菩提樹の猫

無一物

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5章 一枚の油絵

1 ルジェ

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◆◆◆◆◆


 繁忙期も終わりに近付いて来たが、数多いテプレ・ヤロの娼館の中でも人気店の『ルジェ』では今日も賑わいを見せていた。

 ここはテプレ・ヤロという土地柄か、娼館といっても男娼を集めた店の方が多い。
『ルジェ』もそのうちの一つだ。
 

 公衆浴場の中ではいつもは派手に着飾った金持ちや貴族も、下着一枚で過ごさなければいけない。

 ではどうやって自分の威厳を相手にひけらかすのか?

 美しい愛人を連れて、自分の付属物として周りに見せつけるのだ。
 だが、温泉施設では男女の混浴が禁止され、施設も建物ごとに男女で分かれている。
 だからここでは、金持ちや貴族たちは美少年・美青年を侍らせ、マウントの取り合いを行う。

 しかしテプレ・ヤロで美青年・美少年を連れ歩いていたとしても、その人物が男色家というわけではない。
 ふだんは異性愛者だが、むさい男と入るよりは美青年と一緒の方がいい。男には興味はないがとにかく見栄を張りたいので、その場限りの美しい男の連れを探す。
 こうした要望に応えるため『ルジェ』では男娼たちの貸し出しも行っていた。

 今夜も温泉施設に同伴させる相手を見繕いに、金持ちや貴族たちが一階のサロンで酒を飲みながら男娼たちを物色している。


「——彼もここの店の者なのか?」

 品のよい身なりをした紳士が、ホールに立っていた店員を呼んでこっそり耳打ちする。

「申し訳ありませんが、あの青年は当店所属ではございません」

 店の男は今日何回目かの質問に内心うんざりする。

「そうなのか……残念だ……」

 この店では商品以外の者に声をかけるのはご法度なので、紳士も大人しく引き下がるしかない。

 紳士が名残惜しく送る視線の先には、バンドゥーラを爪弾いて悩ましい声で物悲しい歌を唄う一人の吟遊詩人の姿があった。
 薄茶の髪を無造作に肩に流し華奢な身体をピッタリと覆う真っ黒な服装。
 派手に着飾った男娼たちとは対照的に、青年をその場から余計に浮き立たせていた。
 
 店にはいつも専属の楽士が演奏を行っているが、偶にこうして流れの吟遊詩人に歌を唄わせることがある。
 だが今回は、男娼たちよりも吟遊詩人に注目がいってしまっている。
 綺麗に作り上げられた商品よりも、飾り気のない青年の方が客の目には魅力的に映るようだ。
 
 いや、それは客だけではなかった。
 
 前もって店側と決めてあった五曲を唄い終えると、吟遊詩人は客からの投げ銭を受け取りステージを下りていく。
 それを待っていたかのように、奥から男が出てきて彼へと話しかけた。

「オーナーが貴方の歌を聴いて大変気に入ったようで、この後ゆっくりお話がしたいと申しておりますが」

 声をかけたオーナー専属の用心棒は、近くで見た吟遊詩人の瞳が不思議な色合いをしていることに気付く。

「そうなんですね」

 吟遊詩人はどこか乗り気でなさそうな返事をする。
 顔には愛想笑いの一つも浮かんでいない。

 この青年は店の中に入って来た時から、媚びを売った様子など一切見せなかった。
 吟遊詩人といえば、客を喜ばせるのが仕事なので愛想がよく人当たりのいい人物が多いのに、この青年はどうも違う。

 実は以前も店で唄った後にオーナーが誘ったのだが、その時は『先約があるので』と誘いを断られていた。

「でも、ここでは気が落ち着きません。場所を変えて貰ってもいいですか?」

 今回も断られたなら力ずくにでもオーナーの所へ引っ張って行くつもりだったが、どうやらその必要はないようだ。

「今すぐ確認してきます」

 その間に青年が姿を眩まさないよう控えていた店員に目配せすると、用心棒は急いでオーナーに確認をとりに行った。
 


◇◇◇◇◇



「お前も来いよ。……もともとはお前のケツ拭くために俺まで巻き込まれたんだからな」

 メストの歓楽街にある古いボロ屋の一室で、ソファーに寝転んだくたびれた男が、やって来た訪問者にこれからの予定を説明していた。

「……まさかあの本を発行していたのが『ルジェ』の主だったなんて……意外です」

『ルジェ』はテプレ・ヤロにある男娼ばかりを扱う人気の娼館だ。
 そこの主が例の【ドロステア美少年・美青年図鑑】を出版していた男だと聞いて、ルカーシュも言葉をなくす。


