菩提樹の猫

無一物

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5章 一枚の油絵

4 温泉に入りながら

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◆◆◆◆◆

 
 ルカとドプラヴセは、ザメク・ヴ・レッセのサンルームでお茶を飲んでいる時に、偶然居合わせたリンブルク伯爵の騎士に声をかけられ、今夜開かれる夜会に誘われた。

『リンブルク伯爵が今夜の夜会で、ぜひ貴方に唄ってほしいとのことで』

 ラデクから依頼された時は、さすがにルカもどうしたものかと返答に困った。
 だがそんな心配を他所に、貴族たちの集まるこの施設での情報収集にちょうどよい機会だと、ドプラヴセは喜んで承諾した。

 マラートを捕まえてさっさとメストに戻ればいいのに、わざわざザメク・ヴ・レッセに立ち寄ったのも、『山猫』にとってなにか美味しい情報はないかと集めるためだ。


「いいんですか……私は『山猫』の仕事で、あの二人に直接会って話をしてるんですよ?」

 褐色の騎士が去った後に、ルカはぼそぼそとドプラヴセに耳打ちする。
 あちらからわざわざ話しかけてきたのは、なにか勘付いたからではないかと、ルカは危惧していた。
 あの時は仮面を着けていたのだが、仮面といっても口元は見られている。

「細けえことは気にすんなよ。どうせわかりゃしないって」

 だがドプラヴセにとっては、それよりも貴重な情報収集の場に招待されたことの方を重要視しているようだ。

(他人事だと思いやがって……)

 リンブルク伯爵とラデクには、副団長ルカーシュの顔と、吟遊詩人ルカの顔、そして仮面を被った『山猫』としての顔を見られている。
 今回は吟遊詩人のルカとして、完璧に演じきらなければいけない。

(は~~~面倒くせ~~~)


 夜会の会場は大浴場とはまた別の、意匠を凝らした何種類もの浴槽を揃えた場所だった。
 それぞれが思い思いの場所で寛げるようになっており、社交の場としてはもってこいだ。
 今回は招待状を必要としない気軽なものなので、施設を利用する多くの者たちが参加するに違いない。


「それよりも念願の温泉だぜ? ルカちゃんはちゃんと準備してきてるんだろうな?」

 念願とはなんだ。
 ただでさえ気を遣うのに、今回はこの男と温泉に一緒へ入らなければならないと思うと、余計に憂鬱になる。

「ちゃんと、露出が少ない綿パンツを持って来てますよ。厚手の生地ですから濡れたって透けません」

「——おいコラ、そんなジジイみたいな色気のないパンツ穿いて、俺に恥をかかせんじゃねえぞ」

 ドプラヴセが鋭い視線を送って来るが、ルカはツンとそっぽを向いた。
 丁寧なのは言葉遣いだけで、自分より立場が上の人間だからといってドプラヴセに対して遠慮などしない。



 
 部屋で入浴に必要な準備を済ませると、ルカたちは少し早めに会場入りした。
 唄うように頼まれたのは遅い時間だったので、まだ暇がある。


「一度アンブロッシュさんとゆっくりお話をしたいと思ってました」

 主催者であるアルベルトが他の客に一通り挨拶を済ませると、ドプラヴセたちの席にやって来た。
 得体の知れない二人組が気になるのだろうと、ルカは内心苦笑いを浮かべる。


 ドプラヴセとアルベルトが、ガウン姿で籐の椅子に座りながら談笑する様子を、ルカは飲み物を片手にチラリと盗み見た。
 ここに来ている者たちと同様ガウン姿で、下は下着一枚穿いただけのいつでも風呂に浸かれるようなラフな格好だ。
 
「ほう……アンブロッシュさんは、古代王朝時所縁の物を探している内に次第に骨董品が周りに集まって来て、商売をはじめられたというわけですね」

 今回もドプラヴセは、『骨董商アンブロッシュ』としてこの場に来ていた。
 もともとアンブロッシュ本人が、伯爵家の三男坊という肩書を持っていたので、貴族の多いザメク・ヴ・レッセでも簡単に紛れ込むことができる。

