こちら、あやかし移住就職サービスです。ー福岡天神四〇〇年・お狐社長と私の恋ー

まえばる蒔乃

文字の大きさ
上 下
44 / 145
糸島編

2

しおりを挟む
 ずっと無言だった夜さんが口を開く。
 彼はいつもの無表情をわずかに顰め、仏頂面、といった感じの顔で私を見つめていた。
 次の瞬間。

 べろり。

 頬を舐められる。私は叫んだ。

「夜さん!! 猫じゃないんだから!!! いきなり何なの!!!」
「猫だが」

 ちらほらと周囲の視線が私たちに集まるので、慌てて裏路地へと夜さんを引っ張っていく。

「あのね夜さん、今はあなたはすっごい美形な男の人なんだから、往来で顔舐めちゃだめ」
「人間は俺が舐めたら皆喜ぶが」
「それは綺麗な猫だから!!! いくら綺麗でも成人男性は人を舐めない!!」
「だって」

 珍しい口調で、夜さんが尻尾を苛立つようにパタ、と揺らす。

「楓殿が魚くさい霊力になってたから」
「魚……」

 私は唇に手を添える。

「ああ、もしかして雫紅さんの霊力を吸ったせいかな?」

 私の言葉に、むむむ、と夜さんの眉間に皺が寄る。

「楓殿」
「あ、はい」
「俺という飼い猫がありながら、他のあやかしの霊力を吸うのか」
「いや、業務上やむなくというか、緊急事態だったから……」
「それに楓殿は狐の匂いもする」
「ぎく」
「俺の知らないうちに、篠崎社長に印付マーキングされている。不満だ」

 くんくんと鼻を鳴らして匂いを嗅がれ、マーキング、と言われながら詰め寄られる。
 あのキスと噛まれた歯形の匂いがするのかと、私は背筋が寒くなるのを感じた。

「や、やっぱり分かるの? あやかし同士だと」
「分かる」
「ひえ」
「楓殿はもっと、俺の飼い主の自覚を持つべきだ」
「ええと……なんかはい、すみません……」

 問答無用で頭を出されるので、私は根負けして黒髪の頭をわしわしと撫でてあげる。ぺと、と耳を寝かせて撫でられる夜さんは気分が良さそうに喉をごろごろと鳴らしている。

「そろそろ止めていい?」
「もう少し」
「続きは家に帰ってからにしようよ。流石に人気がない場所でも成人男性の頭撫でてるのはちょっと……それに猫さんの時の方が、触り心地がいいし! ねっ!」
「承知した」

 撫で撫での約束を取り付けた夜さんがようやく離れてくれたので、私はホッと安堵する。
 猫の夜さんを可愛がるのは可愛くて好きなので大歓迎だ。成人男性の姿を思い出さないように努力する必要があるけれど。

「……なでなで、か」

 ーーふと、手のひらを見つめて思う。
 篠崎さんの尻尾を撫でたいと思う気持ちも、これに近い気持ちなんだろうか。
 ううん。何か、違う気がする。
 篠崎さんに感じるフワッとしたこの気持ちは何なんだろう。

「楓殿?」
「なんでもないよ。行こうか」

 私は笑って首を振り、鍵を鞄から取り出して颯爽と歩く。

 篠崎さんに対する気持ちと、夜さんに対する気持ちはなんだか違う気がする。
 例えば篠崎さんがキツネの姿をしていたとしても、一緒に同じ屋根の下で暮らすなんてとんでもない。
 化粧をする前の顔なんて見られたくないし、部屋着でお惣菜パックのまま食べてる姿なんてもってのほかだ。
 夜さんは、なんとなく平気。
 きっと夜さんが、私のことを「飼い主」として見てくれているのが分かるからだ。
 私は夜さんのことを猫さんだと思ってる。見た目が人間の男性の時があっても。

「あれ、じゃあ……」

 ーーそれなら私は、篠崎さんのことを何だと思っているのだろう。
 社長? それもそうだ。けれど、ただの雇用の関係じゃない。
 印付マーキングしてきた獣? いやいや。あれはびっくりしたけど、篠崎さんは優しいいい人だ。
 キスの契約してるから、契約恋人? うわー、そんな関係じゃない。絶対違う。
 私は歩きながら、篠崎さんに感じていることを、一つ一つ思い出してみる。

 助けてもらった時、篠崎さんの声を聞いてホッと気持ちが安らいだり。
 気を失っている間、涎垂れてるのを見られてしまったと恥ずかしく思ってしまったり。
 会社で顔を合わせるたびに、よーし! 今日も頑張ろう! って力が漲ってきたり。
 鏡を見るたびにキスされたことを思い出したり。
 いや。
 キスはその、不可抗力というか、そういう契約ですし、その。
 キ、キスのことについては考えない!!! はい! ポイ!! 忘れた!!!!!

「あ」

 アパートの縞合板の階段を上がり、家の鍵を開けようとして、私は今日見た光景が頭をフラッシュバックする。

「推しを見て興奮してた雫紅さんと同じだ……」
「楓殿?」
「あ、なんでもない! なんでもないよ! 帰って早くご飯にしようか」
「にゃあ」

 ーー推し、かぁ。
 と腑に落ちる言葉を見つけて、しっくり馴染んで満足する。
 今、私は篠崎さんがなんだ。
 だって篠崎さんが微笑むと、すっごく嬉しいし、頑張ろうって思える。カレーが苦手とか、尻尾撫でられるとふにゃふにゃになっちゃうとか、彼のことを一つ一つ知っていくたびにワクワクする。

 新生活の大変さを乗り越えていくためには、心を鼓舞してくれる強い何かが必要だ。
 上司が仕事のやる気エネルギーになるって、とっても幸福なことのように思う。
 推し活、兼、お仕事!!! 頑張ろう!!!


—-



 夜(せいじんだんせい)に頬を舐められたり、頭を撫でたり不審な挙動をしながら帰路についた菊井楓。
 そんな彼女が二人仲良くアパートに入っていく姿を見つめている女の姿に、彼女は気づいていない。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...