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9章 山城での宴
10 邂逅
しおりを挟む窓辺に立ち朝日を全身に浴びて、レネはグッと背伸びする。
久しぶりにまともなベッドで眠ることができ、すっかり旅の疲れも取れていた。
「おはようございます。昨晩はよくお休みできましたでしょうか」
「野宿ばっかりだったからあんまりベッドがフカフカして逆に眠れなかったよ」
軽い冗談のつもりで全く反対の感想を述べた。
「それは大変申し訳ございません。すぐに硬い寝台と交換させていただきます」
「おいっちょっと待って! 本気にするな、冗談だって」
クレートは深々と頭を下げて、入り口に控えている使用人をこちらに呼ぼうとしたのでレネは慌てて訂正した。
いくら敵とはいえども、そこまで我儘をいうほどレネも性格が捻くれているわけではない。
「コラ……見るからに冗談が通じそうにない人間をおちょくるんじゃねえよ」
バルトロメイにも叱られる。
「ところでレネ様、主人が面会を求めています。まずは入浴の準備ができておりますので、あちらの奥の部屋へ移動して頂いて宜しいでしょうか」
「やった風呂っ!」
宿でも一度しか入っていなかったので、ずっと風呂に入りたいと思っていたのだ。
クレートの申し出はありがたい。
久しぶりの入浴が嬉しくて、山城の主人と面会のことなど全く頭に入っていなかった。
「それとバルトロメイ殿は食堂で朝食を準備しておりますので、そちらで召し上がってください」
態度は恭しいのだが、その言葉は有無を言わせない強さがある。
レネの時とは少しなにかが違う。
「おい、俺はレネの騎士だぞ。主と一緒に行くと決まっているだろ?」
いつものようにレネとの間に身体を滑り込ませる。
「申し訳ございませんが、主人はレネ様と二人っきりでの面会を求めています。バルトロメイ殿はレネ様の身の安全を心配されているのかもしれませんが、主人はレネ様に危害を加えることなど決してございません」
確かに『復活の灯火』にとって『契約者』であるレネは絶対必要な存在だ。
自分が神との契約をできるとは全く思っていないが、彼らにとってはレネが協力しなければ魔法の復活という悲願は達成できない。
「一人でも大丈夫、心配するな」
レネはクレートの主人が無暗に危害を加えて来るとは思えなかった。
それになにかをしようとするなら、夜寝ている内に行動するだろう。
「……しかし……」
「食堂にはフィリプ殿もいらっしゃいますよ。お昼までには面会も終わります。今日は天気も宜しいですし、お庭に昼食をご用意致しますのでレネ様とお二人でお召し上がりください」
「ほら、心配いらないって。フィリプに改めてお礼言っといてよ」
フィリプがまだ城にいるという言葉を聞いて、バルトロメイの瞳が揺らいだことをレネは見逃さない。
ベスペチノストから感じていたが、バルトロメイはフィリプをこちら側に引き込もうとしている。
敵の根城で二人っきりなのは、あまりにも無防備だと思っているのだろう。
「……その言葉を信じていいのか? もしレネになにかあったら、お前たちをこの城ごと燃やしてやる」
我が騎士は朝から物騒なことを言うが、その気持ちもわからなくない。
クレートは腰が低く無力な老人のように振舞っているが、時折見せる気配の消し方が常人のそれとは違った。
使いの者という態はとっているが、『復活の灯火』が二人に付けた監視役じゃないだろうかと思っている。
『復活の灯火』がドロステアの王宮から聖杯を盗み出した盗賊団だ。もしかしたらクレートも盗賊の一人なのかもしれない。
七色に光るタイル貼りの浴室は、今まで見たこの城の部屋の中で一番色彩豊かに見えた。
湯にはハーブと花びらが浮かべてあり、女性的になりすぎない絶妙のバランスが取れた好ましい香りだ。
これなら多少香りが身体に移っても気にならない。
趣を凝らした湯船に浸かり、湯から上がると待ち構えていた女たちから、入念に肌や髪の手入れをされる。
以前ハヴェルの愛人役をするために女中たちから、あれやこれやと弄られた時のことを思い出した。
ハヴェルの家の女中たちは楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいたのに対して、ここの女たちは心を失くしたかのように無表情なので、レネもどう反応してよいかわからず、終始いたたまれなかった。
