菩提樹の猫

無一物

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5章 一枚の油絵

2 デカい釣り針だったのに……

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 ルカはマラートと一緒に『ルジェ』を出て(もちろん用心棒も一緒に)、高級温泉施設に併設するバーへ来ていた。
 相手の牙城でことを起こすわけにもいかないので、ドプラヴセと打ち合わせ通りに『ルジェ』の外へ誘い出すと、二つ返事でマラートは乗ってくる。

「やっと君と話をすることができた」

 くるんと無駄にカールした睫毛を揺らし、潤んだ瞳がルカを見つめた。

「……やっと……とは?」

 敵の本拠地から抜け出すことに成功し、バーの中でマラートと二人、いや……四人の用心棒が二人の座っている席を囲っていた。

 店の中心に温泉を使った噴水があり、それを囲むように円状に席が作られている。
 噴水の池の中には稀少なエメラルドグリーンの夜光石がふんだんに使ってあり、力を使っている時の癒し手の瞳の色のようだ。

「ずいぶん前の話になるが、テプレ・ヤロで唄っている姿を初めて見た時から、君の歌に一目惚れしてしまい、それ以来毎年やって来るのを楽しみにしていたのさ」

 いかにもな口説き文句に、ルカは内心げっそりとした。
 口ではそんなことどうとでも言える。

 この男……言葉遣いは丁寧だが我の強そうな顔立ちで、釣った魚には餌をやらないタイプだ——長年の経験からルカはそう推測する。


『——おいっ他所見てんじゃねえよっ!!』
  
 店の入り口で急に男の怒鳴り声が聴こえ、用心棒とマラートも咄嗟に声の聴こえる方に視線を向けた。
 酔っ払いフラフラと足元のおぼつかない客が、他の客と肩がぶつかり怒っているようだ。

「困った客だ……」

 この店にはそぐわない、みすぼらしい身なりの酔っ払いを見て、マラートが顔を顰める。

「相当酔ってるみたいですね」

 ルカも合わせるように苦笑いする。
 
『てめぇ謝れよっ!! なんで俺が追い出されなきゃいけないんだっ!!』

 暴言を吐く酔っ払いの客は、店員に囲まれ店の外へと連れ出されて行ってしまった。


「さあ、気を取り直して乾杯しよう。遠慮せず飲んでくれ」

 チンとグラスを合わせると、マラートはまず自分が一口飲んで見せた。
 ルカも倣って同じ酒の入ったグラスに口を付ける。

「そう言えば……私が毎年訪れているのもご存じだったのですか……?」

 先程中断していた話題を続ける。

「もちろん。やっとうちの店に唄いに来てくれたんで舞い上がっていた所だよ。それにしても……近くで見るとよくわかる。信じられないくらい神秘的な瞳の色だね」

 強引にルカの顎を取り自分の見やすいように上に向けると、その瞳の色を堪能するように目を細めた。

「……!?」

 ルカは相手のとる行動を予想できていたが、一応驚いた振りをして見せる。

「あ、失礼。あまりにも君の瞳の色が美しかったので、ついつい」

 悪びれた風もなくマラートはルカに形だけの謝罪を入れる。

(うわ……キモっ……)

 歯の浮くような台詞に思わず鳥肌が立つ。

「……強引なんですね」

 ルカはそれでも自分に課せられた使命を全うするために、思わせぶりに口元に笑みを浮かべる。
 その反応にマラートはますます機嫌をよくした様子で目を細めた。

「これでもふだんは紳士として通ってるんだけどね」

(なにが、紳士だ……あんな低俗な本を出しやがって)

 自分について書かれた箇所を思い出しながら、心の中で愚痴を零す。
 

「どうしました……?」

 一杯目を飲み終わる頃、マラートが顔を赤くして俯いているので、ルカは覗き込み声をかけた。

(……やっぱり仕込んであったか……)

 先ほどの酔っ払いに店内の人間が気を取られている一瞬の間、ルカはテーブルの上に置かれてた自分のグラスとマラートのグラスを入れ替えておいたのだ。

 以前、うっかり薬入りの酒を飲んで大変なことになった時の教訓を忘れない。


「……少し酔ったのかもな。君は大丈夫そうだね」

 首を傾げながらマラートがルカを見返す。

「もし……きついようでしたら、上の部屋で少し休んでいきませんか?」
 
「……!?」

 マラートはカールした睫毛を瞬かせる。

(おい……なんだその喜んだ顔は……気持ちの悪い……)

 注意深い男だと聞いていたのに、なぜこんなデカい釣り針が見えないのだろうか?


