菩提樹の猫

無一物

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6章 次期団長と親交を深めよ

5 甘い考え

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「——勝者、フォンスっ!!」

 その声を聞いた途端、フォンスは自分の血を吸い込んでどす黒く変色した地面に倒れ込んだ。


「早く剣を抜いて」

 駆け寄ってきた誰かが腹に刺さったままのレネの剣を抜いて、もう一人の男が傷口に手を当てる。
 黄色い光に包まれ、傷口がみるみると塞がっていくのをまるで他人事のようにフォンスは見ていた。

「処置が早かったから、大丈夫みたいだな。立てるか?」

 バルナバーシュが顔を覗き込んでくる。

「……はい」

 剣を杖にして立ち上がると、地面に倒れたまま動かないレネを見下ろした。
 長い睫毛が頬に影を落とし、あの猫の様にクルクルと表情を変える瞳は隠れてしまっている。

 まるで主の居なくなった家のようだ。
 今なら土足で入り込んでも、咎められはしない……。

 フォンスの心拍数が一気に上がる。
 

「——フォンス、お前が勝者だ。こいつは煮るなり焼くなり、なんなら犯したってかまわないんだぞ?」

 まるで全てを見透かしたかのようなバルナバーシュの言葉が、表に顔を出そうとしていたフォンスの獣性を押しとどめた。

「そんな野蛮なことなんてしません」

 ホルニークでは手合わせといっても、癒し手がいないので、ここまで本気でやり合わない。
 それに負けた者を、そこまでこき下ろしたりはしない。


「おいっ、いつまでも寝てんじゃねえよ」

 傷を負って気を失っているのに、冷酷にもバルナバーシュは養子の身体を足で蹴って転がす。
 フォンスの時とは全く違う、冷たい声だ。

 まさかバルナバーシュがレネをこんな乱暴に扱うとは思わず、フォンスは息を呑む。

「……うっ……」

 衝撃でレネが意識を取り戻し、一瞬だけぼんやりとした表情を浮かべた後は、自分の置かれている状況を思い出し、すぐに険しい表情になる。


 バルナバーシュの足が小刻みにレネの背中を蹴る度に、ぐらぐらと身体が揺れる。
 それは全く身体に力が入っていないからであり、レネが養父に全権を委ねている証拠だ。
 その姿を見ているだけで、フォンスは無性に腹が立ってきた。


「勝ったからお前を犯したっていいんだぞって言ったら、そんな野蛮なことはしないだとよ。誰かさんの時とは大違いだな」

 バルナバーシュが笑う。
 まるでそれは、実際にそんなことをした人物がこの場にいるかのような言いようだ。

「…………」

 レネが苦い顔をしたのをフォンスは見逃さなかった。
 周囲を見回すと、団員たちも複雑な表情を浮かべているではないか。

(もしかしたら、以前レネは酷い目に遭ったことがあるのか?)

 そんな可能性が頭に浮かび、フォンスは急にレネの貞操が心配になって来た。


「早くレネに治療をしてあげてください」

 破れた布地から覗く白い肌と赤い血が、太陽の光に照らされて、フォンスの目を毒していく。
 このままでは、バルナバーシュが口にした心無い言葉を、妙に意識してしまうではないか。

「団長、いいですか?」

 自分の治療をした癒し手が、レネの治療の許可を求める。

「優しい相手でよかったな」

 バルナバーシュは不満を隠そうともせず、レネの身体を押さえていた足をどける。
 癒し手がレネの傷を治癒していく姿を見ながら、フォンスは肩の力を抜いた。


 今になって、フォンスは自分の認識が甘かったことに気付く。
 先ほどバルナバーシュと剣を交えている時は、父親が生きていたらこんな感じだったのだろうかと、こそばゆくも眩しいような気持ちを抱いていた。

 だがそれは違った。

 バルナバーシュがフォンスに見せていた顔は、親戚のおじさんみたいな一面に過ぎず、自分の育てている子供には鬼のように厳しい。

 レネにバルナバーシュが厳しく当たる様を見ていると、「お前はあんな甘ったれた考えで済むと思うなよ」と、間接的にフォンスの甘さを責められているような、いたたまれない気持ちになった。

 あそこま執拗に厳しく当たるのは、レネを強く育てたいからだ。

 この仕事は、一寸先は闇。
 いつ死が待ち受けているかもわからない。
 現にフォンスの父親も殉職した。
 
 バルナバーシュの厳しさは、レネに対する愛情でもある。
 それがわかっているのでレネもその厳しさを受け入れているのだろう。

 子供っぽいかもしれないが、フォンスはそんな二人に置いてけぼりを食らった気持ちになった。
 父親を亡くした少年は、空き地で遊ぶ父子を眺めては、寂しい気持ちになっていた。
 子供時代の鼻の奥がツンと痛くなるような、切ない気持ちが湧き上がり、フォンスは思わず俯く。

 強い養父に育てられているレネに嫉妬しているのか、絶対服従のレネを好きに扱うバルナバーシュに嫉妬しているのか、フォンスにはよくわからない。
 だがなんともいえない、自分の居場所はここではない疎外感を覚える。
 
 

 祖父の側まで歩いて行くと、むっすりとした表情をこちらに向ける。
 せっかく勝負に勝って団の面子を保ったというのに、ボジェクは全く嬉しそうでなかった。

「お前、これで勝ったと思うなよ」

 癒し手が側に待機しているとわかっていたから、敢えて相手の攻撃を受けて反撃にでるという手を使えた。
 普通の勝負だったら、そのままフォンスは死んでいただろう。

「わかってるって」

 フォンスはボジェクの言葉に救われる。
 もしボジェクが「でかした」と勝利したことを褒めていたら、フォンスの心は地獄の底まで落ちていたに違いない。

(祖父ちゃん……)

 身体が思うように動かないので、直接フォンスを指導することはないが、ボジェクだけが自分を厳しく叱ってくれる。
 改めてそんな祖父が、自分にとってどれだけ貴重な存在だったか気付かされた。
 そう思うと、さっきまで感じていた切ない気持ちなど一気に吹き飛んでしまった。

 
 フォンスは自分の気持ちの整理に手いっぱいで、ボジェクがかけた言葉の本当の意味にまだ気付いていなかった。



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