菩提樹の猫

無一物

文字の大きさ
上 下
381 / 473
4章 癒し手を救出せよ

27 罰

しおりを挟む
「……ここは……」
 
 さっきまでの勢いはどこへ行ったのか、レネはおずおずと周囲を見回しながら後を付いてくる。

「俺の代になってからは、ルカしか入れてない」
 
 バルナバーシュが寝室の奥の扉を開くとそこから階段が現れ、夜光石のランプを持ってそこを上がって行く。

 
 階段を上がるとまた扉が現れ、そこを開くと外の冷気が一気に中へと入って来る。

「……屋上!?」
 
 レネはいきなり目の前へ現れた広い空間に、目を瞬かせる。

「鍛練場代わりに使っている。俺たちも毎日の鍛練は必要だからな」
 
 外から見ても周囲を塀の様に屋根が囲み、この屋上は見えない作りになっていた。

 バルナバーシュの鍛練の相手になるのは、ここではルカーシュしかおらず、ルカーシュの相手になるのもバルナバーシュしかいない。

 それにルカーシュはコジャーツカ人で二刀流という特殊な剣士だ。
 マウンティングのため、団員たちにその剣技の一部を晒したが、あまりその姿を表に出すことを好まない。
 だから毎日二人で誰にも見られることなくここで鍛練を行っている。

(いや……ルカを晒したくないのは俺の我儘だけどな……)
 

「ルカと比べたらお前じゃあ役不足だがな……仕方ねえな……」

「…………」
 
 わざと師匠と比べる発言をすると、レネの目に怒りの炎が灯る。

 ルカーシュとレネは師弟関係なのだが、お互いに反発しあっている所が少しある。
 ここがあるのにルカーシュがわざわざ河原でレネを鍛えていたのも、二人の場所にレネを入れたくなかったからだ。
 
 そもそも二人がこじれる原因を作ったのはバルナバーシュなのだが、今はその感情を利用する。
 この前の決闘の時もそうだったが、レネは怒りの感情を煽られることにより、抑圧されていた本来の力を発揮すことができる。
 
「せっかく持って来てるんなら二本使えよ」 

 左右の腰にコジャーツカの剣が二本差してあるのを確認すると、バルナバーシュは自分の剣を抜いた。


 愛らしい子供時代から全く変わっていないその面差し。
 これ以上傷に触れるのはやめようと、そっとしておいたのに……どうして自ら傷を抉るような真似をしてくる?


(——俺だって自分を傷つけられるよりも痛いもんがあるんだよ……)


 だが……弱い自分を罰してくれとばかりに自ら進んでやって来たレネに、中途半端な気持ちで臨んではいけない。


 自分に課せられた役割は、レネを強くすること。
 決して慈しむことではない。

 バルナバーシュという名前は『慰める者』という意味を持つ。
 自分の跡取りでもある我が子にそんな軟弱な名前を付けるなと、父であるオレクは反対したそうだが、母がこの名を付けるといって譲らなかったらしい。

 母は息子にこんな似合いもしない名前を付けて、自分になにを見出していたのだろうか?
 

(——俺は殺戮者だ)
 
 慰めるどころか沢山の人間を屍へと変えてきた。


 バルナバーシュはゆっくりと息を吐き、傭兵時代からやって来た儀式を執り行う。
 目の前に立つ人物を真っ黒に塗りつぶし、ただの動く人形へと変えていく。



「覚悟はいいか?」
 
「——はい……」 


 
◆◆◆◆◆



 本当の恐怖とはなんだろうか?

