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第7話 「せな」
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普段は車で町内を行き来している瀬奈だったが、今日はそんな気分では無かったらしく、徒歩で学校へと向かっていた。
渉と思わぬ所で出会い、日向を呼び、青という謎の少年を調べるべく学校にいた時間は、瀬奈の予想を遥かに超えたものだった。そのため、車で来なかったことを後悔する羽目になる。
別に彼女自身、歩くのは嫌いではないし遅くに家に着くことは、むしろ好奇心をくすぐられる良いものだったが、親はそれを許してはくれないのだ。
広い敷地に建つ白塗りの大きな建物。住宅街の中に建っていても、瀬奈の家は他のものと比べて特に大きく広かった。
洋風チックな玄関を無造作に開けると飛び込んできたのは瀬奈の父親の低く注意する声と鬼のような形相。
「瀬奈、今何時だと思っているんだ」
時刻は七時過ぎを差していて、外は日が長いこともありそんなに暗くはない。
「夏だしちょっとくらい大丈夫でしょ」
瀬奈は、履いていた厚底のサンダルを玄関に脱ぎ揃えると仁王立ちで立っている父親の横を通ろうとする。
「瀬奈! まだ話は終わっとらん!」
しかし、その言葉と共に腕を掴まれ、瀬奈は怪訝そうに父親を睨んだ。
「なんだその態度は? 今日という今日は、お前に宮野家の人間として一から説教をしないといけないようだな」
「なに宮野家の人間としてって……だっさ」
掴まれた腕をほどこうとしながら瀬奈はキツい口調で言葉を返した。父親はそんな娘の反応に慣れているのか、腕を握る力を強くして顔を近づける。
「夕飯の後、母さんとお前の今後について話し合うから覚悟しておくように。いいな?」
そう言って彼は廊下の突き当たり、リビングがある部屋へと消えていった。
「……ほんとくたばってくれないかな……」
そんな呪いのような言葉を吐いて、瀬奈は自室に続く螺旋状になった階段を上がっていく。
部屋に入った瀬奈は、壁際にある照明のスイッチを押さず、電気をつけようとしないまま、ベッドに寝転んだ。
ふかふかの天蓋付きベッドに身を沈みこませていると、ふと階下から耳障りな声がして顔をしかめる。
「あの子にはもっと厳しく言わないと駄目よあなた」
「俺も言ってるんだが、どうにも治らなくてな。今日だって、小学校へ行くだけと言っていたのにこんな時間に帰ってきて……きっとどこかで遊び呆けていたんだろう」
「まぁ、なんてことかしら……そんなのが宮野ビルディングの関係者に知られたら、瀬奈を社長にすることなんて出来ないじゃない!」
ヒステリックな母親の声がいつもよりも聞こえて、瀬奈は思わず耳を塞いだ。
彼女は親が有名会社の社長であるが為に、生まれた頃から会社を継ぐために育てられた。
一般教養、社交辞令、ビジネスマナーを覚える。その全てが瀬奈の幼少期の日常だった。
母親の身体がもう子供を作ることが出来ないと知れて、父親は娘を立派な社長にすべく、彼女の意見を聞かずに勝手に将来のレールを敷いた。
それがどんなに苦痛だったのか、瀬奈以外に知る者は誰もいない。
「……いいなぁ」
ぽつりと呟いた言葉は、真っ暗で広い部屋の中にすぐ消えていく。
自身の夢を持って、それになんの迷いもなく生きていく渉達のことを彼女は、ずっと、ずっと羨んできた。
全て決められた人生の中で、やりたい事を見いだしてそれに向かっていく人達は、瀬奈にとって憧れの存在で、とてもキラキラして見えた。
だから、やりたい事が出来る立場なのにも関わらず諦めた渉を許せなかった。
彼が専門学校を辞めたことをショックに思っていたのは、日向だけでは無い。瀬奈も同じくらい衝撃を受けていたのだ。
それを渉が知ることは無かったが、瀬奈はそれすらも飲み込んで、渉と日向がせめて昔のように戻れるようにと画策した。
それは、勝手に羨んでいた渉に酷いことをして、最終的に関係を壊したことに対するささやかな反省だった。
