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四十五話 厚かましい
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床に倒れていたお母さま。白い肌を床につけて、灰色の髪を散らばせて、目を瞑っていた。
そのすぐ横には毒が入っていたはずの瓶が転がっていた。
強い毒じゃなかったから、眠っているのだと思った。体調が悪くなると、お母さまは眠ることが多かったから。
だからベッドに運んで布団をかけて、ゆっくり眠らせてあげようと思った。
――だけど、本当にそうだっただろうか。
お母さまの肌は本当に白かっただろうか。
お母さまの髪は本当に灰色だっただろうか。
そこに、赤色が混ざってはいなかっただろうか。
「ち、違う。違います。お母さまは、眠っているだけで、だから」
本当はどうだったか。思い出そうとするよりも早く、ヴィルヘルムさんの言葉を否定する。
「ルーファスは幼少の頃にライラ様と会っているんだよ。その際に小屋にまで赴かれ、眠っている君の母親を見た。正確には、腐っていく君の母親を」
「そんなの、覚えてません。ルーファス陛下の記憶違いじゃないですか。私じゃない、他の誰かと間違えているとか。だって私、ルーファス陛下と会ったことなんて――」
一度もない、と言いかけてやめる。
森の中で助けたことがあったと、最近知ったばかりだ。
そうだ、その後どうしたいのかが思い出せない。森の中を案内しようとして、だけど、それで、私はどうしたのだろう。
あの森に案内できるところなんてほとんどない。あるとすれば、私が毒草を栽培しているところと――小屋だけだ。
『お前、何言っているんだ』
どこからか聞こえてくる、少年の声。
『母親に笑ってほしいから、だと?』
戸惑いを隠せない赤色の瞳がベッドに向いていた。
そうだ、私はあの時、お母さまに笑ってもらうために頑張ってる、と言ったんだ。
『ありえない。あれはどう見ても――』
その先に続いた言葉を聞いたのかどうか、覚えてない。すぐに出ていって、と言って追い出した。
「……僕はね、何も君を苦しめようと思って言ってるわけじゃないんだよ」
星が瞬く瞳が私を見下ろす。
「な、なら、どうして、そんなことを言うんですか、どうしてお母さまが死んでるなんて」
「ルーファスのためだよ」
間髪入れず返ってくる答えに息を呑む。
何をどうしたらルーファス陛下のためになるのかわからない。私が忘れている、覚えていない――いや、そうだと確定したわけじゃなから、そうかもしれないこと話すのがルーファス陛下に得になるとは思えない。
「ルーファスはね、自分で決めたことがほとんどない。母親に促されて他国に赴き、父親に脅されて剣を取り、唆されて血に染まり、僕が委ねたから王になった。流されるまま生きていた彼がずっと気にかけ心に留めていたのが君だ」
「そん、なの。おかしい女がいたって、そう思っただけかもしれないじゃないですか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彼が気にしていた、それだけで僕には十分だったからね」
こちらを覗きこむ瞳には幾多もの星が瞬いている。何を考えているのかわからない目。声は淡々としていて、表情にも変化がない。
ヴィルヘルムさんが何を考えてこんなことを言っているのかわからず、私は視線をさまよわせる。
「彼に幸福な死は訪れないだろう。ならせめて、生きている間ぐらいは幸せでいてほしいと、親友の立場からそう思ったんだよ」
それに、とヴィルヘルムさんは言葉を続ける。
「僕は本当に、心の底から、王になりたくないんだ。必要がなければ彼はこの地を去るだろうけど、必要があれば王の座に留めておくことができる。だから君に死なれると困るんだよ。君を娶るためには王である必要があるからね」
母親のためにという名目がなくなったんだから、死ぬ必要はないよね。そう言って微笑むヴィルヘルムさんに、私は顔を引きつらせる。
お母さまが死んでいるなんて信じたくない。だけどそれを否定することもできない。
私が最後に見たお母さまがどんな顔をしていたのか、思い出せないから。
だけどそれでも、ヴィルヘルムさんの言葉に頷くことはできなかった。
「……お母さまが死んでいるのなら――」
もしもお母さまが死んでいたら、私の毒のせいで死んでいるのなら、それはすべて私のせいだ。
私が生まれてきたから、私が毒を作ったから、私がいなければお母さまは生きて、笑っていられた。
小さい小屋に押しこまれることもなく、大好きな人の隣で、大好きな人との子供を抱きしめて、いつまでもいつまでも、ずっと続く幸せの中にいられた。
それなのに私は勝手に眠ってると勘違いして、笑っていてほしいと身勝手なことを考えていた。
お母さまの幸せも人生も、すべて奪っておきながら。
「――なおさら、私は死なないと駄目じゃないですか」
それ以上は何も言えず、何も聞きたくなくて、私は走り出した。
ただ毒が飲みたかった。だけど、生半可なものでは駄目だ。奇跡を起こせるような、すべてなかったことにできるような、そんな毒が今すぐほしい。
だけどそんな毒はどこにもない。そんなことわかっている。
生まれたことを消すこともできなければ、死んだことを失くすこともできない。
私にできるのは毒を作ることだけ。
だけどどうすればこの体は死んでくれるのだろう。どうすればこの体を殺す毒を作れるのだろう。
答えてくれる人はいない。昔からどこにもいなかった。
「――何をしている」
ふと聞こえてきた声に視線を動かす。
視界に入ってきたのは、腰に携えた剣。
「私を殺してくれますか」
心からの願いに返ってきたのは、呆れたような眼差し。
またそんなことをいっているのか、そんな声が聞こえたような気がした。
だけど、そんなことはどうでもいい。私を殺してくれないものに用はない。
