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5章 一枚の油絵
8 ジェゼロで
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「姉ちゃんつわり酷いんじゃなかったの?」
食欲旺盛な姉を見て、レネは疑問を口にする。
「もう大丈夫、大丈夫」
アネタは好物の鱒のパイ包み焼きをばくばくと頬張っている。
前もってレネが来ることを知っていたゲルトの妻のモニカが、魚好きの姉弟のために作ったメニューだ。
休みの日を利用して、レネはバルトロメイとジェゼロを訪れていた。
今はゲルトとモニカ夫妻、ボリスとアネタ夫妻、レネとバルトロメイの総勢六名で食卓を囲んでいるところだ。
ゲルトの子供たち二人は、レネたちの到着が遅れたので、待ちきれず先に昼食を済ませていた。
「団長にも同じこと言われてたね」
ボリスが隣でニコニコと笑顔を浮かべ、アネタの食べっぷりを見ている。
「色々心配してくれて、つわりに効くハーブティーやら果物やらどっさりお土産にくれたけど、バルが来た時にはすっかり治まってたから、なんだか申し訳なくて……でも普通に美味しいのばかりだからありがたく頂いてますけどね」
アネタは、養父のお土産であるハーブティーの入ったカップを手に取り、ゴクゴクと飲んだ。
「でも治まってよかったわよ、あんたが食欲がないなんてこっちだって料理の作り甲斐がなくなるからね」
モニカが付け合わせの野菜をアネタに渡しながら笑う。
ゲルトの妻で編物工房の女将になるのだが、編物は一切できない。
その代わり、アネタの様に住み込みの職人の食事や世話を一身に請け負っている。
「そう言えばバルったら……式の間、ずっと泣きっぱなしだったわね」
ゲルトがその時の光景を思い出したのか、ぷっと吹き出した。
「えっ!?」
バルトロメイが驚きの声を上げる。
あの鬼の団長が泣いていたと聞いて、驚かないわけがないだろう。
レネだって想像つかない。
「そりゃあ娘の結婚式に泣かない父親がいるわけないでしょ。あんたも覚悟しときなさいよ」
友を馬鹿にする夫へモニカが忠告した。
ゲルトにも今年十歳になる娘がいる。
「あの子は結婚なんかしないわっ!」
「馬鹿ね、さっきだってバルトロメイを見て、『お兄さんのお嫁さんになりたいっ!!』ってはしゃいでたわよ?」
「……えっ!?」
妻の言葉に、ゲルトが目を見開いてショックを受けている。
「……ちょっと待って! 俺をそんな目で睨まないで下さいよ。俺はさっき娘さんに自己紹介しただけですからねっ!」
急にゲルトに敵愾心剥き出しの目で睨まれ、バルトロメイは慌てて否定する。
レネもその場に居合わせていたが、本当にバルトロメイは自分の名前を紹介しただけで、ゲルトの娘には指一本触れてもいない。とんだ濡れ衣だ。
「血は争えないわね。そんな所までお父さんにそっくりじゃない」
モニカが面白いものでも見るようにバルトロメイに目を向けた。
「ほんと最初見た時にそっくりでびっくりしたもん! それにこんなにイケメンだし、バルだって若い頃はさぞかしモテたんだろうね~~」
アネタは先ほど、バルトロメイとバルナバーシュの親子を横に並べて『そっくり~~~~』とはしゃいでいた。
レネは鬼のように恐ろしいリーパ護衛団の団長としてのバルナバーシュを知っているので、そんな姉の姿を内心呆れながら見ていた。
「あら、今でも団長さんはモテモテよ。嫁のきてはたくさんあるでしょうに結婚しないのかしら?」
なんでもモニカが言うには、工房にバルナバーシュが来る度に、職人たちがソワソワしだすのだそうだ。
職人の中でもアネタは若手で、大半は三十代から六十代の妙齢の女たちだ。
「……結婚はしないと思うよ」
レネはある人物の顔を浮かべて、養父の結婚の可能性を否定した。
「そうなの? ……なんだかもったいないわ」