離ればなれになっても、また前のように一緒に話したり遊んだりしたい。そんな思いは、瀬奈も一緒だ。
「はぁ……本当になんで返信しないのよ」
ポケットに入れていたスマホを取り出して、瀬奈は颯人とのトーク画面を開く。そこには、自身が送った五件ほどのメッセージだけが新着順に出ており、颯人側のメッセージは随分前に途絶えていた。
「……会社まで行ったら、さすがに引かれるかな……」
寝返りをうって、枕に顔をうずめながら瀬奈は珍しく気弱な発言をした。
「そもそも、この前の東京に行った時も、帰ったらめちゃくちゃ怒られたし……もう行けないかもな……」
唯一無二の親がこの世にいる限り、瀬奈の人生は変わらない。このままずっと、彼女はレールから外れることなく生きていくのだろう。
「はぁ……今日はもう疲れた……」
少しずつ微睡んでいく感覚に身を任せて、瀬奈は深い眠りについた。
***
「じゃあ、夏休みは予定通り青のばあちゃん家に行くぞ!」
夏休みまで残りあと三日に迫った今日、放課後の教室で渉達は本格的に夏休みの予定を立てていた。この前の授業で決まった夏休みに行きたい場所は、十年に一度願いが叶うお祭りに参加するために、青の祖母がいる町になった。
「僕の案に決まって嬉しい! ……けど。ここから結構遠いんだよね……大丈夫かな?」
「そんなに遠いの?」
「うん……。僕が前に住んでいた町よりももっと北の方なんだ」
青の祖母が暮らしている地域は町というよりは、ほぼ村に近く、辺りを森に囲まれた集落だ。しかも徐々に過疎化が進んでいた。
当然、そこに住んでいる人たちは年配の人が多く、お祭りなどの地域の行事に参加している若い人は、ほとんど祖父母の元へ遊びに来ていた娘息子夫婦、又は孫くらいである。
だから渉達のように、他の場所からその祭りを目当てに来ようとしている人は少ない。
「そんなに遠いならどうやって行くか考えないとね」
颯人はトラブル無く安全に目的地に着く為の手段を考え出した。みんなも同じく、どうやって行こうか頭を悩ませている。
「一番はお母さんやお父さんに送って貰えたらなんだけど……」
親に協力を仰ぐのも手だと日向は呟いた。その提案に周りは一様に頷く。ただ一人は首を縦に振らなかった。
「それじゃあ駄目よ」
瀬奈はきっぱりとそう言い放った。
「なんでだよ? これが一番安全で楽だし良いじゃねぇか!」
すかさず渉が食ってかかる。
「これは言わば夏休みの課題でしょう? それだったら大人に頼らず、自分達で自主的に行動した方がいいと思うわ」
最もらしい瀬奈の言い分に、安直な渉は勿論、日向も「確かに」と肯定した。
「でも僕達、子供だけでそんな遠い所まで行ったらきっと家族が心配するだろう? やっぱり少しでも大人を頼るべきだよ」
颯人は自分達の立場をわきまえた上で、瀬奈の意見をやんわりと否定する。
「そんなの親に頼って、この計画自体を駄目って言われたらどうするのよ?」
「それは……。そんなことになったら、仕方がないから、新しい行き先を考えるしかないね」
「はぁ? もう先生に発表もしてるのに、今更変えるとか出来ると思ってるわけ?」
「やむを得ない事情があった場合は仕方ないだろう。それよりも焦って、勝手に行こうものなら事故やトラブルに遭いかねない」
渉と瀬奈ならまだしも、颯人と瀬奈が言い争いをしている光景は、とても珍しかった。普段、ブレーキ役となっていた人がいなくなり二人の言い合いは留まることを知らない。
渉と日向はどうにか二人をなだめようとするが、周りの声が聞こえていないのか会話はヒートアップしていった。
「間をとって、僕の親が同伴するのはどうかな?」
青のその一言で、教室内に久しぶりに静寂が訪れる。
「間をとっていないし、結局大人に頼ることになるじゃない!」
「親御さんに迷惑をかける訳にはいかないよ!」
まるでボールを勢いよく壁にぶつけて、それが反動で跳ね返るが如く、瀬奈と颯人は一気に話し出した。
「うーん、実はね。今回の計画、僕の親も楽しみにしててね。もし駄目そうなら、みんなのお家まで行ってお願いしに行きそうな勢いなんだ」