「あら」
次に聞こえたのは、あまり聞いたことのない声。
銀色が視界の端で煌めいた。
そのすぐ横には毒が入っていたはずの瓶が転がっていた。
強い毒じゃなかったから、眠っているのだと思った。体調が悪くなると、お母さまは眠ることが多かったから。
だからベッドに運んで布団をかけて、ゆっくり眠らせてあげようと思った。
――だけど、本当にそうだっただろうか。
お母さまの肌は本当に白かっただろうか。
お母さまの髪は本当に灰色だっただろうか。
そこに、赤色が混ざってはいなかっただろうか。
「ち、違う。違います。お母さまは、眠っているだけで、だから」
本当はどうだったか。思い出そうとするよりも早く、ヴィルヘルムさんの言葉を否定する。
「ルーファスは幼少の頃にライラ様と会っているんだよ。その際に小屋にまで赴かれ、眠っている君の母親を見た。正確には、腐っていく君の母親を」
「そんなの、覚えてません。ルーファス陛下の記憶違いじゃないですか。私じゃない、他の誰かと間違えているとか。だって私、ルーファス陛下と会ったことなんて――」
一度もない、と言いかけてやめる。
森の中で助けたことがあったと、最近知ったばかりだ。
そうだ、その後どうしたいのかが思い出せない。森の中を案内しようとして、だけど、それで、私はどうしたのだろう。
あの森に案内できるところなんてほとんどない。あるとすれば、私が毒草を栽培しているところと――小屋だけだ。
『お前、何言っているんだ』
どこからか聞こえてくる、少年の声。
『母親に笑ってほしいから、だと?』
戸惑いを隠せない赤色の瞳がベッドに向いていた。
そうだ、私はあの時、お母さまに笑ってもらうために頑張ってる、と言ったんだ。
『ありえない。あれはどう見ても――』
その先に続いた言葉を聞いたのかどうか、覚えてない。すぐに出ていって、と言って追い出した。
「……僕はね、何も君を苦しめようと思って言ってるわけじゃないんだよ」
星が瞬く瞳が私を見下ろす。
「な、なら、どうして、そんなことを言うんですか、どうしてお母さまが死んでるなんて」
「ルーファスのためだよ」
間髪入れず返ってくる答えに息を呑む。
何をどうしたらルーファス陛下のためになるのかわからない。私が忘れている、覚えていない――いや、そうだと確定したわけじゃなから、そうかもしれないこと話すのがルーファス陛下に得になるとは思えない。
「ルーファスはね、自分で決めたことがほとんどない。母親に促されて他国に赴き、父親に脅されて剣を取り、唆されて血に染まり、僕が委ねたから王になった。流されるまま生きていた彼がずっと気にかけ心に留めていたのが君だ」
「そん、なの。おかしい女がいたって、そう思っただけかもしれないじゃないですか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彼が気にしていた、それだけで僕には十分だったからね」
こちらを覗きこむ瞳には幾多もの星が瞬いている。何を考えているのかわからない目。声は淡々としていて、表情にも変化がない。
ヴィルヘルムさんが何を考えてこんなことを言っているのかわからず、私は視線をさまよわせる。
「彼に幸福な死は訪れないだろう。ならせめて、生きている間ぐらいは幸せでいてほしいと、親友の立場からそう思ったんだよ」
それに、とヴィルヘルムさんは言葉を続ける。
「僕は本当に、心の底から、王になりたくないんだ。必要がなければ彼はこの地を去るだろうけど、必要があれば王の座に留めておくことができる。だから君に死なれると困るんだよ。君を娶るためには王である必要があるからね」
母親のためにという名目がなくなったんだから、死ぬ必要はないよね。そう言って微笑むヴィルヘルムさんに、私は顔を引きつらせる。
お母さまが死んでいるなんて信じたくない。だけどそれを否定することもできない。
私が最後に見たお母さまがどんな顔をしていたのか、思い出せないから。
だけどそれでも、ヴィルヘルムさんの言葉に頷くことはできなかった。
「……お母さまが死んでいるのなら――」
もしもお母さまが死んでいたら、私の毒のせいで死んでいるのなら、それはすべて私のせいだ。
私が生まれてきたから、私が毒を作ったから、私がいなければお母さまは生きて、笑っていられた。
小さい小屋に押しこまれることもなく、大好きな人の隣で、大好きな人との子供を抱きしめて、いつまでもいつまでも、ずっと続く幸せの中にいられた。
それなのに私は勝手に眠ってると勘違いして、笑っていてほしいと身勝手なことを考えていた。
お母さまの幸せも人生も、すべて奪っておきながら。
「――なおさら、私は死なないと駄目じゃないですか」
それ以上は何も言えず、何も聞きたくなくて、私は走り出した。
ただ毒が飲みたかった。だけど、生半可なものでは駄目だ。奇跡を起こせるような、すべてなかったことにできるような、そんな毒が今すぐほしい。
だけどそんな毒はどこにもない。そんなことわかっている。
生まれたことを消すこともできなければ、死んだことを失くすこともできない。
私にできるのは毒を作ることだけ。
だけどどうすればこの体は死んでくれるのだろう。どうすればこの体を殺す毒を作れるのだろう。
答えてくれる人はいない。昔からどこにもいなかった。
「――何をしている」
ふと聞こえてきた声に視線を動かす。
視界に入ってきたのは、腰に携えた剣。
「私を殺してくれますか」
心からの願いに返ってきたのは、呆れたような眼差し。
またそんなことをいっているのか、そんな声が聞こえたような気がした。
だけど、そんなことはどうでもいい。私を殺してくれないものに用はない。
「あら」
次に聞こえたのは、あまり聞いたことのない声。
銀色が視界の端で煌めいた。
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