 幼い頃、自分を守ってくれていた大きな存在が、剣を持って自分と対峙している。

 いや……対峙するなんて言葉はしっくりこない。
 防戦一方を強いられ、レネはただ逃げ回ることしかできない。
 
 戦いが始まってから、バルナバーシュは終始無言を貫いている。
 いつもは『遅い』『読みが甘い』など指導しながら剣を打ち込んで来るが、今は思わず尻尾を巻いて逃げ出したくなるような殺気しか感じない。


 それも弱い獲物を嬲るように、決定的なダメージを与えようとはしない。

「はぁっ……はぁっ……」
 
 太腿と腕に大きな傷を作りながらも、レネは辛うじてまだ身体を動かすことができる状態だ。


 バルトロメイやゼラと戦う時は、まだゾクゾクするような高揚感があるのだが、バルナバーシュは次元が違う。

 バルナバーシュは力業で圧倒的な恐怖をレネに植え付けてくるのだ。

 憧れの騎士としての『バル』の面影などどこにもなく、そこには……今まで対峙してきた殺しを稼業にする男たちのあの独特の瞳を……更に黒く塗りつぶした、地獄の底みたいな色をしていた。
 

 だが、この闇を纏ったバルナバーシュの姿を、心の底から美しいと思う自分がいる。


 光の当たる人間の足元には、必ず影ができる。
 影のない人間は、そもそも光が当たっていないのだ。
 
 たぶん自分は、バルナバーシュの影を見て、安心している。

 バルナバーシュは長く続いた大戦を終わりに導いた英雄の一人といわれている。

 光り輝く養父の経歴……それに見合った真っ暗な影を発見し、綺麗ごとだけを並べる人間なんかより、よっぽど人間らしいとレネは喜んでいるのだ。

 その闇を自分に見せてくれたことがなによりも嬉しかった。


 気を呑まれるほどの恐怖は、この男から喰われてしまいたいという甘い陶酔に変わる。
 だが、なびいてしまいそうになったところで、「違う!!」とレネの本能が警告した。

(オレは、支配されたいんじゃないっ!! この男に勝ちたいんだっ!!)

 突如明確になった自分の欲望に、なよなよと萎んでいた力が再び蘇る。

 今まで漠然と『バル』のような強い男になりたいと思っていたが、その『なりたい』を突き詰めていけば、養父のいる場所に自分が立つことを意味する。

 横に並ぶのではない、『バル』を越えないと……その場所には辿り着けない。
 今はまだ力は及ばないが、せめて爪痕だけでもバルナバーシュの身体に残したかった。
 

 左に持った剣で、次の攻撃を生みださせないようにバルナバーシュの手元を執拗に攻める。
 こんな小手先の戦法など、バルナバーシュは猫がじゃれついているくらいにしか感じていないはずだ。

 手足の失血が酷くなってきて目が眩んできた。
 体力的にも攻撃に転じられるのはあと一回が限界だろう。


 この一撃に懸けるしかない。
 
 

◆◆◆◆◆



 風呂場からレネを運び出した時には、二人とも憔悴していた。
 ボリスは急に団長の寝室へと呼び出され駆けつけた時の光景を思い出す。
 
 真っ暗な寝室の奥にある風呂場から灯りが漏れており、タイルの上には横たわる血だらけのレネの姿が。
 バルナバーシュがレネの腹にできた傷をシャツで縛って必死に止血している。

 やっと……二人揃って生還したのに……なんてことだ。

 二段落としの悪夢に、ボリスは目の前が一瞬にして真っ暗になる。

 
 なんとか傷を塞ぎ、レネの血を洗い、失血のために失った体温が戻るまでバスタブに浸け温めた。

 レネを自室のベッドの上へと運び、二人して手近にあった椅子へ座る。
 この傷は間違いなくバルナバーシュが負わせたものだ。

 この世の終わりのような陰鬱な顔をしたバルナバーシュを見て、とても責める気にはならない。

 ボリスはどうしてこんなことになったのか、おおよその想像がつく。

「……レネは私に庇われたのを悔やんでいたのでしょう?」
 
 だからまるで罰でも受ける気持ちで、バルナバーシュとの手合わせを申し出たに違いない。

 今思うと、レネもエゴールの次の攻撃をちゃんと読んでいたはずだ。
 それなのに……自分のせいでレネが辱めを受け、動転していたボリスは、レネがこれ以上、自分のために傷付くのが耐えられなかった。