まさか青の親までこの企画を楽しみにしているとは流石の渉達も予想外だった。
「……ふぅん。愛されてるのね。まぁ私はそれならそれで良いけど……今更、新しく考えてもめんどくさいし」
「親御さんが良いのなら、僕はもう何も言えないな……」
こうして、青の祖母がいる町に行く時は、青の親が同伴するという運びとなった。
ただ瀬奈はそれでも自分の親が許可をしてくれるはずは無いと踏んでいた。
瀬奈の両親は、娘に幼い頃から異常なほど様々な事を教えている。それは宮野家の人間として完成させる為に他ならなかったが、普通の人が学ぶ機会のない勉学や習い事といった学びの範囲を増やしてくれるのは彼女にとって自慢だった。
しかし、まだ幼い瀬奈はもっと自分の好きな事がしたかった。
白塗りの三階建ての建物は瀬奈の背丈の十倍はあり、いつも通り威圧感を放っている。
「ただいま」
両手でやっと開けられるくらいの両開きの扉に手をかけながら、瀬奈は淡々と自身が帰ってきたことを告げた。
「おかえりなさい瀬奈」
「早速、今日配られたプリント類があったら渡しなさい」
いつから待っていたかは知らないが、瀬奈の両親は二人揃って、瀬奈を簡単に通すまいと玄関に立っている。
「はい、お母さん、お父さん」
瀬奈は背負っていたランドセルからプリント類が入っているファイルを取り出すと、そこから、今日配布されたものを抜き出して渡した。
「もうすぐ夏季休暇が始まるだろう。その予定で話すことは無いか?」
プリントを流し目で見て、父親は顔を近づけてそう問いただした。
「夏休み初日だけ予定があります」
瀬奈は臆することなく、冷静な口調でそう答える。ただ、その一言で目の前の両親は呪いの言葉を浴びせられたの如く、衝撃を受けた表情で、娘の意見を即座に否定しにかかる。
「夏季休暇は勉学に励む為の期間だ! それに遊びの予定を入れたのか?」
「ああ、初日からそんな予定を入れていたら、きっと夏季休暇は遊び呆けてしまうわ!」
しかし、それは予想内という様子で瀬奈は淡々と顔色を変えず話す。
「湯川くんの家で勉強会をするんです。夏休みの宿題をする為に」
遊びに行くのではないと主張した娘に対して、瀬奈の親は唸り声をあげると、その場で話し合いだした。
三日後、夏休み初日。
明日賀屋駅で、渉と日向、瀬奈、颯人は落ち合っていた。
青の祖母がいる町、大名川町は宮城の北側の方にあり、渉達が住んでいる町からはかなり遠い。
そのため電車に乗り、最寄り駅からバスと徒歩で行かないと着けないため、祭りが始まる時間には間に合うよう余裕を持って電車に乗らなければいけなかった。
向こうに着いたら、歩いて見て回ったりする時間も必要ということで祭りが開始する六時間前の電車に渉達は乗ろうとしている。
「実は俺、電車乗るの初めてなんだよね」
「あ、わ、私も……初めてなんだ」
「じゃあ慣れない事で焦ったら大変だし、先に買っておこうか」
「…………」
時刻は九時四十分。十時の電車に乗らなければいけないのに、未だに提案者の青はいない様子で、四人は各々、彼が来るまで電車に乗る準備を整えていた。
「……」
「? 瀬奈、どうしたの?」
「……! ううん、なんでもない」
瀬奈は三日前、親に言われたあの言葉を思い返していた。
『今回は大目に見てあげるけど、十八時までには帰ってくるように』
渉の家へ行くと嘘を吐いて、なんとか行く事が出来るようになったが、親の制約はまだ続いている。話に聞くと、願い事を書く紙を渡されるのは午後の三時かららしく、それを書いてすぐ帰れば間に合う計算だ。
ただ、もし少しでも門限を破ってしまったら夏休みは、ほぼ無いものと思って覚悟した方が良いだろう。
それくらい瀬奈は今日に賭けていた。
「しっかし、青のやつ遅いなあ」
「ど、どうしたんだろうね……?」
時刻は九時五十分を過ぎていた。
流石に来るのが遅いとざわめき出す渉達。
駅には既に同じ時間の電車に乗ろうとしていると見受けられる人達がごった返している。
「間に合うのかな……」
