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7章 人質を救出せよ
2 ナイトメア
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◆◆◆◆◆
『……契約の……し……に…あ……血塗…の……おう……んを……捨て……』
(——まただ……)
頭の中に響いてきた声に、レネは首を左右に振りそれを打ち消すように低く唸る。
『……かみ…の……復……を……て…くれ……』
真っ暗な闇を思わせる不気味な声は、まるで地獄の亡者のようで、レネの心を疲弊させていく。
運命から逃れ自分の道を突き進もうとする自分を捕まえ、地の底へと引きずり下ろす。
頭が割れそうになるほどその声が木霊するのに、しゃがれた声は肝心の所が聴きとれないでいた。
「——レネっ……レネっ!」
よく知った声が自分の名前を呼び、肩を揺さぶる。
「……う…ん……」
真っ暗な視界に光が射して来る。
机の木目が目の前に広がり、レネは自分が机に突っ伏した状態であることに気付く。
「あんた大丈夫? 魘されてたよ?」
顔を上げると、姉が心配そうにレネを覗き込んでいた。
横にはバルトロメイもいる。
「……ごめん……いつの間にか寝てたみたい」
またか……と思いながら、片手で顔を覆い落胆の息を吐く。
もうこの夢を見るのは何度目だろうか。
一時期は治まっていたのだが、ここ数日、奇妙な夢を見る頻度が増している気がする。
不気味な声がレネに語り掛けてくるのだが、声が掠れていてよく聴きとれない。
聴きとれる単語もなにやら血生臭さが漂い、レネの神経は疲弊していた。
悪霊が自分へと取り憑いて、なにかをさせようとしているのかもしれない。
しかしどこか、無視できない必死さを感じ、言葉を聴きとることができないでいる自分をもどかしく思う。
「あんたも目の下に隈なんか作って、寝不足なの?」
「……うん。ちょっとこのところ夢見が悪くて」
双子の子育てに奮闘している姉と、悪夢に悩まされている弟が、お互いの隈を見あって苦笑いする。
その様子をバルトロメイが、ものいいたげな顔をして眺めていた。
初夏になっても、高地にあるジェゼロの夜は肌寒い。湖の湖面からは靄が立ち、街全体もぼんやりと霞んで見える。
レネはバルトロメイと二人、編み物工房から宿屋へと戻る帰り道を歩きながら、夜空に浮かぶ朧月を見上げた。
月を見ているとなにか落ち着かない気持ちになる。
夢の中で感じた、ぞわぞわとした不安が再び湧き上がってくるようだ。
湿気を帯びた冷気が襟元の隙間から入り込み、レネはぶるりと身震いした。
「やっぱりこっちは肌寒いな」
「お前がうたた寝なんかするから、風呂に入り損ねたじゃねえか……」
リーパの団員がジェゼロで定宿にしている『虹鱒亭』は風呂の時間が決まっている。
工房を出る時には、既にそんな時間を過ぎていた。
今夜は夜霧で冷えた身体のまま布団に潜り込まなければならない。
「そんなに言うんだったら、起こせばよかっただろ」
「起こしたら起こしたで、機嫌悪くするだろ」
「……」
その通りなので、レネはなにも言い返せずに押し黙る。
以前、気持ちよく昼寝していた所を起こされて、丸一日口をきかなかった時のことを思い出し、バツが悪くなったのだ。
「最近ずっと魘されてるな」
決してバルトロメイは「大丈夫か?」とは訊かない。
そんな言葉をかけたら「大丈夫だ」とレネが答えることを知っているから。
「……同じ夢を何度も見るんだ」
「どんな?」
「誰かがしゃがれた声で必死に訴えてるけど、なんて言ってんのかよく聴こえなくて……気味が悪いんだ」
またあの声を思い出し、レネは顔を顰める。
「へえ……、それ幽霊に取り憑かれてるんじゃね?」
顎に手を当てながら、バルトロメイがこちらに視線を寄越す。
「オレも同じこと思ってた……幽霊がオレなにかさせようとしてるのかなって」
バルトロメイにまで言われると、レネはそうに違いないと思うようになってきた。
「因みになんて言ってんだ?」
「いや、それがよく聴きとれなくてストレス溜まってんだよ。契約……とか、血塗れ……とか、途切れ途切れでよくわかんねえよ……」
『契約』という言葉を聞いた途端、バルトロメイがピクリと動いたが、なにか気になることでもあったのだろうか……レネは首を傾げる。