「はい。好きが高じてと言いますか……」

 それは以前、アンブロッシュ本人も言っていた言葉だ。

「古代王朝といえば……私の最初の妻は古代王朝に由縁の深い家の出でして、あそこの屋敷はアンブロッシュさんにとっては宝の山かもしれませんね」

 これは貴族の中でも有名な話なので、ドプラヴセも、リンブルク伯爵の前妻の出自をもちろん知っている。
 
「存じております。レロの名門、グリシーヌ公爵家ですよね」

 ルカはヴルビツキー男爵の事件を追っている時に、グリシーヌ公爵家について少し調べてみたことがある。
 古代王朝時代の資料などほとんどないので、どこまで本当かはわからないが、グリシーヌ家はスタロヴェーキ王朝時代から存在しており、スタロヴェーキ王家とも婚姻を繰り返していた。
 王朝が三つに分裂し、グリシーヌ家はレロに編入されることになったが、
 スタロヴェーキの王族に多くいたとされる淡藤色の瞳を持った者が、今でも時々生まれるらしい。

 古代王朝に所縁のある家柄とあらば……神器を集めている『復活の灯火』もとうぜん目をつけているだろう。


「過去に王朝時代の貴重な書物が盗まれたようで、グリシーヌ公爵が嘆いていたのを憶えています」
 
(——もしかしたら、奴らの仕業かもしれないな……)

「しかし書物が残っていたとは……驚きですね。スタロヴェーキ王朝の文献は王立図書館にもほとんどないと聞いていますが、そんな貴重な書物を盗むとは、けしからん盗人ですね」
 
「もう十年くらい前の話なんですけどね、あの頃はグリシーヌの家もゴタゴタしてましたからね。その隙に付け入られたのでしょうね」

 今でも強い結びつきがあるグリシーヌ公爵家の醜聞に、リンブルク伯爵は苦笑いする。


「——そう言えば……アンドレイ様はファロに御留学中だと伺いましたが、お元気でお過ごしでしょうか? 以前少しお話させて頂く機会がございましたので」

 今まで黙って話を聞いていたルカだったが、話題を変えるにはちょうどいいタイミングだと口を開いた。
 

「ああ、君は息子とも面識があったんだね。たまにしか手紙は来ないけれど、元気でやっているみたいだよ。最近やっと跡取りとしての自覚が出て来たみたいでね、まだしばらく帰って来ないかと思ったら、大学はこっちに戻って来るって言いだして、少し安心してるとこだよ」

 リンブルク伯爵の言葉を聞いてルカはあることを思い出す。

(……アンドレイお坊ちゃまと言えば……クーデンホーフ侯爵家の次女と婚約するって話はどうなったのだろうか?)

 あと数年でこっちに戻って来るということは、そっちの話が進んでいるのかもしれない。


「御聡明なご子息でいらっしゃいますから、将来が楽しみですね。またお会いできることを心待ちにしております。——あの、一つ不躾な質問をしてもよろしいですか?」

 ここはもう一つ話題を広げておこうと、ルカはわかりきった質問をすることにした。
 

「なんだい? ラデクと私がデキているかどうかの質問以外だったらなんでも受け付けるよ?」

「……アルベルト様そんな風に言ってしまうと、私たちの関係がお二人にバレてしまいますよ」

 お付きの騎士は、こっそりと主を諫めている風を装いながらも、わざとこちらに聴こえる声で喋っている。
 これはもう……完全に確信犯だ。
 
「ぷっ……失礼……」

 ドプラヴセが、屈強な騎士とリンブルク伯爵の掛け合い漫才に思わず吹き出している。

(この夏に離婚したばかりで、その冗談は変に怪しまれるだろ……)

