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8章 真実を知る時
4 殺仏殺祖
しおりを挟む夕方といえども、夏の陽は高い場所にある。
少し黄色味を帯びた陽の光に目を細めながら、レネは私邸から鍛練場の方向へと視線を向けた。
「おいっ! 急になんのつもりだよ」
バルトロメイが後ろから、只事ではない様子の主人を諫めるが、レネは一切耳を傾けようとはしない。
そうしている内にも本部の裏口が開き、そこから仕事を終えたバルナバーシュが姿を現す。
今日はルカーシュの姿が見えない。
ヘーゼルの瞳に西日が移り込み、こんな場面であってもうっとりするほど、美しい姿。
レネの理想とする雄の姿がそこにある。
まるでレネは引き寄せられるように、大股で歩き出しバルナバーシュの元へと近付いて行った。
「どうした? こんな所で」
いきなり非番であるはずのレネが目の前に現れ、バルナバ
ーシュは足を止める。
こんな澄ました顔をしているが、この男は十数年間もレネに口を閉ざしていたのだ。
レネの中に、激しい感情の渦が巻き起こる。
「なんで黙ってた……——なんで……オレだけ蚊帳の外にして……」
心の声がそのまま口から飛び出して、敬語が崩れている自覚もない。
「なんのことだ?」
「オレの出生についてだっ! どうして話してくれなかった……オレは……こんな手紙じゃなく、あんたの口から聞きたかったっ!!」
古代王朝の生き残りとは……神との契約とは……いったいなんだ、とこっちが訊きたいくらいだ。
「……奴らの仕業か……その手紙をこっちに渡せ」
バルナバーシュがレネに向かって手を差し伸べる。
諸悪の根源がこの手紙に詰まっているかのような言いようだ。
いつもだったら、レネは素直に手紙を渡していただろう。
しかし、レネは素直に手紙を差し出すつもりはなかった。
「……嫌だ……渡すもんか……」
その言葉を聞き、バルナバーシュは眉間に皺を寄せ動きを止める。
レネがバルナバーシュに反抗したのは、これが初めてだった。
二人の間に大きな溝ができていた時期もあるが、それはレネが勝手に感じていた疎外感からできたもので、養父に反発していたわけではない。
「お前は、どうするつもりだ?」
よく通る低音がレネに問いかける。
「この手紙を書いた奴に会って詳しく話を聞く」
「自分の両親を殺した連中だぞ」
「……強盗に殺されたんじゃ……」
(——そんなこと……知らない……)
また、自分の知らない事実が表に出てきた。
どうしてこんな重要な事実が、今さらのように浮上してくるのだ。
「あの夜……俺が家の中に入って来た時に、連中は子供を探していた。——お前のことを探していたんだ」
だからあの時両親は、自分を納戸の中に隠したのだ。
次々と明るみになる真実に、レネの心がさざめく。
過去にも人攫いに連れて行かれそうになったことがあるが、もしかしたらそれもただの人攫いではないのかもしれない。
(オレのせいで……父さんと母さんが……)
「……どうして今まで黙ってたんだよっ!!」
レネは人生の目標設定を間違えた。
バルナバーシュのように強くなるのが夢だったが、そんな自己本位な目標を立てている場合ではなかった。
本来ならば、自分のせいで死んでしまった両親の仇を取るために、人生の全てを懸けて生きていかなければいけなかったのだ。
(——バルが教えてくれなかったから……)
この手紙が届いていなかったら、バルナバーシュはなにも話さないまま、自分は親の仇も知らずに温々と暮らしてただろう。
(行かなければ……)
神との契約の時が迫ってきており、それを実行できるのは古代王朝直系男子で、尚且つ銀髪とペリドットの瞳を持つレネしかいないと手紙には書いてあった。
神との契約なんて全く興味もない。
しかしこのチャンスを逃したら親の仇と対峙する機会は訪れないかもしれない。
レネは咄嗟に裏門を見た。
バルナバーシュと話していても埒が明かない。
今はこんな所に、留まっている場合ではない。
一刻も早く招待された山城に辿り着かなければ……。
「——どうしても行くつもりか」
レネの動きを察したのか、バルナバーシュが裏門へ向かう通路に立ち塞がる。
「親を殺した奴たがいると聞いて、こんな所で温々暮らしてられるかっ!!」
「絶対行かせん。手足を折ってでも閉じ込めてやる」
スラリと抜かれた剣のような、ギラリと青光りする鬼気がバルナバーシュから湧き上がる。
それは陽炎となってユラユラと全身を包み、より一層レネの前に立ちはだかる壁として、その身体を大きく見せていた。
「人を道具みたいに……なんでも自分の思い通りになると思うなよっ!」
威圧を振り切るようにレネは叫んだ。
自分だけなにも知らされず、養父の手の平の上で踊らされていたのだとういう事実が、レネの判断力を削いでいく。
