菩提樹の猫

無一物

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7章 人質を救出せよ

11 フェリペ

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◇◇◇◇◇


 レナトスは暴走する馬の背から振り落とされないように掴まっているのが精一杯だった。
 落ち着く様にと馬に声をかけるが、全く聴こえてないようだ。

 枝の上で楽しそうに囀っていた鳥たちも驚いて木から飛び去っていく。

 従弟たちと森で狩りをしている最中、レナトスは一人はぐれてウロウロと彷徨っていたら、突然馬が嘶きを上げで暴走し始めた。
 いつもは大人しい馬なのに、なぜいきなり暴れ出したのかわからない。

(誰かっ……)

 不自然なほどレナトスの周りに誰もいない。
 ここ最近レナトスの周囲では、部屋のシャンデリアが落ちてきたり、中庭でボヤ騒ぎがあったりと、不審なことばかり起きている。
 誰かが、自分を亡き者にしようと仕組んでいるのだろうか?
 

「殿下っ! 今お助けしますっ!!」

 蹄の音と共に、力強い男の声が聴こえた。
 振り返ると黒馬に乗った人物が、猛スピードでレナトスの白馬をうしろから追ってくる。
 紫色の制服は近衛騎士団のものだ。
 
 あっという間に追いつき、レナトスの白馬と並走すると、その騎士は安心させるように口元に笑みを浮かべる。
 不安に切り裂かれていたレナトスの心に希望の光が灯る。


「殿下、この先は崖です。早くこちらに飛び乗って下さいっ!」

 騎士は片手で手綱を持ち、もう片方の手をレナトスの腰に回す。
 レナトスは意を決し騎士へと抱き付く様にして隣の馬に飛び移った。



「お怪我はありませんか!?」

 馬を止め、先に降りた騎士が馬を降りるレナトスに手を貸す。

「そなたのお陰で助かった。よく異変に気付いたな」

 未だに心臓がバクバクとなっているが、それをおくびにも出さず澄まして答える。

「リノの嘶きが聴こえたのでなにかあったのかと気になって追って来ました。近くまで来て気付いたのですが、尻に細い矢が刺さっていました」

「なんだとっ!? 何者かが矢を放ったのか……リノは可哀想なことをした」

 あの崖に落ちたら助かることはない。
 愛馬を想いレナトスは俯く。

 自分の命を狙っている何者かが仕組んだに違いない。

(いつまでこんなことが続くのだろうか……)

 レナトスのことをよく思わない勢力がいることは知っているが、自分ではなくこうして周囲にいるものが犠牲になって行くことがなによりも辛い。
 沈んだ気分を振り切るように、レナトスは騎士を見上げ話題を変えた。

「見かけぬ顔だな……名はなんという」

 金髪で長身の男は、まだ少年の域をでないレナトスよりも十ばかり年上に見える。
 近衛騎士に選ばれる者はみな容姿端麗だが、この騎士もたいそうな美男だ。

(はて……どこかで見たことがあるような……)

 見覚えがある顔立ちに、レナトスは首を傾げる。

「はっ、フェリペと申します」

 胸に手をあて恭しく頭を下げる。

「ではまさか……そなたがロレンシオの甥か……?」

 頻繁に宮殿へ出入りする軍服に身を包んだ男と顔立ちが似ており、フェリペという名前は何度も本人の口から聞いていた。

「はい。ロレンシオ将軍でしたら、私の叔父でございます」

 人好きのする笑みを浮かべ、フェリペは頷く。

(やはりそうだったか)

「ロレンシオが馬の扱いの上手い甥がいると自慢してたが、しかし見事な手綱捌きだった。改めて礼を言う」
 
「そんな滅相もございません」

 フェリペは恭しく頭を下げた。


 これが後のレナトス三騎士の一人、フェリペとの出会いだった。


◆◆◆◆◆


 視界は暗いまま、聴覚だけが戻って来た。
 なにかとても大切な夢を見ていたのに、聴こえてきた声にかき消されてしまった。

『酷い出血だ。縫った方がいい』

 広い胸板から直接声が響いて来る。
 その声は耳に心地よく、レネが心から身体を委ねることのできる数少ない存在だ。

『いや大丈夫です』

『なに言ってる、消毒してちゃんと処置しないと切断する羽目になるぞ』

 どうやら遠慮する新人をロランドが脅しているようだ。

『レネを頼む。二人で火の近くにいろ』

 身体が揺れて大きくて温かい身体から、少し体温の低い身体へと移される。

 真っ暗だった視界がぼんやりと明るくなって、重かった瞼が持ち上がる。
 暫くは焦点が合わずに虚ろな世界が広がっていたが、徐々に視覚が明瞭になって来た。

「……フィリプ……?」

「レネ!? 気が付いたか?……良かったっ!!」
 
 いきなり強く抱きしめられ、意識の戻ったばかりのレネは困惑する。
 いつの間にか山小屋の中に戻っているが、死体は綺麗に片付けられ、レネは暖炉の前でフィリプの腕の中にいる。
 ブランケットにこそ包まれているが、二人とも裸だ。

「……オレ……なんでここに?」

 新人たちを助けるために川辺へ行って……それ以降の記憶が曖昧だ。

「憶えてるか? 川に落ちたお前をフィリプが飛び込んで助けたんだぞ。もう男と人工呼吸なんて御免だ」

 レネの濡れた服を乾きやすいように暖炉の前に置いてある椅子に掛けていたロランドが、疑問に答える。

「人工呼吸?」

「お前、助けられた時は息してなかったんだよ」

 ロランドはふだん滅多に他人の世話を焼かない。
 この男に世話を焼かれているということは、よっぽど自分は危険な状態だったのだと、レネは察した。

「フィリプが川に飛び込んでオレを助けてくれたのか?」

 フィリプとは今まで何度か仕事で一緒になったことはあったが、命の危険を冒してまでレネのことを助けてくれるなんて思いもしなかった。
 レネのためにそんなことしてくれるのは、自分の騎士であるバルトロメイくらいだろうと思っていた。


「助けた時には水飲んでて息してなかったからびびったけど、無事でよかった……」

 心から安堵した様子でフィリプは腕の中のレネを見下ろす。

「あんたが助けてくれなかったらオレ死んでたかもな……ありがとう。……あ、ロランドも」

 取って付けたようにロランドの名前も付けたした。
 これはわざとだ。

「なんだよ、俺はついでか?」

 案の定、こちらを見る翡翠色の眼差しに険がこもる。

(こうじゃなくちゃ)

 レネはいつも通りのロランドの方が安心する。
 この男に世話を焼かれるとどうも落ち着かない。


「そういえば、もう一人は?」

 ヘークはゼラから怪我の手当てを受けているが、レネを川へ突き落したヨニーがいない。

「あの馬鹿か? 死体を片付けさせてる」

 ロランドの瞳がより一層険しくなる。
 余計な手間を増やした新人のことを怒っているんだろう。
 
 フィリプが助けてくれたからレネは生きているが、もしあのまま流されていたら、間違いなく死んでいた。
 一歩間違えばヨニーが片付けているであろう死体に混ざっていたかもしれない。


(オレ……生きてた……)

 いつもレネは紙一重で生き残っている。
 



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