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夕刻――
まっすぐと今回のターゲットである医師の元へと向かう気になれなかったレオンは、カサブランカという百合亜の勤めるカフェに寄った。
ただ、仕事に取り掛かる前に百合亜の姿を眺めながら、一息つきたいという想いからだった。
『仕事』の前だからこそ、気づかれないようにするつもりだった。
帽子を目深に被り、色眼鏡と付け髭といったアヤしさ満点の格好をしたレオンは、壁際のアップライトピアノから遠い席に腰を下ろし、珈琲を注文した。
――やはり、百合亜さんの演奏は……癒される。
うっとりと感慨深く聴き入る。
音楽に造詣がないので何の曲だか分からないが、甘く優美な音色だということは分かる。
三拍子の耳に心地いいBGMの中、運ばれてきたコーヒーに口をつけた。
やはり、目を閉じていると妙に心が落ち着き、これから成さねばならないことに対して気合いが入る気がした。
小一時間ほど滞在したあと、演奏が休憩に入ったところでレオンはコーヒー代を置いて席を立った。
――あら? あの方……。
演奏が休憩に入り、手洗いから戻る際、百合亜は店から出ていく後ろ姿の男性が気になった。
演奏中は演奏に集中するようにしているが、ためしに数曲弾いたあとに、客層を見回し曲目やジャンルを合わせることが多い。
今日は静かにお茶を楽しみたいという客が多そうなので、ノリのよさよりも、しっとりした雰囲気の方がいいかと、今日は大人しめなクラシックを婉曲したが、実は以前にも覚えのある存在感というか……空気を感じ取ったことがあった。
いくら、懸命に奏でた音楽だとしても、ここで求められるそれは空気を漂っているだけの添え物のようなもの。
BGMとはメインで聴かせるものではなく、耳心地よく傍らで微かに鳴っているものだ。
奏者が主役のコンサートとは違う。
故に、自分の演奏に聴き入ってくれる者などそう居ないと思っていたが、『彼』は違った。
じっと聴き入り、『感動』を覚えているような空気が伝わってきたのだ。
これを他人に話したところで、単なる思い込みだと笑われてしまうかも知れないが、あの雰囲気は本物だった――自分にはそう思えてならない。
――千蔵さま……あの方からもそういった想いを感じた。
見合い相手と気になった客、服装などからまるっきり違う様子であるが、なんだか両者には『自分の音楽を聴き入ってくれる』という共通点を見出していた。
「………」
どういうわけか、無性に気になったため、彼を追ってみることにした。
「申し訳ありません、ちょっと風邪気味で。今日は早めに上がらせていただきます」
ここで演奏自体の仕事は終わりで、夜の部の演奏者と交代することになっているが、控室の掃除などを行う必要があった。
すれ違いざま、そこに居た従業員に耳打ちすると、百合亜は必死で彼を追いかけた。
ターゲットの動きが俊敏だったため、苦労しつつもどうにか彼を尾行することが叶ったことで「わたし、探偵などに向いているんじゃないかしら」などと思いながら、百合亜は柱の影に隠れていた。
――? 鹿島医院……?
彼の行きついた先は、見覚えのある診療所。
――どこかお悪いのかしら?
鹿島医院といえば、現院長の父の代から世話になっている。
小さい頃は病気がちでよく医者に掛かっていた。
大人になってからは風邪ですら滅多に引かない健康体のため、一応主治医ではあるものの、あまり縁はなくなってはいるが――。
百合亜は困惑したような表情で、診療所を眺めていた。
まっすぐと今回のターゲットである医師の元へと向かう気になれなかったレオンは、カサブランカという百合亜の勤めるカフェに寄った。
ただ、仕事に取り掛かる前に百合亜の姿を眺めながら、一息つきたいという想いからだった。
『仕事』の前だからこそ、気づかれないようにするつもりだった。
帽子を目深に被り、色眼鏡と付け髭といったアヤしさ満点の格好をしたレオンは、壁際のアップライトピアノから遠い席に腰を下ろし、珈琲を注文した。
――やはり、百合亜さんの演奏は……癒される。
うっとりと感慨深く聴き入る。
音楽に造詣がないので何の曲だか分からないが、甘く優美な音色だということは分かる。
三拍子の耳に心地いいBGMの中、運ばれてきたコーヒーに口をつけた。
やはり、目を閉じていると妙に心が落ち着き、これから成さねばならないことに対して気合いが入る気がした。
小一時間ほど滞在したあと、演奏が休憩に入ったところでレオンはコーヒー代を置いて席を立った。
――あら? あの方……。
演奏が休憩に入り、手洗いから戻る際、百合亜は店から出ていく後ろ姿の男性が気になった。
演奏中は演奏に集中するようにしているが、ためしに数曲弾いたあとに、客層を見回し曲目やジャンルを合わせることが多い。
今日は静かにお茶を楽しみたいという客が多そうなので、ノリのよさよりも、しっとりした雰囲気の方がいいかと、今日は大人しめなクラシックを婉曲したが、実は以前にも覚えのある存在感というか……空気を感じ取ったことがあった。
いくら、懸命に奏でた音楽だとしても、ここで求められるそれは空気を漂っているだけの添え物のようなもの。
BGMとはメインで聴かせるものではなく、耳心地よく傍らで微かに鳴っているものだ。
奏者が主役のコンサートとは違う。
故に、自分の演奏に聴き入ってくれる者などそう居ないと思っていたが、『彼』は違った。
じっと聴き入り、『感動』を覚えているような空気が伝わってきたのだ。
これを他人に話したところで、単なる思い込みだと笑われてしまうかも知れないが、あの雰囲気は本物だった――自分にはそう思えてならない。
――千蔵さま……あの方からもそういった想いを感じた。
見合い相手と気になった客、服装などからまるっきり違う様子であるが、なんだか両者には『自分の音楽を聴き入ってくれる』という共通点を見出していた。
「………」
どういうわけか、無性に気になったため、彼を追ってみることにした。
「申し訳ありません、ちょっと風邪気味で。今日は早めに上がらせていただきます」
ここで演奏自体の仕事は終わりで、夜の部の演奏者と交代することになっているが、控室の掃除などを行う必要があった。
すれ違いざま、そこに居た従業員に耳打ちすると、百合亜は必死で彼を追いかけた。
ターゲットの動きが俊敏だったため、苦労しつつもどうにか彼を尾行することが叶ったことで「わたし、探偵などに向いているんじゃないかしら」などと思いながら、百合亜は柱の影に隠れていた。
――? 鹿島医院……?
彼の行きついた先は、見覚えのある診療所。
――どこかお悪いのかしら?
鹿島医院といえば、現院長の父の代から世話になっている。
小さい頃は病気がちでよく医者に掛かっていた。
大人になってからは風邪ですら滅多に引かない健康体のため、一応主治医ではあるものの、あまり縁はなくなってはいるが――。
百合亜は困惑したような表情で、診療所を眺めていた。
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