40 / 62
三十九話 聞いたことのある声
しおりを挟む
王城に向かっている際に見た光景でも、馬車の中からと両足で立って見るのとでは違って見える。
人々の活気も、聞こえる声も、あの時よりも近く感じた。
いや実際、近いのだけど。
「普段はもう少し落ちついているのだが、もうじき祭があるからそれに向けて店を構える者が増えている。まあ、そのほとんどは露店だったりするのだが……」
ルーファス陛下の言う通り、大通りにはいくつもの露店が並んでいる。
売っているのは食べ物だったり装飾品だったりと様々だけど、客を呼び込もうと必死なのはどこの店も変わらない。
「何か気になるものがあれば言え」
私の歩幅に合わせて歩くルーファス陛下は堂々としたものだ。
変装もしていなければフードを被ったりもしていない。黒い髪も赤い瞳も晒している。
王様が城下に降りたら騒ぎになるのではと危惧した私に、ルーファス陛下は「俺の顔を知っている者などほとんどいない」と返した。国を統べる者としてどうなのかと思う。
だけど私の場合は、どうしても妖精眼は目立ってしまうからと度の入っていない眼鏡をかけることになった。
ヴィルヘルムさんの私物だそうで、間近から見なければ異種族の瞳であるとわからない呪いがかけられているらしい。
「……出店を見るよりも、眼鏡を失くさないかのほうが心配です」
はるか昔の異種族は、指先ひとつで超常現象を起こすことができたそうだ。
だけど今となっては見る影もなく、指先を動かそうと何も起きない。
そして呪いは、はるか昔に使われていたもので、今となっては使える者はいない。
つまり、ヴィルヘルムさんの私物であるこの眼鏡は、古代の遺物だということだ。
いったいどれぐらいの価値があるのか。もしも買おうとしたら、想像もできないほどの金貨が必要になるだろう。
「気にするな。どうせヴィルヘルムしか使わん」
「いや、それはそうかもしれないですけど……」
天使の血をひく王家に伝わる代物で、ヴィルヘルムさんが子供を持つ気がなければひっそりと城の宝物庫で眠るだけになるのはわかる。
だけど、だからといって失くしていいかと言うと話は別だ。
「そもそも、借り物を失くせるわけがないじゃないですか」
借りました、失くしました、ではヴィルヘルムさんに顔向けできない。
私の作った毒が勝手に持ち出されるたび、悲しい気もちになった。大切なものが失くなるのがどれだけ悲しいかはよくわかっている。
「顔にかけているものを早々失くすわけがないだろう。せっかく外に出たんだ。眼鏡よりも、店を気にしろ」
「そりゃあ、まあ……ルーファス陛下がかけてるわけじゃないから気にならないかもしれないですけど……」
「……いや、店よりも先に気にするべきことがあったな。俺の顔はあまり知られていないが、さすがに陛下と呼ばれるのは困る」
アドフィル帝国で陛下という呼称が差すのは一人だけ。
しかも暴君として知られているため、冗談でも他の誰かを陛下と呼ぶ人はいないだろう。
「えぇと……では、ルーファス様、で?」
「それではまるでお前が俺の付き人みたいだが……まあいいだろう」
頷くルーファス陛下に胸を撫で下ろす。
そして、どうして彼の呼び名ぐらいで安心しなければいけないのかと首を傾げた。
別にルーファス陛下をどう呼ぼうと、私の勝手なような気がする。
むしろ反感を買うためには、陛下としつこく呼ぶほうがいいような。
でも、私が彼の言葉に従わなかったとしても、首を切ってくれはしないのだろう。
これまで散々なことをしたのに殺されなかったのは、多分私に恩義を感じていたからかもしれない。
私はハス草の毒を治療したことしか覚えていなかったけど、ルーファス陛下はしっかり覚えていた。
どうしてルーファス陛下があんなところにいたのかはわからない。だけど恩義を感じるには十分な出来事だったのだろう。
「買いたいものがあるなら気にせず言え。小遣いはあるだけ持ってきてある」
「小遣い制なんですか?」
「ああ。そうでもしないと金を使わないからとか言われてな。……まあそれでも、使っていなかったが」
なんだろう。話せば話すほど、本当にこの人が王様でいいのかと思ってしまう。
暴君と呼ばれている時点で駄目なのかもしれないけど、顔を知られていなかったり小遣い制だったりと、色々と駄目な気がする。
「そのうち、お前用の予算も割り当てられるだろう。小言を聞き流せるのなら気にしなくていいが、癇に障るようだったらなんでもいいから消費しろ」
「多分それ、聞き流したら駄目なやつだと思います」
