菩提樹の猫

無一物

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6章 次期団長と親交を深めよ

エピローグ

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 仕事が終わり本部へと戻るため、松葉色のサーコートを着たまま、レネとバルトロメイは目抜き通りを東へと歩いている。
 夏に向かって陽が長くなり、夕方になってもまだ空は明るいままだ。

 レネは、遠乗りから帰って来て、バルトロメイとなかなか顔を合わせる機会がなかった。
 こうやって一緒に仕事をしたのも久しぶりだ。

 ここ数日間、会議室という名の事務室で、レネは缶詰めになって書類の製作を事務員たちに仕込まれていたためだ。
 少しずつだが護衛の仕事だけではなく、書類作成や応接室で依頼者への対応も行うようになってきた。


「じゃあフォンスと釣りして女たちのいる店で飲んで、酔っぱらって宿でゲエゲエ吐いてたのか」
 
 そう言うと、バルトロメイは怪訝な横目をレネに向ける。

(なんだよ……その疑いの目は……)

 遠乗りに行く前日は大変だった。
 最初バルトロメイは『自分も一緒に行く』ときかなかったのをやっとのことで説得したという経緯がある。
 だからなのか遠乗りでなにがあったのかを、こうして事細かに訊いてくる。
 
「オレが女遊びでもしてきたと思ってるのか? ただねえちゃんたちが隣に座って酒を注いでただけだぞ」

 バルトロメイは全く女が駄目というわけではない。
 レネが抜け駆けして、一人だけ良い思いをしてきたと疑っているのだろう。
 
「俺が心配してるのはそこじゃねえ。フォンスの野郎だよ」

「……別に嫌がらせされたりしなかったぞ?」

 フォンスが勝った願いとしてわざわざ、申し出てきたことだ。最初はレネもなにか裏があるのではないかと心配していたが、実際はなにもなかった。

「本当か?」
 
 まだバルトロメイの疑いの眼差しは解けない。

「ああ。自分の食べる分の魚もくれたし、酔っぱらって吐いたあとに汚れたからって身体洗うのも手伝ってくれたぞ? 意外といい奴だった」

「……身体を洗う……?」
 
 なぜだろうか、バルトロメイの頬がヒクヒクと痙攣している。

「だってゲロ吐いて汚れたから風呂に入ろうと思ったけど、ヘロヘロだったから……」
 
「おい……」

(なんだよ……怒ってんのか?)

 バルトロメイは急に足を止め、凄い剣幕でレネを見下ろす。
 流石はバルナバーシュの息子だ。
 怒った顔の迫力に、レネは身を強張らせる。

「——レネ……、お前まさか……好物の魚をくれたからってあんなに嫌ってた相手を信用するのか? 裸になったところを襲われたらどうする? 相手は大男だぞ、武器なしじゃお前は抵抗できない」

「は?……フォンスは手合わせでオレに勝ってるし、そんな不意打ちで勝ってもなんの得にもならねえだろ」
 
 当事者でもないバルトロメイが、なぜここまで目くじらを立てて怒り出すのか、レネには理解できない。

「はぁ……お前、手合わせの後に団長が自分の部屋に戻って風呂に入って来いって言ってた意味もわかってねえみたいだな……」

(なんだその盛大な溜息は……?)
 
 まるで馬鹿扱いされているようで、レネは苛立ちを覚える。

「あれは、あのあと昼食会だったし、部屋に戻ってちゃんとした服に着替えて来いってことだぞ」

 それ以外になんの意味があるというのだ。
 そんな単純なこともわからないバルトロメイこそ馬鹿ではないのか。


「あーーーーわかった。もうこの話題はやめよう。お前とはどんなに話しても平行線だったな」
 
 さっきまであんなに怒っていたのに、今度は自分から引いて見せる。

「なんだよその言い方、ムカつくな……」

 一度火を付けられて、レネの苛立ちは「はいそうですね」と簡単に治まらない。
 本当は怒っているくせに、余裕がある振りをするバルトロメイの態度が妙に鼻につく。

「レネっ、前っ」
 
「あっ……!?」
 
「——おっと」

 バルトロメイの声に前を見た時には既に遅く、前から来た男の胸に正面からぶつかってしまう。
 しかし、正面からぶつかった割には衝撃は少なく、その代わりに柑橘と針葉樹の混ざったような香りが鼻腔に広がる。

(あっ……これ、絶対高い香水だ)
 
 とても庶民が身につける香りではないことに気付き、レネは咄嗟に顔を上げる。

「っ!?」
 
 レネよりも随分と長身だが、こちらを見下ろしているせいか思ったよりも近くに顔がある。

「リーパの護衛さん、余所見とは危ないな」

 相手の男は、低い美声とその声に見合った美貌の持ち主だ。
 手入れの行き届いた赤毛に、灰色の瞳に合わせた同色の服。
 供の者はいないようだが、レネはすぐにこの男が貴族であることに気付く。

「申し訳ありませんっ」
 
 慌てて頭を下げるが、手で制される。

「いいさ、気にすることはない。私は今、凄く上機嫌なんだ。次からは気を付けてくれたまえ」
 
「はいっ」
 
 その言葉通りに男は満面の笑みを浮かべて去って行った。


「あれ、絶対お貴族様だよな」
 
 一緒に無言で頭を下げていたバルトロメイが、男が去って行った方向を振り返る。

「あ~~~吃驚した。なんかオレ……ああいうタイプ苦手かも。ほら……誰だっけレ、レ、レ……お前の以前の雇い主」

 爬虫類めいた冷めた視線が、以前レネを執拗に追い回した男を連想させた。
 あの事件がきっかけでバルトロメイと知り合うことになった。

「おい、拉致監禁してた相手を忘れるなよ。……レオポルトな。俺の正式な雇い主はその兄のペリフェニー子爵だけどな」
 
 バルトロメイも嫌な思い出だったのか、苦い顔で答える。
 
「でもなんでこんな所、供も付けずに一人で歩いてたんだ?」
 
「……さあ?」

 貴族といっても色々いる。
 先ほどの男は、レネがぶつかって来ても謝罪も求めなかったくらいだ。
 あまり細かい所を気にしない人物だったのだろう。
 
「でもお前が人とぶつかるなんて珍しいな」

 レネもそれは首を傾げざるをえない。
 普通は余所見していても人が前から歩いて来ていることくらい気配で気付く。

「いや、ぜんぜん前から人が来てるって気付かなかったし、なんか泥棒みたいに気配を消してたとしか思えない。あっ……貴族を泥棒呼ばわりするのは失礼だよな」
 
 レネは思わず舌を出す。

「泥棒ってお前、酷い言いようだな」
 
 バルトロメイも釣られて笑う。

 先ほどまでの言い争いなどすっかり忘れ、二人は笑いながら本部へと続く道を左へと曲がった。




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