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柳川・立花山編

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「やだわ。私が虐めて楽しいのは紫野ちゃんだけよ?」

 旬ちゃんの髪の毛が広がる。瞬間、ネクタイを掴まれた篠崎さんの体が電流を流されたようにびくりと跳ねる。倒れ込もうとする篠崎さんの体を、旬ちゃんは前髪を掴んで持ち上げる。

「……篠崎さん……!!」

 旬ちゃんは、愛おしむような眼差しで篠崎さんの汗を舐り、晒した額に口付ける。体に力が入らないのか、篠崎さんはされるがままだ。

「やめて。やめて……」

 私は首を横に振る。けれど旬ちゃんは、私なんか無視して長い睫毛を伏せた。

「紫野ちゃん……恋心を拗らせて、未だそよ風のような霊力のままのいとけなさで懸命に生きている、愚かでばかな可愛い弟」

 愛情を滲ませた蕩ける声音に反して荒っぽい手つきで、旬ちゃんは篠崎さんのネクタイを強く引っ張り引き寄せる。
 華奢な体で成人男性の体を抱き止めて、汗に濡れたワイシャツの背中に腕を回し、篠崎さんの頬にキスを落とす。キスの度に、篠崎さんの表情が歪む。霊力を吸われているのだろう、篠崎さんはどんどん憔悴していく様子だった。
 篠崎さんはそれでも、顔を歪めて姉を睨みつける。
 旬ちゃんはにこり、と唇で不気味な弧を描いた。

「ねえ、紫野ちゃん。私は楓が産声を上げた時、すぐに『桜』だと気づいたわ。だから、だだ漏れの霊力で再び不幸な目に遭わないよう、見た目と立場を変えて楓を守り続けた」

 篠崎さんを抱き寄せる、旬ちゃんの容姿がさまざまに変わる。
 保育士の先生。学校の担任の先生。クラスメイト。そして懐かしい、いろんな年齢の旬ちゃん。
 ーー私はずっと、旬ちゃんに見守られていたんだ。

 愕然とする私にチラリと視線をよこし、旬ちゃんは話を続ける。

「けれど楓ちゃんが就職した頃から、『旬ちゃん』として頻繁に会うことができなくなって、張り続けていた結界が弱くなった。そんな時、天神駅の改札口で楓ちゃんは貴方に見つけられてしまったの。……貴方と出会ったことで最後の結界が剥がれたのよ」

 春ちゃは私を振り返った。鋭い眼差しを向けられ、ぶわ、と前髪が浮くほどの霊力を感じる。

「楓ちゃん。私の弟と離れて頂戴」
「旬ちゃん……」
「『桜』の魂を持つあなたに囚われて、弟は哀れにも四〇〇年もの間『天神のはぐれ狐』としてあなたを待っていたの。けれどあなたは『桜』じゃないわ。もし貴方がそれでも紫野の傍にいたい、離れたくないと言うのなら」

 その瞬間。
 圧倒的な風に吹き飛ばされるような感覚がした。
 鞄に吊るした愛用のICカードがバキンと割れる。九尾の狐の霊力で、私は気を失いそうになった。

「止めろ!」

 振り絞るように、篠崎さんが叫ぶ。嘘のように風が止む。
 篠崎さんは庇うように、私と旬ちゃんの間に立ち塞がった。

「なあ、尽紫。目的は俺なんだろう? 楓に手を出すなら許さねえ」
「九尾相手に、たかが一尾のあなたがどう抗うの?」
「俺は楓のためなら命だって惜しくない。だがお前も、弟を殺すことはできないだろ?」

 すっと旬ちゃんの表情が消える。
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