「ほんと何してんのよあいつ……」
九時五十五分。九時五十七分。十時が刻一刻と迫っている中、渉達は遠くから走ってくる一人の少年を見た。
「……ご、ごめん!! っはぁ、はぁ……遅れちゃっ……はぁっ……て」
「遅いよ! 早く乗らないと間に合わない!」
「みんな、早く行くわよ!」
もうホームには電車が到着していて、今すぐにでも出発して行ってしまいそうな雰囲気だった。
しかも反対側のホームには階段を上って、連絡橋を超えて行かないといけないため、五人は全力で走った。
プシューと音を立てて、ドアが閉まる音ともに、電車はゆっくり動き出す。
渉達は、息も絶えだえになりながら、ギリギリ乗り込めたことを確認するようにお互い顔を見合わせた。
「はぁ……はぁ……」
「…………はぁ、疲れた……」
「良かった……はぁ……間に合って……」
「……あれ?」
各々、息を整える中、颯人は違和感がある事に気づいた。
「青……、親御さんは……?」
そう言われてみれば、先程青は一人で走ってきていた。青の親の姿など何処にもない。
「ごほっ……あ、実はね……急遽仕事が入っちゃって来れなくなっちゃったんだ……」
青曰く、今朝方に職場から応援を頼まれて青の母親は同伴出来なくなったそうだ。父親の方は前々から仕事の予定が入っていて、無理だと言うので青は仕方なく一人で駅まで向かったらしい。
「だから遅れてきたのね」
「うん……本当にごめんね……その、親が同伴するから許可を得てきてもらったのに……」
落ち込む青に、渉は彼の肩を叩いて首を横に振った。
「大丈夫だ! 俺達だけでも行けるってこと証明してやろうぜ!」
「そ、そうだね……!」
「その方がきっといいわね」
渉が言うと日向も瀬奈も同調して頷いた。ただ、颯人だけはそれを不安そうに眺めている。
「……何も起こらないといいんだけど……」
ごとんごとんと小さな音を立てて、景色を塗り替えながら走っていく電車の車窓を見る。
外は雲一つない晴天で夏を感じさせた。
渉と思わぬ所で出会い、日向を呼び、青という謎の少年を調べるべく学校にいた時間は、瀬奈の予想を遥かに超えたものだった。そのため、車で来なかったことを後悔する羽目になる。
別に彼女自身、歩くのは嫌いではないし遅くに家に着くことは、むしろ好奇心をくすぐられる良いものだったが、親はそれを許してはくれないのだ。
広い敷地に建つ白塗りの大きな建物。住宅街の中に建っていても、瀬奈の家は他のものと比べて特に大きく広かった。
洋風チックな玄関を無造作に開けると飛び込んできたのは瀬奈の父親の低く注意する声と鬼のような形相。
「瀬奈、今何時だと思っているんだ」
時刻は七時過ぎを差していて、外は日が長いこともありそんなに暗くはない。
「夏だしちょっとくらい大丈夫でしょ」
瀬奈は、履いていた厚底のサンダルを玄関に脱ぎ揃えると仁王立ちで立っている父親の横を通ろうとする。
「瀬奈! まだ話は終わっとらん!」
しかし、その言葉と共に腕を掴まれ、瀬奈は怪訝そうに父親を睨んだ。
「なんだその態度は? 今日という今日は、お前に宮野家の人間として一から説教をしないといけないようだな」
「なに宮野家の人間としてって……だっさ」
掴まれた腕をほどこうとしながら瀬奈はキツい口調で言葉を返した。父親はそんな娘の反応に慣れているのか、腕を握る力を強くして顔を近づける。
「夕飯の後、母さんとお前の今後について話し合うから覚悟しておくように。いいな?」
そう言って彼は廊下の突き当たり、リビングがある部屋へと消えていった。
「……ほんとくたばってくれないかな……」
そんな呪いのような言葉を吐いて、瀬奈は自室に続く螺旋状になった階段を上がっていく。
部屋に入った瀬奈は、壁際にある照明のスイッチを押さず、電気をつけようとしないまま、ベッドに寝転んだ。
ふかふかの天蓋付きベッドに身を沈みこませていると、ふと階下から耳障りな声がして顔をしかめる。
「あの子にはもっと厳しく言わないと駄目よあなた」
「俺も言ってるんだが、どうにも治らなくてな。今日だって、小学校へ行くだけと言っていたのにこんな時間に帰ってきて……きっとどこかで遊び呆けていたんだろう」
