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9章 山城での宴
7 快適な旅
しおりを挟む「ああ~~~気持ちいい~~~」
腹いっぱい飯を食べ、温かい湯に浸かると、レネはすぐに元気を取り戻した。
改めてふかふかのベッドに身を埋めて、金のありがたさを知る。
「子供じゃねえんだからあんまりはしゃぐなよ……」
風呂で髭を剃りさっぱりとしたバルトロメイが、呆れ顔で注意する。
「だってさ~~ちょっと前までが嘘みたいじゃん。フィリプ様様だな」
当のフィリプは風呂に入ってこの場にいない。
レネはこのところフィリプに助けられてばかりだ。
「さっきは金借りるのも躊躇ってたくせに現金な奴だ」
バルトロメイがレネに金を借りるようにと促したのに、なぜそのように言われなければいけないのかとレネは唇を尖らせる。
「お前が借りろって勧めたクセに」
(でもまあいいか……)
いちいち腹を立てていたら身が持たない。
フィリプが風呂から上がって来ると、レネは詳細な内容までは伝えず、どうしてもある場所まで行かなければならないと、手紙に書いてあった山城のある地名を伝えた。
地名を聞いてフィリプは暫く考え込んでいた。
もしかしたらセキア人でも初めて聞く地名なのかもしれない。
「わかるか?」
レネまでも心配になって来た。
「——知ってるが……地元の人間は近寄らない場所だぞ?」
「……え?」
「その場所は呪われた城がある場所だ」
「……呪われた城?」
もしかしなくても……手紙にある『山城』がその呪われた城ではないだろうか。
レネは手紙の内容を知っているバルトロメイと目を見合わせる。
「なんでも古代王朝時代の城で、セキアが建国された時に迫害されていた神官たちが最後まで立て篭っていた場所らしい。城に近付いた人々が次々と変死したことから、神官たちの呪いだと恐れられ、誰も近付かなくなった」
「——神官たちの立て篭ってた場所か……」
癒しの神が去ったこの地では、神官といえば各地の癒しの神殿で治療を施す癒し手たちというイメージしか湧かない。
リーパには癒し手が三人も所属するので、レネは神殿の世話に行ったこともなく、神官という言葉さえも聞きなれない。
なぜ『復活の灯火』はそんな場所にレネを招待したのだろうか?
フィリプが古代王朝時代の城と言っていたが、それと無関係ではなさそうだ。
「本当にそこに行くのか?」
黄味の強い瞳に怪訝な色を浮かべる。
地元の者は近付かないと言っていたが、もしかしたらフィリプも行きたくないのかもしれない。
「気が進まなければ、俺たちだけで行くから大丈夫だぞ」
片方の口の端だけを上げ、どこか挑発的な表情でバルトロメイがフィリプを見た。
協力者になぜそんな顔をするのかはさておき、大方の行き方さえわかれば後は自分たちで行けばいいと思っているので、バルトロメイのいう通りフィリプまで無理していく必要はない。
「いや俺も行く。お前たちだけでそんな所に向かわせてなにかあったら後味が悪いからな」
フィリプはそう言うと、自分の荷物の中からセキアの地図を出してきた。
レネは幼い頃、バルナバーシュの部屋で色々な地方の地図を広げて見入っていたが、国内のものが殆どで、今見ている地図は何となく知っていた地形と見慣れない地名が並んでいる。
「じゃあここから、【スナドニー】→【コプツェ】→【ベスペチノスト】→【ヴィデリセ】の順に乗合馬車で行けばいいんだな」
フィリプから50000ペリアずつ借りたので乗合馬車に乗るくらいだったらなんとかなるだろう。
「ああ、順調にいけば四日後にはヴィデリセに着く。乗合馬車だと運賃も全部で7000ぺリアくらいだ。でもそこから先は歩きになるだろうな。道があるのは知ってたけど、俺もヴィデリセから山側には行ったことがないからな。野営の準備をしておいた方がいいからベスペチノストで道具を揃えよう」
料理道具はフィリプが持って来ているが、各自の食器やブランケットは買い揃えた方がいい。
「買い物は一番先にあるヴィデリセでいいんじゃないのか? 手前で買ったら荷物が多くなるぞ?」
「あそこは小さな村だ。ベスペチノストの方が栄えた港街になっていて品数が多く安い」
「へえ、じゃあ美味い魚が食えるな」
港と聞いて自然と笑顔がこぼれる。
「猫め、遊びに行くんじゃないって言ってたのはお前だろ?」
この旅でレネはずっとバルトロメイに小言を言われている気がする。
元から、小うるさい男ではあったが……。
「魚食うぐらいいだろ? オレ栄養失調で貧血になってたんだぞ?」
あんなにフラフラしてたのに、まともな飯を食べた途端にレネは元気を取り戻した。
きっと好物を食べたら、もっと元気になるはずだ。
「レネの言う通りだ。別に高いもんじゃないからそんな目くじら立てなくてもいいじゃないか。魚の美味い店を知ってるからそこへ行こう」
「やったぁ! やっぱ詳しい奴が居ると心強いな」
フィリプの助け舟に、レネは機嫌を取り戻す。
フィリプから金を借りたことで、次の日からは乗合馬車での快適な旅が始まった。
ただ座っているだけで目的地まで運んでくれる。
周りの景色を楽しみながら、【スナドニー】【コプツェ】【ベスペチノスト】へと歩を進めた。
なにもすることがない分、改まってこの先のことを考えると憂鬱になってくる。
ドプラヴセは『復活の灯火』を壊滅させろと言った。
壊滅とはなにを指す?
