上 下
14 / 145
天神編

名前をつけてあげる

しおりを挟む
「猫さん!」

 思わず駆け寄れば、猫さんは人の姿を失い小さな黒猫になっていた。

「……限界だったか」

 大濠公園の街灯に照らされ、猫さんのビロードのような黒い毛並みが苦し気に上下しているのが見える。
 篠崎さんは彼を黙って拾い上げ、私に抱えさせてくれた。
 猫さんは私の腕の中で丸くなる。少しだけ、辛い呼吸が穏やかになった気がする。

「あんたは霊力が駄々洩れだから、触れているとあやかしは心地よいんだ」
「そうなんですね。役に立てるならよかった」

 猫さんは、私の腕の中で丸くなったまま人の声で話し始めた。

「俺は……あの人の家を、守り続けたかった」

 それから猫さんは途切れながら語ってくれた。
 遠い昔から代々、ずっとひとつの家を猫又として見守ってきたことを。
 かつて猫を使役する事が当たり前に行われた時代から、あやかしに頼らない時代になり、そして一族もいつしか猫があやかしであることを忘れてしまった。
 けれど猫は主を忘れず、つかず離れずの距離で家を守り続けた。

 飢饉にも明治維新にも幾度の世界大戦にも途絶えなかった家はついに、過疎化によって潰えてしまった。
 消えた集落の消えた家。そこで、猫は最期の主を看取って霊力に飢え、福岡市という人里に降りてきた。

「生きていれば……この世界にいれば、あの人たちの家を見守り続けられる。家が朽ちても土地を、あの人たちが眠る山と一緒にいられる……俺は……」

 黒猫はぽろぽろと涙をこぼす。
 すっと体が軽くなってきたように感じる。私は声を張り上げた。

「猫さん! 猫さん! ……死なないで! 私の霊力?くらい、あげますから!」
「だめだ」

 その時、ぞっとするほど冷たい声で篠崎さんが遮る。

「契約なしに霊力を与えるのはダメだ」
「どうして……!」

「人間とあやかしはあくまで別の存在。腹がすいている獣が、己の理性だけで「指一本だけ食べてあげよう」なんて留められるか?」

 肝がぞっと冷える心地がする。襲われた時よりずっと怖くなった。私は彼に尋ねた。

「……じゃあ、どうすれば……」
「助ける方法はある。いったん、臨時に使役契約を結んでやれ」
「そんなこと、私が……?」
「ああ。こいつが就職して、人間社会に居場所を作り、霊力が自力で満たされるようになるまで。もちろん、その後解放してやるもやらないも自由だ。菊井ならできる。自分の持って生まれた能力を活かして、その猫を救うことができる」

 篠崎さんの大きな手が肩に乗る。その手は優しくて温かいと感じる。
 猫さんは力のない体を起こし、期待に満ちた目で私を見上げた。猫さんの金瞳が私を射抜く。

「やります」
「上出来だ。……俺の言葉を真似して、肚の中に力を籠めろ」

 耳元で篠崎さんが私に囁く。その言葉を私は復唱した。

『菊井楓の血と名に依って命ず。我の命続く限り、汝我の使役となれ』

 猫さんを抱いた私の腕の中で、温かな光が輝く。猫さんの毛並みが黄金色にざわり、と輝き、そして艶やかな黒猫へとよみがえっていく。にゃあ、と小さく鳴く。弱弱しかった体にみるみる精気が戻ってきて、少し重みさえ変わってきた気がする。
 命の復活に、ぞくぞくと背筋が震えた。

「猫に名前つけてやれ」

 篠崎さんが囁く。

「――名で、猫に新たな人生を与えろ」
「えっと……」

 私は猫さんを見た。

「夜さん! あなたの名前は、夜さんです!」

 猫さんはにゃあ、とひと鳴きして――そして、再び男性の姿に戻った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

【完結】逃がすわけがないよね?

春風由実
恋愛
寝室の窓から逃げようとして捕まったシャーロット。 それは二人の結婚式の夜のことだった。 何故新妻であるシャーロットは窓から逃げようとしたのか。 理由を聞いたルーカスは決断する。 「もうあの家、いらないよね?」 ※完結まで作成済み。短いです。 ※ちょこっとホラー?いいえ恋愛話です。 ※カクヨムにも掲載。

OL 万千湖さんのささやかなる野望

菱沼あゆ
キャラ文芸
転職した会社でお茶の淹れ方がうまいから、うちの息子と見合いしないかと上司に言われた白雪万千湖(しらゆき まちこ)。 ところが、見合い当日。 息子が突然、好きな人がいると言い出したと、部長は全然違う人を連れて来た。 「いや~、誰か若いいい男がいないかと、急いで休日出勤してる奴探して引っ張ってきたよ~」 万千湖の前に現れたのは、この人だけは勘弁してください、と思う、隣の部署の愛想の悪い課長、小鳥遊駿佑(たかなし しゅんすけ)だった。 部長の手前、三回くらいデートして断ろう、と画策する二人だったが――。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」 目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。 「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」 そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――? そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た! っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!! っていうか、ここどこ?! ※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました ※他サイトにも掲載中

処理中です...