「まぁ、なんてことかしら……そんなのが宮野ビルディングの関係者に知られたら、瀬奈を社長にすることなんて出来ないじゃない!」
ヒステリックな母親の声がいつもよりも聞こえて、瀬奈は思わず耳を塞いだ。
彼女は親が有名会社の社長であるが為に、生まれた頃から会社を継ぐために育てられた。
一般教養、社交辞令、ビジネスマナーを覚える。その全てが瀬奈の幼少期の日常だった。
母親の身体がもう子供を作ることが出来ないと知れて、父親は娘を立派な社長にすべく、彼女の意見を聞かずに勝手に将来のレールを敷いた。
それがどんなに苦痛だったのか、瀬奈以外に知る者は誰もいない。
「……いいなぁ」
ぽつりと呟いた言葉は、真っ暗で広い部屋の中にすぐ消えていく。
自身の夢を持って、それになんの迷いもなく生きていく渉達のことを彼女は、ずっと、ずっと羨んできた。
全て決められた人生の中で、やりたい事を見いだしてそれに向かっていく人達は、瀬奈にとって憧れの存在で、とてもキラキラして見えた。
だから、やりたい事が出来る立場なのにも関わらず諦めた渉を許せなかった。
彼が専門学校を辞めたことをショックに思っていたのは、日向だけでは無い。瀬奈も同じくらい衝撃を受けていたのだ。
それを渉が知ることは無かったが、瀬奈はそれすらも飲み込んで、渉と日向がせめて昔のように戻れるようにと画策した。
それは、勝手に羨んでいた渉に酷いことをして、最終的に関係を壊したことに対するささやかな反省だった。
離ればなれになっても、また前のように一緒に話したり遊んだりしたい。そんな思いは、瀬奈も一緒だ。
「はぁ……本当になんで返信しないのよ」
ポケットに入れていたスマホを取り出して、瀬奈は颯人とのトーク画面を開く。そこには、自身が送った五件ほどのメッセージだけが新着順に出ており、颯人側のメッセージは随分前に途絶えていた。
「……会社まで行ったら、さすがに引かれるかな……」
寝返りをうって、枕に顔をうずめながら瀬奈は珍しく気弱な発言をした。
「そもそも、この前の東京に行った時も、帰ったらめちゃくちゃ怒られたし……もう行けないかもな……」
唯一無二の親がこの世にいる限り、瀬奈の人生は変わらない。このままずっと、彼女はレールから外れることなく生きていくのだろう。
「はぁ……今日はもう疲れた……」
少しずつ微睡んでいく感覚に身を任せて、瀬奈は深い眠りについた。
***
「じゃあ、夏休みは予定通り青のばあちゃん家に行くぞ!」
夏休みまで残りあと三日に迫った今日、放課後の教室で渉達は本格的に夏休みの予定を立てていた。この前の授業で決まった夏休みに行きたい場所は、十年に一度願いが叶うお祭りに参加するために、青の祖母がいる町になった。
「僕の案に決まって嬉しい! ……けど。ここから結構遠いんだよね……大丈夫かな?」
「そんなに遠いの?」
「うん……。僕が前に住んでいた町よりももっと北の方なんだ」
青の祖母が暮らしている地域は町というよりは、ほぼ村に近く、辺りを森に囲まれた集落だ。しかも徐々に過疎化が進んでいた。
当然、そこに住んでいる人たちは年配の人が多く、お祭りなどの地域の行事に参加している若い人は、ほとんど祖父母の元へ遊びに来ていた娘息子夫婦、又は孫くらいである。
だから渉達のように、他の場所からその祭りを目当てに来ようとしている人は少ない。
「そんなに遠いならどうやって行くか考えないとね」
颯人はトラブル無く安全に目的地に着く為の手段を考え出した。みんなも同じく、どうやって行こうか頭を悩ませている。
「一番はお母さんやお父さんに送って貰えたらなんだけど……」
親に協力を仰ぐのも手だと日向は呟いた。その提案に周りは一様に頷く。ただ一人は首を縦に振らなかった。
「それじゃあ駄目よ」
瀬奈はきっぱりとそう言い放った。
「なんでだよ? これが一番安全で楽だし良いじゃねぇか!」
すかさず渉が食ってかかる。
「これは言わば夏休みの課題でしょう? それだったら大人に頼らず、自分達で自主的に行動した方がいいと思うわ」
