菩提樹の猫

無一物

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9章 山城での宴

16 傀儡の王(1)

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◇◇◇◇◇


 スタロヴェーキ王国の騎士はわずか五十騎、それをおよそ十万のディシェ帝国軍が取り囲む。
 
 二千倍もの兵力に包囲されながらも、毅然としており誰一人として足並みを乱すものはいない。
 それどころか、たかが五十の騎馬にディシェ帝国軍の方が道を開ける始末だ。
 
 
「本当にやって来た……」

 白馬に跨る白金の鎧を纏う人物は、周りを囲む騎士たちに比べたらまるで女人のように華奢だ。
 
 兜から覗く口元は女とは違う硬質な線を描いているのだが、零れる銀髪と唇の艶やかな色が全てを裏切っていた。
 ここが数多もの血を吸った戦場なだけに、その姿は浮いていた。
 
 緻密な細工を施した薄い白金の鎧は、本来の役割を果たすほどの防御力を兼ね備えていないのは明らかだ。
 戦場へ顔を出すための礼儀として身に纏っただけの形式的なものでしかない。


 心を映す鏡である瞳が見えていないだけで、見る者の想像を掻き立てる。

 帝国の兵たちは、「あれが噂の……」と口々に囁きあう。
 
 ディシェ帝国の支配する東国の地は、太陽神スルンセを崇めている。
 その戒律は厳しく、特に男女の在り方については完全に役割を分けていた。
 男は雄々しくあるべきで、美しく着飾り目を楽しませるのは女の役割だ。
 強く見せるために武装することはあっても、男が美しく見えるように着飾ることなどない。
 

 淡藤色のマントをたなびかせ、殺伐とした荒野に姿を現したスタロヴェーキ王国国王レナトス。

 男はこうあるべきという概念が足元から崩れ、甘い毒のように兵たちの乾いた心の中に沁み込んでいく。
 数々の国に攻め入り、百戦錬磨の戦いを繰り広げてきた意気軒昂な帝国軍たちに動揺が走った。
 
 そんな兵たちの中から、一人の騎士が進み出てきた。
 黒馬に跨ったその姿は勇壮で、一塊の兵ではないことが窺える。

「レナトス国王陛下とお見受けしますが、これから先はお一人でお進みください」
 
 黒馬の男の遥か後ろには、深紅の天幕がうっすらと見える。
 あの中に、レナトスの目的の人物がいる。


「天下の皇帝陛下が、我と会うのにそこまで警戒するとは……。家臣の命乞いに来ただけだというのに。よかろう、皇帝陛下の元へ案内せい」
 
 間違いなく男の声なのだが、耳の中で跳ねる声音は心地良い。
 レナトスは皇帝の態度を軽く鼻で笑い飛ばす。

 周囲を囲む騎士たちに、敵地へ一人で向かうレナトスを止める者は誰もいない。

 通常ならば自国の王が敵国である皇帝の元に一人で赴くなんて常識では考えられない。
 身柄を拘束されたり、殺される可能性だってあるのに、レナトス三騎士といわれる黒鉄の甲冑に身を包んだ三名も、全く動く気配はなかった。

 先に見える深紅と金に彩られた豪奢な天幕へと、レナトスは一人で進んで行った。



「——ほう……銀髪にペリドットの瞳……想像以上だ」
 
 レナトスが兜をとると、奥の椅子に座る男が息を漏らす。
 
「初めまして皇帝陛下。……珍しい猫でも見るみたいに我を見ないでくれないか。居心地が悪い……」

 遠慮のない視線にレナトスは眉を寄せ、いちおう挨拶はしながらも素直な気持ちをそのまま告げる。
 飛ぶ鳥を落とす勢いの帝国の皇帝に対する態度にしてはいささか無礼な挨拶だと思ったが、相手の方がもっと無礼だとレナトスは開き直る。

「美しい猫を手元に置きたいと思っているのだが、どうも気難しい性格のようだな」

 年の頃は三十後半、豊かな髭を蓄えた赤毛の男は、これまで多くの国を侵略し我がものにしてきた自信に満ち溢れていた。

 レナトスの態度に面白みさえ感じるほど、皇帝は精神的に余裕があるようだ。
 こんな華奢な青年が一人で天幕に乗り込んできてもなにもできやしないと思っているに違いない。