 ルカも、ついついツッコミを入れたくなる。
 
「ふっ……よかった違う質問で。——伯爵様の騎士殿と、アンドレイ様の騎士殿は、どういったご関係でしょうか?」

 主従の息の合ったドロステアンジョークに、くすくす笑いながらもルカは質問を続けた。
 
「私との関係ではなく、そっちかい。まあ……ここまで似てたら、気になるだろうね」

 リンブルク伯爵は本人に説明するよう、ラデクに目配せする。

「アンドレイ坊ちゃまの騎士を務めておりますのは、私の弟です」

 ラデクは弟のデニスとは違い、いい意味で騎士らしくない世慣れした男だ。

「やはりそうですか。あまりにも似ていらっしゃったので、無関係ではないだろうと……いや、逆に無関係だった方が凄いかもしれませんね」

 南国人とドロステア人のいいとこ取りをしたこの容姿は、遠くからでも人目を引く。
 

「——あれ? でもあの夜会の時にデニスは怪我でいなかったはずだが、どこか別の場所で?」

(そんな細かいとこまで憶えてんのか……)

 ルカは、もう半年以上も前のことを、細かく記憶しているリンブルク伯爵の記憶力に舌を巻く。
 
「ええ。あの時はヴルビツキー男爵の所でお世話になっていて、お庭で唄っていたら、お隣のダルシー伯爵家にアンドレイ様とデニスさんがいらっしゃっていたので。デニスさんと少しお話をさせて頂きました」

「ああ、オストロフ島へ行った時に会っていたんだね」

 ルカの言葉を聞いて、リンブルク伯爵がやっと納得した様に頷いている。
 
 その後、デニスを『虹鱒亭』に呼び出し、アンドレイを救い出すため一緒にオストロフ島へ向かったのだが、これは『山猫』の任務に関わることなので、秘密にしておかなければいけない。


「ラデクとデニスは、外見は双子みたいに似ているけど、中身はぜんぜん違うんだよ。——そう言えば……アンブロッシュさんのご兄弟は? 私は妹しかいなくて外で遊ぶのもいつも一人でした……」

「——兄がいます。でも兄は完璧な人で……私の手の届くような存在ではありません。好き勝手にやっている不肖の弟ですが、そんな私に今でも兄は目をかけてくれています」

 今ドプラヴセの話している内容は、アンブロッシュではなく……ドプラヴセ自身の本当の身の上話だ。

 表情を見ていれば、そんなことくらいすぐにわかる。
 こんなクズ男だが、実の兄を崇拝している。

(同じ血が流れてるなんて未だに信じられない……)

 ドプラヴセの兄の姿を思い浮かべ、ルカは顔を顰めた。


「羨ましい。ずいぶんご兄弟で仲がよろしいようですね」

 リンブルク伯爵は、決して作り笑いではない微笑みをドプラヴセに見せた。

(……?)

 この伯爵が切れ者と知っているだけに、ルカはその優しい笑顔が意外だった。

「でも今は、滅多に会うことなんてありませんね」
 
「大人になったらそれぞれの生活もあるし、そんなものですよ。——なんだい? そんなに温泉に浸かりたいのかい?」

 突然リンブルク伯爵はラデクに視線を移した。
 いきなりどうしたのだろうか?

「……周囲から痛いほどの視線が刺さって来るのですが、『さっさと脱げ』という無言の圧力を感じます。みなさんそんなに私の裸が見たいのでしょうか?」
 
 厳つい騎士が胸を覆って恥じらう仕草をして見せる。

「ふっ、それは君ではなくルカ君への視線なんじゃないかい? まあいい……だったら期待に応えて、二人で温泉にでも浸かればどうだい?」

 すぐ近くにある陶器でできた湯船の方に、リンブルク伯爵は目を向けた。
 これはたぶん……今からドプラヴセと二人っきりで込み入った話をするので、人払いの合図だ。
 息の合った主従の連係プレーにルカは思わず感心する。


(伯爵はドプラヴセとなにを話すつもりだ?)

 今からなんの茶番がはじまるのか、予想のつかない展開にルカの心拍数が一気に上がる。




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