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19.二人の時間2
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しばらくして、馬車が止まった。ノエルの後に続いて外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。
「ここは……」
足元に広がるのは、絨毯のように敷き詰められた緑。開けた場所で、少し遠くに城下町の灯りがぽつぽつと見えた。
位置関係からすると、王都の近くにある丘だろう。春になれば色とりどりの花が咲き、ちょっとした遠出に利用されることが多い。
どうしてそんなところに、と思いながらノエルを見上げる。
「僕ではなく、空を見ていただけますか?」
ノエルの言葉に従い空を見ると、丸い月の周りでいくつもの星が瞬いていた。
そのうちのひとつが夜空を駆け、またひとつ、またひとつ、といくつもの星が空を流れていく。
圧倒されるような光景に、言葉も忘れて見入ってしまう。
「……あなたの結婚祝いにお見せするつもりだったのですが、残念なことになってしまったので……結婚ではなく僕たちの付き合いに対する祝いにしてみました」
「魔術、ですか?」
「はい。ああ、もちろん実際に星を落としているわけではありませんよ。空の下――視界に入る範囲に幕を広げ、そこに光を走らせているだけです」
なんて言ってのけているが、視界に入る範囲だけでもそれなりの広さになる。視界全部を覆えば狭い範囲で済むかもしれないが、視線を落とせば城下町が視界に映る。ということは、できる限り空に近い場所で光を走らせているということだ。
そうとうな魔力と、集中力が必要になる。それをたかが、お付き合いの記念程度で発揮するなんて。
「……これを、私のために、ですか?」
「はい。僕一人ではこの程度しかできませんが……他の魔術師の力を借りれば、国中にこの光景を見せることも可能でしょう」
「それはやめておいたほうがいいと思います」
使い方によっては、昼を夜に、夜を昼に変えることもできる。人の営みを簡単に覆すことのできる魔術は、大々的に披露すべきではない。
考えることすらせず即座に返すと、ノエルは「わかりました」と素直に応じた。
「……もちろん、ノエルが私のために考えてくれたのは嬉しいですし、とても綺麗で感動しました。ありがとうございます」
「気に入っていただけたのなら光栄です」
ひょいとノエルが指を振ると流れる星が消え、月の周りで星が瞬いているだけの夜に変わる。
用事がこれだけなら、終わった以上戻るべきだろう。だけど若干の名残惜しさを感じて、ノエルの袖を小さく引く。
「馬車の操作に今の魔術も使って……お疲れでしょうから、少し休んでから戻りませんか?」
「そこまでではありませんが……そうですね。僕としてもあなたと一緒にいられる時間は多いに越したことはありませんから、少し休みましょうか」
言って、ノエルは草の上に座ると上着を脱ぎ、自身の横に置いた。
さあどうぞ、と手で上着を示される。そこに座れ、ということなのだろう。だけど確か、その上着には魔術師であることを示すブローチが着いていたはず。
「畏れ多くて無理です」
「では僕の膝に座りますか? 僕としてはどちらでも構いませんよ」
「私も草の上に、という選択肢はないのですか……?」
私が普通の貴族令嬢であれば、草の上に座るなんて論外だっただろう。だけど私は魔術師の弟子を三年も続けている。
草どころか土の上に座らざるを得ない機会なんていくらでもあった。ジルが新種の蛙を見たような気がすると言い出した日は、沼地の周りで蛙を探し続けたりもした。
だからわざわざノエルの上着や膝を借りる必要はない。
「それでは恋人というよりも、友人のようだとは思いませんか?」
「……なら、上着をお借りします」
ノエルの愛ある恋人観はわからないが、とりあえず草の上で二人並ぶのは恋人ではないらしい。
約束を遵守すると言った手前、大人しく引き下がることにした。
ブローチを下敷きにしていないことを祈ろう。
「……そういえば、ノエルの家はどんな家なんですか?」
二人で並び、なんてことのない空を見上げる。そこでふと、馬車の中でした話を思い出す。
ノエルは僕の家、と言っていた。ノエルに自分の家があることは当たり前なのだが、どんな私生活を送っているのかまったく想像がつかない。
本を読むのが好きだと言っていたから、本棚ぐらいはあるだろう。だけどそれ以外は、あまりピンとこない。
机と椅子は、さすがにあると思う。食器や調理器具はどうだろうか。料理をするのかどうか、私は知らない。
私のことを慕っていたということも、魔術師であることも、私の結婚式のために魔術を用意していたことも、私は知らなかった。
結婚を前提とした契約がこれからも撤回されないのなら、ノエルのことをより深く知っておくべきだろう。
ノエルの言う、愛ある恋人を演じるのならなおさら。
「新しく建てたばかりなので、面白味も何もない家ですよ」
あれこれと考えを巡らしていると、いつものように淡々と、なんてことのないように言われた。
「ああ、なるほど。新しく……え? 新しく、ですか?」
「はい。僕は元々フロランと暮らしていたのですが、結婚するのなら別の家が必要だと思い、建てました」
「えっと、お付き合いを申し込んだのって、昨日、でしたよね? あ、それとも、別の方と結婚する予定が前にもあった、とか、ですか?」
それならまあ、話の辻褄が合う。
前から慕っていたとは言ったが、それからずっととは言っていない。
諦めていたとアニエスに話していたから、別の人に心が向いて、結婚を誓い、家を用意したけどご破算になったとかなら、時系列も合う。
「あなた以外と結婚の約束をしたことはありませんよ」
「……なら、いつ建てたんですか」
