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第六話 魔獣狩り
しおりを挟む夜半、蛙の合唱が響く住宅地と田園風景の合間を縫うような道路に、女子高生姿の薬師峰瑠璃。忠平は暗夜、500メートルほど離れた雑木林の木々の間から様子を伺っている。
そこは先日、事件のあった場所からそう遠くない凪川市郊外の田園地帯で、一部が宅地化されて新興住宅となった地域だ。街灯もまばらで、北側の山林部分は黒い闇の中に入り込んでいた。時より山の方の県道を走る車のライトがかろうじて文明社会との繋がりを感じさせていた。
薬師峰は潜入した高校で、葉山伊保香の他にも獣の被害者がいるらしいこと、鞘野グループに所属していたらしい、ということが分かった。
柴から追加情報があった。二人目の犠牲者は地元大学の大学生で、どうも行方不明になっている宇野の交際相手とのことだ。宇野は現在も行方不明で、近々大規模な山狩りが行われるとのことだ。
結局薬師峰がほとんどこの事件のことを調査していて、忠平が柴に話を聞きに行ったのは意味があったのか。もしかしたら彼女はこの事態を十分に把握しておらず、本当に調査のためだったのかもしれないし、そうでなかったとしたら――。
忠平に不意にいやな思考が走ったが、今は目の前のことに集中することにした。
薬師峰の表情から何か読み取ることはできない。いつもと変わらず飄々としている。
今回はこちらが狩る側である。そのための『餌』も撒いて、『獣』自らを囮にして奴を誘き出すということらしい。
あともう少しで市街地へ入る、その時薬師峰の歩みが止まった。その視線の向こうにはもう一人の女性の姿。薬師峰と同じ制服姿であるが、異様な雰囲気を纏っている。
「『渡古まりえ』さん、ですよね」
「あなた、誰です?」
「梨乃の友達よ、友達として聞いているの。あなた、『渡古まりえ』さんでしょう?」
人間の平常の聴力なら聞き取れない声でも忠平には聞き取れている。筋力と同じく、誓約により聴力も増強されているのだ。
「そう、と言ったらどうしますか?葉山伊保香さん?」
「遭ったこともないのに私の名前、覚えてくれてるのね。気持ち悪」
呼ばれた女の、蛾のように白い肌に紅い唇が妖花のように開いた。
つい先日、死体を獣に奪われたはずの、葉山伊保香は健在であった。それどころか怒り、否、憎しみをぶつけてくる。
「死んでも梨乃さんが大切なのは分かりますが、新しい友達に嫉妬するのって、美しくないですよ」
「うるせぇ!女狐!私の梨乃に手ェ出すな!」
瞬間、突風にも似た黒い塊が音もなく薬師峰に迫った。
間一髪、薬師峰は横に跳んで転がるように避けた。
闇夜より黒い、黒い体毛。炎のように燃える眼。狼より一回り以上大きい体躯。想像以上に強大な存在が眼前に踊り込んできた。
「あら、お顔だけじゃなく運動神経もいいのね。でも次は逃がさないから」
暗闇に獣の頭部から白い顔が、仮面のように浮かんでいる。にやにやと言葉を発しながら人面が蠢く。
余程尋常の存在とはかけ離れている人面の妖獣、それこそが葉山伊保香の成れの果てであった。
「あらあら、随分と手荒な真似を。嫉妬にしては度がすぎますね」
こんな事態でも薬師峰は余裕の態度を崩さない。
「次はない、その綺麗な顔面をぐちゃぐちゃに砕いてやる。梨乃を誑かした罰よ」
「誑かす…?私はお友だちになりたかっただけですよ」
「黙れ!クソ女!梨乃と友達になりたい、とか言っておきながら裏で梨乃の陰口を言いふらしてただろ!アイツらと一緒って全部わかってんだよ!」
妖獣と化した葉山は人語を解するものの感情が不安定になっているのか、乱暴な言葉を撒き散らす。
「忠平さん、手加減無用です。もはや人間と言える存在ではありません」
独り言めいた薬師峰の呟きは合図であった。 もう一陣の黒い風が眼前に吹き込み、土煙が舞う。
獣は寸前、感づいて躱していた。
忠平の手にはその辺で拝借した建設資材の鉄骨が握られている。おおよそ常人が振るえるものではないが、誓約によって得た並外れた筋力が鉄骨を無骨な鉄刀に変えていた。
あれを避けるか――。
必殺の間合い、一撃であったが、寸前に感づかれて躱された。前に相手をしたDV野郎の化けた獣とは敏捷性も獰猛さも段違いであった。
野生の勘ともいうべきか、一頭と一人いや、二頭の獣は互いの実力を先程の一合で理解していた。
間合いは十分近いが二撃目は腹のさぐりあいだ。じわりじわりと近づくを変える。
黒い獣が低く喉を鳴らす。
あと一歩近づけるか、というところで仕掛けたのは獣の方だった。忠平の鉄骨が袈裟懸けに頭部を狙う。白い牙が滑り込むように忠平の喉に食いつく。ねじ切るような回転で喉笛から血が吹き出す、はずだった。
かちかちと鋼の刃と刃が鍔迫り合いをするような音。間髪、忠平は持ち手を滑らして鉄骨の左手側を起こし凶猛な牙を防いでいた。飛び退く隙は与えない。すでに鉄骨を離していた右手を獣の腹に打ち込んだ。
