夏の青さに

詩葉

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第4話 帰省

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 新幹線で約二時間。ちょうどバイトの給料が入ったばかりで、余裕があったからか渉は比較的に速く地元の宮城に行ける方を選んだ。
 すごい速さで移り変わる景色は、段々と緑が多くなっていき地方へ向かっていると実感する。
 ただ渉はその景色を懐かしむ余裕もなく、ただただ焦燥感に駆られていた。

「あー……夏休み入ったから家に一旦帰るわ」
 久しぶりに実家に連絡をした渉は、夏休みに入ったという体で地元に帰ることを伝えた。
 あれほど地元に帰りたがらなかった渉は、今その気持ちすら塗り替えられるほど衝撃的なことを思い出したのである。
 三条青という人物は、それほどまでに渉の人生の基盤になっていたらしかった。
「(同窓会は確か昨日だったから、あいつもきっといるはずだ)」
 四人で一つのグループだった渉たちが青という転校生と仲良くなるのに不思議と時間はかからなかった。そんな彼を今の今まで忘れていたというのも大分、不思議なことであるが、それは渉自身も気づいていた。
 だから、どうしようもなくなってまた勢いのまま行動してしまったのである。
「まもなく仙台、仙台……」
 アナウンスが流れて、気がつけば窓の外はビルが複数建ち並び自然と融合した東北の中心――仙台市に着いていた。
 多くの乗客が大きな荷物を持って新幹線を慌ただしく出ていく、渉もそれに倣い、上の荷物棚に置いていたキャリーケースを引っ張り出した。
 ガラガラと音を立ててキャリーケースを引きずり、リュックを背負い直して新幹線から一歩踏み出す。
 忙しない人々の話し声、繰り返されるアナウンス、新幹線が到着する音。全てが渉にとって、あの日以来に久しぶりに聞いた音だった。
「……東京に初めて行った時もこんな感じだったな」
 新しい場所に心躍らせて、夢を絶対叶えるという思いで乗り込んだ新幹線。今や、それは悲しい思い出の一部となりつつあった。
「まず家に帰るか……」
 渉は思い出に浸ることもできず、久しぶりに帰った地元に脅えながら、緊張した足取りで歩き出した。
 
 渉の実家は仙台市といっても割と緑の多い地域にある。電車は一時間に二本程度で、最早田舎といっても過言ではない。
 駅から家までは田んぼだけの道を三十分程歩く必要があった。
「……ちゃんと誤魔化せるかな……」
 渉はどうにかして学校を辞めたことをバレないようにしようとあれこれ考え込んだ。
「うん……うん、課題やってるフリしとけば大丈夫かな」
 考えた結果そういった結論に至った。
 もう目の前には渉が十何年間、住んでいた木造建築の平屋が木々に囲まれて建っていて、渉は緊張でゴクリと生唾を飲んだ。
 そろそろと塀の内側、敷地内へ入っていき引き戸の玄関前まで着いた。
 冷や汗をかいた手で玄関扉に手を伸ばした瞬間――。
「おかえり!!」
 ガラッと音を立てて扉が開き、誰かが飛び出してくる。
 茶髪の髪をポニーテールにして、薄い桃色のエプロンを着た女性は、渉に思いっきり抱きつくとそのまま力いっぱい抱きしめた。
「っ! かあさんっ……! いたい、痛い痛い!!」
 渉の母は、息子が手をパシパシ叩いてギブアップを示そうとも締めることをやめない。
「だって久しぶりに我が子に会えたんだもの! 嬉しすぎてもう離さないわぁ!」
 涙を浮かべて嬉しそうに微笑む母の力は、渉の父ですらたじろぐ程のもので、渉はもう意識をどこかに落としていきそうな勢いだった。
「かあっ……さん……ぐはっ……」
 渉は本当にそのまま意識を失った。