 マラートはこの施設の会員で、好きな時に上の部屋を利用できるようになっていた。
 施設の使用人に、居間と寝室に分かれた豪華な部屋へ案内させると、ルカは困った顔を浮かべ奥まで一緒について来ようとする用心棒たちを見つめる。

「——貴方を早く介抱して差し上げたいのですが……この人たちまで一緒では気が引けます……」

「……お前たちは、あっちで待機だ」

 顔を真っ赤にして息を切らしながらも、マラートは用心棒たちに命令する。
 

 上手いこと用心棒たちを残し、二人だけで奥の寝室へと入ると、ルカはすぐにマラートの身体を拘束した。

「っ!?」

 口に布を詰め込まれ、マラートは声を上げて助けを求めることもできない。

「上手くいったみたいだな」

 酔っ払いの振りをして店員たちによって一度外に追い出されていたドプラヴセも、バルコニーから部屋の中へ入って来た。

「用心深い男だなんて嘘でしょう?」

(ちょっと甘い顔をして見せただけで、コロッと騙されやがって……)
 

「ううううっっ……」

 猿轡を嵌められた口からはくぐもった声が漏れるが、どうもそれは苦痛の声ではなさそうだ。その証拠に男の股間はギンギンに勃ち上がっていた。

「誰かさんの時と同じで、相当強力なのを盛ってあったみたいだな」

 ドプラヴセがニヤニヤ笑いながら、捕えた獲物であるマラートを見下ろした。

「…………」

 嫌な記憶が蘇り、ルカは眉間に皺を寄せて煙草の煙をふかした。


「こいつを連れて行くにしても、外の奴らをどうにかしないとな」

 ドプラヴセが寝室の入り口にある重厚な木の扉を顎でしゃくった。

 用心棒たちは応接間で待機している。
 全員で四人、騒いで施設側に気付かれると困る。
 残酷なようだが『山猫』の任務を妨害する連中は、容赦なく殺すしかない。

 マラート逮捕の情報がテプレ・ヤロ中に知れ渡るとその後が動き辛い。
 なので目立たぬようマラートの身柄をさっさと鷹騎士団へ引き渡したかった。

 ルカは動きやすいよう、垂らしていた髪を素早く三つ編みにして皮の紐で結んだ。
 
「貴方は窓の外へ」

 一応ルカはドプラヴセの護衛でもあるので、護衛対象を安全な場所へ逃がすと、鎌のように湾曲したナイフを取り出し、逆手に持って構えた。


「助けて下さいっ!! マラートさんが倒れてっ!!」

 ルカの叫び声に、マラートは驚いて不自由な身体を捻じ曲げる。
 ものを言えない口の代わりに、その瞳は「嘘を言うんじゃない!」とでも言いたげだ。

『何事だっ!?』
『入りますよっ!!』

 扉の外から用心棒たちの声がし、すぐに部屋の中へと入って来た。

「マラートさんっ!!」

 用心棒たちは、マラートが身体を拘束されたまま床に転がされているのを発見すると、急いで駆けつける。
 自分たちに助けを求めたはずの吟遊詩人の姿が見えない。

「相手の男は?」

 用心棒の一人がマラートの側でしゃがんだまま……後ろを振り向くと——

「——っ!?」

 そこには既に、三人の仲間が絶命して床に倒れていた。
 そして男が最期に見たのは、まるで人形のように無機質な死神の顔だった。


 瞬く間に断末魔の悲鳴も残さないまま……四つの命がこの世から消えていった。
 まさに死神の鎌のようなナイフに付着した血を払うと、ルカは表情一つ変えず、何事もなかったかのように武器をしまう。


「じゃあコイツを、鷹騎士団の所まで運んでってくれ」

「はい」

 この施設の使用人に扮した男二人が部屋の中へと入って来ると、ドプラヴセはてきぱきと指示を出す。
 男たちは、シーツや洗い物を入れる大きな麻袋に気絶させたマラートを入れると、専用のカートに乗せて廊下へと出て行った。

『山猫』には数多くの協力者がいる。
 こうして人手が足りない時に手伝ってもらうことも多々あった。

「こいつらの始末は鷹騎士団に任せて、さっさとずらかるぞ」

 ドプラヴセは開いた窓に身を翻すと、その後にルカも続いた。
 この南国風の建物はごてごてとした装飾の多いので、容易に柱を伝って一階へと移動することができた。
 楽園のような南国の室内から外へ出ると、肌を刺す冬の風が容赦なく吹き付け、一気に現実世界へと引き戻される。

 ルカは高台にある建物から街を見下ろした。
 ピンクやオレンジ色の頽廃的な夜光石の光を纏い、街全体がまるで甘ったるい飴細工みたいに見えた。


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