なんでも思い通りにしないと気が済まない妹から逃げ出したい

木崎優

文字の大きさ
上 下
35 / 47

35.挨拶

しおりを挟む
「クラリス」

 この家にノックもなく扉を開ける使用人はいない。たとえ主が不在だと思っていても、確認ぐらいはしてくれるはず。
 そして扉の向こうから飛びこんできた素っ頓狂な声に、思わずため息が出そうになった。

「こんな時間に……それに、そちらは?」

 困惑した顔のお父様が、視線を私と、椅子に座ったままのノエルの間を行き来させる。

「入り用なものを取りに来ただけよ」
「……なら正面から入ってくればいいだろう。物音がするから、泥棒でも入ったと思ったぞ」

 まあたしかに、誰もいないはずの部屋から音がしたら、泥棒を疑うのも無理はないかもしれない。
 それについては正面から帰ってこなかった私が悪い。だけどそもそも、誰とも会わず家を出るつもりだった。
 物が減ったことに関しては書置きのひとつでも残しておけばいいだろう、と思って。

「まったく……アニエスの言う通りか」

 はあ、と大きなため息を共に出てきた妹の名前に、頬が引きつる。

「アニエスが、何を言ったの?」
「自棄になっていると……お前はしっかりしているから、そんなことはないと思っていたが、こんな泥棒の真似事をするとは……」

 正気とは思えない。とまでは言われていないが、お父様の目には落胆の色が見える。
 たしかに、普通に帰ってこなかった私が悪い。そんなのはわかってる。
 だけど、そんなに落胆されることだろうか。私が私の部屋で、私の物をどうしようと、私の勝手ではないだろうか。

 持っていく用に選んだ服もアクセサリーも、ジルからのお小遣い――もとい、弟子の給料で買ったものだけ。
 買い与えられたわけでも、買ってもらったものでもない、私の物なのに。

「お初にお目にかかります」

 変わらない、淡々とした声が部屋に響く。
 椅子に座っていたはずのノエルがいつの間にか私の横に立ち、お父様を見ていた。

「僕は魔術師フロランの弟子、ノエルと申します。先日より彼女とお付き合いさせてもらっていまして……娘さんを僕にいただけますか?」

 小さくノエルの首が傾き、肩にかけられていた黒髪がさらりと落ちる。
 唐突な要求に、お父様が目を丸くした。だけどそれは一瞬で、すぐに唇をわなわなと震わせはじめる。

「な、何を突然……そう言われて、はいどうぞと答えられるはずがないだろう」
「そうですか、それは残念です。……ですが、すでに結婚を前提としたお付き合いをさせてもらっていますので、娘さんは僕がいただきます」

 はっきりとそう断言すると、まとめ終わった鞄と私を抱えて、何食わぬ顔で窓を出て、そのままバルコニーを飛び降りた。
 落下の衝撃を想像し、ぎゅっと目をつむってノエルの首にしがみつく。だけど思ったような衝撃は訪れず、代わりにふわりと体が浮く感覚がした。

「荷物はこれで全部でよかったですか?」

 落下が終わる感覚がして、目を開ける。手に持った鞄を少し持ち上げながら首を傾げているノエルが見えた。

「え、ええ、はい、だい、じょうぶよ」

 ノエルの顔は、いつもとまったく同じ。水面が揺れることもなければ、血色がよくなったりもしていない。
 ついさっき、拉致宣言をした人とはとうてい思えない顔がすぐそばにある。

「あの、先ほどの、は?」
「先ほどの? ……ああ、結婚の挨拶をする際の常套句のことですか?」
「常套句なの……? あまり、聞いたことはないけど」
「おや、そうですか。それなら最初から、結婚しますとだけ言えばよかったですね」

 そもそも、貴族の結婚は両家の親同士が決めてくるのが大半で、当人同士が気に入っての場合も、親が相手の家に話を通したりする。
 だから、わざわざもらいますと挨拶することはほとんどない。

「……自棄になっているとか言ってたのは、気にならなかったの?」

 挨拶もそうだけど、何よりもノエルの宣言は話の流れにも状況にも、噛み合っているとは言えなかった。
 だって普通、自棄になっていると聞けばそんなことはない、と説得するものじゃないのだろうか。

「気になりませんね。大切なのは、あなたがこうして僕の手の中にいることだけですよ」

 そう言って、ノエルが私を抱きしめる力が少し強くなったような気がした。
しおりを挟む
感想 31

あなたにおすすめの小説

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

婚約破棄されて追放された私、今は隣国で充実な生活送っていますわよ? それがなにか?