          ***

「――る、――たる――」
 幼い少年の声が聞こえてくる。
「――渉!」
「はっ!」
 青に呼びかけられて、渉は目を覚ました。どうやら授業中にいつの間にか寝てしまっていたらしく、青はそんな渉を見兼ねて起こしてくれたらしい。
「良かった……やっと起きてくれた」
「んー、青、今なんの授業だっけ……」
 まだ眠たそうに瞼をこすりながら渉は聞いた。
「今は算数の授業だよ……番号順で宿題の答えを聞かれてるんだけど、もう少しで渉が当てられそうだから起こしたんだ」
 その言葉で気づくと丁度、渉より前の出席番号の子が算数の式を答えてる最中だった。
 今の今まで寝ていて、教科書すら開いていなかった渉は、一気に全身の血の気が引いて青ざめた。以前の算数の授業も同じことがあって、結局先生に怒られたのだ。
「は、颯人! 答えを教えてくれ!」
 咄嗟に隣の席にいる颯人に助けを求めたが、颯人は首を振ってノートを袖で隠した。
「うっ、あ、青! 答えを――」
 そう言いかけた瞬間、渉は背後に何かの気配を感じた。思わずその場で固まる渉。
 教室中の皆が一番後ろの席にいる渉を見ている。恐る恐る振り返ってみると、そこには――。
「渉、次忘れた時は廊下に立たすって言ったよな?」
 にっこりと仏のような微笑みを顔面に貼り付けている先生が背後にはいた。
「ヒュッ……」
 思わず息が止まり放心する渉。
 結局、そのまま算数の授業が終わるまで廊下に立たされる羽目になった。
 鐘の合図とともに小休憩へと入り、子供たちは教室から飛び出していく。それと入れ違いになるように渉は教室に入っていった。
「宿題やってこなかったの何回目よ?」
「むしろやってきた時の方が稀じゃないかなぁ」
 相変わらず瀬奈と颯人は呆れ顔で渉を迎え入れる。日向と青はフォローしようにもどうにも出来ないという表情をしていた。
「いやぁ、むしろやってこないのが普通だから、先生もそこに気づいて欲しいよな……って!」
 頭を掻きながら笑い混じりにそんな事を言う渉の頭を通りがかりに小突いた。
「あんにゃろ……だから結婚出来ないんだ」
 渉の小言が耳に届いたのか、先生はわざわざ戻ってきてもう一回、今度は少し強めに渉の頭を小突いた。
「いってぇ!」
「うっさいわ! 今度はちゃんと宿題やって来なさいよ!」
 そう言いながら力強い足取りで教室を出ていく先生は、渉たちが四年生の頃から担任で、今は六年生を受け持っている。
 歳は二十代後半で未だ結婚相手はおろか、恋人さえいないと噂されているが真意は定かではない。
「くっそぉ! めちゃくちゃ痛かった!」
「「自業自得」」
「今度はちゃんとやって来ようね……」
「よ、良ければ手伝うよ……?」
 休み時間に入った教室はざわめきが多くなり、皆それぞれ別々の話題で盛り上がっている。
「そういえば夏休みに行きたいところ決まった?」
 瀬奈が渉に聞いてくる。しかし、当の渉はなんの事だか分からないというふうに首を振った。
「夏休みにやりたいことをテーマに話してただろ? それで僕達の班は夏休みに行きたいところを話し合うことにしたの覚えてない?」
「確かにそんなことをした……気がする」
 全く覚えていなかったが、そのことを伝えるとややこしくなりそうなので少し濁した言い方をする渉。
 颯人は怪しいなと気づいたけれども、そのまま話を続けた。
「そこで班員それぞれが行きたいところを考えてきて欲しかったんだけど、みんな考えた?」
 メンバーをまとめることに長けてる颯人は班長に相応しい。今もこうやって、渉に投げかけた後にしっかり他の班員も考えてきたか聞いている。
「考えてきたけど……なんかあんまりぱっとしないのよね」
 瀬奈はまだ本当に行きたい場所が決まっていない様子で答えた。
「私は綺麗な景色が見えるところに行きたい……かな」
「それなら僕の行きたいところにも合うかも!」
 青は日向の発言に対して、嬉しそうにそう言った。
「青の行きたいところってどこだ?」
 自分の行きたいところを考えていた渉は、参考がてら青に訊ねた。
「ふふ、それはね」