何度も鈍い音が響くが、獣の勢いは削がれていない。拳程度ではさほど損傷を与えられていない。『誓約』の力も非尋常だが、獣の力も同等、それ以上のようだ。
なんとか鉄骨を咥えさせて攻撃を封じているが、筋力は強化された忠平の力以上だ。この接近した状況でどう倒すのか。
迷った一瞬、獣は忠平と組み合ったまま豪然と走り出した。道路から押し出そうとしている、と思いこらえようとしたが、より強い力で押し込まれる。
まずい、と思った時には忠平の体は道路下の水を張った田畝に叩きつけられてしまった。
明かりの乏しい田舎では田圃の泥濘はさながら暗黒の沼地で、獣の眷属であった。
ずぶずぶと体が沈み込み、立ち上がることもできない。
鉄骨の轡も外れ、完全に形勢逆転していた。くわっと開かれた黒い獣の口は火焔の如く赤い舌がおどり、今度こそ獲物の首を食いちぎらんと襲い掛かる。
「まだ諦めるのは早いですよ」
諦めかけたその時、頭上で涼やかな声が聞こえた。
獣の動きが止まって、怒号が闇夜に響く。薬師峰がいつの間にか獣の背中に飛び乗り、両刃の剣を突き立てたのだ。
ここに来て唯一の好機到来、忠平の血流が湧き立つ。泥濘の中から獣の体毛を掴んで組み付く。
薬師峰がぱっと軽業師のように空中に舞った。
獣の注意が上方に向いた瞬間を見逃すことはできない。忠平は真っ黒い泥の中から蘇った亡者の如く、獣の首を両腕で抱き込むように締め込んだ。
拘束を解こうと獣はもがいて暴れまわる。ここで離したら、完全に勝機は失われる。
「おおおおぁぁっ!」
持てる力を限界まで引き出し、泥にまみれてめちゃくちゃになりながらも忠平は咆哮してより一層締め付けた。
しばらくもがき苦しんだ後、ごきり、と鈍い音がした。獲物の太く低い鳴き声が致命傷を与えたことを示していた。
ぐらりと獣の体が揺れ、ついに泥の中へ倒れた。
「ひどい有様ですね」
泥と血にまみれ這い出してきた忠平にかけた言葉がそれである。
「もう少し労りがほしいところなんだが。あとこういういいものがあるなら早めに欲しかったよ」
忠平は少し憤慨して小剣を返したが、薬師峰は表情を崩さない。
傍らで横たわる獣の体は、この前のようにズブズブと溶けていく。
その中から、若い少女の体が現れた。先程の執念を丸出しの悪鬼のような表情ではなく、全て力を失い視線は虚だ。
「葉山伊保香、蘇ったということなのか?」
「死を偽装してたのですよ」
「なんでそんなまどろっこしいことを」
「いじめをしていた連中への復讐…そして梨乃さんを守るためには人間のままでいるより獣へ変生した方が都合が良かったのでしょう」
「そして間違いなく、そうなるように仕向けた者がいるということです」
僅かな妖力とやらが機能しているのか、まだ息があった。口元が微かに動いている。
薬師峰は汚れることも厭わずドロドロの中から少女を助け起こす。
「…私が…りのを守るんだ。誰…にもひどいことは…」
「葉山さん、大丈夫ですよ」
そう慰めるように薬師峰は伊保香の背中を優しく撫ぜて、何やら呪文のようなものを耳元で呟くと、伊保香の表情は安らかなものに変わっていった。
「う、あ、あ、あ!あ!」
突如である。伊保香は急に苦しみだした。背中が反り上がり、ツタの紋章のような黒い模様が全身に広がっていく。
「いけない!呪印が!」
薬師峰がらしくないほど慌てて、伊保香の胸元に手を当てる。
「駄目…早すぎる…忠平さん!」
俺達を見ている奴がいる!そう理解した忠平は並外れた速度で藪を突破し、斜面を駆け上がって丘陵の最高点へ到達した。そこから更に一番高く伸びる木の上に上がって周囲を洗す。
「どこだ!どこにいる!!」
忠平の叫びに応えるものはない。
「あ、ぐぅ、う、う!!」
低く鈍い音が伊保香の体から鳴った。
心臓が潰れる音だ。
薬師峰を出し抜くほどの高度な呪法を以て伊保香は呪殺された。
やはり、「誰か」が視ていたのだ。薬師峰が感じた視線。それは伊保香のものだけではなかったのだ。
「やられた…」
乱れた髪の毛をそのままに、薬師峰は呆然としていた。
「クソぉぉぉぉぉ!!」
絶叫にも誰も何も答えない。
周囲は騒乱の後、虫と蛙の鳴き声が四方から聞こえるいつもの姿に戻っていた。
あくる日、葉山伊保香の遺体が凪川市郊外で発見された。
被害者を出しだだけでなく、周辺の道路や田畝が破壊され踏み荒らされていたこと、大型の四足動物の足跡が何個も見つかったことが、地元のみならず全国的に取り上げられた。
一部ゴシップでは「凪川の獣」「凪川のルガルー」などと都市伝説的な見出しでセンセーショナルに報道された。
行政は再三にわたって駆除を行ったがそれらしい生物の姿は遂に現れなかった。唯一発見されたのは、行方不明となっていた不良の宇野だけであった。
2週間以上山中を彷徨っていたらしく、浮浪者同然の姿で発見され、精神にも異常をきたしていた。
そのうち報道も次第になくなり、やがて誰も語らなくなった。
だが獣とその張本はまだ、この街に潜んでいる。
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