レネの複雑な表情を読み取り、モニカもそれ以上は話を掘り下げることはしない。
アネタの養父でもあるバルナバーシュは、結婚の立会人となるためにレネよりも先にジェゼロへ来ていたが、ちょうどさっき入れ違いでボリスと一緒に来ていたカレルと二人で、メストへと帰っていった。
癒し手が狙われるという出来事があったばかりなので、カレルをジェゼロに行くボリスの護衛として同行させていたのだ。
因みに少年時代からこの工房で世話になっていたカレルは、今でもモニカに頭が上がらない。
先刻バルナバーシュとリーパに帰るまでの間、薪割りや食料の買い出し、食事の下拵えまで、ずっとモニカの手伝いをしていたと聞いている。
ジェゼロにある癒しの神殿で、身内だけの少人数でその式は行われたのだが、レネはどうしても外せない仕事が入り、出席できなかった。
自分がその場にいたとしても、やはり養父のバルナバーシュのように、ボロボロ泣いていただろう。
ボリスが自分を庇って刺された時の絶望感。
目から光が消えていくボリスを見た時は、自分も一緒に死んで姉に詫びようとまで思った。
姉を悲しませるようなことにならなくて本当によかった。
(……ここに来るまで色々あった……)
「あんた、なに泣いてんのよ」
アネタに言われて気付いたが、いつの間にか目から涙が零れていた。
「……だって……姉ちゃんがボリスと結婚したのが嬉しくて……」
「よかったな」
隣にいるバルトロメイがくしゃくしゃと少し乱暴にレネの頭を撫ぜた。
レネの言葉の裏に隠された涙の意味がわかるからだろう。
「二人とも仲いいのね。そうやってると本当の兄弟みたい」
アネタがふんわりと笑って、レネとバルトロメイを交互に見た。
「アネタさんとは今回初めて会いましたけど、三人ともバルナバーシュの子供だし、きょうだいみたいなもんですよ。えっとアネタさんってなんの月生まれですか?」
前もって、バルトロメイにはアネタの年齢は話してある。
「一の月生まれよ」
「じゃあ俺が三の月生まれだから——お姉さん、デカい弟ですけど宜しくお願いします」
バルトロメイは人懐っこい笑みをアネタに向けた。
こうやって笑っていると、あの気性の激しい性格など全く感じさせない。
「アタシもこんなイケメンの弟ができて嬉しいわ~~!! 私とボリスが結婚したから、ボリスはあなたたちのお義兄さんよ」
「……お義兄さん……」
バルトロメイの言葉の響きが、どこかぎこちない。
ボリスとバルトロメイは、お互い微妙な顔をして視線を合わせている。
「オレは家族が増えて嬉しい。これから二人の子供が生まれて来るのが凄く楽しみ」
レネは素直に喜びを言葉に出した。
自分の子供ではないが、新しい命が生まれて来るのは、家族が増えるようで感慨深い。
「お産の時もボリスが付きっきりでいてくれるから安心だわ」
二人の子供を出産したモニカが、アネタの夫を見つめる。
お産で命を落すことは珍しくない。
癒し手であるボリスの存在がどれほど心強いのか、モニカの表情を見ているだけでも伝わって来る。
「愛する妻のために夫が尽くすのはとうぜんです」
当たり前のことだといわんばかりに、ボリスは胸を張った。
ボリスはもうしばらくこちらで過ごし、ある程度準備を整えてから仕事に復帰し、臨月になったら再びアネタに付きっきりでお産に臨む予定だ。
「ほら、あんた聞いた? 今の言葉? 私のお産の時なんて二回とも留守だったわよね」
「……し、仕方ないでしょ……二度とも王宮からお呼びがかかってたのよ? アタシだって付き添えなかったことを後悔してるんだから」
横目で妻から睨まれゲルトはしどろもどろになっている。
ゲルトがモニカの尻に敷かれっぱなしなのはこの辺りでは有名な話だ。
「ねえ、女の子と男の子どっちだと思う?」
このまま放っておくと不毛な争いが続きそうなので、レネは話の矛先を変える。
「……男の子かな?」
