なんでも思い通りにしないと気が済まない妹から逃げ出したい

木崎優

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31.ほんの少しでいいから2

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 ゆっくりとノエルの首が傾く。どうかしたのかと問いかけてきた時よりも深く。
 何を言われたのかよくわからない。そんな感じの仕草に、自分の馬鹿さ加減に穴があったら入りたくなる。

「ごめんなさい。今のは忘れてください」

 穴がないので代わりに顔を覆い、俯きながら言う。本当に、何を言っているんだ自分は。

「残念ながら記憶力には自信があるので、忘れるのは無理だと思います」
「そこは嘘でもはいとかわかりましたと言ってくれるだけでいいんです」

 絶対に嘘だってわかりながらも、忘れたていで話を進められる。いや、進めるというよりは逸らすのほうが正しいと思うけど。

「どうしてなのかを聞いてもいいですか?」
「……ノエルを笑わせてみたいと思いました」

 完全に忘れる気のないノエルに、これ以上は押し問答になると察した私は、渋々と本当に渋々と白状した。
 口にしてみて、あらためて思う。私はいったい何を考えているのかと。

「僕を、ですか?」
「はい。ノエルを」

 覆っていた手を外してノエルを見ると、首が正位置に戻っていた。
 ノエルはじっと私を見つめながら、顎に指を添える。何かを考えるように。そうして少しの間を置いて、小さく頷いた。

「練習しておきます」
「練習しないと駄目なことなんですか」
「そうですね。長らく笑ったことがないもので……できる限り自然に笑えるように頑張ってみようと思います」

 違う。それは違う。間違っている。
 私はノエルが笑っているところを見たいわけではない。
 私がノエルを笑わせたい。それは練習してできあがったものでは意味がないし、作られたものでも意味がない。

「最後に笑ったのはいつですか?」

 だから、頑張るのはノエルではなく、私だ。
 ノエルが何を面白いと感じるのか。それがわかれば、笑わせる方法も思いつくかもしれない。

 そう思って聞いたのに、返ってきたのは予想もしていなかった答えだった。

「覚えていませんが……道理のわからない赤子の頃であれば笑ったかもしれませんね」
「物心ついてからは?」
「覚えている限りはありません」

 ノエルを笑わせることは無理かもしれない。一瞬で、そう察してしまった。
 いやだって、そんなことがありえるのだろうか。ノエルは私と同じか、少し上ぐらい。ということは、十八年以上生きているはずだ。
 それなのに一度も笑ったことがないなんて。

「面白いと思ったことはありますか?」
「ありますよ。あなたと共にいる時間は、楽しくもあり面白くもあります」
「嬉しいと思ったことは?」
「あなたに求婚された時と、こうしてあなたと過ごしている間ずっとですね」
「くすぐられたことは?」
「それはありませんね」
「くすぐってもいいですか」
「構いませんよ」

 ノエルが「どうぞ」と言うように腕を広げる。
 馬車の揺れに気をつけながら席を立ち、ノエルに手の届く距離で屈みこむ。
 くすぐってどうにかなる問題なのかはわからないけど、何事も挑戦だ。さてこの場合、どこをくすぐるのが一番笑えるだろうか。首か、脇腹か。

 定番な場所といえば脇腹だけど、服の上からでくすぐられても笑ってしまうほどかはわからない。なら服の下から直接――そこまで考えて、伸ばしかけた手が止まる。

 何を考えているんだ、自分は。どうにか笑わせられないかムキになったとはいえ、発想がはしたないを飛び越えて痴女一歩手前だ。

「すみません、やっぱり忘れてください」
「いいんですか?」
「はい、どうかしていました」

 おとなしく、元の位置に戻る。よくよく考えてみたら、くすぐって笑わせるのも何か違う。
 ノエルには、無理矢理ではなく、本当に自然に笑ってもらいたいような気がする。

「残念です」

 自らの醜態を反省し、方向性を正そうとしていた私の耳に、小さな呟きが届いた。
 何が、と思った私が俯きかけていた顔を上げると、少しだけ水色の瞳が細まっていた。
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