上 下
62 / 62

神の子

しおりを挟む
 はるか昔、神は自らが作った世界を見下ろしていた。
 大きな翼を持つものが空を舞い、小さなものが花の間を通り抜ける。地を歩くものもいれば、海を駆けるものもいる。
 世界を育む彼らを見て、神はふと疑問を抱いた。
 神に親はいない。恋人もいない。神の座において、神は一人だけ。
 家族とはいったいどういうものなのか――疑問は形をなし、子となった。

 神の子は神と共に世界を見下ろした。
 その中で、神の子は地を歩くしかできないものを哀れんだ。

 ほかのものは空を飛べるのに、あれは飛べない。
 風も水も火もあれは扱えない。

 なんて哀れでかわいそうなのだろう。
 そう思った神の子は世界に降り立った。

 
 神の子は自分たちはすごいのだと言い張る者たちに、神を目指したらどうかと助言した。
 あれ以外がいなくなれば、世界はあれだけのものになる。かわいそうなあれだけなら、哀れなものはいない。
 あれ以外が神の座に到達できるのかは神の子にはどうでもよかった。

 だが神の子のしたことは神の怒りを買うだけに終わった。
 神に繋がる道は閉ざされ、神の子は世界に残された。



 煌々と輝くランタンの下で、それは歌う。悪魔と呼ばれるそれは、寝台に体を預けながら、何度目かになる寝返りを打った。
 くるりと指を回せば、悪魔のまわりを漂うものが揺れる。

「あといくつ集めればいいかしら」

 体から離れた魂は神のもとに向かう。それを、悪魔は契約で縛ることによって自分のもとに留めた。
 自身を覆えるほどの数を集められたら神の目を欺けるか試したいという思いもあったが、何よりも無償で手を貸せばまた怒られるかもしれないと思ったからだ。

「あら、あなたいきたいの? でもしかたないわね」

 ゆらりと漂うもののひとつが離れようとして、壁に阻まれたように動きを止める。
 それに対し、悪魔は憐憫の目を向けた。

「ああ、なんてかわいそうなの。でもそれを望んだのはあなただから、しかたないわよね」

 知恵を与え、剣を与え、助言を与えた。その見返りに、彼らは魂を約束した。
 たとえ望もうと後悔しようと、神のもとに向かうことはできない。悪魔のもとにいると約束してしまったのだから。

 動きを止めていたものが諦めたように悪魔のそばで漂いはじめるのを悪魔は眺める。

「おじゃましまーす」

 漂うものは悪魔以外の目には映らない。だがそれを見れる悪魔の目には、世界は白くもやがかかっているように映る。
 その中に場違いな声が響き、視界を邪魔していたものが悪魔の後ろに回った。

「新作作ってきたんで、おひとついかがですか?」

 灰色の髪を靡かせながらきらきらと輝く瞳で小瓶を差し出す少女に向けて、悪魔は微笑を浮かべる。

「私、苦いのは嫌よ」
「そう言われたので、今回は甘くしてみました」
「あなたが元気なら失敗だと思うわよ」
「私とあなたでは体の構造が違うかもしれませんし、ものは試しで」

 悪魔が小瓶を手に取ると、中に入っている禍々しい色をした液体が揺れた。
 蓋を開け、口に含むと清涼な味が広がる。微かな甘みは果実でも入れてみたのだろうか。苦かっただけの前回から様変わりしたそれに、試行錯誤したのがうかがえる。

「おいしかったわ。ご馳走様」
「今回も効果なしですか……昔の人ってあなたぐらい丈夫だったんですか?」
「さあ、どうかしら。比べたことがないからわからないわね」

 少女は小瓶を片付けると、背負っていた鞄から折り畳みの机を取り出しその場に広げる。
 続いて皿と綺麗な焼き色がついた菓子を取り出すと机の上に置いた。

 これは、少女と悪魔が交わした契約だ。
 少女が差し出したものを飲む代わりに、美味しいものを持ってくるという契約。

 ただそれだけのはずだが、もう何度目になるかわからないぐらい顔を合わせていれば、ちょっとした世間話をするようにもなるもので。

「それで、エイシュケルだったかしら。神の怒りを買った子はどうなったのかしら」
「知らないんですか?」
「ええだって、わざわざ出かけてまで知りたいとは思えないのだもの。哀れだとは思うけど、かわいそうではないでしょう? 神を怒らせたのだから、そうなるのも当然よ。それにしても、種族ごとでなくなったなんて、神も寛容になったものね」
「寛容かどうかはわかりませんが……まあ、妖精の血の効果は残っているそうなので、交配先すらも操作された昔に比べたらマシかもしれませんね」

