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第5章 遥か遠いあの日を目指して

第95話 損傷した魔回路

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 思えば、俺はこの世界で生を受けた時から、ずっと魔法と共に生きていきた。
地球にいた頃の俺は魔法など使えない事が当たり前であり、俺以外の誰もがそうであった。
それは、空想の世界にしか存在しないものだから。
故に、この世界で魔法と出会い、ジノからそれを学ぶ事は何よりも楽しかったのだ。
少しづつ身につけていったその力は、次第に大きくなり、ある種の全能感すらもたらした。
魔法さえあれば、非力な自分でも何かを成し遂げれる。
どんな事でも、乗り越えれる。
そう……思っていた……。
魔法さえ、あれば——。





「……魔法が使えないこの身体が治るかどうか、そのゼノって人は言っていたか?」

 俺はベッドに腰掛けて肩を落としながらそう尋ねる。

「ゼノさん曰く、多分、この先使える事は無いだろう、って……。
シンの身体の、“魔回路”っていうモノが致命的な損傷を受けてるって言ってた」

 魔回路——。
確か、身体中を流れる血管みたいなものだと、ジノが言っていたな……。
身体のマナを魔回路を通し、手の平などから魔力を放出し、魔法を放つ。
それが魔法の基本だ。
また、全身に魔力を行き渡らせれば身体能力を向上させたり、皮膚を強固なものにも出来る。
眼球にまでその力を及ばせれば、鑑定眼も扱える。
そして、あの“幻想魔導術式”とは、その魔回路を強制的に広げ、より膨大な魔力を流す作用を持っている。
故に、使用後には広がった全身の魔回路を縮小してしまう為、極度の倦怠感に襲われ、魔力も弱体化してしまう。
場合によっては魔回路の収縮がうまくいかず、元の大きさに戻るまでスキルが使用不可能になる事もある。

 その魔法使いの生命線とも言える魔回路が、破壊された……。
それは左腕を失った事よりも、遥かに大きな衝撃を俺にもたらした。
とは言え、これは幻魔の術式を連続使用した事が起因している為、完全な自業自得なのだ。
本来、魔回路が崩壊して命を落としても不思議ではなかったのだから……。

 しかし、今の俺は魔法が使えない普通の人間に成り下がってしまったのも事実。
不幸中の幸いは魔法を使わずとも、通常時の身体能力も俺は高いという事が唯一の救いである。
魔力を使えずとも、武術のスキルは十全に発揮出来るだろう。
……片腕を失っている事から、十全と言える程では無いかもしれないが……。

「……悪ぃな、リアナ……。
俺が不甲斐ないばかりに、こんな訳のわからない事にまで巻き込んじまった」

 俺はそう言って強く歯ぎしりする。

 自分が情けねぇ……。
結局、俺は何一つ守れてない。
ジノにあんな啖呵を切っておきながら、この体たらくは何だ……?
何より……俺を命懸けで守ってくれたアネッサを……目の前で……ッ!

 俺はシーツを握り締め、自分の不甲斐なさに肩を震わせる。
そんな俺の横にリアナは座り、俺の右手にソッと手を置いた。

「そんな事、言わないで……。
私は自分の意思でシンの側に来たんだよ。
非力な私でも何か力になりたいと、そう強く思ったから」

 その言葉を聞いて、俺はハッとする。
ゆっくりとその顔を上げ、リアナに問いかける。

「リアナ……。
そういやお前は、あの時何処から来たんだ?
ミーシャさんは?里の人達と一緒じゃななかったのか?」

「里の皆はあの大きな空飛ぶ船に乗って行ってしまったわ。
行き先は多分、エルフ王国。
私は、お父さんの制止を振り切って来ちゃったの。
だから帰ったら、きっと物凄く怒られちゃうね」