「やっぱり幽霊じゃねえか? 内容がなんだか血生臭せえな」
鼻に皺を寄せ嫌悪感を表すその表情は、威嚇して牙を剥きだしにする狼のようだ。
バルトロメイは人よりも犬歯が発達していて、牙という母方の姓が妙に似合っている。
「実際、オレも沢山人を殺したからな。幽霊から恨み殺されても不思議じゃねえな」
自分で口にだすことで、今までに命を奪ってきた男たちの顔が全て思い出せないくらい、己が殺戮者であることを改めて思い知る。
どんな正当な理由があろうと、この手が血塗れなのには違いない。
「お前……それ言うなら、俺や、他の団員たちだって一緒じゃねえか」
片頬を歪め、バルトロメイが皮肉気に笑う。
「オレさ……家族が守れなかったから強くなろうって思って剣の腕を磨いてきたはずなのに、強い奴と戦ってると、純粋に戦いを楽しんでいる時があるんだ。お前と真剣でやり合う時もすっげえ興奮する……駄目な奴だろ? 人を護るよりも、相手を倒すことに夢中になってんだぜ? でもそれを認めたくないから、こうして姉ちゃんや双子に会って、自分はこいつらを守るためにいるんだって、自分を戒めに来てるんだぜ……面倒くさい野郎だろ……」
話している間にも、あまりにも自分の行動が愚かに思え、自然とレネの顔には自嘲の笑みが零れていた。
「なに言ってんだよ、お前の方がまだましだ。俺なんか戒めることも諦めて開き直ってるからな」
狼のような瞳が、一段と野性味を増してギラリと月の光を反射する。
牙の様な犬歯を相まって、本物の狼みたいだ。
この狼になら、食い殺されてもいいかもしれない……刹那的にだが、そんな危険な想いに駆られる。
(だめだ……)
つまらない想いに囚われるのは、きっとさっき見た夢のせいだ。
あの亡霊が、レネを危うい方向へと引っ張ろうとしているのだ。
「オレがもし幽霊に身体を乗っ取られたら、お前がなんとかして止めろよ」
なぜこんな言葉が口からでたのかわからない。
もしかしたら……この頃から、日に日に存在感を増して来る悪夢が、ただの夢のままでは終わらない予感がしていたのかもしれない。
空を見上げると、靄に包まれた月がこちらを見ている。
欠けた月から視線を逸らすように、二人は宿のある鈴蘭通りへと角を曲がった。
『……契約の……し……に…あ……血塗…の……おう……んを……捨て……』
(——まただ……)
頭の中に響いてきた声に、レネは首を左右に振りそれを打ち消すように低く唸る。
『……かみ…の……復……を……て…くれ……』
真っ暗な闇を思わせる不気味な声は、まるで地獄の亡者のようで、レネの心を疲弊させていく。
運命から逃れ自分の道を突き進もうとする自分を捕まえ、地の底へと引きずり下ろす。
頭が割れそうになるほどその声が木霊するのに、しゃがれた声は肝心の所が聴きとれないでいた。
「——レネっ……レネっ!」
よく知った声が自分の名前を呼び、肩を揺さぶる。
「……う…ん……」
真っ暗な視界に光が射して来る。
机の木目が目の前に広がり、レネは自分が机に突っ伏した状態であることに気付く。
「あんた大丈夫? 魘されてたよ?」
顔を上げると、姉が心配そうにレネを覗き込んでいた。
横にはバルトロメイもいる。
「……ごめん……いつの間にか寝てたみたい」
またか……と思いながら、片手で顔を覆い落胆の息を吐く。
もうこの夢を見るのは何度目だろうか。
一時期は治まっていたのだが、ここ数日、奇妙な夢を見る頻度が増している気がする。
不気味な声がレネに語り掛けてくるのだが、声が掠れていてよく聴きとれない。
聴きとれる単語もなにやら血生臭さが漂い、レネの神経は疲弊していた。
悪霊が自分へと取り憑いて、なにかをさせようとしているのかもしれない。
しかしどこか、無視できない必死さを感じ、言葉を聴きとることができないでいる自分をもどかしく思う。
「あんたも目の下に隈なんか作って、寝不足なの?」
「……うん。ちょっとこのところ夢見が悪くて」
双子の子育てに奮闘している姉と、悪夢に悩まされている弟が、お互いの隈を見あって苦笑いする。
その様子をバルトロメイが、ものいいたげな顔をして眺めていた。
初夏になっても、高地にあるジェゼロの夜は肌寒い。湖の湖面からは靄が立ち、街全体もぼんやりと霞んで見える。
レネはバルトロメイと二人、編み物工房から宿屋へと戻る帰り道を歩きながら、夜空に浮かぶ朧月を見上げた。
