菩提樹の猫

無一物

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9章 山城での宴

1 誓い

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※一部に残酷な表現があります

____________________




(……あれ?)

 一階にある店の商品が音を立てて床に散らばる音がする。

「二人とも起きて……下の店に強盗が来たみたい。ここにいたら危ないからこっちに来なさい」

 レネとアネタが子供部屋で眠っていたら、急に母親がやって来て眠っていた二人を起こす。

(強盗?)

 無理矢理人の家に入って来て盗みを働く悪者のことだ。

 最近読んだ本にも、奴らは乱暴者なので平気で人を傷付けると書いてあった。
    物語の中では、騎士が強盗たちから攫われそうになっていた娘を助けだした。

(僕も騎士になってか弱い者を守るんだっ!)

 本物の騎士に助けられ、自分もああなりたいと強く思った。
 だから今こそ、自分の力が試されている時だ。


「お父さんと一緒に僕がお母さんとお姉ちゃんを守るっ!」

 レネはベッドの横に立てかけていたオモチャの剣を取り、戦う構えを見せた。

「こんな時にやめなさいっ」
 
 母親を守ろうと思ったのに、逆に叱られてしまう。
 それも今までにない真剣な顔だったので、レネは勢いを削がれた。


 子供部屋を出て母親の背中を追っていくと、真っ暗な居間にいつの間にか本物の剣を構えた父親がいた。
 
「アネタ、レネを連れて納戸に隠れなさい」
 
 いつも優しかった父親が怖い顔をして、姉の肩に手を置きギュッと力を込めた。
 数名の足音が段々と二階にいるレネたちの所に近付いて来る。

「さあ早くっ!!」
 
 父親の強い声にアネタは弾かれるようにレネと手を繋いで居間から続いている台所へと走って行く。

「僕も戦うっ!」

「あんたなにやってんのよっ!!」

 有無を言わせず、姉から羽交い絞めにされ引き摺られて行く。
 本来なら守るべき存在なのに、姉の力に敵わずされるがままだ。

「アネタ、レネを頼むぞっ!」

 父親も男であるレネではなく、女のアネタの方を頼りにしているではないか。
 
(なんでだっ!!)

 心の中ではちゃんとわかっている、家族の中ではレネが一番小さく年少だ……誰もレネなんて頼りにしていない。

 しかし、手に握ったオモチャの剣だけは離さなかった。
 

「さあ、ここに隠れて」

 悔しさに歯噛みするレネを、アネタは台所にある納戸にへと引きずり込んだ。
 今起きていることが緊急事態なのだと、幼いレネでもいやが上にもわかる。
 そんな中でも気丈に振舞う姉はまるで母親のような風格が漂っている。

 ジャガイモや瓶詰などが並ぶ中にレネとアネタもまみれ、扉の板にある幾つかの節の抜けた隙間から居間の様子を覗き見る。

 母親は箒を持ち、そして父親は本物の剣を持って、下からやって来る侵入者を迎え撃つようだ。

 今まで、家の中に本物の剣があるなんて知らなかった。
 子供の目から見ても父親は貧弱な身体つきをしている。
 剣の構えもどこかへっぴり腰で、下からやって来る外敵に勝てるのだろうかと見ているだけで不安になって来る。
 
(やっぱり僕も一緒に戦わなきゃ……)
 
 藁を束ねて作ったオモチャの剣をもう一度構えて、姉の手が緩んだ隙に納戸を飛び出そうとしたが、突然の変化にレネは動きを止める。
 扉が勢いよく開いたかと思うと夜光石の灯りで急に室内が明るくなったのだ。

 黒い服を着た男たちが、レネが今まで聞いたこともない低い唸り声を上げた。

「子供はどこだ?」

「こっ……ここにはいないっ……」

 見ているこちらの心臓が張り裂けそうになるほど、父親の声は震えていた。
 呼応するよう恐怖が伝わってくるのに、父はレネたちを守るために凶暴な男たちへと剣を向け対峙している。
 本来なら守られる立場にある母も同じだ。
 一緒に納戸に隠れていればいいのに、どうして箒を持ってあの場にいるのだ。
 
「嘘を言うんじゃねえ!」

 男たちが部屋の奥へ進もうとすると、通路を塞ぐように両親がそれぞれの武器を構え立ちはだかった。

「……させるかっ!!」

 へっぴり腰のままがむしゃらに剣を振り回す父に、ここから先は決して通さないという執念を感じる。

「へっぴり腰で、剣なんか持つんじゃねえよ」

「うわっ……」

 剣を払われ、非力な父は床に倒れ込む。

 今度はすぐ後ろにいた母が男たちの餌食になる。

「あああっっ……」

 甲高い悲鳴が室内に響く。

「……ベルタっっ!!」
 
 母親は腹を斬られ傷口から血とは違う色合いの赤い物体がこぼれ落ちている。
 近所で鶏を捌いている時に腹から出て来たものと同じだ。

(……嘘だ……)

 柔らかくフワフワとしていつもいい匂いを漂わせていた母の中に、あんなグロテスクなものが詰まっていたショックと、その先に待っている『死』という言葉がチラチラと目の前をうろつきはじめた。