「……!? ——お疲れさまでした。主人の部屋に案内いたします」
軽い朝食を済ませ、用意されていた上等の服に着替え居間へと戻る。
部屋に控えていたクレートが、レネの姿を一目見るなり息を飲むのがわかった。
今まで感情を一切表に出さなかった老人の反応はレネにとって新鮮だった。
通された部屋は陽当たりの良い場所で、五段ほど緩やかな階段を上った先にある大きな窓からは、崖から見下ろす景色を鳥瞰できる。
遠くにはキラキラと黄金に反射するブロタリー海が見えた。
部屋自体が丸い形をしているので、昨夜崖の下から見上げた時に見えた円柱の塔の部分だろう。
その窓辺に一人の男が立っていた。
逆光で姿はよく見えないが年は養父であるバルナバーシュとそう変わらなく見える。
「ようこそ。わが山城へ」
レネの近くへと歩いて来るとともに、男の容貌が明らかになった。
白髪交じりの茶色い毛を長く伸ばし黒いローブを着ている姿は、城の主と自称しているだけに、どこかの領主だといわれてもすんなりと信じるだろう。
「お前が、手紙の差出人か」
バルナバーシュとドプラヴセが言っていることが正しかったら、この男は『復活の灯火』という組織の人間だ。
威嚇するようにレネは男を睨む。
「そう。私はカムチヴォス。『復活の灯火』の盟主であり……——レネ、君の叔父だ」
「……!?」
相手に動揺を悟られないよう声を上げることはなんとか堪えたが、カムチヴォスと名乗った男の言葉に、レネは大きく瞳を見開く。
(——叔父!?)
レネは両親と姉以外、血縁の者に会ったことがなかった。
初めて会った叔父が、『復活の灯火』のそれも……盟主だとはどういうことなのだ?
レネを仲間へと引き入れるために嘘を言っている可能性もあったが、カムチヴォスの容貌の特徴が目に飛び込んでいくにつれ、叔父という言葉は信憑性を増してくる。
緑がかったヘーゼルや、深緑に翡翠、緑色の瞳を持った人物は何人も見たことはあるが、自分と同じペリドットの瞳の持ち主にレネはまだ一度も会ったことがなかった。
目の前に立つカムチヴォスは自分と全く同じ色の瞳を持っている。
髪の毛の色は違うが、その顔はレネの父親にそっくりだった。
「驚いたか? 兄と私は目と髪の色こそ違うが、そっくりだといわれていたからな。レネ、実は君とも初めましてじゃないんだ」
「…………」
「レロの北西に浮かぶ火山島で、レナトスの末裔である一族がひっそりと暮らしている。その直系男子として、君は生まれたんだ。銀髪にペリドットの瞳を持って生まれた君は、レナトスの生まれ変わりとして、『レネ』と名付けられた。君が生まれたことにどれだけ一族が喜んだか」
そんなことを聞きにのこのことここまでやって来たわけではない。
カムチヴォスが叔父だと名乗ってからも、レネは厳しい表情を緩めなかった。
「——なぜ両親を殺した」
叔父だと言っておきながら、両親を殺した組織にいる男を信用できるわけがない。
「本当に申し訳ないことをしたと思ってる。十三年前の事件は先代の盟主の仕業で、まだ私の力が及ばなかったんだ。実の兄を殺されて黙って指を咥えている弟なんていないだろ? 時間はかかったけど、二年前にちゃんと兄の復讐を果たし、晴れて私がここの盟主となった。君たちには大変な苦労をかけてしまったが、……どうか許してくれ」
では、先代の盟主を葬り自分がその地位に就いたということなのだろうか?
カムチヴォスも兄が殺されてやるせない思いを抱えていたというのだろうか?
心の準備もなく叔父だと名乗る人物が現れ、本当はこうだったのだと語られても、なにをどう信じていいのかわからない。
(——どうして今ごろ……)
両親は強盗に殺されたとばかり思って今まで生きてきたのに、どうしてどいつもこいつもレネに本当のことを教えてくれなかったのだ。
バルナバーシュの時のように、怒りの感情に任せて剣を抜いて戦えばいいのか?
生憎、着替えた時に一切の武器を置いて来たし、姿こそ見えないが周囲に警戒態勢を取りながらレネを監視する気配を二つ三つ感じていた。
「…………」
レネは歯を食いしばり、沈黙を貫く。
こんな時に、自分は養父に甘えていたのだと今更ながら思う。
自分だけが知らなかったと感情をぶつけて剣を交えたのも、バルナバーシュなら受けとめてくれると信じていたからだ。
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