菩提樹の猫

無一物

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5章 一枚の油絵

10 弟

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「君にも、菩提樹の木の下で、バルトロメイがレネに剣を捧げる場面を見せてあげたかったな…………まるでそこだけが神聖な場所になったみたいで、見ている団員たちはただただ、レネの威厳に圧倒され、ひれ伏すしかなかったね」
 
 ボリスは男の浪漫を語るおやじのように、陶酔しきった目で虚空を見つめた。

「……なんだよそれ……」 
 
 少し照れも入っているのか、レネが口を尖らせてそっぽを向く。
 アネタも弟の気持ちがよくわかる。
 ボリスの言葉はいつも大袈裟で、言われている方はこっ恥ずかしくなるのだ。

「ひれ伏すって……?」
 
 しかしそんなボリスの口から出たにしても……弟にはあまりにもそぐわない言葉に、アネタは首を傾げる。
 レネにひれ伏すとはいったいどういう心境なのだろうか?
 いくら尊敬しているといっても、ゲルトの超絶早編みを見て、アネタはゲルトにひれ伏そうなんて思ったこともない。

「腹を見せて降参したくなるくらい、レネが団員たちの中でも強者ってことですよ」

(腹を見せる……?)

 バルトロメイがイマイチ事情の掴めないアネタに説明してくれるが、その言い方はまるで……団員たちが犬のようではないか。

(……バートまで語りだしちゃって……うっとりとした目でこっち見ないでよ……)

 バルトロメイも、どうやらボリスと同じあっち側の人間のようだ。
 先ほど『全てをレネに捧げた』と言っていた。
 もしかしたら……あっち側どころか、あっち側の総本山のような存在なのかもしれない。
 よっぽどの理由がない限り、平民のレネに騎士として仕えようとは思わないはずだ。

「ごめん……なんかその世界はあまり想像できない」

 いや……レネがこの外見だからか……女王様にひれ伏す被虐癖のある男たちという絵面しか、アネタには浮かばない。
 ボリスとバルトロメイは真面目に語っているのだが、なんだかとてもシュールな光景だった。
 
 男たちの集団が独特すぎてアネタには理解できない。
 一見さっぱりとしてわかり易いが、上下をはっきりさせたがる執拗さも感じる。

 その中でも異色であるレネが頂点に立つには、並大抵の努力ではやっていけない。
 レネはアネタが知らない苦労をたくさんしているはずだ。
 本人もだが、ボリスやバルトロメイを見ていると、なんとなくそれが伝わってくる。
 この二人は、そんなレネを放っておけないのだ。


「うん……なんか大変そうだけど、頑張ってね。あたしはいつでもあんたの味方だから」

 アネタは、こんな時に気の利いた言葉の一つもかけてやることができない。
 他人から見たら、弟が苦労しているのに、なににも考えていない能天気な姉と思われるかもしれない。

 
(でも、あたしの役割はそこじゃないんだよね……)

 レネは姉に同情や共感を求めているわけではない。
 ただ肩の荷を下ろして、アネタの弟に戻ることを望んでいる。
 
 
 アネタは、まだ恥ずかしそうに俯いたままの弟の細い背中をバシバシと叩いた。

「姉ちゃん本気で叩かないでよ、痛いって」
 
「弟の分際で口答えするんじゃないの!」

 叩いてみるとわかるのだが、華奢に見えるレネの背中にも適度な筋肉が付いている。
 その感触が心地よく、ついつい何度も叩いてしまう。


「アネタさんって、なんか想像通りの人で安心しました」

 今日が初対面の青年がぼそりとつぶやく。

「えっ……なに!? 想像通りって」

 バルトロメイが急にそんなことを言うものだから、アネタは逆に身構える。
 
(怖い姉ちゃんだとか、レネとぜんぜん似てないとか? そういう意味?)

