菩提樹の猫

無一物

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閑話

煙管 1

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 夜光石に照らされ、激しく剣を合わせる姿を、ルカは腕を組み無言で見つめていた。
 
 私邸の屋上では、夜になると毎日のように男たちが剣を持って鍛練に励んでいる。
 数年前までは、バルナバーシュとルカだけの秘密の場所だったのだが、今ではそこにレネとゼラ、バルトロメイが加わるようになった。

 今夜レネはフォルスと一緒に食事へ出かけているのでここにはいない。
 フォルスは一年前にホルニーク傭兵の団長に就任してからも、レネと月に一度食事へ出かけるという恒例行事を律儀に続けている。

 二人の距離が縮まったかというと疑問だ。
 相変わらずなにかあれば猫はツンツンしてフォルスに突っかかっているようだ。
 だがリーパとホルニークとの合同鍛練は頻繁に行われるようになり、互いの団員たちのいい刺激になっているのは間違いない。


「……もう俺がお前に教えることなどないな」

 少し息を切らしながらバルナバーシュがゼラに声をかける。

「いえ……まだまだです」

 漆黒の肌をした男はいつも冷静に状況を把握している。
 このところ、バルナバーシュとの手合わせでも四本に一本はゼラが取るようになってきた。
 技術的にはバルナバーシュに追いついてきたが、本人が言うように、バルナバーシュを超えるには一つ大きな壁がある。

 それは気持ちの問題だ。
 ゼラの心はいつも凪いでいる。
 だからと言って、この男、殺す時は殺す。

 だがゼラには欲がない。
 どこか醒めたところがあった。

 爆発的な感情の起伏がないと、この壁は超えることが難しい。
 そこまでゼラの感情を揺さぶる出来事などこれから先起こるのだろうか?
 残念ながらルカには想像できない。
 
(まだまだだな……)


 今夜は蒸して暑い。
 手合わせを終わらせた二人は、いつの間にか着ていたシャツを脱いで上半身裸になっている。
 
 戦いのために筋肉で武装された男たちの身体は美しい。
 バルナバーシュは四十後半になっても一切弛みのない肉体をしている。
 ゼラは南国人独特のスッと長い首としなやかな身体つきのせいか、一見細身に見えても、一つ一つのパーツを見ると意外と逞しい。

 二人とも美男だけに見ているだけでも眼福だ。

 ルカも昔は逞しい身体に憧れた時期があった。
 しかし成長期も終わり、これ以上自分の身体が大きくなることはないと気付いてから、そんなことを望むより、どれだけ自分の特性を生かせるかだけを考えるようになった。

 そして今、三十代も後半に差しかかろうとしているのに、この身体は時を止めている。
 外見だけで判断すると、今ではボリスからも追い越され、せいぜいゼラと同年代にしか見えないだろう。

(けっ……みんな追い越していきやがる……)

 無意識のうちにルカも、首筋に纏わりつく汗を拭う。
 緩く三つ編みにしていたが、纏わりつく髪が不快で頭頂で括り直した。
 コジャーツカ族の戦士は本来皆この髪型だ。
 ルカもやはりこの髪型が一番落ち着くのだが、ドロステアでは目立ちすぎるので人前ではまずしない。
 だが今は、ルカの素顔を知っている者ばかりだ。なにも隠す必要はなかった。


「副団長、俺も手合わせをお願いします」

 二人を見学していたバルトロメイが、今度はルカに手合わせを申し込んできた。
 
「このところ、俺ばっかりが相手じゃねえか……お前……俺をレネに見立ててるだろ?」

「……やっぱりわかりますか?」

 バルトロメイは少し申し訳なさそうな顔をしながら後頭部に手を当てる。

「なんだよ……自分の主を襲う算段でもしてんのか?」

 姑息なマネはしないだろうが、この男はまだレネに下心を持ったままだ。

「まっ……まさかっ!? ——ただ、レネから言われたんです。夢でレナトスの声に魘されてた時に『オレがもし幽霊に身体を乗っ取られたら、お前がなんとかして止めろよ』って」
 
「でもレナトスは暴走するような奴じゃねえだろ?」
 
「……まあ確かに今のところは。でもレネはレナトスを悪霊と勘違いしてたんで自分に悪霊が憑りついたと思ってたんです」

 この男はレネの勘違いだとわかっていながら、どうしてわざわざレネと戦うことを想定しているのだろうか?

 ルカは嫌な予感がする。
 自分のこういった勘は大抵当たる。

 いや……多分、バルトロメイもそう感じているので、わざわざレネの師である自分をレネに見立てて、手合わせを頼んでいるのだ。

「レナトスは満月の夜になると神力が強くなり、レネが精神をコントロールできなくなると言っていました。だから代わりに自分が出て来ているのだと。もし、レナトスも出てこれなくなった場合が心配で……」

 無防備な状態を晒せば、他者に付け入られやすくなる。
 そうなれば、身体を操られてしまう可能性だってある。
 バルトロメイの話す内容は、想像していたよりも深刻だった。

「……ボリスあたりに瞑想でも教わった方が良さそうだな。まあいい、ただ立ってるだけで暑いんだ、さっさとやるぞ」

 本来の目的を思い出し、ルカは剣を抜いた。
 
「——レネは左で攻撃を仕掛けて来た直後に左脇を狙え。間合いの中に入ったら反応が遅れる」

 弟子の弱点をバルトロメイに伝授すると、ルカをレネに見立て、さっそくその通りに攻撃してくる。
 
「残念、俺はそう簡単にいかないからな。それよりもお前の足元が隙だらけじゃねえか」

「クソっ……」

「お前な……両手剣同士だったらいい戦いするのに、二刀流相手は苦手だな。立ち直りが遅せえんだよ。足運びが全然なってねえ。またレネに負けて犯されるのが関の山だぞ」

 すると途端に、カッとバルトロメイの目が燃え上がる。

「——おっと……」

 紙一重の所でバルトロメイの攻撃を避け、ルカのシャツの袖が裂ける。
 心の中でニヤリと笑う。

 この男は面倒だ。
 わざわざこうして心に火を付けてやらないと力を発揮できない。
 だが着火点が低いので、ゼラと違い力を引き出すのは簡単だ。
 
 ルカが足元を注意したので、バルトロメイは意趣返しといわんばかりに足元を払ってきた。
 そこでトンっと軽業師のように跳び上がり、宙返りしながら相手を飛び越えてバルトロメイの背後に立つと、後ろから首を掻き切るように首筋に剣を当てる。


「……参りました」

 その声は悔しさに満ちていた。
 後ろから表情はわからないが、きっと唇を噛み締め悔しさに顔を歪めていることだろう。

「心配するな。お前はレネが暴走したら絶対止める。レネの騎士はお前しかいない」

「……副団長……」

 ハッとした顔で、バルトロメイがルカを振り返る。
 
 こうして剣を交えるようになって特性がわかっていきたが、やはりバルトロメイはバルナバーシュの息子だ。
 感情が篭った時にその威力を発揮する。
 先ほども、ルカがわざと侮辱する発言をした途端に動きが変わった。

 レネにもし暴走するようなことが起こったとしても、この男がなんとしてでも止めるだろう。
 それに冷静な目で判断すると、自分の弟子よりもバルトロメイの方が強い。
 あの決闘でレネに負け剣を捧げてからというもの、積極的に主へ勝とうとはしていないだけだ。

 だから今は、この男を信じるしかない。


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