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9章 山城での宴
2 委ねたら終わりだ
しおりを挟む「おい……魘されてたぞ」
頬に厚い胸板の感触が伝わる。
つい先刻まで味わっていた感覚と同じだ……。
顔を上げると、間近に夢の中と同じ顔がある。
いや……こちらの方が口元の緩いぶん優し気に見える。
「……バート……?」
「おい……ずっと一緒にいるのに、疑問形で人の名前を呼ぶんじゃねえ」
バルトロメイは眉間にこそ皺を寄せているが、どこか嬉しそうだ。
不思議に思い、視線を下にやると……
(……なに、これ!?)
腕の中へと抱き込まれていると気付き、レネは身を硬くするとすぐに身体を離す。
「なんでこんなことしてんだよっ!!」
「さっきから失礼な奴だな。お前……自分から抱き付いてきたんだぜ?」
「は?——あっ!?」
名残惜しそうに見えるのは気のせいか、不満そうに呟く我が騎士の言葉に、先ほどまでどんな夢を見ていたのか思い出す。
(——クソ……だからか……)
夢の中ではバルナバーシュの胸に抱き付いていたが、現実ではその息子のバルトロメイに抱き付いていたのだ。
年齢は違えど、バルトロメイはバルナバーシュにそっくりで間違えても仕方がない。
(弱虫め、ガキの頃と同じじゃねえかよ。そんなんじゃ駄目だ)
レネは夢の中で子供心に誓った戒めをもう一度自分に言い聞かせる。
あの時、剣を捨て強い者に縋りついた自分を憎んだではないか。
この後に及んで、なにをしているんだ。
無意識だったとはいえ逞しい男に縋りつくという行動を恥じて、レネはバルトロメイから更に距離を置いた。
オネツから国境を越えセキアへと入国を果たした二人だが、オネツに比べセキア側の国境は小さな村で、まだ午前中ということもあり、次の町ザポイツセに向けて進むことにする。
荷馬車に乗せてくれた農夫によると、徒歩だと一日では辿り着かないとのことだったので、途中で野宿することになった。
南西へと進んでいるのに、夜は少し肌寒い。
旅の必需品であるブランケットも持っていない二人は、身を寄せ合うように窪地にできた自然の祠で眠っていたところだ。
ブロタリー海を挟んだドロステア側に比べ、セキア側は気候が全く違う。
レネはバルトロメイと二人でオレクに手紙を渡しに行った時のことを思い出す。
陽当たりが良く温暖な気候で、青い海に白い壁の家々がなだらかな斜面に建っていた。
魚も美味く、陽気な人々が多かった記憶にある。
反対側のセキア側もそんな所だろうと思っていたら、予想を見事に裏切られることとなった。
任務の時とは違いなんの下調べもせずに飛び出して来たので、ここに来て苦労する羽目になっている。
北のセキアとレロの国境の間を走るフォンチュー山脈から吹き下ろす風が、冷涼な空気を運んでくるために、ドロステア側ほど温暖な気候ではない。
だから夏とは言え夜は肌寒い。
土地も痩せており、ゴロゴロとした石があちこちに転がって耕作地としては不向きなため、牧羊が盛んのようだ。
ブロタリー海の恵みはと言うと、海岸線は断崖絶壁になっており容易に海に近付くことができない。
聞いた話によると、宿場町をあと三つほど越えた先の入り江に、ベスペチノストという大きな港街があるという。
(……失敗したな……)
「なにしょげてんだよ」
突然ペシッと頭を叩かれる。
せっかく距離を取っていたのに、バルトロメイは肩が触れる距離までにじり寄って来ていた。
「しょげてなんかいないって……ただ、なんにも下調べして来てなかったから失敗したなって思っただけ。お前だってオレのこと間抜けな奴だって思ってるだろ」
「……思ってるけど、こんな奴を主に選んだ俺の自業自得だ」
我が騎士はなんの慰めにもならない言葉を寄越す。
しかし遠回しに自分の意思でここにいるのだからという言葉はレネの肩の荷を軽くする。
「でも、オレ……後悔はしてない。……さっき久しぶりに、親が殺された時の夢を見てたんだ。あの時はオモチャの剣を握り締めているのに、震えながら納戸の中で姉ちゃんとただ親が殺されるのを見ていた……」