ヴィルヘルムさんはこの国の宰相で、宰相が王に小言を言うほどなら、絶対に使わないといけない予算だと思う。
「……まあ、なんだかんだ言いながらあいつが割り振ってくれるからな。一応、使われていないわけではない。俺が個人的に使わないだけだ」
ヴィルヘルムさんの苦労が偲ばれる。
毒ではないから気が乗らないけど、胃薬でも調合してあげよう。
「ええと……それではルーファス様。あちらのお店を覗いてもいいですか?」
「生薬の店か……。まあ、いいだろう」
少し悩んでから鷹揚に頷くルーファス陛下。
そして一緒に、生薬を並べている出店を覗く。
質は悪くもないが、良くもない。だけど取り扱っている種類は多く――毒の材料になりそうなものはないけど――必要なものを選んでいく。
「それを何に使うんだ?」
「胃薬でも調合しようかと」
「……どこか悪いのか?」
「いえ、ヴィルヘルムさんに」
ずいぶんと質問が多い。生薬を買っているのだから薬を作るのは当然だろうに、わざわざ聞くほどのことだろうか。
「胃を悪くしているという報告は受けていないが……」
「悪くならないようにするためのものを作るんです」
ルーファス陛下の意味があるのかわからない問いかけに返しながら、選んだものを店主に伝える。
そして釣りはいらないとばかりに差し出された銀貨に、店主の目が白黒と変わった。
この人本当は正体を隠す気がないのでは。
そのあとは適当に見て周り、帰路に着く。
城門まであと少しというところで、ルーファス陛下の足が止まった。
「人の多いところで言うのは憚れたので黙っていたのだが……」
そんな前置きを置いて、ルーファス陛下が真剣な眼差しを私に向ける。
何かおかしなことをした気はない。だけど私は森を出たことがない世間知らずだから、おかしなことをしていてもそうと気づけない。
だから身構えて、ルーファス陛下の言葉を待った。
「思うに……エイシュケルの薬姫は――」
その先を聞くことはできなかった。
「ライラ!」
ルーファス陛下の声を遮るように、耳に慣れない、だけどたしかに聞き覚えのある女性の声が私の名前を呼んだから。
人々の活気も、聞こえる声も、あの時よりも近く感じた。
いや実際、近いのだけど。
「普段はもう少し落ちついているのだが、もうじき祭があるからそれに向けて店を構える者が増えている。まあ、そのほとんどは露店だったりするのだが……」
ルーファス陛下の言う通り、大通りにはいくつもの露店が並んでいる。
売っているのは食べ物だったり装飾品だったりと様々だけど、客を呼び込もうと必死なのはどこの店も変わらない。
「何か気になるものがあれば言え」
私の歩幅に合わせて歩くルーファス陛下は堂々としたものだ。
変装もしていなければフードを被ったりもしていない。黒い髪も赤い瞳も晒している。
王様が城下に降りたら騒ぎになるのではと危惧した私に、ルーファス陛下は「俺の顔を知っている者などほとんどいない」と返した。国を統べる者としてどうなのかと思う。
だけど私の場合は、どうしても妖精眼は目立ってしまうからと度の入っていない眼鏡をかけることになった。
ヴィルヘルムさんの私物だそうで、間近から見なければ異種族の瞳であるとわからない呪いがかけられているらしい。
「……出店を見るよりも、眼鏡を失くさないかのほうが心配です」
はるか昔の異種族は、指先ひとつで超常現象を起こすことができたそうだ。
だけど今となっては見る影もなく、指先を動かそうと何も起きない。
そして呪いは、はるか昔に使われていたもので、今となっては使える者はいない。
つまり、ヴィルヘルムさんの私物であるこの眼鏡は、古代の遺物だということだ。
いったいどれぐらいの価値があるのか。もしも買おうとしたら、想像もできないほどの金貨が必要になるだろう。
「気にするな。どうせヴィルヘルムしか使わん」
「いや、それはそうかもしれないですけど……」
天使の血をひく王家に伝わる代物で、ヴィルヘルムさんが子供を持つ気がなければひっそりと城の宝物庫で眠るだけになるのはわかる。
だけど、だからといって失くしていいかと言うと話は別だ。
「そもそも、借り物を失くせるわけがないじゃないですか」
借りました、失くしました、ではヴィルヘルムさんに顔向けできない。
私の作った毒が勝手に持ち出されるたび、悲しい気もちになった。大切なものが失くなるのがどれだけ悲しいかはよくわかっている。
「顔にかけているものを早々失くすわけがないだろう。せっかく外に出たんだ。眼鏡よりも、店を気にしろ」