 そう言ってリアナは困ったように笑う。
どうやら、リアナもまた無茶をしたらしい。

「そうか……。
とりあえず、里の皆はあそこから離れる事は出来たんだな」

 俺は里の皆が無事である事に安堵し、胸をなで下ろす。
とは言え、リアナがここに来てしまった事には責任を感じてしまう……。

「俺が不甲斐ないばっかりに……。
でも、俺は必ず帰る方法を見つけ——ッ」

 俺の言葉の途中でリアナが人差し指を俺の口に当て、黙らせる。

「シン、とにかくまだ身体は本調子じゃないはずだから、無理しちゃダメだよ?
もうすぐ夕ご飯だから、準備ができたら持って来るね。
それまで横になっておいて。
まだ勝手に出歩いちゃダメだよ?」

 リアナはピシッと俺に指差してそう念押ししてくる。
こういうリアナも、久々に見た気がする。

「わかったよ。
正直、身体中がまだ痛むし、休んだ方が良さそうだ。
世話かけて悪いな……」

 俺が申し訳なさそうにそう話すと、リアナは首を横に振る。

「そんな事ないよ。
こんな事しか役に立てないけど、少しでもシンの力になれたら、私は嬉しいから」

 そう言ってはにかんだ笑みを浮かべ、リアナは部屋を後にした。
俺は扉が閉まると、肘から先が失われ、包帯が巻かれた左腕へと視線を移す。
それをしばし見つめ、俺は顔をしかめる。
あの出来事が、目を閉じれば鮮明に思い出される。
その度に全身からは軋むような痛みが絶えず走り、胸は呼吸する度に鋭く痛む。
突き刺すような頭痛は治まってきたが、こちらも未だ鈍い痛みが続いている。
そんな絶え間ない痛みは、自分が生きている証拠なのだと、俺に伝えてくるかのようであった——。






 俺達のいる孤児院は煉瓦造りの屋敷で、一歳から十五歳までの計二四人の子供達が暮らしていた。
その子供達の面倒は三人の修道女がみてくれていた。
無論、彼女達だけでは全ての子供達の面倒を見きれる訳ではないので、家事から幼子の面倒まで子供の中でも年長者が協力し、助け合あって生活していた。

 俺やリアナもそんな年長者の一人である。
リアナは器用な上に魔法も扱える為、炊事洗濯、買出しなどなど何でもこなしていった。
なんせ火は起こせるし水も出せる上に空だって飛べるのだ。
買出しには大きな背負い袋を背負って、少しばかり遠い街にで出掛けることもあった。
そんな彼女を周りの子供達は目を輝かせ、羨望の眼差しで見ていたのだった。

 俺も何かやらねば、気持ちが焦ったのだが、家事をするにも片手が使えないのは致命的であった。
何を持つのも扱うのも、片手だけではどうしても手間取ってしまった。
また、自然治癒がまともに働かないせいか、身体中を走る痛みはなかなか消えずにいた。
それ故に、どうしても動きが鈍くなってしまうのだ。
結局労働力として大して役に立たない俺は、子供達に文字の読み書きや計算といった勉学を教える教育係を任される事になった。
元々修道女がその役割を担っていたものだったが、教わらずともスラスラと答えていく俺の姿に修道女は目を見張り、君が教える立場になると良い、と指導者役を任されたのだ。

 そして俺は身体を治す事をまず優先し、空いた時間は子供達の教育と修道院の雑務をこなす日々が続いた。
そんな日常が続き、早二ヶ月が経ってしまった。
結局、二ヶ月の間帰る手段もその道筋も見出せず、もどかしい思いは募る一方でもあった。
しかし、二ヶ月間安静にしていたお陰か、ようやく身体の痛みも薄れてきていた。
そんなある日、のどかなこの村である出来事が起きたのであった——。