夢の中、バルナバーシュの腕の中で安堵感に酔いしれていたことまでは、バルトロメイには話さない。
ただ守られることを受け入れたら、男としてのレネの矜持が足元から崩れて行ってしまう。
バルトロメイという騎士を持ったいま、それだけは避けたかった。
庇護されるだけの主従関係など望んでいない。
夢を見ていたからとは言え、バルトロメイの胸に縋っていた自分が恥ずかしかった。
自分に言い聞かせる意味も込めて、どうして自分は山城へ向かうのかをバルトロメイに説明しておこうと思った。
「——あの時はなにもできなかった。オレはオモチャの剣で父さんと一緒に戦おうと思ってたんだ。……でも一緒に隠れるよう納戸の中へと引っ張って行く姉ちゃんの力にも勝てなかった……。家族の中じゃ一番チビで弱くて役立たずだったんだ……」
「当たり前だろ、お前そのとき十歳だったんだろ?」
「父さんはオレから見ても貧弱な男だったのに、どこに隠していたのか本物の剣を持ち出してオレたちを守ろうとした。母さんも箒を構えて……」
あの瞬間を思い出すと、今でもぶざまに身体が震えて来る。
「勇敢な両親だな」
背中にそっと温かい手が置かれる。
縋りたくないと自分から距離を置いたのに、その手を払うことができない。
レネはこれまで、沢山の人の死に直面してきた。
仕事のためとはいえ……殆どが自分の手で殺したものだ。
しかし自分の両親が殺された時の恐怖は、まだ克服できていない。
「首を斬られて死んだはずの父さんの口が動いたんだ。……オレの名前を呼んで『生き残れ』って。オレと姉ちゃんは両親の命と引き換えに生き延びたのに……今になって、オレが原因で奴らが両親を殺したと知って……そいつらを黙って見過ごせるか?」
「でもお前の父さんはお前にとにかく生き延びてほしかったんだろ? 俺がお前の親だったら、せっかく我が身を犠牲にして助けた息子が、敵のアジトに単身で乗り込むなんて無茶はして欲しくない。お前になにかあったらそれこそ両親は犬死にだぞ」
バルトロメイはレネと二つしか年は離れていないが、ここ数日ずっと野宿だったせいか無精髭が伸びて、それ以上の年齢の差を感じる。
そんな視覚的効果もあるせいか、語る言葉は尤もなことを言っているように聞こえる。
だがレネも負けていない。
「じゃあお前がオレだったらどうする? 今まで通り素知らぬ顔で団長たちと接して温々と暮らしていくのか? 犯人がわかっても気付かない振りをしてやり過ごす腰抜けなのか?」
「……そりゃあ……俺だって黙ってはいられないだろうけど……」
まだバルトロメイは煮え切らない様子だ。
「親が目の前で殺されたんだぞ……」
口に出してはたと気付くが、バルトロメイの親と言えばバルナバーシュだ。
もしかしたら屈強な父親が強盗風情の男たちに簡単に殺されるところなんて想像しにくいのかもしれない。
レネの心を深く抉っているのは、戦ったこともないのに我が子を守るために賊たちと対峙した両親の姿なのだ。
最後まで戦う姿勢を崩さなかった姿は、今でもレネの脳裏に強く焼き付いている。
あの姿を見て自分が戦わずして終わることができようか……。
「ここでなにもしなかったら……オレはオレじゃなくなる」
バルナバーシュに助けられそのまま養子となり、彼の庇護のもとに育ってきた。
だからといって決してぬるま湯のような甘い生活ではなかったが、それでも養父が作った安全な箱の中を飛び出して、自分自身の手で始末を付けなければいけない。
ドプラヴセと取引きし聖杯を取り戻し、親の仇である『復活の灯火』を壊滅させることが、レネに課せられた使命だった。
「——それがお前だよな……そんなお前だから……俺は剣を捧げたんだ。ほら、まだ夜中ださっさと寝るぞ」
溜息を吐きながらも、バルトロメイもレネの気持ちに理解を示してくれたようだ。
「うん……おやすみ」
素直に頷くと、レネも再び眠る体勢へと身体を動かした。
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