菩提樹の猫

無一物

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9章 山城での宴

3 我慢の限界

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「なあ……流石にもう限界だろ?」

 金のないのは仕方ない。
 オネツで農夫と別れる時に、心付として5000ペリア渡された。
 今のところ、それで最低限だが食料だけは確保している。
 調理用具も持っていないので、硬いパンとサラミ、わずかばかりのチーズを少しずつ分けて食べている。

 セキアのこの地方はドロステア側よりも食料の値段が高い。
 痩せた土地で農作物があまり収穫できないのもその原因の一つなのかもしれない。
 
 いつも小腹を空かせた状態だが、今は我慢する時だ。
 宿場町に着いたら、また金を稼ぐ手段を考えないといけない。

 しかしどうしても、レネには我慢できないことがあった。


「なあ……、あの小川の水きれいだろ? まだ気温が高いうちに入ろうよ。絶対気持ちいいって!」

 無精髭を蓄え、いつもより野性的に見えるバルトロメイをしきりに説得するが、首を縦に振らない。

 夏場だというのにもう何日も風呂に入っておらず汗臭い。
 リーパには大浴場があるし、レネも自分の部屋に風呂があるので、毎日風呂に入るのが習慣になっている。

 リーパは一日中食堂で火を使うので、竈の近くを通っている水道管が温められてお湯が出る仕組みになっている。
 私邸も同じ仕組みだ。
 普通の民家でそんな設備を持ったところなんて殆どなく、木でできた風呂桶に台所の大鍋で沸かした湯を移して入るくらいだ。
 それも冬の間だけで毎日ではない。

 風呂付の宿屋に泊まる以外は、殆どの旅人たちがレネたちと同様に薄汚れているので気にすることはないのだが、贅沢な習慣が身についたレネには耐えられなかった。


「街道沿いだし通行人もいるだろ? お前……こんな所で素っ裸になるつもりなのか?」

「なに恥ずかしがってんだよ。乙女じゃあるまいし。それに見られたっていいじゃん、旅人なんて男しかいないんだぞ」
 
 いつもリーパの大浴場でみんなと一緒に風呂へ入っているのに、この男はいったいなにを躊躇しているのだ?
 レネはバルナバーシュから『お前は自分の部屋の風呂を使え』と言われて以来、もう何年も開放感のある大浴場のお湯に浸かることできていないのに。
 
「…………」

 バルトロメイは頬をヒクヒクと痙攣させながら、必死になにかと戦っているようだ。

 本当は奴だって水浴びしたいはずだ。
 羞恥心と葛藤している最中なのだろう。

 だったら、こちらから背中を押してやるしかない。


 レネは迷わずシャツの裾に手を掛けて一気に脱ぎ捨てた。
 いきなり服を脱ぎだした青年に、周りにいた旅人たちも何事かと目を瞠る。

「おいっ、お前はガキかっ!」

 背後から聞こえる焦ったバルトロメイの声に気を良くして、レネの行動はますますエスカレートする。
 次期団長としての周囲から意識されるようになり、近ごろは子供っぽい行動を控え、落ち着いて見えるように感情を表に出さず冷静に振舞うよう努めていた。

 ここに来て一気に今までの反動が出る。


 そのままの勢いで靴とズボンも脱ぎ、服を両手に抱えて川岸まで一気に走った。

 岸に近い浅瀬は透明な水が川の底まで綺麗に覗いていた。
 深くなった場所はエメラルドに輝いており、あそこなら泳げるかもしれない。

 大きな岩の上に剣と脱いだものを置くと、最後の一枚に手を掛ける。
 
「コラッ! それは脱ぐんじゃねえッ!!」

 駄目だと言われると余計にやりたくなるのが猫のさがだ。

 綿のパンツに手を掛けて、後ろから追ってきたバルトロメイの顔めがけて放り投げると、生まれたままの姿で勢いよく川へと飛び込んだ。

『おおっ!!』

 このとき周囲から歓声が上がったことまでは、流石にレネも気付かなかった。

 顔に貼り付いたレネのパンツを剥ぎ取って、焦った顔をするバルトロメイを見ていると、昨日の悪夢で鬱屈していた心が晴れて行くようだった。

「ギャハハっ、なんだよその顔。気持ちいいぞ、バートも早く入って来いよっ!」

 最初は怒っていたが、あまりにレネが無邪気に水浴びをするものだからすっかり毒気を抜かれて、バルトロメイも渋々水の中へと入って来た。

「……馬鹿野郎が、お前もう少し周囲の目も考えろよ……」

 頭まで水に浸かって犬みたいにプルプルと頭を振るレネに、バルトロメイは横でブツブツと説教を垂れる。
 
 太陽の光を浴びて水をはじくバルトロメイの逞しい裸体は、同性でも惚れ惚れとして眺めてしまう。
 服で隠れている以外は日に焼けて、実に健康的だ。

「お前はいいなぁ……綺麗に日焼けして。オレなんか赤くなるだけなのに」

 健康的に日焼けした黒い肌が羨ましい。

「肌が日に弱いんだろ。ずっと素っ裸でいると全部赤くなるぞ。それに身体も冷えて来ただろ」

 バルトロメイのいうように川の水が思っていたよりも冷たく、暫く浸かっていると歯の根が合わなくなるくらい冷たくなってきた。

 気が付けば川岸は、馬に水を飲ませる者や、足だけ川に付けてこっちを見ながら休憩する旅人たちで溢れていた。

「待て。お前はここに居ろ」

 動きを止めたバルトロメイが、岸に上がろうとするレネを制止する。

 旅人たちが一斉に素っ裸で岸へ近付くバルトロメイに注目するが、その視線をものともせずに自分とレネの分のシャツを取って、再びこちらに戻って来た。

 流石にレネもあそこまでジロジロと見られたら怯んだかもしれない。
 それを見越して、わざわざシャツを取りに行ってくれたのだ。

「本当に突拍子もないことばっかりしやがって……ガキかお前は……」

 また小言を言われる。

「でも気持ちよかっただろ?」

 レネも負けずにわざと悪びれた笑みを浮かべ言い返す。
 たまにはこういった息抜きも必要だ。


「あったけぇ……」

「さっさとパンツを穿け!」

 太陽の光で温まった大きな岩の上に、シャツ一枚羽織っただけで座り込み局部を温めていると、今度は頭を叩かれる。

「痛てえな……せっかく綺麗になったのに、こんなパンツ穿きたくもねえよ。もうノーパンでいようかな……」

 先ほどまで穿いていた下着を指で摘まむ。
 何日も穿いた下着を穿き直したくはなかった。
 そんな物を顔に投げつけられたバルトロメイはどんな気持ちだっただろうか……と慮る気持ちなど一切持ち合わせていない。
 
 猫は自由だ。

 大きなことで自分を雁字搦めに縛り付けているからこそ、こういった場面で自由奔放な性格の一部が顔を出す。
 バルトロメイもレネの性格を理解しているからこそ、特になにもいわず付き合っているのだろう。



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