          ***

 ジリリリンとけたたましい目覚まし時計の音が耳元で響いて、渉は飛び起きた。夏場だというのに冷房を着けず窓を若干しか開けていなかったため、汗をびっしょりとかいていた。
「はぁ…………今何時だ?」
 反射で押したスイッチの下を見てみると時刻は午後十二時を過ぎていた。
 昨日、久しぶりに実家に帰ってきて早々に母親に意識を落とされ、夕方頃に帰ってきた父親にもあれやこれやと言われて騒がしい一日を過ごした渉は、自室で倒れるように眠りについたのだった。
「……また昔の夢か」
 この前見た夢が発端で実家まで帰ってきているのだから、また似たようなものを見ても心理的におかしくはない。
「にしても精神的にくるよなぁ……」
 日向と瀬奈の顔は出来ればもう見たくなかったし、顔を見せたくなかった。たとえそれが夢であろうとも、あの日のことを思い出すきっかけには十分だ。
「渉ー! ご飯用意したわよー」
 玄関から一番遠い所にある渉の部屋まで、リビングの方から母の声がした。リビングは玄関に近い所にあるため、会話をするには遠すぎる。
「分かった今行くー!」
 渉は寝起きの声で精一杯大きく叫ぶと布団から出た。
 上京してからは慣れない一人暮らしでご飯を用意出来ない日も当然あった。そんな渉にとって、何もせずともご飯が出てくるという暮らしはとても有難いものだった。
「今日のお昼ご飯は簡単だけど、目玉焼き乗せ焼きそばよ~!」
 そう言って出せれたのは半熟の大きな目玉焼きが乗った焼きそば。食欲をそそる刺激的なソースの匂いに寝起きにも関わらず渉の胃袋はまぬけに音をたてた。
「いただきますっ……!」
 手を合わせてそう言い終えると、皿を持って焼きそばを一気にかっこんでいく。
 その様子を心底嬉しそうに渉の母は見つめていた。
「あ、そういえば今日はどこかに出かけるんでしょう?」
 思い出したかのように訊ねる母に渉は焼きそばを口に詰め込みながら頷いた。
「良ければ車で送ってく?」
 交通の便があまり良くない渉の町は車がとても大事で、車なしでは町を一周するのに一日かかるぐらいだ。
 しかし渉は焼きそばをよく噛みながら首を横に振った。
「大丈夫。久しぶりに帰ってきたから歩いて見て回りながら行きたいんだ」
 コップ一杯の水を一気に飲み干すと渉はそう言って食器を下げに行った。
 そして自室に戻ると、寝る前に必要な物を詰め込んだリュックを背負い玄関先へと向かう。
「行ってらっしゃい! 気をつけてねぇ」
「ありがとう。あと、焼きそば美味しかったごちそうさま!」
 靴を履き揃えて、スマホと財布がリュックに入っているか確認しながら渉は玄関を出た。
 玄関の扉を出て、わざわざ見送ってくれる母に手を振り返してみると改めて帰ってきたという気持ちが渉の鼻先にツンと来て、あやうく泣きそうになってしまう。
「(いつか近いうちに話せたらいいな……)」
 自身の夢を応援して送り出してくれた親に、その夢を諦めてしまったことを告げなければいけないのは分かっていても、渉はまだそこまで心を強く出来なかった。
 空は雲ひとつない晴天で、太陽がじりじりと照り付き、身を焦がすような暑さだ。セミが忙しなく生きていることを主張して、時折吹く風は珍しく涼しい。
 三十分ほど歩いて、渉はふと自分の足取りが無意識にどこに向いていたか気づかされた。
 目の前には所々ひび割れたコンクリートで造られた古い建物。最近の夢によく出てくる場所。
明日賀屋小学校あすがやしょうがっこう……」
 校門に書いてある名前を読み上げて、渉は再び建物を仰ぎ見た。
 あれから七年ほど経った今でもその面影はしっかりとあった。
 校庭でサッカーをしたり鉄棒したりして遊んだ休み時間、給食当番で行ったり来たりした学校裏口、古びた水道の蛇口はあっちこっちを向いていて、教室は机と椅子を引きずった跡が沢山あった。
 暑い日も寒い日も六年間通い続けた学校。沢山の思い出がそこにはぎっしりと詰まっている。
「同窓会、行けばよかったかな……」
 思わずそんな言葉を零してしまった自分自身に渉は驚いた。
 しかし、もし渉が同窓会に行っていたならそんな懐かしい思い出話に花を咲かせ、楽しい一時を昔のクラスメイトたちと過ごせただろう。そして、瀬奈や日向ともあんなことにならずに済んだはずだ。
「……本当、何やってんだろう俺……」
 嘘まで吐いて守りたかったものはプライドだった。絶対に叶えると信じてきた夢自身だった。
 でもそのせいで、渉は渉自身が嫌いになり始めている。
「こんなに大事なもんなのに……捨てちゃうなんてな……」
 はは……と笑ってみても彼の表情は笑顔からは到底かけ離れた悲しいものだった。まさに後悔を顔に描いたようなその表情は次第に歪んで、ぽつぽつと小さな雨を降らす。
「やり直してぇな……」
 ぎゅっと握りしめた拳を額に当てて、涙を我慢しようにもその勢いは留まることを知らない。
「何やってんのこんなとこで」
 ふと聞いたことのある声が後ろから聞こえた。
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