アネタは自分のお腹を擦りながら、生まれて来る我が子の性別を予想する。
「無事に生まれてきたらどっちでも可愛いわよ。でも私も男の子のような気がするわ。」
モニカもアネタと同じ意見のようだ。
「う~~~ん……オレは女の子だと思うな」
レネも自分の予想を口にする。
ふだんから男ばかりいる所にいるせいだろうか、最初はどちらでもよかったのだが、時が経つにつれ可愛い姪っ子に癒されたいと思うようになってきた。
これは予想ではなく、ただの願望だ。
「——ボリスはわかってるんだろ?」
皆の会話を聞きながら、ニコニコと笑い続けるボリスにレネは問いかける。
癒し手であるボリスはお腹の中の子の性別がどちらかわかると言っていた。
「まあね。でも私が言ってしまうのは簡単だが、どっちか予想するのが楽しいじゃないか」
「なんだよ、ズルいな自分だけ……」
レネは口を尖らせてボリスを睨んだ。
その顔を見て、モニカが「子供の頃からぜんぜん変わんないんだからっ」と吹き出している。
「そうなのよ、もったいぶって言ってくれないんだから。どっちかわかった方が準備も楽なのに……」
自分のお腹にいるのに、ボリスから性別を教えてもらえないアネタも、レネに便乗する。
「わかってるよ。準備も必要だからね。もう暫くしたらちゃんと言うから、もう少し秘密にさせてくれ」
ボリスは一見、温厚な男に見えるが、面の皮はここにいる誰よりも厚い。
自分で一度決めたことは、多少のことでは曲げない性格だ。
「でも、名前を付けるのだってどっちかわかってる方がいいじゃない」
「だったら男女両方の名前を考えていればいいじゃないか」
夫の言葉に、遂にはアネタまで口を尖らせる。
「でも産着は? 女の子ならレースをたくさん付けたいし、男の子ならシンプルなものがいいじゃない?」
「だったら、両方準備してたらいいよ」
ボリスはニコニコ笑ったまま、それ以上口を割ろうとはしない。
「もう……こんな所は頑固なんだからっ」
眉間に皺を寄せ、アネタはボリスを睨みつけるが、まだ本気に怒っているわけではないようだ。
過去に何度も本気で姉を怒らせたことがあるレネにはよくわかる。
「あら、もう夫婦喧嘩してんの?」
膨れたアネタを、モニカが頬杖を突きながら面白そうにその様子を観察している。
「だって、あたしのお腹の中のことなのに教えてくれないんだもんっ!!」
アネタは必死になって口を尖らせるものだから、顎の下に皺が寄っている。
その表情を、ボリスはたまらなく愛おしそうに眺めている。
「そうだよな。自分ばっか知ってるからって、ニコニコ笑ってムカつく!!」
レネも同じ気持ちになっていたので、姉に加勢する。
「はいはい。ホントこの姉弟……鈍いわね。だから揶揄われるのよ。ボリスの言う通りにしてたら間違いないわよ」
モニカが子供のような反応を見せるアネタの頭を撫でながらも、口元は面白がる様と笑っている。
元傭兵の夫を尻に敷くモニカにとっては、アネタなど赤子同然だろう。
(ん? 姉弟?)
モニカに馬鹿にされる対象に、レネまで含まれていることに気付く。
「……オレも?」
「そうよ。まだわからないの?」
「ちょっと待って、モニカちゃん、これ以上言っちゃうと面白くないから駄目よ。そっとしておいて」
妻の肩に手を置き、これ以上モニカが喋るのを止める。
「まあそういうことで、もう少し先のお楽しみだよ」
ゲルトの肩入れもあってか、ボリスは先ほどよりも楽しそうにレネとアネタの姉弟を見返した。
「ケチ……」
「もうっ……調子乗ってんだから」
レネとアネタにとってはますます面白くない事態だ。
だがこんな顔で笑う時のボリスは、どんなに頼んでも教えてはくれないだろう。
レネは諦めて、デザートのチーズタルトを食べることに専念した。
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