鶯埜 餡
恋愛
 バドス王国の侯爵令嬢アメリアは無実の罪で王太子との婚約破棄、そして国外追放された。  今ですか?  めちゃくちゃ充実してますけど、なにか?

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

婚約者を義妹に奪われましたが貧しい方々への奉仕活動を怠らなかったおかげで、世界一大きな国の王子様と結婚できました

青空あかな
恋愛
アトリス王国の有名貴族ガーデニー家長女の私、ロミリアは亡きお母様の教えを守り、回復魔法で貧しい人を治療する日々を送っている。 しかしある日突然、この国の王子で婚約者のルドウェン様に婚約破棄された。 「ロミリア、君との婚約を破棄することにした。本当に申し訳ないと思っている」 そう言う(元)婚約者が新しく選んだ相手は、私の<義妹>ダーリー。さらには失意のどん底にいた私に、実家からの追放という仕打ちが襲い掛かる。 実家に別れを告げ、国境目指してトボトボ歩いていた私は、崖から足を踏み外してしまう。 落ちそうな私を助けてくれたのは、以前ケガを治した旅人で、彼はなんと世界一の超大国ハイデルベルク王国の王子だった。そのままの勢いで求婚され、私は彼と結婚することに。 一方、私がいなくなったガーデニー家やルドウェン様の評判はガタ落ちになる。そして、召使いがいなくなったガーデニー家に怪しい影が……。 ※『小説家になろう』様と『カクヨム』様でも掲載しております

従姉妹に婚約者を奪われました。どうやら玉の輿婚がゆるせないようです

hikari
恋愛
公爵ご令息アルフレッドに婚約破棄を言い渡された男爵令嬢カトリーヌ。なんと、アルフレッドは従姉のルイーズと婚約していたのだ。 ルイーズは伯爵家。 「お前に侯爵夫人なんて分不相応だわ。お前なんか平民と結婚すればいいんだ!」 と言われてしまう。 その出来事に学園時代の同級生でラーマ王国の第五王子オスカルが心を痛める。 そしてオスカルはカトリーヌに惚れていく。

妹に全てを奪われた令嬢は第二の人生を満喫することにしました。

バナナマヨネーズ
恋愛
四大公爵家の一つ。アックァーノ公爵家に生まれたイシュミールは双子の妹であるイシュタルに慕われていたが、何故か両親と使用人たちに冷遇されていた。 瓜二つである妹のイシュタルは、それに比べて大切にされていた。 そんなある日、イシュミールは第三王子との婚約が決まった。 その時から、イシュミールの人生は最高の瞬間を経て、最悪な結末へと緩やかに向かうことになった。 そして……。 本編全79話 番外編全34話 ※小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。

逆行転生した侯爵令嬢は、自分を裏切る予定の弱々婚約者を思う存分イジメます

黄札
恋愛
侯爵令嬢のルーチャが目覚めると、死ぬひと月前に戻っていた。 ひと月前、婚約者に近づこうとするぶりっ子を撃退するも……中傷だ!と断罪され、婚約破棄されてしまう。婚約者の公爵令息をぶりっ子に奪われてしまうのだ。くわえて、不貞疑惑まででっち上げられ、暗殺される運命。 目覚めたルーチャは暗殺を回避しようと自分から婚約を解消しようとする。弱々婚約者に無理難題を押しつけるのだが…… つよつよ令嬢ルーチャが冷静沈着、鋼の精神を持つ侍女マルタと運命を変えるために頑張ります。よわよわ婚約者も成長するかも? 短いお話を三話に分割してお届けします。 この小説は「小説家になろう」でも掲載しています。

処理中です...