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三十九話 聞いたことのある声

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 王城に向かっている際に見た光景でも、馬車の中からと両足で立って見るのとでは違って見える。
 人々の活気も、聞こえる声も、あの時よりも近く感じた。

 いや実際、近いのだけど。

「普段はもう少し落ちついているのだが、もうじき祭があるからそれに向けて店を構える者が増えている。まあ、そのほとんどは露店だったりするのだが……」

 ルーファス陛下の言う通り、大通りにはいくつもの露店が並んでいる。
 売っているのは食べ物だったり装飾品だったりと様々だけど、客を呼び込もうと必死なのはどこの店も変わらない。

「何か気になるものがあれば言え」

 私の歩幅に合わせて歩くルーファス陛下は堂々としたものだ。
 変装もしていなければフードを被ったりもしていない。黒い髪も赤い瞳も晒している。

 王様が城下に降りたら騒ぎになるのではと危惧した私に、ルーファス陛下は「俺の顔を知っている者などほとんどいない」と返した。国を統べる者としてどうなのかと思う。

 だけど私の場合は、どうしても妖精眼は目立ってしまうからと度の入っていない眼鏡をかけることになった。
 ヴィルヘルムさんの私物だそうで、間近から見なければ異種族の瞳であるとわからない呪いがかけられているらしい。

「……出店を見るよりも、眼鏡を失くさないかのほうが心配です」

 はるか昔の異種族は、指先ひとつで超常現象を起こすことができたそうだ。
 だけど今となっては見る影もなく、指先を動かそうと何も起きない。

 そして呪いは、はるか昔に使われていたもので、今となっては使える者はいない。

 つまり、ヴィルヘルムさんの私物であるこの眼鏡は、古代の遺物だということだ。
 いったいどれぐらいの価値があるのか。もしも買おうとしたら、想像もできないほどの金貨が必要になるだろう。

「気にするな。どうせヴィルヘルムしか使わん」
「いや、それはそうかもしれないですけど……」

 天使の血をひく王家に伝わる代物で、ヴィルヘルムさんが子供を持つ気がなければひっそりと城の宝物庫で眠るだけになるのはわかる。
 だけど、だからといって失くしていいかと言うと話は別だ。

「そもそも、借り物を失くせるわけがないじゃないですか」

 借りました、失くしました、ではヴィルヘルムさんに顔向けできない。
 私の作った毒が勝手に持ち出されるたび、悲しい気もちになった。大切なものが失くなるのがどれだけ悲しいかはよくわかっている。

「顔にかけているものを早々失くすわけがないだろう。せっかく外に出たんだ。眼鏡よりも、店を気にしろ」
「そりゃあ、まあ……ルーファス陛下がかけてるわけじゃないから気にならないかもしれないですけど……」
「……いや、店よりも先に気にするべきことがあったな。俺の顔はあまり知られていないが、さすがに陛下と呼ばれるのは困る」

 アドフィル帝国で陛下という呼称が差すのは一人だけ。
 しかも暴君として知られているため、冗談でも他の誰かを陛下と呼ぶ人はいないだろう。

「えぇと……では、ルーファス様、で?」
「それではまるでお前が俺の付き人みたいだが……まあいいだろう」

 頷くルーファス陛下に胸を撫で下ろす。

 そして、どうして彼の呼び名ぐらいで安心しなければいけないのかと首を傾げた。

 別にルーファス陛下をどう呼ぼうと、私の勝手なような気がする。
 むしろ反感を買うためには、陛下としつこく呼ぶほうがいいような。

 でも、私が彼の言葉に従わなかったとしても、首を切ってくれはしないのだろう。
 これまで散々なことをしたのに殺されなかったのは、多分私に恩義を感じていたからかもしれない。
 私はハス草の毒を治療したことしか覚えていなかったけど、ルーファス陛下はしっかり覚えていた。

 どうしてルーファス陛下があんなところにいたのかはわからない。だけど恩義を感じるには十分な出来事だったのだろう。

「買いたいものがあるなら気にせず言え。小遣いはあるだけ持ってきてある」
「小遣い制なんですか?」
「ああ。そうでもしないと金を使わないからとか言われてな。……まあそれでも、使っていなかったが」

 なんだろう。話せば話すほど、本当にこの人が王様でいいのかと思ってしまう。
 暴君と呼ばれている時点で駄目なのかもしれないけど、顔を知られていなかったり小遣い制だったりと、色々と駄目な気がする。

「そのうち、お前用の予算も割り当てられるだろう。小言を聞き流せるのなら気にしなくていいが、癇に障るようだったらなんでもいいから消費しろ」
「多分それ、聞き流したら駄目なやつだと思います」

 ヴィルヘルムさんはこの国の宰相で、宰相が王に小言を言うほどなら、絶対に使わないといけない予算だと思う。

「……まあ、なんだかんだ言いながらあいつが割り振ってくれるからな。一応、使われていないわけではない。俺が個人的に使わないだけだ」

 ヴィルヘルムさんの苦労が偲ばれる。
 毒ではないから気が乗らないけど、胃薬でも調合してあげよう。

「ええと……それではルーファス様。あちらのお店を覗いてもいいですか?」
「生薬の店か……。まあ、いいだろう」

 少し悩んでから鷹揚に頷くルーファス陛下。
 そして一緒に、生薬を並べている出店を覗く。

 質は悪くもないが、良くもない。だけど取り扱っている種類は多く――毒の材料になりそうなものはないけど――必要なものを選んでいく。

「それを何に使うんだ?」
「胃薬でも調合しようかと」
「……どこか悪いのか?」
「いえ、ヴィルヘルムさんに」

 ずいぶんと質問が多い。生薬を買っているのだから薬を作るのは当然だろうに、わざわざ聞くほどのことだろうか。

「胃を悪くしているという報告は受けていないが……」
「悪くならないようにするためのものを作るんです」

 ルーファス陛下の意味があるのかわからない問いかけに返しながら、選んだものを店主に伝える。
 そして釣りはいらないとばかりに差し出された銀貨に、店主の目が白黒と変わった。

 この人本当は正体を隠す気がないのでは。


 そのあとは適当に見て周り、帰路に着く。
 城門まであと少しというところで、ルーファス陛下の足が止まった。

「人の多いところで言うのは憚れたので黙っていたのだが……」

 そんな前置きを置いて、ルーファス陛下が真剣な眼差しを私に向ける。
 何かおかしなことをした気はない。だけど私は森を出たことがない世間知らずだから、おかしなことをしていてもそうと気づけない。

 だから身構えて、ルーファス陛下の言葉を待った。

「思うに……エイシュケルの薬姫は――」

 その先を聞くことはできなかった。

「ライラ!」

 ルーファス陛下の声を遮るように、耳に慣れない、だけどたしかに聞き覚えのある女性の声が私の名前を呼んだから。
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