 焼き菓子の一つを含み、注がれたお茶を飲む。
 悪魔の体は飲食を必要とはしていない。だが味覚はあるので、味わうことはできる。

「……エイシュケルはアドフィルの属国という扱いになったそうで、ヴィルヘルムさんが王様代理をしていますね。天馬があるからってルーファス陛下の補佐も続けているので、いつか過労で倒れないか心配です」

 この会話に意味があるわけではない。
 知りたいと思えば知ることができるし、行こうと思えばどこにでも行ける。
 だから悪魔にとっては、ただの暇つぶしでしかなかった。

「練習がうまくいけば、唯人との間に子供が作れるかもって……無理だったら私が作った子を王にするって言ってました。だからエイシュケルとアドフィルの分で最低二人はお願いしますって言われたんですけど……悪魔さん。今日は特別にお酒を持ってきています。これをあげるので、知恵を私にください」
「かわいそうな妖精さん。可愛い妖精さん。私に知恵を求めるなんて、何があったのかしら。言ってごらんなさい。どんな願いでも、叶えてあげましょう。私の気が向けば」

 少女を哀れでかわいそうだと思ったこともあるが、地を歩くしかできなかったあれとは違う。手を貸すほどではない。
 だから契約は些細なものだ。毒を飲む代わりに菓子を求める程度のもの。

 それなのに新たな契約を結ぼうとする少女に、悪魔は目を細める。
 悪魔が少女を哀れんだのは、少女はそれほど欲深くもなければ、そこまで傲慢でもなかったからだ。欲深く傲慢になった少女に悪魔は用はない。

 悪魔は赤い唇を歪める。少女の答え次第で、ここから追い出すことを考えながら。

「子供ってどうやって作るんですか」

 だが死ぬことだけを考えていた少女の知識のなさは、悪魔の予想を超えていた。
 発せられたのは短く、些細な問いだ。悪魔が相手でなくても、誰にでも答えられるもの。だからこそ、悪魔は考える。
 
「ああ、なんてかわいそうな妖精さん。そんなことも知らないなんて。だけど残念ね。私はそれに答えられないわ。それに答えられるのはただ一人だけ。あなたの大切な旦那様に聞いてみてはどうかしら」

 その結果、悪魔は押しつけた。哀れでかわいそうな王子だったものに。


 少女のいなくなった部屋で、悪魔は自身の周りを漂うものの一つをつつく。

「子供の成長をあなたは喜ぶのかしら。悲しむのかしら。羨むのかしら。望み、厭い、遠ざけたものに対し、あなたは何を思うのかしら。大切なものが何か忘れてしまったあなたと違い、大切なものを得た子供に何を抱くのかしら。ああでも残念。あなたにはもう喋るための口はないものね。何も答えられないなんて、なんてかわいそうなのかしら」

 それは、愛するものを守るための剣で、愛するものを屠ったもの。
 悪魔の好む哀れでかわいそうなものだけが、悪魔と呼ばれる神の子の周りを漂い続けていた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(7件)

初花草子
2023.08.05 初花草子

37話が主人公が陛下に「自分と誰かを重ねているのではないか?」と質問した体で始まっていますが、36話で質問した様子がなく、36話と37話の間に抜けがあるように思います。

解除
杜野秋人
2022.06.14 杜野秋人

あの、少しずつ読み進めて今47話まで読んだところで初めて気付いて確認してみたんですけど…


いやめっちゃ今さらな感がすごいんですが、16話と47話と53話が『それぞれ2つずつある』んですよ………それぞれ別の話だから同じ話が重複してるわけではなくて番号のみの間違いだとは思うんですが(^_^;
ということで、修正お願いしまーす( ̄∀ ̄;