「今朝です」
なるほど。こちらがあれこれとドレスを選んでいる間に、ノエルはあれこれと家を選んでいたわけか。
規模が違いすぎるうえに結婚に向けた準備が迅速すぎる。
「ここは……」
足元に広がるのは、絨毯のように敷き詰められた緑。開けた場所で、少し遠くに城下町の灯りがぽつぽつと見えた。
位置関係からすると、王都の近くにある丘だろう。春になれば色とりどりの花が咲き、ちょっとした遠出に利用されることが多い。
どうしてそんなところに、と思いながらノエルを見上げる。
「僕ではなく、空を見ていただけますか?」
ノエルの言葉に従い空を見ると、丸い月の周りでいくつもの星が瞬いていた。
そのうちのひとつが夜空を駆け、またひとつ、またひとつ、といくつもの星が空を流れていく。
圧倒されるような光景に、言葉も忘れて見入ってしまう。
「……あなたの結婚祝いにお見せするつもりだったのですが、残念なことになってしまったので……結婚ではなく僕たちの付き合いに対する祝いにしてみました」
「魔術、ですか?」
「はい。ああ、もちろん実際に星を落としているわけではありませんよ。空の下――視界に入る範囲に幕を広げ、そこに光を走らせているだけです」
なんて言ってのけているが、視界に入る範囲だけでもそれなりの広さになる。視界全部を覆えば狭い範囲で済むかもしれないが、視線を落とせば城下町が視界に映る。ということは、できる限り空に近い場所で光を走らせているということだ。
そうとうな魔力と、集中力が必要になる。それをたかが、お付き合いの記念程度で発揮するなんて。
「……これを、私のために、ですか?」
「はい。僕一人ではこの程度しかできませんが……他の魔術師の力を借りれば、国中にこの光景を見せることも可能でしょう」
「それはやめておいたほうがいいと思います」
使い方によっては、昼を夜に、夜を昼に変えることもできる。人の営みを簡単に覆すことのできる魔術は、大々的に披露すべきではない。
考えることすらせず即座に返すと、ノエルは「わかりました」と素直に応じた。
「……もちろん、ノエルが私のために考えてくれたのは嬉しいですし、とても綺麗で感動しました。ありがとうございます」
「気に入っていただけたのなら光栄です」
ひょいとノエルが指を振ると流れる星が消え、月の周りで星が瞬いているだけの夜に変わる。
用事がこれだけなら、終わった以上戻るべきだろう。だけど若干の名残惜しさを感じて、ノエルの袖を小さく引く。
「馬車の操作に今の魔術も使って……お疲れでしょうから、少し休んでから戻りませんか?」
「そこまでではありませんが……そうですね。僕としてもあなたと一緒にいられる時間は多いに越したことはありませんから、少し休みましょうか」
言って、ノエルは草の上に座ると上着を脱ぎ、自身の横に置いた。
さあどうぞ、と手で上着を示される。そこに座れ、ということなのだろう。だけど確か、その上着には魔術師であることを示すブローチが着いていたはず。
「畏れ多くて無理です」
「では僕の膝に座りますか? 僕としてはどちらでも構いませんよ」
「私も草の上に、という選択肢はないのですか……?」
私が普通の貴族令嬢であれば、草の上に座るなんて論外だっただろう。だけど私は魔術師の弟子を三年も続けている。
草どころか土の上に座らざるを得ない機会なんていくらでもあった。ジルが新種の蛙を見たような気がすると言い出した日は、沼地の周りで蛙を探し続けたりもした。
だからわざわざノエルの上着や膝を借りる必要はない。
「それでは恋人というよりも、友人のようだとは思いませんか?」
「……なら、上着をお借りします」
ノエルの愛ある恋人観はわからないが、とりあえず草の上で二人並ぶのは恋人ではないらしい。
約束を遵守すると言った手前、大人しく引き下がることにした。
ブローチを下敷きにしていないことを祈ろう。
「……そういえば、ノエルの家はどんな家なんですか?」
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ノエルは僕の家、と言っていた。ノエルに自分の家があることは当たり前なのだが、どんな私生活を送っているのかまったく想像がつかない。
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机と椅子は、さすがにあると思う。食器や調理器具はどうだろうか。料理をするのかどうか、私は知らない。
私のことを慕っていたということも、魔術師であることも、私の結婚式のために魔術を用意していたことも、私は知らなかった。
結婚を前提とした契約がこれからも撤回されないのなら、ノエルのことをより深く知っておくべきだろう。
ノエルの言う、愛ある恋人を演じるのならなおさら。
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あれこれと考えを巡らしていると、いつものように淡々と、なんてことのないように言われた。
「ああ、なるほど。新しく……え? 新しく、ですか?」
「はい。僕は元々フロランと暮らしていたのですが、結婚するのなら別の家が必要だと思い、建てました」
「えっと、お付き合いを申し込んだのって、昨日、でしたよね? あ、それとも、別の方と結婚する予定が前にもあった、とか、ですか?」
それならまあ、話の辻褄が合う。
前から慕っていたとは言ったが、それからずっととは言っていない。
諦めていたとアニエスに話していたから、別の人に心が向いて、結婚を誓い、家を用意したけどご破算になったとかなら、時系列も合う。
「あなた以外と結婚の約束をしたことはありませんよ」
「……なら、いつ建てたんですか」
「今朝です」
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