なぜバルナバーシュがレネに黙っていたのかも、今は考える余裕がなかった。
己を邪魔するものは、例えそれが養父であったとしても倒していく。
これは通過儀礼だ。
レネは腰に差した二本の剣を抜き放つ。
まさかこんな形で、バルナバーシュと対峙するとは思わなかったが、今は目の前の男を倒すことに集中する。
異常に気付き、周りの団員たちがザワザワと騒めき出す。
しかし団員たちは、親子が剣を抜き放ち対峙する姿を遠巻きに眺めるしかできなかった。
この中に、二人の実力に敵う者などいない。
唯一レネと対等に渡り合うことができるバルトロメイも、今は両者の殺気に気圧され見守るだけだ。
下手に間に入ると二人の気を乱し、予期せぬハプニングが起きてしまう可能性もあったからだ。
(——この勝負、一撃で決まる)
ビシビシと肌に感じる殺気で、バルナバーシュがどのような勝負を仕掛けて来るのかを感じていた。
レネもこんな所で道草を食っているつもりはない。
いま自分がバルナバーシュに勝るところといえば、素早さだ。
だからといって、下手に攻撃を仕掛ければ、先を読まれてしまう。
ここは敢えて相手の一撃を待って、上手く切り返して反撃の速さで勝負した方が理にかなっているように思えた。
両手剣のバルナバーシュよりも片手剣の自分の方が体勢を立て直すのが早い。
それに自分にはもう一本剣があるので、左右どちらからでも攻撃を仕掛けられる。
(よし……それで行こう)
迷っている暇はない。
バルナバーシュの攻撃は多彩だ。
ベースはドロステアの伝統的な剣術だが、東国の大戦に参加していた時に色々な国の傭兵たちと剣を交えて、その技術を吸収していった。
屈強な身体つきをしているが、その太刀筋は緻密だ。
まるで機械のように身体の動きを制御して、相手の隙を正確に突いてくる。
そうかと思うと、突然あり得ない角度から斬り込んできて、その大胆な動きに対応できない。
経験の浅いレネでは、どういう攻撃をしてくるのか全く読めない。
レネの浅知恵くらいバルナバーシュもお見通しだ。
一向に攻撃を仕掛けてくる様子はない。
絶え間なく向けられる殺気がレネの肌をチリチリと焦がしていくが、ダラダラと汗を流しなら必死に耐えた。
そこには、強い相手と戦うという気分の高揚など微塵もない。
負けたら、男としての尊厳を奪われる。
『手足を折ってでも閉じ込めてやる』と言っていたが、この男はレネをこの場に留まらせるためだったら、なんだってするだろう。
そんな気迫を漂わせていた。
今まで強くなるため多くの汗と血と涙を流してきた。
ここでその力を発揮できなかったら、今までの努力が全て報われない。
目の前に立ちはだかる男を倒して、自分は先に向かわなければいけないと思った。
この場に留まる……それはレネにとって、魂の死を意味していた。
『——終わらせることができるのは、其方しかおらん』
心の中で誰かの声が聞こえた。
その声から背中を押され、気力が湧いてくる。
バルナバーシュの攻撃を待っているだけでも消耗が激しい。
このままだと無駄に体力を浪費するだけだ。
自分から行くしかない。
レネは意を決してバルナバーシュへ攻撃を仕掛けた。
意外なことに、待ちきれなかったのはレネだけではなかった。
レネは二本の剣を使った二段攻撃。
一段目はバルナバーシュから避けられたが、二段目は避けようがない。
バルナバーシュはレネの第一段を避けた直後に横薙ぎの攻撃を太腿めがけて入れてくるる。
相討ちかと思われた戦いは、意外な所で幕を下ろす形になる。
地面にポタポタと赤い血液が落ちる。
しかし両者とも無傷だ。
二本の剣を抜いて、斬り合う二人の間に入った人物がいた。
その人物は、レネの攻撃はなんとか防ぐことができたが、バルナバーシュの攻撃は流石に防ぐことができなかったようだ。
信じられない顔をして、バルナバーシュは剣を伝って手元を濡らす血を見つめる。
レネは、養父のこんなに動揺している顔を見るのはこれが初めてだ。
「……ルカ……」
「レネっ!! 今のうちに行けっ!!」
脂汗を流しながらも叫ぶ師の声を聞いて、茫然と突っ立っていたレネは正気へと戻る。
「……でも……」
ルカーシュの太腿には、未だにバルナバーシュの剣が食い込んでいる。
「馬鹿野郎ッ! 自分の始末は自分で付けに行けっ!!」
怒鳴られて、自分がなんのためにバルナバーシュと剣を交えていたのかを思い出す。
それに……先ほど頭の中に響いた謎の声。
『——終わらせることができるのは、其方しかおらん』
(……そうだ……オレは……)
自分が何者であるかを確かめ、両親の仇を取らなければいけない。
(——ルカ……ありがとうっ……)
身を挺してレネの意思を優先させてくれた師に心の中で感謝しながら、レネは急いで裏門から飛び出した。
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