上 下
46 / 62

四十五話 厚かましい

しおりを挟む
 床に倒れていたお母さま。白い肌を床につけて、灰色の髪を散らばせて、目を瞑っていた。
 そのすぐ横には毒が入っていたはずの瓶が転がっていた。
 強い毒じゃなかったから、眠っているのだと思った。体調が悪くなると、お母さまは眠ることが多かったから。
 だからベッドに運んで布団をかけて、ゆっくり眠らせてあげようと思った。

 ――だけど、本当にそうだっただろうか。

 お母さまの肌は本当に白かっただろうか。
 お母さまの髪は本当に灰色だっただろうか。

 そこに、赤色が混ざってはいなかっただろうか。

「ち、違う。違います。お母さまは、眠っているだけで、だから」

 本当はどうだったか。思い出そうとするよりも早く、ヴィルヘルムさんの言葉を否定する。

「ルーファスは幼少の頃にライラ様と会っているんだよ。その際に小屋にまで赴かれ、眠っている君の母親を見た。正確には、腐っていく君の母親を」
「そんなの、覚えてません。ルーファス陛下の記憶違いじゃないですか。私じゃない、他の誰かと間違えているとか。だって私、ルーファス陛下と会ったことなんて――」

 一度もない、と言いかけてやめる。
 森の中で助けたことがあったと、最近知ったばかりだ。
 そうだ、その後どうしたいのかが思い出せない。森の中を案内しようとして、だけど、それで、私はどうしたのだろう。
 あの森に案内できるところなんてほとんどない。あるとすれば、私が毒草を栽培しているところと――小屋だけだ。

『お前、何言っているんだ』

 どこからか聞こえてくる、少年の声。

『母親に笑ってほしいから、だと?』

 戸惑いを隠せない赤色の瞳がベッドに向いていた。
 そうだ、私はあの時、お母さまに笑ってもらうために頑張ってる、と言ったんだ。

『ありえない。あれはどう見ても――』

 その先に続いた言葉を聞いたのかどうか、覚えてない。すぐに出ていって、と言って追い出した。

「……僕はね、何も君を苦しめようと思って言ってるわけじゃないんだよ」

 星が瞬く瞳が私を見下ろす。

「な、なら、どうして、そんなことを言うんですか、どうしてお母さまが死んでるなんて」
「ルーファスのためだよ」

 間髪入れず返ってくる答えに息を呑む。
 何をどうしたらルーファス陛下のためになるのかわからない。私が忘れている、覚えていない――いや、そうだと確定したわけじゃなから、そうかもしれないこと話すのがルーファス陛下に得になるとは思えない。

「ルーファスはね、自分で決めたことがほとんどない。母親に促されて他国に赴き、父親に脅されて剣を取り、唆されて血に染まり、僕が委ねたから王になった。流されるまま生きていた彼がずっと気にかけ心に留めていたのが君だ」
「そん、なの。おかしい女がいたって、そう思っただけかもしれないじゃないですか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。彼が気にしていた、それだけで僕には十分だったからね」

 こちらを覗きこむ瞳には幾多もの星が瞬いている。何を考えているのかわからない目。声は淡々としていて、表情にも変化がない。
 ヴィルヘルムさんが何を考えてこんなことを言っているのかわからず、私は視線をさまよわせる。

「彼に幸福な死は訪れないだろう。ならせめて、生きている間ぐらいは幸せでいてほしいと、親友の立場からそう思ったんだよ」

 それに、とヴィルヘルムさんは言葉を続ける。

「僕は本当に、心の底から、王になりたくないんだ。必要がなければ彼はこの地を去るだろうけど、必要があれば王の座に留めておくことができる。だから君に死なれると困るんだよ。君を娶るためには王である必要があるからね」

 母親のためにという名目がなくなったんだから、死ぬ必要はないよね。そう言って微笑むヴィルヘルムさんに、私は顔を引きつらせる。
 お母さまが死んでいるなんて信じたくない。だけどそれを否定することもできない。

 私が最後に見たお母さまがどんな顔をしていたのか、思い出せないから。

 だけどそれでも、ヴィルヘルムさんの言葉に頷くことはできなかった。

「……お母さまが死んでいるのなら――」

 もしもお母さまが死んでいたら、私の毒のせいで死んでいるのなら、それはすべて私のせいだ。
 私が生まれてきたから、私が毒を作ったから、私がいなければお母さまは生きて、笑っていられた。

 小さい小屋に押しこまれることもなく、大好きな人の隣で、大好きな人との子供を抱きしめて、いつまでもいつまでも、ずっと続く幸せの中にいられた。

 それなのに私は勝手に眠ってると勘違いして、笑っていてほしいと身勝手なことを考えていた。
 お母さまの幸せも人生も、すべて奪っておきながら。

「――なおさら、私は死なないと駄目じゃないですか」

 それ以上は何も言えず、何も聞きたくなくて、私は走り出した。
 ただ毒が飲みたかった。だけど、生半可なものでは駄目だ。奇跡を起こせるような、すべてなかったことにできるような、そんな毒が今すぐほしい。

 だけどそんな毒はどこにもない。そんなことわかっている。
 生まれたことを消すこともできなければ、死んだことを失くすこともできない。

 私にできるのは毒を作ることだけ。
 だけどどうすればこの体は死んでくれるのだろう。どうすればこの体を殺す毒を作れるのだろう。
 答えてくれる人はいない。昔からどこにもいなかった。