「そりゃあ、まあ……ルーファス陛下がかけてるわけじゃないから気にならないかもしれないですけど……」
「……いや、店よりも先に気にするべきことがあったな。俺の顔はあまり知られていないが、さすがに陛下と呼ばれるのは困る」
アドフィル帝国で陛下という呼称が差すのは一人だけ。
しかも暴君として知られているため、冗談でも他の誰かを陛下と呼ぶ人はいないだろう。
「えぇと……では、ルーファス様、で?」
「それではまるでお前が俺の付き人みたいだが……まあいいだろう」
頷くルーファス陛下に胸を撫で下ろす。
そして、どうして彼の呼び名ぐらいで安心しなければいけないのかと首を傾げた。
別にルーファス陛下をどう呼ぼうと、私の勝手なような気がする。
むしろ反感を買うためには、陛下としつこく呼ぶほうがいいような。
でも、私が彼の言葉に従わなかったとしても、首を切ってくれはしないのだろう。
これまで散々なことをしたのに殺されなかったのは、多分私に恩義を感じていたからかもしれない。
私はハス草の毒を治療したことしか覚えていなかったけど、ルーファス陛下はしっかり覚えていた。
どうしてルーファス陛下があんなところにいたのかはわからない。だけど恩義を感じるには十分な出来事だったのだろう。
「買いたいものがあるなら気にせず言え。小遣いはあるだけ持ってきてある」
「小遣い制なんですか?」
「ああ。そうでもしないと金を使わないからとか言われてな。……まあそれでも、使っていなかったが」
なんだろう。話せば話すほど、本当にこの人が王様でいいのかと思ってしまう。
暴君と呼ばれている時点で駄目なのかもしれないけど、顔を知られていなかったり小遣い制だったりと、色々と駄目な気がする。
「そのうち、お前用の予算も割り当てられるだろう。小言を聞き流せるのなら気にしなくていいが、癇に障るようだったらなんでもいいから消費しろ」
「多分それ、聞き流したら駄目なやつだと思います」
ヴィルヘルムさんはこの国の宰相で、宰相が王に小言を言うほどなら、絶対に使わないといけない予算だと思う。
「……まあ、なんだかんだ言いながらあいつが割り振ってくれるからな。一応、使われていないわけではない。俺が個人的に使わないだけだ」
ヴィルヘルムさんの苦労が偲ばれる。
毒ではないから気が乗らないけど、胃薬でも調合してあげよう。
「ええと……それではルーファス様。あちらのお店を覗いてもいいですか?」
「生薬の店か……。まあ、いいだろう」
少し悩んでから鷹揚に頷くルーファス陛下。
そして一緒に、生薬を並べている出店を覗く。
質は悪くもないが、良くもない。だけど取り扱っている種類は多く――毒の材料になりそうなものはないけど――必要なものを選んでいく。
「それを何に使うんだ?」
「胃薬でも調合しようかと」
「……どこか悪いのか?」
「いえ、ヴィルヘルムさんに」
ずいぶんと質問が多い。生薬を買っているのだから薬を作るのは当然だろうに、わざわざ聞くほどのことだろうか。
「胃を悪くしているという報告は受けていないが……」
「悪くならないようにするためのものを作るんです」
ルーファス陛下の意味があるのかわからない問いかけに返しながら、選んだものを店主に伝える。
そして釣りはいらないとばかりに差し出された銀貨に、店主の目が白黒と変わった。
この人本当は正体を隠す気がないのでは。
そのあとは適当に見て周り、帰路に着く。
城門まであと少しというところで、ルーファス陛下の足が止まった。
「人の多いところで言うのは憚れたので黙っていたのだが……」
そんな前置きを置いて、ルーファス陛下が真剣な眼差しを私に向ける。
何かおかしなことをした気はない。だけど私は森を出たことがない世間知らずだから、おかしなことをしていてもそうと気づけない。
だから身構えて、ルーファス陛下の言葉を待った。
「思うに……エイシュケルの薬姫は――」
その先を聞くことはできなかった。
「ライラ!」
ルーファス陛下の声を遮るように、耳に慣れない、だけどたしかに聞き覚えのある女性の声が私の名前を呼んだから。
10
お気に入りに追加
332
あなたにおすすめの小説
命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
転生おばさんは有能な侍女
吉田ルネ
恋愛
五十四才の人生あきらめモードのおばさんが転生した先は、可憐なお嬢さまの侍女でした
え? 婚約者が浮気? え? 国家転覆の陰謀?
