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4.おかしな噂にご注意を
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曲が終わり、集団の中から抜け出すアンリ殿下。遅れて、私もその場を離れる。一緒にテラスに出れば、絶対噂になる。
別々に移動しても気づかれるかもしれないが、なるべく危険は避けたい。
アンリ殿下と私が兄妹弟子であることは有名なので、師匠の愚痴を言い合っていたと言えば納得してくれるといいが、先ほどの視線の刃を思うと難しいだろう。
「ああ、よかった。来てくれて」
「アンリ殿下のお誘いですもの。断れるはずがありません」
憂鬱になりながらテラスに出ると、冷たい夜風がホールの熱でほてった肌を癒してくれた。
ついでにアンリ殿下の熱っぽい視線も冷ましてくないだろうか――そんなことを考えかけて、頭を振る。
いや違う。そんなはずがない。そんなことがあってはならない。
「その……これからは、アンリ殿下ではなく、アンリと呼んでくれないだろうか」
「兄弟子と呼ぶだけでも畏れ多いのに、そんなことはできません」
「君には婚約者がいたから、これまで言えなかった。だけど……君の婚約者が君から妹に行くのなら……こんな時に、と君は思うかもしれないけど……」
「そう思われるのでしたら、時期を見て追々はいかがでしょう」
「いや、そういうわけにはいかない。他の者に先を越されたら立ち直れなくなる」
決心したような顔で、アンリ殿下は膝をついた。
片膝をつき、こちらを見上げてくる姿に顔がひきつりそうになる。
「どうか、これからは兄妹弟子ではなく……君の隣に並ぶことを許してはくれないだろうか」
恋人として、そう続いたアンリ殿下の言葉に小さく息を吐く。
「誰かから、おかしな話でも聞きましたか? たとえば、そう……私がアンリ殿下に好意を――男女の思慕を抱いている、とでも」
ぴくりとアンリ殿下の眉が動いた。
ああ、やはり、そうなのか。
「……何か聞いたとしても、お気になさらず。婚約者に捨てられた哀れな妹弟子に気を遣っていただかなくて結構ですので」
「いや、気を遣う、とかではなく」
「恋人に、という言葉がすべてを物語っているではありませんか」
婚約者としてではなく、恋人に。
それは、未来を誓う間柄ではなく、一時の関係を望んでいるということだ。
「いや、それは、その」
「ええ、もちろんご心配なく。こういうことは一度や二度ではありませんので……おかしなことに、どこからか私が他の誰か――婚約者以外に恋情を抱いているという噂が立つのですよ。しかも決まって、公爵家のご子息ですとか、他国の王子ですとか、私ではとうてい手の届かないお方と」
どこからかと言ったが、心当たりはある。間違いなくアニエスだ。
アニエスは私が伯爵夫人になることに納得していない。だからこうやって、クロード以外の人との間に恋の噂を立てようとする。
「アンリ殿下の手を煩わせるようなことはないのでご安心ください。これからもどうぞ、兄弟子として接してくださると嬉しいです」
「あ、ああ、うん、そう、だね。うん、わかった」
こくこくと頷くアンリ殿下に、私は心配をかけないようにと言葉を続ける。
「それに、こんなこともあろうかと、すでにお相手に目星は付けてあります。まあ、あの方が望んでくだされば、ですが」
「え、あ、そう、なんだ。え、ええと、その相手を聞いてもいいかな? いや、ほら、大切な妹弟子の相手だからね、おかしな相手では心配になるというもので」
「身元は確かですよ。魔術師フロラン様のお弟子様ですから」
魔術師フロラン。
国の魔術師に所属する者が働く魔術の塔において、雑務を請け負っている人だ。実直な性格で、塔でも随一の気難し屋で有名でもある。
「それは、えぇと、どの?」
アンリ殿下が困惑したように視線をさまよわせる。
まあ、それも無理はないだろう。気難しい師匠に根負けして弟子がどんどんやめていくことでも有名な人だから。
「それはすぐにわかると思いますよ。これから猛アタックするつもりですから」
「そ、そうか。それは、その、うん、応援するよ」
はは、と笑い声を零すアンリ殿下に、私も笑みを返す。
妹弟子の相手が誰なのかわからず心配なのだろう。だがその心配は無用だ。
たとえどれほど気難しくても、魔術師の弟子は身元が保証されていなければなれない。技術を悪用されないために。
それに実直な方の弟子が、変な野望を抱いているということもないだろう。野望を抱くには、魔術師フロランの魔術は、正直、地味すぎる。
ふふ、と笑う私に、はは、と引きつったような顔で笑うアンリ殿下。揺れる視線が、おかしな噂にまどわされた気まずさを物語っている。