 冬になると賑わうテプレ・ヤロに、ルカは休みがとれた時に吟遊詩人として唄いに行っていた。
 一昨年、『ルジェ』でも一度唄わせてもらったが、たまたま居合わせた店の主人が熱い視線を送ってきて、歌の後にしつこく一緒に飲まないかと誘われたが断ったという過去がある。

 断った理由は簡単だ。
 ルカの好みの男ではなかったからだ。
 それ以来、なんだか面倒になり、あの店では唄っていない。


「それどころじゃねえ。テプレ・ヤロとテジット金鉱山にある猥本屋も、『ルジェ』のオーナーのマラートが経営してたんだぜ……アランの奴が言ってたが、チェスタにお前がよく姿を現すと聞きつけて、わざわざあいつの所に情報を買いに来たらしいぞ」

 アランも『山猫』のメンバーで、チェスタを拠点とする情報屋だ。

「は?」

 そんなの初耳だ。

「えらく執着されてるじゃねえか……。だからあの本でもお前はランキングの常連だったんだろうよ」
 
(めんどくせえな……)

 はっきりいって迷惑でしかない。

 こう見えて、ルカは男の好みにうるさい。
 今は想い人と結ばれて男漁りをすることもなくなったが、行きずりの男と寝ていた時もちゃんと相手を選んでいた。

 マラートという男……醜男ではないのだが、長い睫毛に縁どられていた目が無駄にキラキラして、手入れされすぎた眉と髭が気持ち悪いと思ったのだ。
 それにどうせ抱かれるなら自分より一回り大きな逞しい男の方がいい。

 目の前のソファーに寝そべるだらしのない男も、マラートも決して逞しくはない。
 そして美男でもない(ここが一番の問題だ)。
 

「こんなとうが立った男より、自分の店にもっと若くて綺麗な男娼たちがいるでしょうに……」

 ルカは懐から慣れた手つきで、巻き煙草の入った缶を取り出す。

「けっ……お前わかってる癖に言うなよ」

 ドプラヴセが言うように、ルカも自分に需要があることくらいわかっている。
 
「でも、どうやって本を差し止めるんです?」

 煙草に火を付けながら、ルカは足を組み直す。

「それがな、ちょうどあの店から貸し出されてる男娼が、貴族と商人の話を盗み聞きしてマラートに流してたんだよ」

「——証拠を掴んだんですか?」

「密談をしている部屋に忍び込んでた所を捕まえて、吐かせたら、マラートから盗み聞きするよう命令されてたみたいだ。それも今回が初めてじゃなんだと」

「じゃあ、完全に黒なんですね。」

 無理に理由を作って本を差し止めるのは、こちらとしても良心が痛むが、真っ黒な男なら気が咎めることもない。

「マラートはふだんから用心棒をたくさん雇っていて、人前には滅多に出てこない。他にもよっぽどやましい所があるんだろうな。アランの話だとテプレ・ヤロの歓楽街を牛耳っている黒幕だとよ」

 きっと客の弱みを握ってあくどい商売を行っていたに違いない。

 知らなかったとはいえ、そんな男の誘いを断って他の店で唄っていた自分が、どれだけ肝太い行動をしていたのかと、いまさらながら呆れる。
 まあ……たまたまマラートが気まぐれで声をかけただけで、とうの立った吟遊詩人なんてどうでもよかったので放置されたのだろう。


「どうやってそんな用心深い人物を捕まえるつもりです?」

 鷹騎士団を使って強行に店を押さえることはできるかもしれないが、マラート本人は上手いこと逃げ出すに違いない。

 それにドプラヴセは権力にものをいわせ強引に押し切るやり方は好まない。
 獲物を罠に嵌め、追い詰めていくやり方を好んで使う。
 ある意味、性質が悪い

「お前、昔あいつの店で唄った後に誘われたんだろ?」

「そんなこと言われても……もう二年も前のことですし、用心深い男が私なんかに釣られて出て来るわけないでしょう」
 
「でもわざわざアランからお前の情報を買ってたんだぜ?」

「誘いを断ったんで、痛い目に遭わせるためでは?」

 面子を潰されて、根に持っているのかもしれない。

「それだけのためにわざわざ金出すかよ……まあ、だったらそれを利用しない手はないだろ? だいたいな……あの本に載ったら活動の妨げになるし、テメェの男漁りのせいでこんな面倒くせぇことになったんだからな、自分で始末付けろよ」

「…………」

 クズ男から正論を述べられ、ルカは返す言葉も見つからなかった。



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