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太宰府・二日市編

挿話・〇からの輪廻

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 筑前福岡の武家屋敷。
 庭の木々を揺らす海風が、開け放たれた障子から、びゅうと屋敷の中を通り抜ける。
 六〇〇年の時を共に過ごした、血を分けた姉狐ーー尽紫つくしは、紫野しのの前で努めて淡々と話を続ける。
 それは関ヶ原の戦いで改易され、生まれ故郷からも遠く離れた肥後の地で人生を終えた、一人の薄幸の姫の顛末だった。

「改易されてすぐ、誾千代ぎんちよ姫は病に伏せるようになったわ。肥後の腹赤村に身を寄せるのを機に、身の回りの侍女達にも少しずつ暇を出していたの。そんな中でも私たち雌の霊狐と桜は傍にいて彼女を守り続けた。特に桜は、姫に本当の姉妹のように寄り添って、お世話をしていたわ。……まるで仲良く暮らしていた子供時代のように」

 紫野の顔を見て、尽紫は細く痩せた肩をすくめて少し笑った。

「人間の人生ってあっという間ね」
「……ああ」

 尽紫は視線を庭に向け、滔々と話を続けた。

「誾千代姫には血を絶やそうと狙う呪う様々な相手から、数々の呪いが襲いかかったわ。それはもう、悲惨なほど」

 気丈なふりをしているが姉もずいぶん憔悴している様子だった。

「姫は自分の身が危ないというのに、姫はあえて霊狐たちを遠ざけ、殿を守りにいくように命じたの」
「何故」
「知っているでしょう? 殿は今、都で大名家再興の為に尽力しているわ。彼に、少しでも加護が在らんことを願って……」
「だからあえて、立花家の改易後も姫は殿と別居を続けていたのか」

 自分にかけられた呪いを、夫を守って一心に背負うために。
 尽紫は静かに頷いた。 

「今年の夏のことよ。ちょうど姫が一度危篤に陥った時ーー狙い定めたように次々と呪詛が襲いかかってきて、姫の命を狙おうとした。その時桜が、姫の衣と護符を身につけて……身代わりになって全ての呪いを受けたの」
「身代わり、」
「桜は我を忘れて屋敷を飛び出し、そのまま村の井戸へと落ちたわ。肥後の湧き水は霊水としての力も強い。己の霊力と湧き水の霊力で、呪いを相殺したのでしょうね……」
「それで、姫は?」
「その時は……姫は一命を取り留めたわ。けれどもう、熱が下がることがないまま……秋の一際寒くなった日に」

 姫のことはわかった。そして桜はどうなった。
 呪いを受けた後、井戸に落ちて。どうなった。ーー亡骸は。
 聞きたいことは山ほどあっても、紫野はもう何も口にできなかった。

「桜……」

 ーー自分が無理にでも、桜を連れて博多に行けばよかったのか。
 ーー霊狐と契約しなければ、彼女は普通の巫女として違う人生を送れたのか。
 ーー自分が桜を愛さなければ、桜は普通の男と夫婦になり、巫女を辞して普通の女の幸福を得られたのか。

「紫野ちゃん。可哀想に……涙すら流せないのね」

 姉は立ち上がり、紫野に寄り添うとそっと頭を抱き寄せてくる。
 胸に顔を埋めるようにされ、はっとして紫野は姉の身を突き放した。

「……辞めてくれ、尽紫。俺は」
「紫野ちゃん。あなたは疲れているわ。私もちょっと疲れちゃった……一緒に狐となって、山に帰りましょう?」

 突き放された姉は軽く小袖の裾を払い、改めて紫野の手を握る。真っ白で柔らかな姉の手が目に入る。
 美しい女の手だ、と思う。
 けれど紫野がずっと求めていた女の手はこんなに滑らかで柔らかな美しい手ではない。
 爪の奥まで薬草や呪符の色が滲んで。あちこちに切り傷や火傷の跡があって。日に焼けて、少しざらついていて、働いてささくれだっていてーーけれど骨が細くて握り込んで仕舞えば小さく収まる、あのきれいな手だ。

「……俺は、行けない」
「紫野、ちゃん?」
「帰ってくれ。俺は姉さんと一緒に山には帰れない」
「紫野ちゃん。よく聞いて。あなたは今、とても」
「……帰ってくれ」

 ぶわ、と毛が逆立つのを感じる。客間に飾られた花瓶が震え、生けられた花が枯れる。板張りの色が途端に色褪せ、畳がボロボロと崩れていく。

「ーー紫野ちゃん、あなた」

 もう辞めてくれ。俺にこれ以上、話しかけないでくれ。
 紫野は狐の声で咆哮した。
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