 レネにとって、ボリスは予想外の動きをしたのだろう。
 あんなに怒鳴り散らされたのは初めてだった。


「こいつは護衛だからな。それにお前は自分の傷は治せない。危険に曝された時は大人しくレネに守られてろ。そしてこいつが傷付いた時に癒すのが役目だろ?」

「……申し訳ありません。逆になってしまいましたね……」

「レネに癒しの力があったからよかったものの……無茶しやがって……」
 
 返す言葉もない。
 

「団長、胸の傷が」
 
 レネばかりに気をとられていたが、バルナバーシュも浅い傷だが、胸元を斜めに大きく斬られていた。

「……ああ。コイツが俺を傷つけるなんて初めてだ……」
 
 もうすぐボリスの義理の父親になる男は、苦笑いを浮かべていたが、その顔はどこか嬉しげだった。

「本当は、お前を救えなかったコイツに駄目出しして、鍛え直してやらんといけなかったのに……俺はお前たち二人が無事に返って来て安心したのと、コイツが癒しの力を使ったことに動転して、本来の役割を見失っちまった」

「……団長……」
 
 この人はいつも損な役割ばかり負っている。
 
 レネはバルナバーシュに完膚なきまでに痛めつけられて罰を受けたつもりになっているのだろうが、レネを傷つけることが、どれだけ養父の心の負担になっているのか、もっと知った方がいい。
 
 愛する息子を傷つけて喜ぶ親なんていない。
 
 バルナバーシュはレネを鍛え、ボリスは傷付いたレネを癒す。
 この役目を見失ったら、レネは迷い、己を責めてしまう。

 だから二人はその役に徹するしかない。
 

 だがせめて……レネの傷付くことが彼を愛する者にとっても、自分のこと以上に痛いということをわかってほしい。


「自分の役割を見失った罰だな……」
 
 そう言ってバルナバーシュは、苦虫を噛み潰したような顔をした。
 
「それは私も同じです」
 
 そんなバルナバーシュの顔を見るのは辛い。
 ボリスにはバルナバーシュの痛みが誰よりも理解できるからだ。

 今夜はルカーシュがいないせいか……いつになく、もうすぐ義父になる男の背中が小さく見えた。

 ボリスはなんだか放っておけなくなり、寝酒に付き合ってほしいとせがんで、一緒に酒を酌み交わした。

 
 

しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

ふしだらオメガ王子の嫁入り

金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか? お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

婚約者に会いに行ったらば

龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。 そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。 ショックでその場を逃げ出したミシェルは―― 何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。 そこには何やら事件も絡んできて? 傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。

愛などもう求めない

白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。 「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」 「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」 目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。 本当に自分を愛してくれる人と生きたい。 ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。  ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。 最後まで読んでいただけると嬉しいです。

Ωの皇妃

永峯 祥司
BL
転生者の男は皇后となる運命を背負った。しかし、その運命は「転移者」の少女によって狂い始める──一度狂った歯車は、もう止められない。

【運命】に捨てられ捨てたΩ

諦念
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

【BL】婚約破棄で『不能男』認定された公爵に憑依したから、やり返すことにした。~計画で元婚約者の相手を狙ったら溺愛された~

楠ノ木雫
BL
 俺が憑依したのは、容姿端麗で由緒正しい公爵家の当主だった。憑依する前日、婚約者に婚約破棄をされ『不能男認定』をされた、クズ公爵に。  これから俺がこの公爵として生きていくことになっしまったが、流石の俺も『不能男』にはキレたため、元婚約者に仕返しをする事を決意する。  計画のために、元婚約者の今の婚約者、第二皇子を狙うが……  ※以前作ったものを改稿しBL版にリメイクしました。  ※他のサイトにも投稿しています。

異世界転生して病んじゃったコの話

るて
BL
突然ですが、僕、異世界転生しちゃったみたいです。 これからどうしよう… あれ、僕嫌われてる…? あ、れ…? もう、わかんないや。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 異世界転生して、病んじゃったコの話 嫌われ→総愛され 性癖バンバン入れるので、ごちゃごちゃするかも…

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

処理中です...