。篠崎さんは狐耳を寝かして私を見下ろしていた。篠崎さんの乱れた髪を手櫛で整えれば、ぺたんと寝た耳が喜ぶように震えた。感情が素直に出る篠崎さんの耳はいつだって愛おしい。私は思いのまま口を開いた。
「篠崎さん、私あなたのことが好きです」
「勝手にキスする男、好きになったら駄目だろ。それに結婚も家庭も持てない相手だぜ?」
「そんなの期待して篠崎さんと一緒にいたんじゃありません。お願い、離れないで」
「駄目だ。不幸になる」
「キスしたくせに」
「悪い。……最後に、思い出にしたかった」
篠崎さんは困ったように笑う。そんなに優しい顔をして、これを別れ話にしないでほしい。
「お前の霊力はこれからも陰ながら俺たち二人で封印する。どうか「普通」に生きてくれ」
その瞬間。雨がざっと葉を濡らす音が聞こえる。
「え」
「尽紫。今後未来永劫、楓が人生を全うするまで、陰日向でこれまでのように守り続けろ。楓が「安全」に「普通」に生きられるなら、俺は何ももういらない。……姉さんと『彼方』にいくよ」
私は弾かれるように目の前の背中を見た。
「楓に、最後の挨拶くらいさせてくれるよな?」
「好きにしなさい」
篠崎さんはゆっくりと振り返り、私に目を眇めて笑った。
いつも身なりを綺麗に整えている人なのに、髪は乱れてシャツはぼろぼろだった。
「すまない。結局、巻き込んだだけになっちまったな」
疲れた笑顔で、篠崎さんは私の髪を撫でた。そしておもむろに私の手をとると、篠崎さん自身の胸元に導いた。シャツ越しに紋様に触れると、パチン、と何かが弾けた音がする。
「ーーもしかして今、契約を……解いたんですか?」
穏やかな篠崎さんの表情が全てを物語っていた。
「楓が楓として生まれ変わったことを、こうして示せば契約は消える。もう、別人だから」
「そんな」
私は首を振る。
「篠崎さんの、大切なものだったんじゃないですか!?」
「それは俺の勝手だ。楓にはもう、俺から解放されてほしい」
「解放、って」
篠崎さんは私を腕に捉えて抱きしめた。
脛に尻尾も絡めてくれて、その温かさに私は泣きそうになった。
そういえば、私はキスもされていたのに、抱きしめられたのは初めてだった。
離れなくていいのに。
篠崎さんはどこに行っちゃうの。
勝手に決めないで。
言葉が出ないまま私はただ、篠崎さんの腕の中に囚われた。
心地いいのに、感情がめちゃくちゃになって何も言葉として紡げない。
「キスして、悪かったな」
「篠崎、さん、」
「最初、楓に口付けたのは下心でも、お前が桜だったからでもない。本当に契約の口付けが必要だったからだ」
篠崎さんのくぐもった低い声が、耳朶を掠めるように響いた。
「けれど一緒にいるうちに、まともに口付けるのが気恥ずかしくなっちまった。それくらいには、お前が……」
「意識してるの、私だけかと思ってました」
「……俺は馬鹿なんだよ。一度前世でお前を不幸にしちまったのに、性懲りも無くお前を離したくないと思うなんて」
「篠崎さん、私……」
「霊力をなんとかした後に、別の就職先でも見つけてやらねえとと思ってたのにな……」
篠崎さんの腕の力が強くなる。結んでいた私の髪を解いて、髪を撫でて、頭に口付けられる感触がする。
私は目を閉じる。篠崎さんの息遣いと温度が、もっと強くなる。
視界が暗くなって、1秒。唇に柔らかいものが触れる。何度も角度を変えて、篠崎さんは私に優しく口付けてくれた。
ただ触れているだけなのにぞくぞくする。霊力を吸われる契約のキスでもない、ただの触れ合うだけのキスなのに。
篠崎さんの思いが、触れ合う場所から伝わってくるようだった。
「俺が前世のお前ーー桜を待っていたのは事実だ」
掠れた声で、篠崎さんが語り始めた。
「だが、楓を前世の女の代わりだから愛しいなんて思ったことは一度もない。好きな女をまた、好きになった。……だからこそ心苦しかった。普通に生きられるはずだった楓が前世の因縁に巻き込まれて、普通に暮らせなくなるのが」
私は篠崎さんの胸を押し、腕の中から顔を上げる。篠崎さんは狐耳を寝かして私を見下ろしていた。篠崎さんの乱れた髪を手櫛で整えれば、ぺたんと寝た耳が喜ぶように震えた。感情が素直に出る篠崎さんの耳はいつだって愛おしい。私は思いのまま口を開いた。
「篠崎さん、私あなたのことが好きです」
「勝手にキスする男、好きになったら駄目だろ。それに結婚も家庭も持てない相手だぜ?」
「そんなの期待して篠崎さんと一緒にいたんじゃありません。お願い、離れないで」
「駄目だ。不幸になる」
「キスしたくせに」
「悪い。……最後に、思い出にしたかった」
篠崎さんは困ったように笑う。そんなに優しい顔をして、これを別れ話にしないでほしい。
「お前の霊力はこれからも陰ながら俺たち二人で封印する。どうか「普通」に生きてくれ」
その瞬間。雨がざっと葉を濡らす音が聞こえる。
「え」
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