「言葉にすると難しいんですが、軸がぶれそうになった時に帰って来たくなる場所っていうか……」

 バルトロメイが口にしたことはアネタが想像していた言葉とは違った。

「お前、わかってるじゃねえか」
 
「……確かにそうだ」
 
 レネもボリスもうんうんと頷いている。

「なによ?」

「ん、姉ちゃんはこれからもありのままでいてほしいってことだよ」

 レネが言わんとしていることは理解できる。
 だが、三人同時に同じ表情でうんうんと頷かれると、流石に居心地が悪い。

「まあ、あんたがリーパの団長になる日が来ても、今まで通りこき使ってやるわよ」

 弟がどんなに偉くなっても、この扱いが変わることはないだろう。
 きっとレネもそれを望んでいる。
 
「そうそう。姉ちゃんはそんな感じでいいんだよ」

「……なによさっきから気持ち悪い……みんなであたしを茶化してない?」
 
「そんなことないって」

 弟の言うことはいまいち信用できないが、まあいい。
 
 
 話題が落ち着いたので、四人でいったんお茶を飲んで喉を潤す。

 アネタは子供の頃を思い出し、目を細めた。
 両親は子供の目から見ても明らかにアネタとレネの扱いが違った。

 レネに対してはいつも神経質なくらい目を光らせているのに、アネタは両親に構われた記憶があまりない。
 可愛がられなかったというよりも、レネのことに神経を尖らせるのが手いっぱいで、それどころではなかったという感じだ。

 レネは子供の頃は天使のように愛らしく、何度も人攫いに誘拐されそうになった。
 
 それに比べアネタは地味な顔で、同じなのは髪の毛の色だけ。
 外に行ってもいつもレネばかりが外見を褒められるので、アネタはそれが嫌になり、家の中で編物ばかりをするようになった。

 アネタは綺麗な顔を持つ弟に嫉妬した。
 そんなことも知らずに、姉を慕ってついて回るレネに、アネタは冷たく当たった。
 
 だが毎日編物をしながら、自宅の二階から外の様子を見ていて気付いたことがあった。
 レネはレネで、同年代の男の子から『女みたいだ』と揶揄われて仲間外れにされていたのだ。
 
 活発な男の子らしい子だったのに、この外見のせいで悔しい思いをしている。
 それは地味な顔が嫌いな自分と同じではないかと気付いてからは、冷たく当たることもなくなった。

 両親が殺され離ればなれになっても、唯一の肉親として、レネを思わない日はなかった。
 

「あんたは憶えてないよね? 前に住んでた所…………うちの両親の出身地なんてわかんないから、祖父母や親戚がいたとしても知りようがないのよね……」
 
「……え!? オレたち……メストで生まれたんじゃないの?」

 レネが心底驚いたような顔をしてアネタを見た。
 偶にしか会えないので、毎回積もる話がたくさんあり、もしかしたら今までこんな話を姉弟で話したこともなかったかもしれない。
 
「……そうよね。レネはまだ赤ちゃんだったもんね。メストに来る前は、左右対称の山……山頂から煙が出てたから火山だったのかな……あんたの部屋からその山を見ていた記憶があるの。そのあと……船に乗ったり、馬車に乗ったりしてメストに移って来たのよ。何日もかかったから、たぶんドロステア国内じゃないと思う。だって、あたしたちの髪色ってあんまりこの国じゃ見なかけないでしょ」

「——知らなかった……オレはドロステア人じゃないの……?」
 
 レネが目を見開いたまま固まっている。
 なんの気もなしにアネタの口から零れた言葉だが、まさかレネがここまで動揺するとは思わなかった。

 もしかしたら、この先バルナバーシュから団長を引き継ぐにあたって、なにか問題があるのだろうか?

 リーパは私設の護衛団だが、もとはといえば先代が国王から賜った土地と屋敷から、護衛団が出来上がったと聞いている。
 以前ルカーシュが、『外国人の俺が副団長になるのも大変だった』と漏らしていたので、団長や副団長が代わる時には、王国のお伺いがいるのかもしれない。

 レネの反応もそうだが、ボリスやバルトロメイも驚いているというか……深刻な顔をしている。

(あたしなにか変なこと言っちゃったの?)
 
 微妙な空気になり、アネタはこの話題をふるべきではなかったと少し後悔した。

 
 
 
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