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第一話 春の夜の暗闘

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 月も潤んだ五月、妙にじっとりと湿気の多い夜であった。

 人も車通りもわずかな郊外の山道の片隅に、大型バンが一台停まっている。もし車で通りかかっても土木工事の業者の車、という印象しか持たないだろう。

 その車の中に男らが三人、一人の少女を囲んでいた。

 密閉された空間、男女、明らかに異様、明らかに犯罪のにおいが充ち満ちている。

 少女は薬で眠っているのか、整った横顔を窓ガラスの方に向けている。口には猿ぐつわをされて、両手は手錠がはめられている。白い肌が薄暗い車内にぼんやりと浮かぶ。

 周りを囲む男どもは劣情を隠しきれず下品な笑みを浮かべている。
 側から見れば非道な、不埒な場面であった。

「マジで良い女だな。こんな田舎じゃそうそういねぇぞ」
「もう金とか関係なく楽しんじゃえばいいんじゃない?」
「アホ、金にならないことすんな。しっかりと商品に稼いでもらわねぇと」

 周りの男たちを制した、少女の横に座る男、城島はこの界隈を縄張りにする半グレ組織の一員である。はっきりした区別はないがいわゆる女衒屋というやつで違法売春、風俗、美人局などをシノギにしている。

 このグループの本日の収穫が、この少女というわけだ。城島の地元の後輩連中がサークル交流会、と称して合コンを企画して集めた男女で一番目を引いたのが彼女だった。確かにこの辺りの地方都市にない、均整の取れた体つきと瑞々しい女性らしさを併せ持った上玉である。

 彼らのセオリー通り、コトを運んだ。高い酒を飲んでしまったとか、持ち物を壊したとか難癖をつけて体で支払うように追い込む。

 かすかな吐息とともに少女の身体がむずるように動く。鼓動に合わせて動く胸元から妙な色香がこぼれる。

「いいじゃん、俺がヤってるところを動画で撮ってさ、上手いこと編集すれば動画サイトでも売れるっしょ」

 チームの中で一番調子のいい、おどけたような薄ひげの小沢が一番うしろの席から身を乗り出して、少女の頬を軽く叩いた。

「バカ、言ってんだろ『商品』に手を出んじゃねぇ」

 城島が小沢を制した瞬間、ぐらり、と小沢が急に無言で倒れ込んだ。ふざけているのか、と思ったがどうも様子が違う。目を開けたまま、意識がない。

 何が起こったのか分からなかったが、一つ変わったこと、先程まで窓側に顔を向けていた少女がうっすらと目を開けて車内の方を向いている。焦点があっていないような朧気な、白痴めいた表情である。

 何しやがった、と城島は発声し、掴みかかろうとした、つもりだった。しかし、赤黒い口腔と醜い軟体動物のような舌が微動するだけで声帯が振動することはない。

 城島は咄嗟のことで気が動転した。普段なら男女問わず恫喝、暴行お手の物だったが、己がされる側になることはなかった。それが意味不明の、尋常以外の何かによって、動くことすらできない状態になっているのだ。

 異常に気付いた運転手と助手席の男が飛び出し、その女を車外へ引きずり出そうと後部座席のドアを開け女の肩を掴んだ。その時、前の二人と同様糸の切れた木偶のように膝から崩れた。

 尋常の事態ではなかった。屈強な半グレの集団が毒牙にかけようとした存在に逆に謎の力で行動不能にされているのだ。

 不自由な手で猿轡を外すと、女はゆっくりと最後に残った男の方に向かった。

「何を、何をしやがった!」
「ふふ」

 狼狽する男に対して女の表情には余裕がみられる。

「個人的恨みはありません、が」
「衆生の願いのためです」

 どういう理屈か知れないが、残った男は3人の男を行動不能にしたこの女は危険だと認識した。折りたたみナイフを取り出して威嚇した。

「無駄ですよ、それに」
「ひとり、とは言ってないですよ」

 女が言うが早いか、男の体が宙に浮いた。

 宙に浮いたのではない、何者かがいる。闇に溶けるほどの黒衣を身に纏った存在。男なのか女なのか判別がつかないほど目深にフードを被り、口元はマスクで隠れている。並の力ではない、成人男性をまるで幼児かのように軽々と片手で首根っこを掴んで持ち上げているのだ。

 半グレの最後の男は虫ケラのようにもがきながら、声を出そうにも出せず、やがて動かなくなった。

 失神した男を地面に転がし、黒衣の者は不敵な笑みを浮かべる女と相対する。

「ご助力どうも」

 女と黒衣の者との間には何かしらの信頼関係があるようだった。

「さて、どう料理しましょうかねぇ」

 笑う、いや嗤うというべきなのか、女は謀をめぐらしているが、どこかいたずらを仕掛ける少女のような表情である。

 春の夜、人知れず世の理を越えた者たちが暗躍していた。



 五月晴れ、というのが冗談なくらいの輝かしい日差しに灼かれて、佐上忠平さがみちゅうへいは思わずネクタイを緩めて低く呻いた。
 遠くに緩やかに連なる低い山々も萌葱色が鮮やかで、雲ひとつない蒼天に絶対的な太陽が眩しい、眩しすぎた。それゆえに日陰者となった忠平には特別厳しく感じた。