解除
sa
2022.06.07 sa

最終話まで読めてよかったです。個人的に好みのタイプな話でした。ありがとうございます。

木崎優
2022.06.07 木崎優

最後までお読みいただきありがとうございます。
気に入っていただけて嬉しいです。

解除

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢はお断りです

あみにあ
恋愛
あの日、初めて王子を見た瞬間、私は全てを思い出した。 この世界が前世で大好きだった小説と類似している事実を————。 その小説は王子と侍女との切ない恋物語。 そして私はというと……小説に登場する悪役令嬢だった。 侍女に執拗な虐めを繰り返し、最後は断罪されてしまう哀れな令嬢。 このまま進めば断罪コースは確定。 寒い牢屋で孤独に過ごすなんて、そんなの嫌だ。 何とかしないと。 でもせっかく大好きだった小説のストーリー……王子から離れ見られないのは悲しい。 そう思い飛び出した言葉が、王子の護衛騎士へ志願することだった。 剣も持ったことのない温室育ちの令嬢が 女の騎士がいないこの世界で、初の女騎士になるべく奮闘していきます。 そんな小説の世界に転生した令嬢の恋物語。 ●表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ●毎日21時更新(サクサク進みます) ●全四部構成:133話完結+おまけ(2021年4月2日 21時完結)  (第一章16話完結/第二章44話完結/第三章78話完結/第四章133話で完結)。

あなたに忘れられない人がいても――公爵家のご令息と契約結婚する運びとなりました!――

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※1/1アメリアとシャーロックの長女ルイーズの恋物語「【R18】犬猿の仲の幼馴染は嘘の婚約者」が完結しましたので、ルイーズ誕生のエピソードを追加しています。 ※R18版はムーンライトノベルス様にございます。本作品は、同名作品からR18箇所をR15表現に抑え、加筆修正したものになります。R15に※、ムーンライト様にはR18後日談2話あり。  元は令嬢だったが、現在はお針子として働くアメリア。彼女はある日突然、公爵家の三男シャーロックに求婚される。ナイトの称号を持つ元軍人の彼は、社交界で浮名を流す有名な人物だ。  破産寸前だった父は、彼の申し出を二つ返事で受け入れてしまい、アメリアはシャーロックと婚約することに。  だが、シャーロック本人からは、愛があって求婚したわけではないと言われてしまう。とは言え、なんだかんだで優しくて溺愛してくる彼に、だんだんと心惹かれていくアメリア。  初夜以外では手をつけられずに悩んでいたある時、自分とよく似た女性マーガレットとシャーロックが仲睦まじく映る写真を見つけてしまい――? 「私は彼女の代わりなの――? それとも――」  昔失くした恋人を忘れられない青年と、元気と健康が取り柄の元令嬢が、契約結婚を通して愛を育んでいく物語。 ※全13話(1話を2〜4分割して投稿)

愛としか

及川 瞳
恋愛
 私、加瀬千晶(かせちあき)は事故で過去の記憶をすべて失った。  私には結婚したばかりの夫、崇之(たかゆき)がいた。彼はルックスも経歴も申し分なく、記憶喪失となった私に対してもあふれるほどの愛情をもって接してくれた。けれど私には、知らない男性との生活としか思えなかった。  そんな時、私は私の記憶喪失を訝しむ一人の男性からの電話を受けた。  田上恭也(たがみきょうや)。  もちろん私は彼のことも何一つ、覚えていなかった。そんな私に彼は容赦なく云った。 「きっとあの事故が起こった日、最後に君の頭の中にいたのは俺の筈なのに」  私が忘れてしまった現実。崇之が知っていた事実。恭也が持て余す愛と思惑。  それらのすべてをつなぐ事故の真相とは……。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

どうやら私(オタク)は乙女ゲームの主人公の親友令嬢に転生したらしい

海亜
恋愛
大交通事故が起きその犠牲者の1人となった私(オタク)。 その後、私は赤ちゃんー璃杏ーに転生する。 赤ちゃんライフを満喫する私だが生まれた場所は公爵家。 だから、礼儀作法・音楽レッスン・ダンスレッスン・勉強・魔法講座!?と様々な習い事がもっさりある。 私のHPは限界です!! なのになのに!!5歳の誕生日パーティの日あることがきっかけで、大人気乙女ゲーム『恋は泡のように』通称『恋泡』の主人公の親友令嬢に転生したことが判明する。 しかも、親友令嬢には小さい頃からいろんな悲劇にあっているなんとも言えないキャラなのだ! でも、そんな未来私(オタクでかなりの人見知りと口下手)が変えてみせる!! そして、あわよくば最後までできなかった乙女ゲームを鑑賞したい!!・・・・うへへ だけど・・・・・・主人公・悪役令嬢・攻略対象の性格が少し違うような? ♔♕♖♗♘♙♚♛♜♝♞♟ 皆さんに楽しんでいただけるように頑張りたいと思います! この作品をよろしくお願いします!m(_ _)m

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。