「それよりもうちの宰相を返してくれないか。政務が滞っていかん」

 ディシェ帝国と名乗ってはいるが東国の小国を侵略して急成長した急ごしらえの国だ。
 八百年も続くスタロヴェーキ王朝からすればひよっ子に過ぎない。

 困ったことに、国土を広げることしか興味がなく、国を統治する段階にまで目を向けられない野心家の皇帝には、国家としての常識が通用しない。
 東の国を次々と飲み込み、遂にスタロヴェーキにまでその触手を伸ばしてきたのだ。

 平和交渉という名の元に皇帝が寄越した書簡は、レナトス王が人質となることを条件に西への侵攻をしないというとんでもない内容だった。

 そんな勝手な話を、スタロヴェーキ王国が聞き入れるわけもなく、使者を出して断りを入れたのだが、その使者が帰って来ない。

 その後、二人送っても同じ結果だったので、宰相を送り込んでやっと返事が来た。
 しかし返事を持って来たのは、宰相ではなく帝国側の使者だった。

 皇帝は王と直接会って話がしたいとしているが、悠長に待つつもりなどなく、スタロヴェーキへ侵攻するために国境付近にまで兵を進めて来ているという。
 侵略されたくなかったら王自ら話を付けに来いという信じられない内容だった。

 その話が嘘でないことを裏付けるように、国境騎士団からは国境付近に十万の兵が集結しているという知らせが入る。

 本来ならばこの時点で戦争になっているのだが、スタロヴェーキには切り札があった。
 この切り札があるからこそ、八百年間どの国からも侵略されず栄華を極めて来たという歴史がある。
 レナトスの代になり、ますますその切り札は威力を増していた。
 
 そんなことを帝国側は知りもしない。
 レナトスは王位を継承してまだ二年足らずの青年で、他国には戴冠式で見せた類稀なる美貌しか知られていない謎の多い王だった。


「せっかちな王だな。俺への挨拶もなく使者を返せだと? どうやら自分がどいういう立場なのかわかっていないようだな。まあいい。生意気な猫も嫌いではないからな。これ、レナトス王の片腕を返してやれ」
 
 皇帝の側近らしき男がレナトスの前に、ちょうど兜が入るほどの木の箱を持って来た。

「……っ」
 
 鼻をつく臭いにレナトスは拳を握り締めた。
 嫌な予感はしていたが、相手がこんな演出をしてくるとまでは考えていなかった。

「そんな細腕では重かろうと思ってな、軽くしておいてやったわ」

 皇帝の言葉に合わせるように、側近が箱の蓋を開けてレナトスに中身を見せた。
 そこには、国のために自ら使者をかって出た宰相の生首が収まっていた。

 年若い王を支えていた人物のあっけない最期に、レナトスは目の前が真っ白になる。
 まだまだ為政者として教えを乞うことが沢山あったというのに。


 レナトスの心の杯に、黒い液体が溜まっていく……。
 

「なあレナトス、お前が人質になるならこの国には手を出さないでやろう。そして他国へ攻め入る時に魔法使いとやらを貸してくれるだけでいい。犠牲者はその生首が最後にしたいだろ?」

 皇帝はぞんざいな言葉遣いでレナトスに語りかける。
 国と国との交渉は本来であれば対等であるべきなのに、自分の方が格上だと言わんばかりの態度だ。

 八百年前、初代王レナートが神々との契約を交わし、スタロヴェーキの民はその恩恵を授かることになる。
 以来スタロヴェーキでは、神の力を行使できる者たちが生まれて来るようになった。
 魔法使いと呼ばれる者たちはスタロヴェーキの民の一割にも満たないが、その力は絶大だ。

 神の力が通る経路メタラジアの広さと、火・水・地・雷・癒度の力に属するかによって魔法使いの資質は決まる。
 
 そんな貴重な魔法使いを、ディシェの皇帝は欲しがっているのだ。
 
「癒し手と呼ばれる者たちだけでいい。他の魔法使いも何人か捕まえて兵士を嗾けてみたが、みな呪文を唱えている間に殺されてしまった。……実戦で使うにはもっと考えんといかんな」