「しかし、本当にこんなことあるなんてな」

 とつぶやいた。

 忠平は2週間ほど前に会社都合で自主退職となった身である。理由は世界情勢の悪化と競争激化による経営難での会社都合によるもので、比較的若くて成績も芳しくなかった忠平はあえなく雇用調整リストラの対象となった。

 職安ハロワに行って雇用保険の手続きだったり、近場の職を探したりしたものの、漠然とやる気が湧かず近くの公園をふらついていた。

 辞めた会社も、なんとか滑り込んだようなものだったのでTOEICやらMOSやら資格も皆無であった。

 その時、一人の少女と出会った。

「お暇、ですか?」

 そう声を掛けたのはどこの高校か分からないがきっちりと制服を着た少女である。尋ねた声はあどけなさの残る容貌とは不釣り合いなほど大人びていた。上背で、すらりとした体躯はモデルでもできそうなくらいのスタイルだった。

「ちょっとお兄さんに手伝ってほしいことがありまして」

 色香や金で人を釣って騙して金を巻き上げる、または違法労働に引き込む、という事件を聞いたことがある。が暇だったので忠平は多少やり取りすることにした。

「暇は暇だけど、ヘンなことなら手伝わねーよ」
「ふふ、大丈夫ですよ、助けてほしいんですよ、わたしを」

 それが薬師峰瑠璃やくしみねるりとの出会いで、昨夜の出来事の始まりだった。

 しかしながら想像以上の結果が舞い込んできていて忠平は困惑していた。困っているから助けてほしい、というからホイホイついて行ったら、リア充、陽キャの合コンみたいなところに着いて行くことになり、そこからイカつい輩(ヤカラ)めいた奴らに薬師峰が連れて行かれて、という流れだ。その後は、あれよあれよと展開してなにが何やら当人も困惑中している。

 だが、自分が意外にもよく動けてしまった、しかも常識外の強力で大の大人を片手で持ち上げて首を締め上げた感覚もはっきりと記憶していた。

 しかし同時に反社めいたやつらに目をつけられていやしないか、無法者とはいえ暴力を行使したことで警察事案になってないか、という不安も出たり入ったりしている。今のところそれらしい報道は上がってきていないのが救いだった。

「まあ、夢みたいなもんだったのかもしれないな」

 忠平は伸びをして、また再就職活動でもしようとベンチから立ち上がろうとした時、

「あら、また、お暇ですか」

 とあの涼やかな声が耳に入ってきた。

「また、お手伝いしてくださいな」

 少女がにんまりと笑っていた。



「結局は巡り合わせ、ということなんですよ」

 と、説明になっているか、なっていないかよくわからない言説を一通り並べたあと、夙川吒枳尼真天の化身と称する正体不明の少女は自信たっぷりに断言した。

 薬師峰いわく、自分は吒枳尼天の化身で「衆生の願いを叶える」ためにこの世に現れたのだという。そしてその「手伝い」ができる「波長が合う」人間を探していた。その神の手伝いが忠平だというのだ。

 傍からみれば電波系オカルトの愛好家の可哀想な妄想であるが、今回は過去の事実が前提にあった。

 半グレたちを謎の術で行動不能にしたこと、それと「予想外に動けてしまった」忠平が発揮した怪力。それはすべて薬師峰がもたらしたもの、とのことだ。

 いわく薬師峰自身が使ったのは「瞳術」。目を見た相手の精神を支配する幻術だ。そして忠平が発現した怪力は、神との誓約うけいにより発現したものらしい。普段は制限されている脳と筋肉のリミッターを外す、ということなのだろうか。

「佐上さんは初めてにしてはよくやって頂きました」
「たまたま居合わせたから、ってやらせてること結構えげつないぜ」

「それは佐上さんの才が、吒枳尼真天わたしの導きにより開花したのです。これは現実が証明しています」
「吒枳尼天の使役ねぇ…それこそ狐の役目だろ」
「狐…あぁ、そうですね!」

 幾分わざとらしく思いついたように薬師峰はカバンから何やら取り出すと白い狐の面を差し出して、

「これで凪川稲荷の狐になってください」

 と差し出した。

 この地方都市、凪川市のシンボルと言ってもいい、凪川稲荷の鎮守である吒枳尼天の使い、使役されているのが狐だ。その狐に扮することで何を狙うのか、薬師峰瑠璃は悪戯を企てるような面持ちで微笑った。
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