月を見ているとなにか落ち着かない気持ちになる。
夢の中で感じた、ぞわぞわとした不安が再び湧き上がってくるようだ。
湿気を帯びた冷気が襟元の隙間から入り込み、レネはぶるりと身震いした。
「やっぱりこっちは肌寒いな」
「お前がうたた寝なんかするから、風呂に入り損ねたじゃねえか……」
リーパの団員がジェゼロで定宿にしている『虹鱒亭』は風呂の時間が決まっている。
工房を出る時には、既にそんな時間を過ぎていた。
今夜は夜霧で冷えた身体のまま布団に潜り込まなければならない。
「そんなに言うんだったら、起こせばよかっただろ」
「起こしたら起こしたで、機嫌悪くするだろ」
「……」
その通りなので、レネはなにも言い返せずに押し黙る。
以前、気持ちよく昼寝していた所を起こされて、丸一日口をきかなかった時のことを思い出し、バツが悪くなったのだ。
「最近ずっと魘されてるな」
決してバルトロメイは「大丈夫か?」とは訊かない。
そんな言葉をかけたら「大丈夫だ」とレネが答えることを知っているから。
「……同じ夢を何度も見るんだ」
「どんな?」
「誰かがしゃがれた声で必死に訴えてるけど、なんて言ってんのかよく聴こえなくて……気味が悪いんだ」
またあの声を思い出し、レネは顔を顰める。
「へえ……、それ幽霊に取り憑かれてるんじゃね?」
顎に手を当てながら、バルトロメイがこちらに視線を寄越す。
「オレも同じこと思ってた……幽霊がオレなにかさせようとしてるのかなって」
バルトロメイにまで言われると、レネはそうに違いないと思うようになってきた。
「因みになんて言ってんだ?」
「いや、それがよく聴きとれなくてストレス溜まってんだよ。契約……とか、血塗れ……とか、途切れ途切れでよくわかんねえよ……」
『契約』という言葉を聞いた途端、バルトロメイがピクリと動いたが、なにか気になることでもあったのだろうか……レネは首を傾げる。
「やっぱり幽霊じゃねえか? 内容がなんだか血生臭せえな」
鼻に皺を寄せ嫌悪感を表すその表情は、威嚇して牙を剥きだしにする狼のようだ。
バルトロメイは人よりも犬歯が発達していて、牙という母方の姓が妙に似合っている。
「実際、オレも沢山人を殺したからな。幽霊から恨み殺されても不思議じゃねえな」
自分で口にだすことで、今までに命を奪ってきた男たちの顔が全て思い出せないくらい、己が殺戮者であることを改めて思い知る。
どんな正当な理由があろうと、この手が血塗れなのには違いない。
「お前……それ言うなら、俺や、他の団員たちだって一緒じゃねえか」
片頬を歪め、バルトロメイが皮肉気に笑う。
「オレさ……家族が守れなかったから強くなろうって思って剣の腕を磨いてきたはずなのに、強い奴と戦ってると、純粋に戦いを楽しんでいる時があるんだ。お前と真剣でやり合う時もすっげえ興奮する……駄目な奴だろ? 人を護るよりも、相手を倒すことに夢中になってんだぜ? でもそれを認めたくないから、こうして姉ちゃんや双子に会って、自分はこいつらを守るためにいるんだって、自分を戒めに来てるんだぜ……面倒くさい野郎だろ……」
話している間にも、あまりにも自分の行動が愚かに思え、自然とレネの顔には自嘲の笑みが零れていた。
「なに言ってんだよ、お前の方がまだましだ。俺なんか戒めることも諦めて開き直ってるからな」
狼のような瞳が、一段と野性味を増してギラリと月の光を反射する。
牙の様な犬歯を相まって、本物の狼みたいだ。
この狼になら、食い殺されてもいいかもしれない……刹那的にだが、そんな危険な想いに駆られる。
(だめだ……)
つまらない想いに囚われるのは、きっとさっき見た夢のせいだ。
あの亡霊が、レネを危うい方向へと引っ張ろうとしているのだ。
「オレがもし幽霊に身体を乗っ取られたら、お前がなんとかして止めろよ」
なぜこんな言葉が口からでたのかわからない。
もしかしたら……この頃から、日に日に存在感を増して来る悪夢が、ただの夢のままでは終わらない予感がしていたのかもしれない。
空を見上げると、靄に包まれた月がこちらを見ている。
欠けた月から視線を逸らすように、二人は宿のある鈴蘭通りへと角を曲がった。
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