「おとなしく言うことを聞かないからだ……」

 女を斬ったことに多少は後味の悪さを感じているのか、言い訳でもするように斬った男が吐き捨てる。

「……なんてことを……」
 
 床に倒れて絞められた鶏のようにビクビクと痙攣している母を見つめながら、父が亡霊のように立ち上がる。

 今までとは明らかに様子が違う。
 肚が据わったという言葉が一番しっくりくるだろうか、幼いレネの目には死を覚悟した父の背中が、いつもより大きく感じた。

「お前がへなちょこだからこんなことになるんだよ」

「ぐぅっ」

 弱い者を嬲る様に母を殺した男が、父を斬りつける。
 斬られた太腿からは大量の血がボタボタと垂れるが、それでも父は怯まずに母の仇と言わんばかりに、男に斬りかかった。

 決死の攻撃は、男の脇腹に大きな傷を作ることに成功した。
 
「クソっ……やりやがったな」

 仲間が傷付けられ、他の男たちも黙ってられないと、父に攻撃を仕掛ける。
 覚悟を決めたからといって、弱い人間が急に強くなるわけではない。

 しかし、何本もの剣がその身体を貫こうとも、父は動くことを止めようとしない。

「——がはっ……」

 口から大量の血を吐きながらも、剣を振り回し少しでも自分の爪痕を残そうと藻掻いていた。

(……お父さん……もう止めてっ……)

 叫び出したいのに、恐怖で声が出ない。


「さっさとくたばりやがれっ!!」

 ずぶの素人相手に手間取っていた男たちだが、その内の一人が狙いを定めると、鈍い音とともにあらぬ方向へと父の首が曲がった。
 皮一枚で繋がった首が胴体へとぶら下がっている。

(……ああ……)
 
 許容範囲を超えた恐怖は、神経を麻痺させる。
 遅効性の毒のようにすぐには効かない。

 この時はまだ、フワフワとした感覚でその様子を見ていた。
 


「おいっ、どこかに子供もいるはずだ、探せっ!」
 
(僕たちを探している)

 鉄錆のような濃厚な血の匂いと臓物のなんとも言えない悪臭で思わず吐きそうになるが、必死に口を抑えて耐えた。
 つい今しがたまで気丈な振舞いを見せていたアネタの震えが、身体を通して伝わって来る。

 目の前で起こっている惨事は、平和だった日常からはあまりにもかけ離れていて、レネは現実を受け入れることがないできでいた。


「誰か来たぞっ!」

 殺戮者達の声に導かれるように、新たに加わった足音の方向へと目を向けると、緑のサーコートを着た男たちが雪崩れ込んできた。

(あの人たちは……?)

 ガチャガチャと剣の音が鳴るのを、レネは他人事のように聞いていた。
 

 ふと視線を下ろすと……床に転がる二つの屍。
 おびただしい真っ赤な血と臓物。
 
 首を斬られこと切れた父親の薄紫色の瞳と目が合った。

 光を失くしたそれは、既に命が宿っていないことを物語っている。
 それなのに……断末魔の叫び声のまま開いた口が、突然動いた。

——レネ……生き残れ……。
 
 耳ではなく、頭の中に直接声が響いてきた。
 幾つもの音が重なりぶれた声は、この世のものではない力が、死んだ父の口を借りて訴えかけて来ているようだった。


「レネっ、アネタっ、どこだ助けに来たぞっ!」

 すぐに台所の方へと足音が近付いて来て、納戸の扉が開けられる。
 背の高い若い男が、中で抱き合って震える姉弟を見つけ、驚いたように硬直している。

「——団長っ、子供たちが納戸の中にいましたっ。二人とも無事です」

「レネ、アネタ……」

(——バル……)

 その後ろからやっと見知った顔が表れ、レネは緊張していた糸がプツンと切れたようにわんわんと泣きはじめた。
 それに呼応するように後ろでもアネタが泣き声を上げる。

 ふわっと身体が浮いた。

 大きな腕の中に抱き上げられ、思わずレネは絶対的な存在にしがみつく。
 もう頼るものはこれしかないと本能が言っていた。

「……うっ…えっ…お父さんと……お母さんが……」


 大きくて厚い胸に抱かれ、太陽のような存在がレネの身体を包み込む。
 言いようのない安堵感に、レネは全てを委ねる。

 この世で……この人以上に強く勇ましい者は存在しない。
 レネはバルの顔を見上げ、子供ながらにもその雄々しさに見惚れてしまう。

 そしてはたと思い出す。
 先ほどまで、自分はその騎士になりたくてオモチャの剣で敵と戦おうとしていたのに……。
 
 現実は、無残に殺されていく両親を、物陰に隠れ見ていることしかできなかった。
 

 レネはいつも近所のいじめっ子たちに女のような外見を馬鹿にされていた。
 いつか強くなってそいつらを見返してやると思っていたが、今の状況はどうだ?
 
 いじめっ子ったちから馬鹿にされていた通りだ。

 いや、違う。
 いじめっ子たちはレネの外見を女みたいだと馬鹿にしていただけだ。

 今の自分は強い男から助けられその存在に見惚れているのだ。
 
 弱い父親ですら、最後まで敵に食らいついて戦っていたのに……。
 自分は強い者に縋りついて、心の中まで女になり切っているではないか。


(……僕は……強くなりたいんだっ!!)


 床に落ちたままのオモチャの剣を睨みつけた。
 剣を手放し強い存在に縋りついてしまった自分を、心から憎んだ。
 


 
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