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十八話 皇帝2

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 もしもあの誘いに応じていなければ、色々なことが違っていただろう。だがルーファスは悪魔の囁きに乗り、玉座を血で染めた。

 王になろうなどと考えていたわけではない。
 ただ母を殺した皇帝を殺し、母の死に関与した者も殺し、刃を向けてきた兄弟を殺し――気づけばルーファスは、自分に何がなせるのかわからないまま玉座に座っていた。

 ルーファスの父である先代皇帝は攻め入ることには熱心だったが、その管理に興味はなかったようで、すべて人任せにしていた。
 結果、それぞれの国で方針が異なり、管理された者の中には甘い汁を吸おうと勝手な動きをしている者までいる始末だった。
 余計なものを処分し、恐れる者は城を去り――それぞれの国に課す法の整備など、さまざまな利権に関する書類がルーファスのもとに届けられた。

「陛下、吉報です。妃が決まりました」

 玉座についてからというもの、日々書類に追われるようになったルーファスに、ふと思い出したかのようにヴィルヘルムが言った。

「お前のか?」
「ご冗談を。陛下のですよ」

 ルーファスが顔を上げると、まるで世間話の一環であるかのような、何食わぬ顔がそこにあった。
 眼鏡の奥で瞬く瞳は、天使の血をひいている証だ。

「……どういうことだ」
「陛下はすでに二十。そろそろ妃を持ち、子をなす努力をするべき年齢です。我々基準でいえば遅いぐらいですが……」
「俺は妃を持つ気はない」

 ルーファスは王になりたいなどと思ったことはない。だから当然、妃を得たいと思ったこともない。

「それは難しいかと。現在、こちらに嫁ぐために移動している最中でしょうから」
「…………どこから持ってきた」

 よぎるのは、噎せ返るような匂いとその中で笑っていた少女の姿。
 嫌な予感に、自然とペンを持っていた手に力がこもった。

「エイシュケル王国から。領土を返還するように言われましたが、こちらもただで返すわけにはいきませんので」
「勝手なことをするな!」

 ペンが折れるが、ヴィルヘルムの顔色は変わらない。
 彼からしてみれば、それが最良の選択だったのだろう。ルーファスにとっては最悪だが。

「陛下が気にかけていた女人ですから、きっと気に入りますよ。それに妖精の血をひく姫君を迎えることができれば民も納得するでしょうし、得しかありません」
「ならばいっそ、お前が娶ればいいだろう」

 ヴィルヘルムは玉座の正当な後継者だ。
 天使を血を根絶やしにするのは気が引けたのか、民からの反発を恐れてかはわからないが、殺されることなく幽閉されていた。
 帝国を継ぐ権利を持っているにも関わらず、皇帝などという面倒な職に就きたくないからと、ルーファスの補佐を務めている。

「お前が皇帝になると宣言すれば民も納得する。その上で、エイシュケルの姫君を娶ればいいだろう」
「それができないことは、陛下もご存じでしょう。我々異種族の血をひく者は、唯人との間でしか子をなせないのですから」

 かつてこの地にいた様々な種族は同種、あるいは異種族との間に子をなして力を蓄え、神の座を目指したという逸話が残されている。
 そしてそれゆえに神の怒りを買い、力のない唯人との間でしか子をなせなくなったとも言われている。

 それがどこまで事実であるかはわからないが、特別な血を持つ者は、唯人との間でしか子を作れないのは確かだった。
 天使や妖精の血は着実に薄まり、今ではただ体が頑丈だとか、腕力に優れているだとか、そういった特色しか残されていない。

「それに妖精の血をひく者は丈夫ですからね。並大抵のことではお亡くなりにならないでしょうし、陛下の希望にも沿ったよい人選だと我ながら自負しております」
「人選という意味でなら最悪だ。……まあいい、すぐに帰せば問題ない」
「それはできません。陛下と姫君の婚姻はすでに成立しておりますので」

 さらりと告げられた事実に、ルーファスは頭が痛くなるのを感じた。

「俺は承諾した覚えはない」
「王族の婚姻は本人の同意がなくても成立します。僭越ながら、補佐である私が署名させていただきました」

 ずきずきと痛むこめかみを押さえて、悪びれなく言うヴィルヘルムをルーファスは睨みつける。

「そんなものは無効だ」
「正式に受理されたものを無効にするのは難しいかと」
「どうして受理されているんだ! 俺は同意していないぞ!」

 目を通してすらいない書類など、破り捨ててもいいくらいだ。
 そもそも、本人の同意なく結婚できることが間違っている。
 抱いた苛立ちを表すかのようにルーファスは唸るように言う。

「いつか絶対に、その悪法を正してやる」
「まずは配下にある国の整備からとなりますので、諦めてエイシュケル王国から来られる姫君を迎え入れてください」

 書類は受理され、ヴィルヘルムに引く気はない。だが、だからといってルーファスが素直に受け入れるかというと話は別だ。
 彼は妃を迎えるつもりはない。ましてやそれが、エイシュケル王国の姫君であれば、なおさら迎えたくはなかった。

「それにエイシュケル王国の姫君は薬姫と呼ばれているそうですから、帝国の助けとなるでしょう」
「薬……?」

 毒の間違いではないのか、と思いはしたが口にすることはなかった。
 毒も薬も表裏一体。薬姫と呼ばれていても、おかしくはないと思ってしまったからだ。
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