最もらしい瀬奈の言い分に、安直な渉は勿論、日向も「確かに」と肯定した。
「でも僕達、子供だけでそんな遠い所まで行ったらきっと家族が心配するだろう? やっぱり少しでも大人を頼るべきだよ」
颯人は自分達の立場をわきまえた上で、瀬奈の意見をやんわりと否定する。
「そんなの親に頼って、この計画自体を駄目って言われたらどうするのよ?」
「それは……。そんなことになったら、仕方がないから、新しい行き先を考えるしかないね」
「はぁ? もう先生に発表もしてるのに、今更変えるとか出来ると思ってるわけ?」
「やむを得ない事情があった場合は仕方ないだろう。それよりも焦って、勝手に行こうものなら事故やトラブルに遭いかねない」
渉と瀬奈ならまだしも、颯人と瀬奈が言い争いをしている光景は、とても珍しかった。普段、ブレーキ役となっていた人がいなくなり二人の言い合いは留まることを知らない。
渉と日向はどうにか二人をなだめようとするが、周りの声が聞こえていないのか会話はヒートアップしていった。
「間をとって、僕の親が同伴するのはどうかな?」
青のその一言で、教室内に久しぶりに静寂が訪れる。
「間をとっていないし、結局大人に頼ることになるじゃない!」
「親御さんに迷惑をかける訳にはいかないよ!」
まるでボールを勢いよく壁にぶつけて、それが反動で跳ね返るが如く、瀬奈と颯人は一気に話し出した。
「うーん、実はね。今回の計画、僕の親も楽しみにしててね。もし駄目そうなら、みんなのお家まで行ってお願いしに行きそうな勢いなんだ」
まさか青の親までこの企画を楽しみにしているとは流石の渉達も予想外だった。
「……ふぅん。愛されてるのね。まぁ私はそれならそれで良いけど……今更、新しく考えてもめんどくさいし」
「親御さんが良いのなら、僕はもう何も言えないな……」
こうして、青の祖母がいる町に行く時は、青の親が同伴するという運びとなった。
ただ瀬奈はそれでも自分の親が許可をしてくれるはずは無いと踏んでいた。
瀬奈の両親は、娘に幼い頃から異常なほど様々な事を教えている。それは宮野家の人間として完成させる為に他ならなかったが、普通の人が学ぶ機会のない勉学や習い事といった学びの範囲を増やしてくれるのは彼女にとって自慢だった。
しかし、まだ幼い瀬奈はもっと自分の好きな事がしたかった。
白塗りの三階建ての建物は瀬奈の背丈の十倍はあり、いつも通り威圧感を放っている。
「ただいま」
両手でやっと開けられるくらいの両開きの扉に手をかけながら、瀬奈は淡々と自身が帰ってきたことを告げた。
「おかえりなさい瀬奈」
「早速、今日配られたプリント類があったら渡しなさい」
いつから待っていたかは知らないが、瀬奈の両親は二人揃って、瀬奈を簡単に通すまいと玄関に立っている。
「はい、お母さん、お父さん」
瀬奈は背負っていたランドセルからプリント類が入っているファイルを取り出すと、そこから、今日配布されたものを抜き出して渡した。
「もうすぐ夏季休暇が始まるだろう。その予定で話すことは無いか?」
プリントを流し目で見て、父親は顔を近づけてそう問いただした。
「夏休み初日だけ予定があります」
瀬奈は臆することなく、冷静な口調でそう答える。ただ、その一言で目の前の両親は呪いの言葉を浴びせられたの如く、衝撃を受けた表情で、娘の意見を即座に否定しにかかる。
「夏季休暇は勉学に励む為の期間だ! それに遊びの予定を入れたのか?」
「ああ、初日からそんな予定を入れていたら、きっと夏季休暇は遊び呆けてしまうわ!」
しかし、それは予想内という様子で瀬奈は淡々と顔色を変えず話す。
「湯川くんの家で勉強会をするんです。夏休みの宿題をする為に」
遊びに行くのではないと主張した娘に対して、瀬奈の親は唸り声をあげると、その場で話し合いだした。
三日後、夏休み初日。
明日賀屋駅で、渉と日向、瀬奈、颯人は落ち合っていた。
青の祖母がいる町、大名川町は宮城の北側の方にあり、渉達が住んでいる町からはかなり遠い。