 癒しの魔法は人の身体に触るだけで発動するが、他の魔法は色々な形態がある。
 例えはプリゼムニは、防御として岩を盾代わりにする、敵の経っている地面に穴をあけて落とす、など使い方は色々だ。
 
 経路メタラジアを通して神の力を得たとしても、それを使い分けるには、力に名を付け役割を命じてやる必要がある。そのため呪文の詠唱は必須だった。
 大きな力を使うほど詠唱は複雑になり長い時間を要する。

 スタロヴェーキが戦で魔法使いたちを同行させる時は、騎士たちで前衛を固め後衛に魔法使いを置いて安全な場所で呪文の詠唱をさせ攻撃魔法を発動させるのが定石となっている。

 魔法使いに直接兵を嗾けてその力を試そうとするなんて、鞘に入ったままの剣で戦えといっているようなものだ。

(無知とはなんと恐ろしい……)
 
 王として国民の命に優劣をつけたくはないが、つまらぬ試みのために我が国の貴重な魔法使いたちの命が失われたと知り、やるせない思いが湧き上がる。
 
 欲しいものを手に入れても、扱い方がわからずにすぐに壊してしまう幼児と同じだ。
 後先考えずに力だけで踏みにじる皇帝のやり方に、レナトスは嫌悪感を覚える。

(一度壊してしまったものはもう元通りにはならないというのに……)
 
 これは同族嫌悪だ。
 気が付けば杯から黒い液体が溢れていた。


「呪文? はて……我は唱えたことなどないな」

 レナトスは首を傾げながら、先ほど宰相の生首を持って来た皇帝の側近に目をやる。
 ペリドットの瞳にチラリと朱が映ったかと思うと、皇帝の隣に立っていた側近が火の粉になり、炎を上げることもなく灰になり、床に跡形もなく崩れ落ちた。

「っ!? 貴様っなにをしたっ!!」
 
「皇帝陛下は魔法使いについてなにも知らないようだ。まずは痛み分けだ」
 
(——これは宰相の分……)


 杯から零れ出る黒い液体が、レナトスの心までをも漆黒に染め上げていく。
 もうこうなったらレナトス本人も制御できない。


「陛下っ、これは火の魔法です」
 
 近衛兵の一人がレナトスから身を守る様に皇帝へと駆け寄る。

「馬鹿な呪文を唱えてないのに……こ、こやつを捕らえろっ!!」
 
 やっと事態の深刻さを理解したのか皇帝は兵たちにレナトスを捕らえるよう命令した。

 天幕の中でレナトスを囲むように立っていた男たちが一斉に構えて槍を向けるが、バチバチと金属の槍に青白い稲妻が走り、兵たちは反射的に槍から手を放す。

「うああっっっ!?」
「ぎゃあっ!!」
「ひいっ……」
 
 情けない声が天幕の中に響く。

「どういうことだ……魔法使いは一つの属性しか使えないのではないのかっ!!」
 
 皇帝もそのくらいの知識はあるようだ。
 魔法使いたちは火・水・地・雷・癒の五つのうちどれか、自分の適性のある神の神殿に所属する。
 神官たちに力のコントロールを学びながら、経路メタラジアを通して神との交流を深めていくのだ。
 ごく稀に複数の属性を持つ者がいたが、両立するのは難しく、どちらも同じように力を伸ばすことはできない。


「皇帝陛下は歴史の学習が足りないようだな。五柱の神々との契約を結んだとき、初代王レナートはスタロヴェーキ王国を建国した。神との契約者であるレナートは火・水・地・雷・癒、全ての力を最大限に使えたとされる。このようにな」

 レナトスが右手を掲げると、五指それぞれから火・水・地・雷・癒の力が浮かび上がり、陽炎かげろうのように揺らぎ煌めいていた。
 次第にレナトス自体が内側から発光しはじめ、銀糸の髪が力に煽られ浮かび上がる。

「……お前は……いったい……」
 
 後ずさりしながら絞り出すような声で尋ねる。
 先刻までの支配者としての威厳はすっかりどこかにいってしまった。

「我が名であるレナトスは……生まれ変わりの意味を持つ。——ここまで言えば誰の生まれ変わりかはわかるであろう?」

 


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