菩提樹の猫

無一物

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8章 真実を知る時

3 自分だけが知らない

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 午前中に用事があり別行動をしていたバルトロメイと合流し、午後は二人で大通りを散歩していた。
 
 ゼラは店から出る時に、同郷と思われる男に声を掛けられ途中でレネと別れた。
 相手は恰幅の良い裕福そうな男で、そんな知り合いがいたのかと驚いた。
 

「お前、バカだよなぁ……。珈琲飲んで興奮したからって、昼間になってからいきなり狩りに誘う奴があるかよ……」
 
 午前中にゼラと行ったカフェで飲んだ珈琲のせいで、狩猟本能に目覚めてしまったレネは、用事を済ませたバルトロメイを見つけると狩りへと誘ったがすぐに却下される。

「珈琲は今まで飲んでたのが嘘みたいに美味かったのに、あれ飲んでからなんかソワソワして落ち着かねえんだよ」

 部屋の中でじっとしているのも耐え切れなかったので、バルトロメイを連れ出して散歩をすることになった。

 以前だったら休みに時間を持て余した時は、必ずといっていいほど老夫婦の家へと訪れていたのだが、一年前に流行り病で老爺が亡くなった。
 老婆は現在メストにはおらず、近くの村に住んでいる息子夫婦の家へ身を寄せている。
 独りで暮らすよりは息子夫婦と一緒の方が安心だ。
 レネとしては老婆に会えなくなり少し寂しいが、それも仕方ない。

 こうやって、毎日続いているかの日常も少しずつ変化を見せてきている。

 
「あ~~~本格的に夏になって来たな。今度の休みはどっか涼みに行きてえな……」

 街路樹の木々が青々とした葉を生い茂らせ、石畳の道路にまだら模様の木陰を作っている。
 その下を歩きながら、レネは白い雲を浮かべる青い空を見上げた。

 最近はずっとメストでの仕事が多かったので、身体が旅に出ることを求めていた。
 遠くに薄っすらと見えるクローデン山脈の山頂に積もる雪を見て、ふと旅情に駆られる。

 メストの賑わいとはまた違う、多くの旅人が行きかう街道沿いの町の賑わい。
 その土地独特の風景や食べ物、そしてそこに生きる人々。

 全てのものが、レネを呼んでいた。


「……どっか遠くに旅したいな……」

 以前、独りでオゼロを旅した時のことを思い出す。
 片言のツィホニー語で、路銀もなく行き当たりばったりの行程だったが、レネの心を大きく揺さぶる出来事の連続だった。
 あの旅を一生忘れはしないだろう。


「お前最近メストの任務ばっかりだよな……俺もさ、リーパに入団して定期的に遠出するようになってから、メストの仕事が続くと気が滅入るようになった」

 移動しながらの護衛は大変なことが沢山あるが、それでも普段は行くことのない色々な場所を訪れることができるし、好奇心旺盛の若い男には楽しい仕事だ。

「そういやこの前さ、人質奪還の時にロランドがやけに楽しそうにしてるな~って思ったんだけど、今思うとこういうことだったんだな……」
 
 ロランドの仕事は殆どがメストなので、久々の遠出を満喫していたのだ。
 今思うとゼラから料理の手伝いまでさせられて、文句を言いながらもあれはあれで楽しんでいたと思う。




 夕食前には散歩を終えて自室へと帰って来たのだが、レネは本部へと入る前に見知らぬ男から手紙を渡された。
 その男も、自分は手紙を渡すように頼まれただけで、差出人については全く知らないのだという。

(——なんだこれ……?)
 
 そんな怪しい手紙を自室に帰って読もうとしていたら、当然のようにバルトロメイも一緒に部屋まで付いてきた。
 
「……そんなにこれの中身が気になるのかよ?」
 
 上質の紙で作られた封筒をバルトロメイの目の間にかざす。

「女の子からの恋文かもしれないだろ?」

 バルトロメイの言葉にレネは固まる。
 そんなこと露ほども思わなかった。

(そうか……そういった可能性もあるのか……)

 花の二十三歳なのに……そんな手紙など貰ったことのない自分が情けない。

「じゃあ、ますますお前には関係ないだろ」

 本当に女の子からの手紙だったらどうしよう。
 急にレネはソワソワしてきた。

「いや、主『あるじ』に変な虫がつかないようにするのも騎士の役目だ」
 
「……なんだよそれ……」

 バルトロメイが自分を恋愛対象として見ていることを知っている。
 女相手でも駄目なのかと訊いてみたら、レネが女と仲良くしているだけでも嫉妬心が湧いてくると言っていた。
 今はレネも慣れたもので、バルトロメイの嫉妬心さえも心地良いと感じている。

 身体の関係は許さないまま、気持ちだけを自分に縛り付けてズルい主だと思う。
 主従関係というかっちりとした型に自分たちの関係を落とし込むことで、バルトロメイと常に一緒にいる理由を探す必要がなくなった。
 
 主従ならいつも一緒にいるのは当たり前。
 不自然なことなんてなにもない。
 だからこうして、安心して当たり前のように一緒にいる。

 無意識のうちに、いつも誰かの一番であることを求めていた自分は、バルトロメイに依存しているのかもしれない。


「なんだ? 封筒に手の平みたいなスタンプが押してある。差出人の名前もないし……」

 手紙の封を開けようとして、封筒にある奇妙な紋章を発見する。

「……!? お前……それっ!!」
 
 バルトロメイが明らかに動揺を見せた。

「なんだよ……」
 
 レネはこの時は気にせず中の便箋を取り出して、黄緑色のインクで書かれた手紙の中身を読んでいく。
 
 しかし読み進めていくにつれ手紙に書かれている異常な内容に、レネは指先が震え、背中に冷たい汗が流れていく。
 手紙は最後にこう括られていた。

 
 知らなかったのは君だけだ。君の養父たちも周知の事実だ。
 もっと詳しく知りたければ、私の棲む山城に招待しよう。



「おい、レネっ! なんて書いてあったんだっ!!」
 
「お前……知ってたんだろ……」

「…………」
 
 なにも手紙の内容について説明していないのに、バルトロメイの顔に動揺が走る。
 先ほど、手の平のマークを見た時から彼の様子がおかしかった。
 この手紙にあった通りバルトロメイも、レネが知らなかったことを既に知っていたのだ。

 
 自分だけが蚊帳の外だった。
 バルトロメイも……そしてたぶんボリスも知っているに違いない。

 
 自分の出生の秘密について、どうして自分だけが知らなかったのか?
 
 
 そう仕向けていたであろう男の顔が浮かび、レネは目の前が真っ赤に染まる。
 今までそんな風にその男を見たことがあっただろうか?

 生まれたてのヒヨコのように、なんの疑いも持たずに憧れの存在として尊敬してきた。
 自分もあのような強い騎士になりたいと目指してきた——養父という存在。


 だが今はもう……目の前に障害物として立ちはだかる壁でしかない。
 
 
 団長へは絶対服従だが、今回ばかりはそうはいかない。
 スタンドに立てかけてある二本の剣を腰に提げ、レネは部屋の外へと飛び出した。


 ちょうど仕事を終え、執務室から出て来る頃だ。




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