妹弟子として、今後は兄弟子がおかしな噂に振り回されないことを祈ろう。
別々に移動しても気づかれるかもしれないが、なるべく危険は避けたい。
アンリ殿下と私が兄妹弟子であることは有名なので、師匠の愚痴を言い合っていたと言えば納得してくれるといいが、先ほどの視線の刃を思うと難しいだろう。
「ああ、よかった。来てくれて」
「アンリ殿下のお誘いですもの。断れるはずがありません」
憂鬱になりながらテラスに出ると、冷たい夜風がホールの熱でほてった肌を癒してくれた。
ついでにアンリ殿下の熱っぽい視線も冷ましてくないだろうか――そんなことを考えかけて、頭を振る。
いや違う。そんなはずがない。そんなことがあってはならない。
「その……これからは、アンリ殿下ではなく、アンリと呼んでくれないだろうか」
「兄弟子と呼ぶだけでも畏れ多いのに、そんなことはできません」
「君には婚約者がいたから、これまで言えなかった。だけど……君の婚約者が君から妹に行くのなら……こんな時に、と君は思うかもしれないけど……」
「そう思われるのでしたら、時期を見て追々はいかがでしょう」
「いや、そういうわけにはいかない。他の者に先を越されたら立ち直れなくなる」
決心したような顔で、アンリ殿下は膝をついた。
片膝をつき、こちらを見上げてくる姿に顔がひきつりそうになる。
「どうか、これからは兄妹弟子ではなく……君の隣に並ぶことを許してはくれないだろうか」
恋人として、そう続いたアンリ殿下の言葉に小さく息を吐く。
「誰かから、おかしな話でも聞きましたか? たとえば、そう……私がアンリ殿下に好意を――男女の思慕を抱いている、とでも」
ぴくりとアンリ殿下の眉が動いた。
ああ、やはり、そうなのか。
「……何か聞いたとしても、お気になさらず。婚約者に捨てられた哀れな妹弟子に気を遣っていただかなくて結構ですので」
「いや、気を遣う、とかではなく」
「恋人に、という言葉がすべてを物語っているではありませんか」
婚約者としてではなく、恋人に。
それは、未来を誓う間柄ではなく、一時の関係を望んでいるということだ。
「いや、それは、その」
「ええ、もちろんご心配なく。こういうことは一度や二度ではありませんので……おかしなことに、どこからか私が他の誰か――婚約者以外に恋情を抱いているという噂が立つのですよ。しかも決まって、公爵家のご子息ですとか、他国の王子ですとか、私ではとうてい手の届かないお方と」
どこからかと言ったが、心当たりはある。間違いなくアニエスだ。
アニエスは私が伯爵夫人になることに納得していない。だからこうやって、クロード以外の人との間に恋の噂を立てようとする。
「アンリ殿下の手を煩わせるようなことはないのでご安心ください。これからもどうぞ、兄弟子として接してくださると嬉しいです」
「あ、ああ、うん、そう、だね。うん、わかった」
こくこくと頷くアンリ殿下に、私は心配をかけないようにと言葉を続ける。
「それに、こんなこともあろうかと、すでにお相手に目星は付けてあります。まあ、あの方が望んでくだされば、ですが」
「え、あ、そう、なんだ。え、ええと、その相手を聞いてもいいかな? いや、ほら、大切な妹弟子の相手だからね、おかしな相手では心配になるというもので」
「身元は確かですよ。魔術師フロラン様のお弟子様ですから」
魔術師フロラン。
国の魔術師に所属する者が働く魔術の塔において、雑務を請け負っている人だ。実直な性格で、塔でも随一の気難し屋で有名でもある。
「それは、えぇと、どの?」
アンリ殿下が困惑したように視線をさまよわせる。
まあ、それも無理はないだろう。気難しい師匠に根負けして弟子がどんどんやめていくことでも有名な人だから。
「それはすぐにわかると思いますよ。これから猛アタックするつもりですから」
「そ、そうか。それは、その、うん、応援するよ」
はは、と笑い声を零すアンリ殿下に、私も笑みを返す。
妹弟子の相手が誰なのかわからず心配なのだろう。だがその心配は無用だ。
たとえどれほど気難しくても、魔術師の弟子は身元が保証されていなければなれない。技術を悪用されないために。
それに実直な方の弟子が、変な野望を抱いているということもないだろう。野望を抱くには、魔術師フロランの魔術は、正直、地味すぎる。
ふふ、と笑う私に、はは、と引きつったような顔で笑うアンリ殿下。揺れる視線が、おかしな噂にまどわされた気まずさを物語っている。
妹弟子として、今後は兄弟子がおかしな噂に振り回されないことを祈ろう。
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