「――何をしている」

 ふと聞こえてきた声に視線を動かす。
 視界に入ってきたのは、腰に携えた剣。

「私を殺してくれますか」

 心からの願いに返ってきたのは、呆れたような眼差し。
 またそんなことをいっているのか、そんな声が聞こえたような気がした。

 だけど、そんなことはどうでもいい。私を殺してくれないものに用はない。

「あら」

 次に聞こえたのは、あまり聞いたことのない声。
 銀色が視界の端で煌めいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢はお断りです

あみにあ
恋愛
あの日、初めて王子を見た瞬間、私は全てを思い出した。 この世界が前世で大好きだった小説と類似している事実を————。 その小説は王子と侍女との切ない恋物語。 そして私はというと……小説に登場する悪役令嬢だった。 侍女に執拗な虐めを繰り返し、最後は断罪されてしまう哀れな令嬢。 このまま進めば断罪コースは確定。 寒い牢屋で孤独に過ごすなんて、そんなの嫌だ。 何とかしないと。 でもせっかく大好きだった小説のストーリー……王子から離れ見られないのは悲しい。 そう思い飛び出した言葉が、王子の護衛騎士へ志願することだった。 剣も持ったことのない温室育ちの令嬢が 女の騎士がいないこの世界で、初の女騎士になるべく奮闘していきます。 そんな小説の世界に転生した令嬢の恋物語。 ●表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ●毎日21時更新(サクサク進みます) ●全四部構成:133話完結+おまけ(2021年4月2日 21時完結)  (第一章16話完結/第二章44話完結/第三章78話完結/第四章133話で完結)。

あなたに忘れられない人がいても――公爵家のご令息と契約結婚する運びとなりました!――

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※1/1アメリアとシャーロックの長女ルイーズの恋物語「【R18】犬猿の仲の幼馴染は嘘の婚約者」が完結しましたので、ルイーズ誕生のエピソードを追加しています。 ※R18版はムーンライトノベルス様にございます。本作品は、同名作品からR18箇所をR15表現に抑え、加筆修正したものになります。R15に※、ムーンライト様にはR18後日談2話あり。  元は令嬢だったが、現在はお針子として働くアメリア。彼女はある日突然、公爵家の三男シャーロックに求婚される。ナイトの称号を持つ元軍人の彼は、社交界で浮名を流す有名な人物だ。  破産寸前だった父は、彼の申し出を二つ返事で受け入れてしまい、アメリアはシャーロックと婚約することに。  だが、シャーロック本人からは、愛があって求婚したわけではないと言われてしまう。とは言え、なんだかんだで優しくて溺愛してくる彼に、だんだんと心惹かれていくアメリア。  初夜以外では手をつけられずに悩んでいたある時、自分とよく似た女性マーガレットとシャーロックが仲睦まじく映る写真を見つけてしまい――? 「私は彼女の代わりなの――? それとも――」  昔失くした恋人を忘れられない青年と、元気と健康が取り柄の元令嬢が、契約結婚を通して愛を育んでいく物語。 ※全13話(1話を2〜4分割して投稿)

愛としか

及川 瞳
恋愛
 私、加瀬千晶(かせちあき)は事故で過去の記憶をすべて失った。  私には結婚したばかりの夫、崇之(たかゆき)がいた。彼はルックスも経歴も申し分なく、記憶喪失となった私に対してもあふれるほどの愛情をもって接してくれた。けれど私には、知らない男性との生活としか思えなかった。  そんな時、私は私の記憶喪失を訝しむ一人の男性からの電話を受けた。  田上恭也(たがみきょうや)。  もちろん私は彼のことも何一つ、覚えていなかった。そんな私に彼は容赦なく云った。 「きっとあの事故が起こった日、最後に君の頭の中にいたのは俺の筈なのに」  私が忘れてしまった現実。崇之が知っていた事実。恭也が持て余す愛と思惑。  それらのすべてをつなぐ事故の真相とは……。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

どうやら私(オタク)は乙女ゲームの主人公の親友令嬢に転生したらしい

海亜
恋愛
大交通事故が起きその犠牲者の1人となった私(オタク)。 その後、私は赤ちゃんー璃杏ーに転生する。 赤ちゃんライフを満喫する私だが生まれた場所は公爵家。 だから、礼儀作法・音楽レッスン・ダンスレッスン・勉強・魔法講座!?と様々な習い事がもっさりある。 私のHPは限界です!! なのになのに!!5歳の誕生日パーティの日あることがきっかけで、大人気乙女ゲーム『恋は泡のように』通称『恋泡』の主人公の親友令嬢に転生したことが判明する。 しかも、親友令嬢には小さい頃からいろんな悲劇にあっているなんとも言えないキャラなのだ! でも、そんな未来私(オタクでかなりの人見知りと口下手)が変えてみせる!! そして、あわよくば最後までできなかった乙女ゲームを鑑賞したい!!・・・・うへへ だけど・・・・・・主人公・悪役令嬢・攻略対象の性格が少し違うような? ♔♕♖♗♘♙♚♛♜♝♞♟ 皆さんに楽しんでいただけるように頑張りたいと思います! この作品をよろしくお願いします!m(_ _)m

一途な皇帝は心を閉ざした令嬢を望む

浅海 景
恋愛
幼い頃からの婚約者であった王太子より婚約解消を告げられたシャーロット。傷心の最中に心無い言葉を聞き、信じていたものが全て偽りだったと思い込み、絶望のあまり心を閉ざしてしまう。そんな中、帝国から皇帝との縁談がもたらされ、侯爵令嬢としての責任を果たすべく承諾する。 「もう誰も信じない。私はただ責務を果たすだけ」 一方、皇帝はシャーロットを愛していると告げると、言葉通りに溺愛してきてシャーロットの心を揺らす。 傷つくことに怯えて心を閉ざす令嬢と一途に想い続ける青年皇帝の物語

処理中です...