組織を解散させるのか?
それとも組織の人間を殺すのか?
じゃあ仇を討つとは?
レネの両親を殺した男たちはその場でバルナバーシュたちが始末した。
襲うように命令を下した人間をレネは探している。
『復活の灯火』のアジトに行ったとして組織の中からどうやって探し出すつもりだ?
そこにいる人間を全て殺してしまえばいいのか?
それがドプラヴセの言っていた壊滅になるのか?
これから先に待っているのは血みどろのどん詰まりだ。
今のところその先に明るい未来など見えない。
レネはチラリと隣に座るバルトロメイを盗み見た。
どこに行っても女たちが熱い視線を向ける男らしい美貌。
数日振りのまともな食事と風呂で、その容貌は内側から生命の輝きに満ち溢れていた。
バルトロメイは一人前の雄として脂が乗って来る時期に差し掛かり、通りすがりの者さえも思わず振り返らせる引力があった。
敵のアジトに突撃していくという無計画なレネの行動で……もしかしたら道連れにして命を落としてしまうかもしれない。
レネが最も理想とする血を、バルトロメイは受け継いでいるのに、こんな所で犬死させていいのか?
いや……それ以前に既に自分がこの男の未来を掴みとった。
次の世代へと血を繋ぐために、バルトロメイの祖父はバーラと結婚させようとしていたが、それを力ずくで奪ったのはレネだ。
酷いことをして、身体でわからせた。
(——やっぱオレって最低だな……)
私怨にバルトロメイまで巻き込んでいいのか……?
二人で一度話し合ったにも関わらず、今更ながらこれでよかったのかと正解を見いだせないでいた。
「前に魚の美味い店があるって言ってただろ、宿で部屋と押さえたらさっそく行こうぜ」
フィリプが宿の集まる界隈に二人を案内しながら、今晩の予定について話す。
「やったぁぁっ! 魚が食えるっ!!」
暗い思考に支配されていたため、レネはすっかりそんなことも忘れていた。
ただ馬車に揺られていただけというのに、ちゃんと腹は減るものだ。
何だか急に楽しくなってきて、喜びの声を上げる。
ベスペチノストは今まで通り過ぎてきた少し閉鎖感のある宿場町とは違い、開放的な港街だった。
鳴き声を上げて空を飛ぶカモメたちが、まるでこの街にやって来る旅人たちを歓迎しているかのようだ。
頭の中が絶望的な思考に支配されればされるほど、不思議なことに目の前に映る景色はこの上ないほと鮮やかに見えて来る。
港から漂って来る潮風を胸いっぱいに吸い込み、遠く西に浮かぶ入道雲を見つめた。
西へと傾いた陽を受けて、オレンジと少しラベンダーと混ぜたような不思議ない色合いのもこもことした雲は、まるで南大陸にある球根型の奇妙な屋根を持つ建物みたいだ。
あの雲の先には、まだ知らない世界が広がっている。
行ってみたい。
見てみたい。
好奇心の渦がレネの中に次々と生まれてくる。
その渦が大きくなればなるほど、切ない疼きを伴った。
世界がこんなに綺麗だったことに、なんで今まで気付かなかったんだろう。
この先に待っている血まみれの未来へ行きつく前に、この儚くも美しい世界を脳裏へと刻んでおこうと、レネは目を細め、キラキラと光るオレンジ色の空を見つめた。
日を追う毎に夢の中で繰り返されるあの夜の惨劇が、レネの心を復讐の闇へと駆り立てる。
心の中で飼う闇が暗くなればなるほどに……目の前の世界は美しく光を増し、切ない疼きは痛みを伴い割れたガラスのようにキラキラとレネの心に突き刺さった。
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