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26、再契約
しおりを挟む奏多が寝室の片付けを始めた頃、俺はリビングで佐原さんと対面していた。
「…さて…まずは、告白成立おめでとうございます」
「あ、ど、どうも…」
差し出された麦茶のグラスを受け取り、軽く喉を潤す。
「当初は『奏多のEDを治す』という名目で貴方に近付きましたが…結果的に奏多は以後性欲の心配をしなくて済む、ということで大変助かりました」
「治せなくてもよかったんですか?」
「えぇ。私としては奏多が健康でストレスなくアイドルとして仕事をしてくれればそれで良かったので」
うーん、奏多の心配というよりかはビジネスライクな感じだなぁ…
俺は思わず眉間に皺を寄せる。
「それで本題なのですが…社さん、また私どもと契約して頂けませんか?」
「えっ」
それは俺と奏多が初めて出会った時を彷彿とさせるような提案。
しかし奏多と恋人同士になった今、改めて契約する理由がわからない。
「それは前みたいな性欲処理の契約、ですか?それならわざわざお金なんか取らなくても…」
「いえ、そちらの方ではなく…今度はちゃんとした『雇用契約』です」
佐原さんは冷静にそう話すと、俺の目の前に1枚の紙を置く。
そこには『雇用契約書』と言う文字と、幾つかの労働条件が書かれていた。
「これは…」
「雇用契約書です。社さんを、私どもの事務所に引き抜きたいと考えておりまして…」
「…引き抜き?」
俺がゴクリと息を飲むと、佐原さんはメガネの奥を光らせながら口を開く。
「…単刀直入に言います。社さんには、奏多の身の回りの世話をする『付き人』になって頂きたいのです」
「…つき、びと…」
その言葉に、俺は思わず目を丸くした。
芸能人の付き人とは、佐原さんの説明の通り『身の回りの世話』をする仕事だ。
マネージャーのようにスケジュール管理や外部との打ち合わせなどの仕事はないが、多くの時間を芸能人…すなわち奏多の傍で過ごすことになる。
「このままですとスキャンダルになるのは避けられません。ですが、付き人としてなら一緒に居ても誤魔化せるでしょう」
『奏多のファンから刺される心配も無くなりますよ』と話す佐原さんに俺は思わず身震いした。
そうだ、奏多はあれでも超人気アイドル。
下手にスキャンダルになれば、襲われるのは絶対に俺の方だ。
「…でも、そしたら今の仕事は」
「ええ、『引き抜き』ということですので辞めていただくことになりますね。…どうしてもADを続けたいのでしたら無理強いはしませんが…その場合、奏多と会う回数を少し考えて頂く必要となります」
「……………」
ADの仕事は…確かに薄給で大変だけど、やりがいがあって楽しい。
即決で決められるほど嫌いではないADの仕事のことを考え、少しだけ唇を噛む。
「……今すぐに決めていただく必要はございません。私たちは今夜の飛行機で北海道に行きますので…それが終わる頃に返答頂ければ」
「わ、わかり…ました」
ひとまず雇用契約書の紙を受け取り、俺は佐原さんに頭を下げた。
そして鞄に契約書を入れていると、寝室から疲れた顔の奏多が顔を出した。
「佐原ぁ…片付け、とりあえず終わったけど…」
「ご苦労さまです。汚れ物は洗濯機にお願いしますね」
「はーい…」
…奏多ほどの人気アイドルにあそこまで命令出来るのは佐原さんぐらいだろう。
俺は2人の上下関係を気にしながらも、荷物を持って立ち上がった。
「…じゃあ俺、そろそろ帰ります」
「えっ、拓磨帰っちゃうの?」
俺が帰ると言うや否や奏多は捨てられた子犬(大型犬)のような目で俺を見てくる。
やめろ、その顔は俺に効く。(犬派)
「電話ぐらいいつでも出来るだろ。…その…こ、恋人…なんだし…」
「っー!うん!!」
ガタッ
「奏多、ステイ」
咄嗟にドアを開けて飛び出そうとしてきた奏多を即座に制止し、佐原さんは大きくため息をついた。
奏多、もう完全に犬扱いじゃん…
「はぁ…では社さん、奏多のこと…それと先程のお話もよろしくお願いしますね」
「はい、わかりました」
ぺこりと頭を下げて俺は今度こそ玄関へと向かう。
「奏多、北海道のロケ頑張れよ」
「うん!…お土産も買ってくるからね」
そうして軽く手を振り合い、俺はようやく帰路へとつくのであった。
……………………………
その晩、奏多からのメッセージで無事北海道へと発ったことを聞いた俺は自宅で例の契約書を眺めていた。
「奏多の付き人かぁ…」
付き人になれば今日みたいな遠くの仕事場にも着いていける。
それは嬉しいけれど…今の仕事にも未練が無い訳では無い。
「……吉田起きてるかな」
不意に携帯を手に取り、電話をかけたのはAD仲間の吉田。
どうやら酒を飲んでいたらしく、2コール以内で電話に出た吉田はふにゃふにゃした様子で笑った。
『おりょ~?たくまじゃーん。電話なんてめっずらしぃ~』
「吉田…お前、酔ってるな。もしかして飲み会とかしてたのか?」
『うんにゃ、お家でぼっち呑み』
思わず『なんだそりゃ』と笑いそうになったが、俺はそのまま話を続ける。
「じゃあ酔っ払いの吉田くんに質問します。…もし、俺がAD辞めて転職するって言ったら…どうする?」
『うーん、別になんもしないけど』
「えっ」
吉田から返ってきたのはあまりにも素っ気なさすぎる答え。
俺は予想外のことに思わず電話を取り落としそうになってしまう。
「な、何にもしないって…ちょっと自惚れてただけにショックなんだけど…」
『え?あー、違う違う。勘違いしないでよぉ』
深刻な顔をする俺に対し、電話の向こうの吉田は楽しそうにケラケラと笑う。
『俺が言いたいのはぁ…AD辞めても、俺たちの仲は変わらないってこと!!…だって俺たち、ズッ友だろ?』
「よ、吉田…!」
わざとらしくカッコつけなような吉田の声色に、俺は思わず涙ぐんでしまう。
持つべきモノ何とやら…やっぱり友達はいいもんだ。
『で。拓磨転職すんの?次は何?30代童貞?』
「全力で殴るぞ??」
前言撤回。
やっぱり吉田は友達よりも『悪友』だ。
「…ごほん。…今はちょっと話せないけど…転職して馴染んできたら、必ず話すよ」
『…なんか、複雑そうだな』
「うん、まぁな。…その辺のことも話せるようになったら話すよ」
『おっけ。じゃあそん時はまた飯奢ってくれよな』
「はいはい」
そうして俺は吉田との電話を終え、携帯を机に置いた。
「………はぁ。俺、背中を押されてばっかりだな」
佐原さん、父さん、吉田…とにかく周りの人の言葉や助力に改めて感謝をする。
多分、どれか一つでも欠けてたら俺は奏多とこんな関係にはなれなかった。
そもそも、恋に落ちることも無かったかもしれない。
(…奏多、もう北海道に着いたかな)
再び携帯を取り、今度は奏多にメッセージを送る。
『北海道、着いたか?』
たったそれだけのシンプルな文章に、奏多は即座に反応した。
『着いたよ!今は車でホテルに移動中!北海道は涼しくて過ごしやすいし、拓磨と一緒にデートしたいな』
『そうだな、いつかゆっくり2人で出歩いてみたいな』
返事をしながら片手に例の契約書を持ち、少しだけ目を細める。
(俺は…奏多の、傍に……)
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