そのため電車に乗り、最寄り駅からバスと徒歩で行かないと着けないため、祭りが始まる時間には間に合うよう余裕を持って電車に乗らなければいけなかった。
向こうに着いたら、歩いて見て回ったりする時間も必要ということで祭りが開始する六時間前の電車に渉達は乗ろうとしている。
「実は俺、電車乗るの初めてなんだよね」
「あ、わ、私も……初めてなんだ」
「じゃあ慣れない事で焦ったら大変だし、先に買っておこうか」
「…………」
時刻は九時四十分。十時の電車に乗らなければいけないのに、未だに提案者の青はいない様子で、四人は各々、彼が来るまで電車に乗る準備を整えていた。
「……」
「? 瀬奈、どうしたの?」
「……! ううん、なんでもない」
瀬奈は三日前、親に言われたあの言葉を思い返していた。
『今回は大目に見てあげるけど、十八時までには帰ってくるように』
渉の家へ行くと嘘を吐いて、なんとか行く事が出来るようになったが、親の制約はまだ続いている。話に聞くと、願い事を書く紙を渡されるのは午後の三時かららしく、それを書いてすぐ帰れば間に合う計算だ。
ただ、もし少しでも門限を破ってしまったら夏休みは、ほぼ無いものと思って覚悟した方が良いだろう。
それくらい瀬奈は今日に賭けていた。
「しっかし、青のやつ遅いなあ」
「ど、どうしたんだろうね……?」
時刻は九時五十分を過ぎていた。
流石に来るのが遅いとざわめき出す渉達。
駅には既に同じ時間の電車に乗ろうとしていると見受けられる人達がごった返している。
「間に合うのかな……」
「ほんと何してんのよあいつ……」
九時五十五分。九時五十七分。十時が刻一刻と迫っている中、渉達は遠くから走ってくる一人の少年を見た。
「……ご、ごめん!! っはぁ、はぁ……遅れちゃっ……はぁっ……て」
「遅いよ! 早く乗らないと間に合わない!」
「みんな、早く行くわよ!」
もうホームには電車が到着していて、今すぐにでも出発して行ってしまいそうな雰囲気だった。
しかも反対側のホームには階段を上って、連絡橋を超えて行かないといけないため、五人は全力で走った。
プシューと音を立てて、ドアが閉まる音ともに、電車はゆっくり動き出す。
渉達は、息も絶えだえになりながら、ギリギリ乗り込めたことを確認するようにお互い顔を見合わせた。
「はぁ……はぁ……」
「…………はぁ、疲れた……」
「良かった……はぁ……間に合って……」
「……あれ?」
各々、息を整える中、颯人は違和感がある事に気づいた。
「青……、親御さんは……?」
そう言われてみれば、先程青は一人で走ってきていた。青の親の姿など何処にもない。
「ごほっ……あ、実はね……急遽仕事が入っちゃって来れなくなっちゃったんだ……」
青曰く、今朝方に職場から応援を頼まれて青の母親は同伴出来なくなったそうだ。父親の方は前々から仕事の予定が入っていて、無理だと言うので青は仕方なく一人で駅まで向かったらしい。
「だから遅れてきたのね」
「うん……本当にごめんね……その、親が同伴するから許可を得てきてもらったのに……」
落ち込む青に、渉は彼の肩を叩いて首を横に振った。
「大丈夫だ! 俺達だけでも行けるってこと証明してやろうぜ!」
「そ、そうだね……!」
「その方がきっといいわね」
渉が言うと日向も瀬奈も同調して頷いた。ただ、颯人だけはそれを不安そうに眺めている。
「……何も起こらないといいんだけど……」
ごとんごとんと小さな音を立てて、景色を塗り替えながら走っていく電車の車窓を見る。
外は雲一つない晴天で夏を感じさせた。
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ナナはあたしの特別で、大切な人。
だからずっと一緒にいて、ずっと一緒に居たいと思った。
でも、好きな人に好きだと言えなくても幸せだ、なんて嘘だって知っているから、あたしはナナの背中を押して、この気持ちから卒業する。
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