 それはとある日の昼過ぎ頃、いつものように六歳前後の子供達に算数を教えている時の事。



「ほら、この籠にリンゴが三つあるだろ?
そこに、こっちの籠のリンゴの二つを合わせると……。
さぁ、いくつだ?」

 俺はかつて日本で見たリンゴよりも随分小ぶりなリンゴをそれぞれの籠に入れて問いかける。
取り囲む小さな子供達は首を傾げて悩んでいる。
そんな中——。

「はいッ!」

 茶髪の少年が勢いよく手を挙げる。

「はい、カルロ君」

 俺が指差すと、カルロと呼ばれた少年は勢いよく駆け出してリンゴを両手に取り、大口を開ける。

「……って、ぅおいッ」

 一瞬呆気にとられた俺は慌てて止める。

「答えは三つぅ!これとこれは僕が食べるーッ!」

「食うなッ、そして違う!」

 俺達を見て周りの子供達がゲラゲラと笑う。
俺は即座にカルロを足で絡め取り、手加減しつつそのまま足技を決める。
「ぬあーッ、助けてーッ」と床を叩きながら暴れるカルロ。
「リンゴを、放せぇッ」と足に力を込める俺。
それを見た周りの子供達はやんやとはやし立てる。

 そんな馬鹿騒ぎをしていた時、窓から村の人達の慌てた声が聞こえてきた。
不思議に思った俺は足から力を抜き、立ち上がる。
すかさずカルロがリンゴにかぶりついたのを俺は横目でジロリと睨むが、溜息をついて諦める。
そして窓辺に寄ると、声が微かに聞こえてきた。

「コボルトを近くで数匹見かけたらしい——」

「森の群れからはぐれた奴等だろうな……。
今さっき自衛団が数人外に——」

 小さく聞こえたその話し声に、俺は目を細める。
そして笑顔を取り繕い子供達に振り返る。

「答えはまた後で教えるから、皆考えておいてくれ。
カルロ、一人で食うな。
残りのリンゴは皆で分けろ。
俺は少し出掛けてくる」

 俺の宣言に子供達は喜んでリンゴに飛びついて行く。
そんな中、一人の女の子が近寄ってきた。

「シン先生、どこいくのー?」

 三つ編みのブロンド髪をした女の子が小首を傾げて聞いてくる。

「んー……少し、外で用事ができたんだ」

「えー、僕達も行くー」

 今度は俺の足に組み付いてくる短髪赤髪の少年が上目遣いにそう言ってきた。
俺はポン、と赤毛の少年の頭に手を置いた。

「多分……忙しい用事になりそうだから、君達はここで待っているんだよ?
シスター・メアリーに声を掛けとくからさ」

 俺はそう言って不満顔の子供達を残し、部屋を後にする。
しばし歩いていると、長い廊下で修道服を身に纏った女性、メアリーさんを見つけて声をかける。

「村の近辺に魔物が出たそうですね」

 近付きながら迷いなく放たれたその言葉に、僅かにメアリーさんは驚いていた。
しかし、メアリーさんはゆっくりと腰を屈めて不安にさせまいと微笑んだ。

「村の皆が騒いでいるから気になったのね。
今は危ないから、外に出ないように——」

「魔物の討伐なら、僕も手伝ってきます」

 メアリーさんの言葉を遮り俺が素早くそう答えると、慌てて肩を掴んで止めてくる。

「何を言っているの!?
子供が出るような話じゃないの。
貴方はここで、他の子達が外に出ないように見守っておいてほしいの」

「それを、メアリーさんにお願いしに来たんです。
生意気な事を言って、申し訳なく思ってます……。
でも多分、僕が行った方が早く決着がつくと思うんです。
誰にも、怪我をして欲しくないですから」

 俺は構わずにそう言って一礼すると、困惑するメアリーさんの横をすり抜けて駆け出した。

「シンッ!待ちなさいッ!」

「大丈夫です。
家事もろくにできない自分ですけど、戦いとなれば——」
 
 振り返りって声を上げた俺の脳裏にあの忌まわしき光景が映る。
即座にギリッと歯を噛み締めてそれを搔き消し、俺は小さく口を開いて続ける。

「お役に立てますから」

 その声が聞こえたのか、聞こえなかったのか。
それを確認はせず、手を伸ばすメアリーさんを残して俺は外に飛び出しのであった。
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