転生おばさんは忙しい
そして、新しい恋の予感……
てへ
豊富な(?)人生経験をもとに、お嬢さまをおたすけするぞ!
異世界で王城生活~陛下の隣で~
遥
恋愛
女子大生の友梨香はキャンピングカーで一人旅の途中にトラックと衝突して、谷底へ転落し死亡した。けれど、気が付けば異世界に車ごと飛ばされ王城に落ちていた。神様の計らいでキャンピングカーの内部は電気も食料も永久に賄えるられる事になった。
グランティア王国の人達は異世界人の友梨香を客人として迎え入れてくれて。なぜか保護者となった国陛下シリウスはやたらと構ってくる。一度死んだ命だもん、これからは楽しく生きさせて頂きます!
※キャンピングカー、魔石効果などなどご都合主義です。
※のんびり更新。他サイトにも投稿しております。
モブ令嬢は白旗など掲げない
セイラ
恋愛
私はとある異世界に転生した。
その世界は生前の乙女ゲーム。私の位置は攻略対象の義姉であり、モブ令嬢だった。
しかしこのモブ令嬢に幸せな終わりはない。悪役令嬢にこき使われ、挙げ句の果てに使い捨てなのだ。私は破滅に進みたくなどない。
こうなれば自ら防ぐのみ!様々な問題に首を突っ込んでしまうが、周りに勘違いをされ周りに人が集まってしまう。
そんな転生の物語です。
【完結】聖女召喚に巻き込まれたバリキャリですが、追い出されそうになったのでお金と魔獣をもらって出て行きます!
チャららA12・山もり
恋愛
二十七歳バリバリキャリアウーマンの鎌本博美(かまもとひろみ)が、交差点で後ろから背中を押された。死んだと思った博美だが、突如、異世界へ召喚される。召喚された博美が発した言葉を誤解したハロルド王子の前に、もうひとりの女性が現れた。博美の方が、聖女召喚に巻き込まれた一般人だと決めつけ、追い出されそうになる。しかし、バリキャリの博美は、そのまま追い出されることを拒否し、彼らに慰謝料を要求する。
お金を受け取るまで、博美は屋敷で暮らすことになり、数々の騒動に巻き込まれながら地下で暮らす魔獣と交流を深めていく。
【完結】もったいないですわ!乙女ゲームの世界に転生した悪役令嬢は、今日も生徒会活動に勤しむ~経済を回してる?それってただの無駄遣いですわ!~
鬼ヶ咲あちたん
恋愛
内容も知らない乙女ゲームの世界に転生してしまった悪役令嬢は、ヒロインや攻略対象者たちを放って今日も生徒会活動に勤しむ。もったいないおばけは日本人の心! まだ使える物を捨ててしまうなんて、もったいないですわ! 悪役令嬢が取り組む『もったいない革命』に、だんだん生徒会役員たちは巻き込まれていく。「このゲームのヒロインは私なのよ!?」荒れるヒロインから一方的に恨まれる悪役令嬢はどうなってしまうのか?
【完結済】私、地味モブなので。~転生したらなぜか最推し攻略対象の婚約者になってしまいました~
降魔 鬼灯
恋愛
マーガレット・モルガンは、ただの地味なモブだ。前世の最推しであるシルビア様の婚約者を選ぶパーティーに参加してシルビア様に会った事で前世の記憶を思い出す。 前世、人生の全てを捧げた最推し様は尊いけれど、現実に存在する最推しは…。 ヒロインちゃん登場まで三年。早く私を救ってください。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる